支えますよ、お嬢様。
「はぁ……」
まさか、過労死するとは……。
訓練、訓練、訓練の日々だった。アルトやデュラン、コルトだって、頑張っていた。私だって、頑張りたかった。
しかし、客観的に見ても明らかに無理をしていたのだろう。
私の体を心配したシュライエン様から『いっそのこと王弟である自分と結婚をすれば、持ちうる権力全てを使って、全力でリリカを守ってやる』と、申し出があった。騎士団長のシュライエン様が、王弟だったとは知らなかった。
流石に、私の巻き戻りに、王弟であり騎士団長であるシュライエン様を巻き込んでおきながら、一方的に全てを与えてもらうのは、虫が良すぎる話だったので、その話は断った。
その数日後のことだった──。
急に力が入らなくなり、倒れた。思考に靄が掛かったようになり、上手く言葉が出なくなった。手足も痺れて、歩けない。あ、これって脳梗塞的なヤツじゃ……と、考えた辺りで記憶は途絶えた。
確かに、前回はやり過ぎていたかも知れない。
夜間に襲撃されたらどうしよう?などと考え始めたら止まらなくなった。どうせ不安で眠れないのならと、シュライエン様に頼んで、王族の影直々の夜間訓練を追加してもらった。本当に、私は何を目指していたのだろう?
私は、巻き戻ってすぐに集まった皆を前に、何度か考えていた案を提案した。
「今回は、一番長く生存できた時を参考に過ごしてみない?」
私の言葉に嫌そうな顔をしたのはコルト。隠そうとしているようだが、アランとデュランも渋い表情をしている。お父様とシュライエン様は、考えを読ませない。能面状態だ。
「それは、リリカが婚約破棄された時の?」
「ええ、刺殺された二度目よ。たぶん、あの日に婚約破棄をされていなければ、私は死ななかったのだと思うの」
「まぁ……でも、今回は僕も遅れをとらない!」
「私もです」「俺もだ」
私が婚約破棄され刺殺された時に一緒にいた三人は、刺殺の運命を実力で捩じ伏せ、塗り替えるつもりなのね。まぁ、今の協力者の状況ならば、可能かもしれない。
しかし──
「今回は、サルノース殿下と良好な関係を築いてみようと思うの。それこそ、アリス様のやり方を真似て……」
そう、婚約破棄しければいいのだ。ヒロインの皇太子ルートを参考にサルノース様を攻略する。今回は、それに賭けてみる。
「リリカは、それでいいのかい?」
「ええ、元々そういう予定でしたもの」
私の目をみて、真剣な顔でお父様が尋ね、その質問に、私は迷いなく答えた。だって、私が誰かを選ぶの?
「きっと、サルノース殿下は……庇護欲を抱くことができる女性が好きなんだと思うの。だから今回、対外的には深窓の令嬢を演じるわ。病気で引きこもっているのではなくて、何か……屋敷の外で怖い体験をしたから、外が怖い……みたいな?」
皆が黙って難しそうな顔をした。
「その設定だと、リリカは……普段、公爵家の敷地外に出れなくなってしまうけど、いいの?」
「ええ。外の様子は、今までに何度も見てきたから、生き残るために数年我慢するくらい構わないわ」
「…………では、僕は頻繁にリリカに会いに来るよ」
コルトは渋々だが納得してくれたようだ。
「私は、お嬢様の従僕なので、お嬢様の選ぶ道に付いていきます」
「俺もだ。どんな道を選んでも、お嬢様の盾になる覚悟はできている」
従僕の二人は反対しないようだ。ありがとう。
「リリカが決めたなら……騎士団長であり王弟である俺は、陰ながらリリカの剣になってやろう。公爵の力となり、公爵家の政敵を全て黙らせてやる」
「頼もしいです、シュライエン様!」
お父様が大きく息を吐いた。
それ、ため息ですね。
「では、皆は、リリカを皇太子妃にするつもりで動くのだな。私は、自然な流れでリリカを殿下の婚約者に据えるように動こう。サルノース殿下を選ぶのか……」
お父様が最後にポツリと呟いた言葉は、私達には聞こえなかった。ただ、お父様は少し落胆したような様子だった。
そして、半年後。
お父様から、皇太子殿下──今はまだ立太子していないので、サルノース王子殿下──との、婚約が整ったと、手紙が届いた。
「再び、殿下の婚約者になったわ」
アランの淹れたお茶を飲みながら、私は膝に視線を落とした。きつく握った左手が白くなっていた。緊張している……のね。
最近の私は、鎮静効果や安眠効果のあるハーブティーを飲むようにしている。ショックな出来事があり外が怖いという設定だが、あながち間違っていない。
私が屋敷の外に出ると、ほぼほぼ、死ぬ。今は何度目だったか……。毒花、刺殺、落石事故、溺死、過労死、六度目……かな?
