必ず守ります、お嬢様。
「あれ?ここは……」
何処だろう?
薄暗くて、湿っぽくて、時々生温い風が頬を撫でる。私の記憶にはない場所だ。公爵家の敷地内に、こんな場所はない。
「あら、ん?デュ……らん?」
外出する時は必ず一緒にいるはずの、従僕の二人がいない。二人がいないのなら、私は何処にいるのか?周囲を見回すが、誰も見当たらない。
「おやぁ?こんなところに、そんな身なりのいいお嬢さんがいるなんて……。お嬢さん迷子かい?」
薄汚れた服を身にまとい、ニヤニヤと厭らしい表情を浮かべた男が近づいてくる。腰にはナイフが見える。
逃げたり、抵抗して怪我をするのは怖い。どうしたらいいのか分からないまま、私は目をそらさず、じっと男を見ていた。
「お嬢様!目を覚ましてください、お嬢様!」
デュランの悲痛な叫びが聞こえる。
私の体は、ふわふわとしていて、誰かに抱き締められている。あぁ、温かいなぁ……
「お嬢様、起きてください。デュランが心配していますよ」
「ん……あ、らん?」
「……!?覚えて……」
小さな手に頬を撫でられた……ような気がする。
アランの手は、こんなに小さくない。というか、アランの声も、デュランの声も、幼くなっているような気がする。
気になったので、思いきって目を開けた。
誰……?
ぐちゃぐちゃな髪の毛に、薄汚れた顔。大きめの布に頭と腕を通すための穴を開けただけの服はボロボロで、何だか獣臭い……。
あ……これ、アランだわ。
「あ……らん、アランなの?貴方!そんなに薄汚れて、どうしたの!?早く帰って、お風呂に入りなさい!」
「いえ……お嬢様。私は、貴方の従僕のアランではありません。私の服を離してもらえますか?」
「何を言っているの!貴方は、どう見ても私の従僕のアランよ!」
アランにしがみつく私を引き離し、自分の胸に私を抱き寄せたデュランが、アランへ冷たい視線をやる。デュランは、アランを一瞥し、私に微笑み掛ける。
「お嬢様。まだ錯乱しているようですが、お嬢様の従僕は俺だけです。ここにいるデュランだけですよ。さあ、帰りましょう」
デュランだけが従僕?
「え……?だって、アランも……」
「この男は『アラン』というのですか?お嬢様が、この男を欲しいと言われるのでしたら、連れて帰りますが?」
「当たり前でしょ!アランは私の従僕よ!」
「はぁ……。おい、お前。少し離れて付いてこい」
「はい……」
「お嬢様、歩けますか?」
「ええ……」
どういうこと!何故、アランもデュランも幼くなっているの?え、もしかして……私も?
気付いたら、あの日から五年前──アランと出会った日まで、遡っていた。再び、アランは公爵家で下働きをしている。今回もアランは順調に信頼を集めていて、すぐに私の従僕になれそうだ。
そもそも何故、前世を思い出した私は、過去に戻っているのだろうか?アランと話をして、いつものようにお茶を飲んだだけなのに。何が切っ掛けで?
私は話があるからと、アランを呼び出した。
「きっと、お嬢様が亡くなった……から、です」
「え?」
私、死んだの?
