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「ああ、これはどうも。管理人の時崎です。どうぞ末永くよろしくお願いしますね。ええと、」
「香住です。香住森一。こちらこそ、よろしくお願いします」
「そうそう。書類で見て、綺麗な名前の人だと思ってたんですよ」
契約のときに不動産屋の人から「引っ越したら、まずは101号室の管理人さんにあいさつにいってください」なんて言われたときはいらない心配をしてしまったけれど、ノックした扉の先にいた時崎さんは、柔和な笑みを浮かべた若い人だったから安心した。
というか、ちょっとやそっとの若さじゃなかった。僕と同じ大学生と言われても、全然ふしぎじゃない。そのうえ日曜日の午前中に部屋を訪ねられたとは思えないほど身なりがすっきり整っていて、いわゆる清潔感のある、かっこいい男の人だった。
それに、だれかよく知っている人に似ている気もした。……それがだれだか、思い出せはしなかったけれど。
「いまから、お時間大丈夫ですか? もしよければ、私から共用部分の説明をしたいんですが」
「あ、全然。大丈夫です。きょう、もう特に用事はないので」
結び荘は共同玄関式で、廊下もぜんぶ建物の中にすっぽり入っている。ぎしぎしと床板を鳴らしながら、部屋を出た時崎さんの後をついていく。
「部屋のなかだけじゃなく、共用スペースにも、一応水場があります。私が定期的に掃除していますから、気兼ねなく使ってもらって大丈夫ですよ」
小学校にあった手洗い場みたいに蛇口の並んだシンクを、通りすぎていく。
「あそこに見えるいちばん奥がトイレですね。やっぱりこれも、部屋と共用、どちらでもお好きな方を使ってください」
「あの、」
と僕は口をはさんだ。
「なんで部屋のなかにあるものが、わざわざ共用スペースにもあるんですか?」
すると時崎さんはおもしろそうに笑って、
「部屋のなかにあるのが後付けなんです。ここはむかし学生寮で、諸々ぜんぶ共用にしていたんですよ。それが色々あってふつうの賃貸になったんですが、いまどきトイレくらい自分だけで使えなかったらいやでしょう。元々の部屋が広かったので、リフォームでトイレとお風呂をそれぞれ付け加えたんです。だからほら、ここに共用のお風呂もあるんですよ」
言いながら、時崎さんは突き当りの角を曲がった先の扉を手のひらで指し示した。
「もっとも、こっちはもうさすがに使ってないんですけどね。浴槽が大きいから、一度使うだけで光熱水費がかさんでしまって。いまはただの物置です」
「物置?」
「ええ。別にそういうサービスをしているわけじゃないんですけど、住人のみなさんが勝手に……。香住さんも好きに使ってもらってかまいませんよ。もっとも、紛失なんかのトラブルは、こちらでは責任を持ちかねますが。ちょっと見ていきますか?」
僕がうなずくと、時崎さんは扉に手をかけた。
結び荘。
僕が大学生としてひとり暮らしを始めるにあたって、自分で選んだひとり暮らし先だった。
いまどき珍しいレトロな間取りも魅力のひとつだったけれど、何より決め手になったのは、商売をナメているとしか思えない、口にするのもはばかられるような家賃設定。不動産屋の人も思わず笑ってしまうくらいで、「これ以上の物件は、どこにもないですよ」なんて言ってすごーく勧めてくれた。
お金のない学生にとって、これほどうれしいセールスポイントもない。心配していた管理人さんもすごく優しそうだし、これは大当たりだ。
と、思っていたところで、
がらりっ、と。
時崎さんがつかんでいた扉が、勢いよく開いた。
「あ、」
「あっ」
「おや、倉上さん」
さっきのしゃぼん玉の女の子が、風呂場の中から出てきた。小さなお皿を手に持っていて、たぶん、しゃぼん玉の後片付けをしていたんだと思う。
僕らがいることを予想していなかったんだろう、彼女は目を丸くしている。
うわ、会っちゃった。
「ちょうどよかったです。こちらはきょう引っ越してきた……」
「変なやつでしょ。知ってる、知ってる」
まっすぐに、倉上さんとやらは僕の目を見て言った。
ぐ、と僕は怯む。たしかに、僕のさっきの行動は、変な人のやることと言って、まるでまちがいがない。どころか、まったく大正解と言ってもいい。
いったいどうしたんですか、という目線を、心配そうに時崎さんが送ってくる。
言い訳したい。
でも、言い訳したら、もっと変に思われる。
だから僕は、仕方なく、
「はんっ」
と、鼻で笑った。
ああ、絶対変に思われたよなあ、と自分で落ち込んでしまう。変に思わせようとしてるんだから、当然のことなんだけど。
でも、この倉上さんにはともかく、時崎さんにまで変な人だとは思われたくなかった。順当にいけばこれから四年間を過ごすアパートの管理人さんなんだから。嫌なイメージは持たれたくない。
でも、倉上さんには、もう仕方ない。
そういうイメージを、持ってもらった方がいいんだから。
そうするのが、いちばん安全なんだから。
「ど、どうしたんですか、香住さん」
案の定、時崎さんは僕の態度に驚いて、説明を求めるように尋ねてくる。
「もしかして、以前からのお知り合いですか?」
もちろん、そう思うのがふつうのことだ。
だって、初対面の相手に、こんな態度を取る人はいない。
前世で宿敵同士だったなんて事情でもない限り、ふつう、初めて会った人に対して、こんな風に感じの悪い接し方をする人はいない。
ましてや僕はさっきまで、初対面の時崎さんにちゃんと礼儀正しく新入りらしい態度で話していたのだ。時崎さんからすれば、わけがわからないだろう。
「ううん、全然」
倉上さんが代わりに答えた。
そうだろう。
倉上さんだって、僕のことを知っているわけがない。
だって、正真正銘僕たちは初対面なのだ。初めて会って、初めて会話して……、
そう。
僕が一方的に、知っていただけなのだ。
そしてどんなふうに倉上さんを知っていたのかを、僕は説明することができない。
だって……、
「でも私、ふつうのやつより、変なやつの方が好きだよ。よろしくね、新入りくん」
未来を知ることができるだなんて、誰にも信じてもらえないんだから。




