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春と永遠  作者: quiet
20/27

19



 ちりん、と鈴の音がした。


 振り向くと、和服の女の子。


「ああ、竹緒さん」

「ここにいたんですね、香住さん」


 自動販売機の前に、僕はいた。

 あの春の夜に倉上さんに連れてこられた、ひとりぽつんと立っている、蛍みたいな、そんな自動販売機の前に。


 いまはまだ、冬の夜だけど。


 三月十九日、冬。

 僕は倉上さんの死んだ日にこの場所に来て、ただ、ぼんやりとしていた。


「だいじょうぶですか」


 気遣うように、竹緒さんが言ってくれた。

 だから僕は、こう答える。


「……だいじょうぶですよ。心配かけてすみません」


 二歩、三歩、と竹緒さんが歩み寄ってくる。

 そして手を伸ばして、指で、僕の目元をすうっ、となぞった。


「無理を、しないでください」

「…………」


 結局。

 結局、なにも変わらなかった。


 涙は、まだ一滴も流れていない。

 ただ、むなしさと、無力感だけが、僕のなかにあふれる、すべてだった。


「伊名城さんが、見つかりました」

 竹緒さんが言った。


「でも、錯乱しているみたいで……。時崎が、しばらく会うのは難しい、と」

「そうなんですか。……見つかって、よかった」


 伊名城さんは、ホワイトデーの次の日から、姿を消していた。

 部屋の中身をぜんぶ残したまま、失踪した。伊名城さんが働いているというカルチャーセンターの職員さんも来て、時崎さんに事情を訊いているのを見た。


 ほらね、と倉上さんは言っていた。

 伊名城さん、優しいから。自分で自分のついたうそに、耐えられなくなっちゃったんだよ。


 そして、倉上さんは、こうも言った。

 戻ってきたら、優しくしてあげてね。伊名城さんのせいで、私、死ぬんじゃないんだから。


 僕は、うなずいた。


 本当のところ、怒る気持ちもあったけど。

 自分じゃ助ける方法がわからないっていうなら、気休めなんか、言わないでほしかった。

 そうすれば僕が、自分で倉上さんを助ける方法を探したのに。

 そんな風に、怒る気持ちもあったけれど。


 でも……同時に、わかってもいる。

 伊名城さんから「だいじょうぶ」と言われて、それ以上考えるのをやめたのは、自分の弱さのせいだって。


 人から言われた言葉で簡単に安心したのは、それに縋りたかったからなんだって。

 僕は、自分の力で未来を変える自信がなかった。だから、伊名城さんの優しいうそを、頭から信じこんだ。


 だから、本当は。

 僕は、伊名城さんに怒る資格なんてないんだって、そうわかっていた。


 伊名城さんがいなくなってからの僕は、結局、なにも倉上さんにしてあげられなかった。


「それから、三川さんが時崎の代わりに調べてくれたのですが、倉上さん、もうご両親も亡くなられて、お身内の方はいらっしゃらないそうです。だから結び荘で葬儀を、と」

「それは、時崎さんが?」

「いえ」


 竹緒さんは、目を伏せて、


「私が、そうしたいという話です。……お友だち、でしたから」

「……そうですか。その、倉上さんも」


 よろこぶと思います、という言葉を、僕は飲みこんだ。

 そうして続けてしまえば、倉上さんがこの世にもういないことを、認めてしまいそうだったから。


「あの、それから」


 竹緒さんは、着物の懐に手を入れて、折りたたまれた小さなメモ用紙を取り出した。


「時崎から、伝言です。中身がなんだか、私は知らないんですが」


 僕はそれを、無気力に受け取る。

 しっかりしなきゃいけない、と思うのに、身体に力が入らない。


「……すみません。いろいろ、やってもらっちゃって」

「そんな言い方、しないでください。ひとりで抱え込まないでください。私も、時崎も、三川さんも……それに、伊名城さんもいますから」


 気持ちが落ち着いたら戻ってきてください、と言って、竹緒さんは去っていった。


 そして僕が、ひとり残される。

 冬の自動販売機は、いっそう真っ白で、孤独に見えた。


 僕は考えるものも考えられないまま、それを眺めている。


 さくら抹茶ラテは、まだ置いていなかった。

 春が来る前に、倉上さんが去ってしまったから。


 立ち上がる。お金を入れて、ブルームーンソーダ。

 どうしてだろう。

 石みたいな、味がした。


 そのまま僕は、じっとしていた。

 冬の風が体温のすべてを奪ってくれるまでそうしていようかって、本気で思っていた。


「あ……」


 でも、そのとき。

 風が、僕の手からメモを、さらっていった。


 さっき竹緒さんから受け取った、時崎さんからのメモを。

 なくしちゃいけない。そう思って、重たい身体を動かす。風に転がされたメモはひとりでに広がっていた。


 見ると、こう書いてある。



『覚悟があるのなら』



 そして、地図。

 その場所には、見覚えがあった。


 夏の夜に訪ねた、あのトンネルの先。


「…………なんの、覚悟なんだろう」


 命を捨てる覚悟とか、そういうのなんだったら。

 もう僕は、そのくらいのことを覚悟とは呼ばないって、そう思った。




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