「私の淹れたお茶を飲み、お嬢様は眠るように気を失いました。そして、その日以降、お嬢様が目を覚ますことはありませんでした。眠ったまま衰弱して……亡くなり……ました」
「アランが毒を盛ったの?」
「違います!私がお嬢様へ毒を盛るなど、天地がひっくり返ろうとも、あり得ません!」
そうよね。アランの忠誠心は、私が一番よく知っているわ。というか、自分の淹れたお茶が切っ掛けで主が死ぬなんて、とんでもないトラウマよね……。
「何者がお嬢様のお飲みになる茶葉へ毒花を混ぜたのか、何ヵ月も調べ、探しましたが……見付かりませんでした。不甲斐ない私を、お嬢様は……」
茶葉に毒花が混ざっていたのか……。公爵家が仕入れた段階で、既に混ぜられてたら、誰が犯人かは特定出来ないわね。淹れて飲む直前まで分からない、ロシアンルーレットみたいなお茶ね。
「大丈夫よ。今、私は生きているわ。次は、二人で上手くやりましょう」
「お嬢様……」
私は、アランの頬に手を添える。
「ね?」
「はい……」
私の記憶にあるアランより、まだ幼いアランは、少し恥ずかしそうにしていた。
アランは、気付いたら路地裏に立っていたらしい。しばらく呆然としていたが、見覚えのある場所だったので、曖昧な記憶を頼りに、まずは過去に身を寄せていた教会を目指した。そして、自分が子供の頃に──過去へ戻っていることに気付いた。
「それからは、必死で学びました。読み書きや計算といった知識や給仕の作法は記憶に残っていたので、今回は毒について……体で覚えました」
「体で……って。まさか!?」
アランが目をそらす。
アランは、私に嘘をつかない。
「魔女の薬屋に出入りして、事前に流行る病を伝えて報酬を得たり、新薬の実験台になったりしました」
「何をしているのよ!」
「お嬢様が!毒で倒れられるから!私は、次は必ず守ると。その為ならば、私の体など……」
アランの両手は、キツく握られている。私が不甲斐ないばかりに、アランは余程悔しい思いをしたのだろう。そんなに握っていたら、手袋に皺が残ってしまう。手袋で隠しているが、その下の手は──
「馬鹿ね……。貴方のせいではないでしょう」
「いえ。お嬢様は、私の淹れたお茶に倒れられた。ならば、私が足らなかったのです」
アランは幼い体で、毒を体に入れては苦しみ、何度も寝込みながら回復すると、また毒を口にしていたようだ。特定の金属や試験紙で調べられる毒は、前世──現代の化学知識が魂に残っていたのだろう。短期間で、いくつもの検査方法を確立したようだ。
しかし、アランの体は酷く毒に冒されており、服の下の皮膚には痣や湿疹の跡が隠され、普段から付けている手袋の下の爪は歪な形をしていた。
「ねぇ、アラン。私、生き残るわ。だから、貴方は私に一生付いてきなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
──あれから、五年が過ぎた。
今日は、前回の私が亡くなった日だと、アランが教えてくれた。
そして先日、仕入れたばかりの茶葉の中から毒花が見つかった。どうやら毒花は、私が十二歳の時に登場するようだ。
私が死んでしまった理由が何であれ、その場に居合わせた従僕のアランが責めを負うことなく、公爵家に仕え続けていられたのは、やはり屋敷中の者達からの信頼があったからだろうか。
そして、私もアランを疑ったことはない。というか、公爵家の人間で、私を、殺したい程恨んでいる者がいるとは考えられない。
「ふふっ。やはり毒花は、偶然紛れ込んでしまっただけなのよ」
「お嬢様……」
前回通りに私の従僕となったアランは、私が口にするもの全ての安全を確認している。そして遂に、アランが不在の時には、デュランまでが毒味をするようになった。
「毒味は従僕の仕事ではないのよ……」
「リリカお嬢様。俺は、お嬢様が亡くなったという『前回』を知りません。でも……もし、お嬢様が命を狙われているのだとしたら、俺は全力でお嬢様をお守りしたいです」
「だから、従僕の仕事は……はぁ。貴方、毒味だけでなく、護衛の仕事までするつもり?」
「お嬢様のためなら、俺は何でもやります」
私が『転生者』であることと、リリカの人生一回目の『前回』が存在することは、アランだけでなく、デュランも知ることとなった。デュランだって、アラン同様に、従僕として毎日一緒に過ごすのだ。隠しきれるはずもなかった。
「あと二年で、私の知る物語が始まるわ。そうしたら、私は婚約破棄されるかもしれない。でも、死なないわ。その時には、夫がサルノース殿下から幼馴染みのコルトに変わるだけ」
デュランは眉を寄せ、視線を下げる。
「お嬢様は……それで良いのですか?」
私が婚約破棄をされるかも知れない物語。それに納得できないという顔で不満げにしているデュランに微笑む。
「構わないわ。だって、死ぬよりは随分と良いわよ?」
デュランが何かを言おうとしたが、その時、お菓子とお茶を取りに行っていたアランが戻ってきた。
「さあ、お茶にしましょう」
私は、今日もお茶を飲む。
美味しいお菓子に、頼りになる従僕達。
あぁ、美味しいわね。
今回は眠くなることも無さそうよ。