私は、リリカ・フランドールを何度繰り返すのだろう?衰弱や即死が多いからか、私自身の痛みは一瞬のことが多い。溺死だった時ですら、気を失っている間に……なので、呼吸が出来ないという苦しみを覚えていない。
婚約の回避をやめた。まずは半年。
私達の訓練は、無理の無い範囲で続けている。前回までにシュライエン様が教えてくれた基礎は完成しているので、あとは体力作りと個人練習や実践練習だ。
シュライエン様は、私達以外の人間に怪しまれないよう、前回よりも公爵家への訪問を減らした。会う度に、体を心配してくれるが、きちんと休んでいることを伝えると安心した表情をする。
コルトは、ほぼ毎日、公爵邸にやってくる。アランやデュランと手合わせをしたり、私とお茶を飲んだりして、とても気を遣ってくれているのが分かる。無理に毎日来なくても大丈夫だと伝えたら、とても悲しそうな顔をしたので、それ以来、来てくれたことへの感謝の言葉だけ伝えるようにしている。
アランとデュランは、日々、従僕としての仕事をこなしつつ、訓練を続けている。そして、早朝の走り込みは三人でする。とはいっても、二人は私の体重より重い砂袋を抱えてだが……。
そして遂に、サルノース殿下の立太子の儀へ呼ばれ、王城へ向かう日がきた。今回の私は、お祝いのパーティーだけではなく、式典からの参加だ。婚約者として、早めに王城入りをする。
「本当に、シュライエン様の同行は断っていいんだね?」
数日前に、お父様が真剣な表情で尋ねた。その時の私は、緊張のあまり声が出なかったので、コクリと頷いた。
立太子の儀に参加する婚約者を、騎士団長が直々に迎えにくるのは過保護すぎる。サルノース殿下の依頼ならば兎も角、王弟である騎士団長が独自に動くのは問題がありそうだ。
それに、婚約破棄まで生き延びた時、馬車での移動にシュライエン様の同行はなかった。だから、あの時と同じメンバーで向かえば、大丈夫な気がする。
更に、5年が過ぎた──。
今日は、学園の入学式。私の隣には、皇太子となったサルノース様が微笑んでいる。この場で、彼の微笑みを見ていると、以前、彼の隣ではにかんでいたアリスを思い出す。
アリスは、殿下に一途に想われていた。本当は、少し羨ましかった。あの時、隣にはコルトが居てくれたけど、やはり……何年もサルノース様の婚約者だったので、彼が出会ってから時間の経っていないアリスを選んだことが悲しかったし、寂しかった。
愛し愛され過ごす日々は、幸せだと思う。しかし、過去に王族側から婚約を破棄された記憶が、私が彼を信頼し愛することに躊躇させ、あと一歩を踏み出せないでいた。
あと一歩を踏み出せないのは、私に隠し事があるからだと考え、今までのことを夢で見たとして、サルノース様へ伝えた。
「私、夢の中では……貴方に会う前に、何度も死んでしまうの。貴方に会えても、別の女性を愛していると言われ、婚約を破棄されるの……。それが、ずっと怖くて……」
「…………リリカは、私と結婚できなくなるのは嫌?」
「……ええ」
私の返事にサルノース様は嬉しそうに微笑み、私の頬に触れた。
「大丈夫だよ。私は、リリカのことを愛しているから、絶対に婚約を破棄したりなんてしない。必ず、リリカと結婚するよ」
そう言って、サルノース様は、私を安心させるように抱き締めてくれた。私の震えていた指先も、サルノース様の腕の中にいるうちに、震えが止まっていた。
「安心して。リリカは一人じゃない、リリカには私がいる。ずっと私のそばにいて、安心して私に愛されていたらいいんだよ。ね?」
サルノース様の腕の中で、彼に優しく髪を撫でられているうちに、何年も続いていた緊張の糸が解けた私は、眠ってしまった。
気付いたら、ベッドの上だった。サルノース様が、王城内の客室へ運んでくれたらしい。目を覚ましてすぐに、城勤めの侍女達がやってきたので、サルノース様に迷惑をかけてしまったことを謝りたいと言ったら、すぐにサルノース様を迎えに行ってくれた。
あ、死んでない。油断すると、すぐに私は死んでいたのに、生きている。そうか……今回こそ、死ななくていいんだ……。
そう思ったら、自然に涙が溢れてきた。
「ふうぇ……生きてる……」
「そうだよ。リリカは生きているし、私と結婚もする」
いつの間にかやってきたサルノース様が、私の隣に座って肩を抱いてくれた。先程のことを謝らなければならないのに、上手く言葉が出ない。
「さ……のぅ……さま、」
「ふふっ、先程のことは気にしないで。リリカの寝顔が見れたから、私にとってはご褒美だったよ」
やっと……報われる。
私は、サルノース様と結婚して、これからも生きていける。