逃げてください、お嬢様。
──ダンッ
アランが私を押し倒すのと同時に、何かが刺さるような音がした。そして、私とジークハルト様がいた場所を狙ったかのような場所に矢が刺さっていた。
ジークハルト様は、私達を素早く立たせると、小屋の中へ押し込み、自らも中へ避難した。
「大丈夫か?」
「ええ……」「はい」
ジークハルト様は、子供である私達のことを心配してくれるが、おそらく……これは、私達が此処に来てしまったから……。
「どちらを狙ったものか分からないな」
「いえ、申し訳ありません……。おそらく、私が此処へ来てしまったばかりに!」
「お嬢様……」
外の様子を伺うジークハルト様。本来なら六年後、無事に国王となるはずのジークハルト様を巻き込んでしまった。つい……頼ってしまったばかりに、と後悔しかない。
アランが私を切なそうな顔で見ていた。
「私が囮になります。お嬢様は、ジークハルト様と逃げてください。ジークハルト様なら、この辺りの地理に詳しいはずです」
「でもっ!それでは、アランは!?」
アランは、一瞬私を見て微笑むと、それっきり此方を見てくれなくなった。
「ジークハルト様。お嬢様をお願いします」
アランは、服の下に隠していたナイフを取り出すと、ジークハルト様のいた場所へ移動した。
「私の見た目は子供ですが、ジークハルト様と同じくらいの経験や知識はあると思います。勿論、戦闘経験も。お嬢様をお願いします。今度こそ役に立ち、お嬢様に生き延びていただきたいのです」
そして、何言かのやり取りをした後、ジークハルト様が、アランの方を不安そうに見つめ動かない私の手を引く。
「行くぞっ!」
アランが扉を蹴破って飛び出し、続いて、ジークハルト様と私が飛び出す。何処から狙われているのか分からないので、私達は屋内に置いてあった鍋の蓋やフライパンを楯にしている。
外へ飛び出した瞬間に手は離されたが、それでも、ジークハルト様のそばに立つ私と、アランの距離は離れたままだ。
大切だと思う。
だからこそ、アランの意思を尊重しなければ。
「アラン……」
──キィィン
──キンッ
アランが飛んできた矢をナイフで落とした。
しかも、連続して二本。
「大丈夫だ。行こう!」
アランを信じて逃げる。
私だけでなく、ジークハルト様も、生き延びなければならない。
「アラン……死なないでね」
「お嬢様をっ!」
私が去り際に呟いた言葉は、アランの叫び声の中に消えた。逃げる。逃げて、逃げて、逃げる。
アランは大丈夫だろうか?
怪我をしていないだろうか?
痛い思いをしていないだろうか?
苦しい思いをしていないだろうか?
私は、またアランに────
アラン────
私達が逃げ始めたのは、まだ日が高くなる前だった。鍋の蓋やら、フライパンやらは、抱えたまま逃げるには邪魔になるので、適当な所で捨てた。
既に日は高くなっているが、ジークハルト様が身を隠していた小屋から、私達は少しずつ離れている。ジークハルト様は、このまま山を降りてしまうつもりらしい。
「アランには合流場所を伝えてある。とりあえず、そこまでは頑張れ」
ジークハルト様が励ましてくれるが、やはり大人と子供の体では、消耗する体力が違う。私より七歳年上のジークハルト様は、体力も体格もほぼ完成する十七歳。対して私は十歳。
しかも、今回。家族も仲間も、巻き戻りに気付いたのが、逃げ出す数日前から数時間前なのだ。まだ体力作りが始まる前だったので、私とアランは苦労して山を登った。
まさか、一晩で下ることになるとは……。
「あ……らん……」
「大丈夫だ。ナイフで矢を落とすような奴は、簡単には死なない。護衛対象が逃げた後なら、自由に動ける分、アランの生き残る確率は上がる。今は、逃げきれるまで、足を動かせ」
「はい、ハル様……」
不安そうにアランの名を呼ぶ私を、ジークハルト様が励ます。そうだ、私が逃げきることがアランの願い。私はアランは生きていると信じて逃げなければならない。
山を下り、森の木々が途切れる手前で休む。
少し離れた場所には小川も流れている。
「此処で合流する予定だ」
そう言われてから、数刻。
確保した水や木の実を口にしながら待った。
──ガサッ
──カサカサッ
少し離れた所で、小柄な生き物の気配がした。ジークハルト様は腰からナイフを取り出し構えた。私も、自身の髪から髪飾り──ダーツの矢のようにシンプルな形をしているもの──を抜き、投げられるように身構えた。
「お嬢様……」
小さな声だったが、間違いなくアランの声だった。
まだジークハルト様は身構えていたが、それでも肩の力は抜けているように見えた。
「アラン……?」
私の呼び掛けに、アランが姿を現した。
「アランっ!」
アランの無事な姿に安心した途端に力が抜け、崩れるように地面に座り込んでしまった。私を見つけたアランは、すぐに駆け寄ってくれた。
「良かった……」
緊張の糸が切れた私の目から、涙が地面に落ちる。
「だ……めね。皆が、優しくして……くれるから、涙腺が、弱くなって……しまった、みたい、で」
二人は、私が落ち着くのを待ってくれ、それから私達は移動を開始した。私達は、夜の闇に紛れて、人の多い街へ入った。私達は、山の中で身を隠しながら移動したので、三人とも服は汚れたり破けたりしていた。
「この見た目なら、一目では俺たちの身分は分からないだろう。三人とも今日は疲れているから、とりあえず宿を探そう」
ジークハルト様に先導され歩く。隣を見るとアランがいる。良かった。まだ私達は、生きている。
私達が泊まったのは、一般的に、平民の旅人が泊まるような宿だった。一階に食堂があり、二階が宿泊出来るようになっている。そして、あまり広くない部屋の中に並んだベッドが二つあった。
椅子がなかったので、私とジークハルト様はベットに向かい合って座り、アランは扉の近くに立った。
「俺たちが身分を隠して泊まるとなると、こういった宿しか選べないんだ。…………まぁ、あの敷布の上で寝られるお前達なら、どこで寝ても問題はなさそうだな……」
「はい。私達は、どんな環境でも眠る訓練をしましたので……」
私達がシュライエン様から教わったのは、知識や技術だけではない。どんなことが起こるか分からないので、予想できるものは何でも対策を練って、身に付けた。そして、サバイバル術も、だ。
「公爵令嬢だろ!一体、何になるつもりなんだ!?」
本当に、私達は『何』と戦っているのだろうか?
何度も死を迎える運命?シナリオ?黒幕の誰か?
それとも──
「自国の皇太子……?」
「はぁ?この国の王子は立太子していないぞ」
「前回、私は皇太子妃になったのですが──」
私はジークハルト様へ、私の経験してきた過去──巻き戻った六回のリリカの人生──について語った。途中、アランが私の死後に起こったことや不足した説明を補足してくれた。
全ての話が終わった頃には、夜も更けてしまっていて、ジークハルト様は、膝の上に肘をのせ、組んだ手を額に当てて項垂れていた。
「何と言うか……それが本当の話なら、若い公爵令嬢として悲惨な人生だな」
「はい……」
「俺には、前世や『オトメげぇむ』とやらのことはピンと来ないが、全てを否定できないな。一般には、まだ開示されていない情報が多々含まれていた。それに──」
ジークハルト様は、私の顔を覗き込み、頬を撫でた。流石、隣国の王族。顔面偏差値、高過ぎ!
時間が巻き戻り、体は十歳に戻ったが、数日前までは十七歳だったのだから、十七歳のジークハルト様に頬を撫でられて、私は赤面した。あまりに優しい眼差しに、一瞬惚ける。
「守ってやるよ、俺も」
「え?」
「アランやリリカの家族と同じように、俺もリリカを助けてやるよ。リリカのお陰で、父や兄弟を助ける方法が分かった。俺も、リリカの力になる」
「ジークハルト様……」
ジークハルト様は、私から視線を外すと、アランの方を見た。
「アラン」
「はい、なんでしょう?」
「公爵への連絡手段があるな?」
「はい、勿論です」
え?お父様への連絡手段があるの?
「公爵へ『時期国王の王弟となるジークハルト・フォン・アルステリアが公爵令嬢リリカに下った』と伝えてくれ」
「了解いたしました」
「お待ちください!ジークハルト様が、隣国の公爵令嬢に下るなど──」
ジークハルト様は、私の言葉を遮るように、手を翳した。
直ぐに小さな紙に何かを書き、窓を開け口笛を吹く。すると、何処から現れたのか、梟が飛んできた。足に小さな筒を付けている。
「ゼノへ」
梟の足に付いていた筒に先程の紙を入れると、一言呟き、梟を空へ放つ。
「これで、俺は自由だ」
「一体……」
「俺の同腹の兄に梟を飛ばした。これで兄が次の王になるだろう」
そう言って、私の方を見たジークハルト様は、スッキリした顔をしていた。