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月に咲け  作者: 杵島玄明
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信義大会に向けて各組が修練に励むなか、射場、馬場、剣術修練場それぞれで人だかりができていた。

「見ろよ、あの剣術。まるで舞っているようだ」

「あぁ、でも剣舞なんてもんじゃないぞ。早すぎる。それにあの動き・・・」

「全く隙がない・・・」

 人だかりの視線の先にいたのは義輝だった。

 皆が驚いたのも無理もない。義輝の剣の型はこれまでのものと全く違うものだった。垂直の柱に一歩二歩と登ったかと思えば、そのままひらりと体を一回転させ剣を振るう。身体を大きく反らしたかと思えば、そのまま背後に剣を振るう。正にしなやかにまう黒ヒョウの如く剣を振るうのだ。

「この分じゃ剣の部は義輝で決まりだな」

「あんな化け物がいるなんて、聞いてないぞ。だが、それならどうして義輝は白虎なのだ?剣の腕が立つなら玄武に配されるべきだろう」

「さぁな。だが義輝は徳川性だ。露骨に玄武などにいてみろ。ただでさえあの実力だ。いずれは武官の頂点を極めることになるぞ。それを景信先輩が黙っておられないのだろう」

 同期生たちは義輝の修練の様子を見ただけで、すっかり気後れすると同時に憶測を交わしていた。

 そんな中、まるで仇を見るかの如く目を眇めて義輝を見る者がいた。

 青龍の森口有朋もりぐちありともだった。

 青龍は主に文官の子息たちで構成されている。

 有朋は暫く義輝を見ていたが、やがて踵を返すとそのまま馬場へと向かった。

 有朋の姿を見るや駆け寄ってきたのは、青龍で馬の部に参加する榎田昆陽えのきだこんようだった。

「昆陽、やけに馬場が騒がしいようだな」

「それが・・・白虎の蓮翠の馬術がずば抜けていて・・・」

「またしても白虎か」

 忌々し気に顔を歪めた有朋は、ぎゅっと拳を握った。

「弓はっ、弓はどうだ」

 有朋の言葉に昆陽は頷くと、射場へと向かって走り去った。その背を横目で見ながら、有朋は馬上の蓮翠へと視線を移した。

 蓮翠は楽し気に馬に乗っていた。まるで馬とひとつになったかのように、意のままに馬を従える。

 馬はまるで蓮翠の意図が全てわかっているといたように、前進や後退をして見せる。

 有朋は眉間に皺を寄せ、暫く蓮翠を見ていた。

「よぉし、雛菊えぇでぇ。いつも通りいったらえぇんや」

 そう馬に語り掛ける蓮翠を見て、有朋は口元に笑みを浮かべた。

「なるほどな。そうか、つまりあの馬はあいつの馬か」

 修義館でも馬は飼育されているが、生徒たちの中には蓮翠のように自らの愛馬を連れてきている者もいる。信義大会の馬の部への参加に、馬の指定はないため蓮翠が愛馬の雛菊と共に出場するのは、道理といえば道理だった。

 雛菊を見ながら不敵に笑う有朋の元へ息を切らした昆陽が戻ってきた。

「有朋、弓も白虎が断突だ。あの清国の皇子、信じられない腕前だ。が百発百中で的を射抜いているぞ」

 チッと有朋は舌打ちをした。

「白虎めっ、たかが寄せ集めのくせに、どこまでも忌々しいっ!昆陽、青龍の皆を部屋に集めよう。俺は家達様のところへ行ってから戻る」

 有朋は再び馬上の蓮翠をひと睨みし、足早に徳川家達の元へと向かった。

 景信は講堂の一室にいた。

 昨年信義大会で優勝した麒麟が学長に願い出たのが、この部屋の使用だった。

 それ以来、校舎のこの一室は麒麟専用となっている。

 宿舎の部屋と違って広々とした部屋には、外国製の家具がしつらえてありまだ日本では珍しいイギリス製の蓄音機もあった。

 ふっくらとしたソファーに座り足を組んだ家達は、蓄音機から流れる曲に静かに耳を傾けていた。

 その時だ。扉の向こうからどこか焦った様子で声が聞こえた。

 「家達先輩、青龍の有朋です」

 家達は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに同じ麒麟の岡本信太朗に目で合図を送り扉を開けさせた。

 そこには後輩で青龍の森口有朋が息を切らし立ってた。

「有朋か。なんだ」

 抑揚のない声で言うと、有朋が身体を丸めいそいそと部屋の中へと入り家達の前に進み出た。

 正面に家達、その両側には麒麟の沖野成清おきのなりきよと、桜田智也さくらだともなりがうすら笑いを浮かべて、ソファーに座っていた。

 その様子に有朋が緊張でごくりと生唾を飲んだ時、背後からやって来た信太朗が有朋の膝の裏を蹴飛ばした。

 不意のことで、有朋はそのままがくりと体制を崩し床に手をついてしまった。

「おっと、これはすまない。悪気はないんだが、足がぶつかってしまったよ」

 頭の上で笑いながら言う信太朗に、有朋はただ「大丈夫です」と答えるだけだった。

「で、何の用だ?」

 家達の声にびくりとした有朋は顔だけを上げ、床に膝をついた姿勢のまま答えた。

「そっそれが・・・、信義大会のことなのですが・・・・」

「あぁ、それなら青龍が優勝だろ?優勝組の願いを俺の為に使いたいと言ってきたのは、お前たち青龍だったはずだ。その代償として俺はお前たち青龍に特別に目をかけてやっているんだ」

「はぁ・・・それは・・・わかっています・・・ですが・・・」

 有朋は視線を泳がせた。

 それを見た家達の眉間の皺が深くなる。

「まさか、今になって優勝できないなどと言うつもりじゃないだろうな」

「いえっ、しますっ!優勝しますので、ご安心をっ!」

 有朋はそれだけ言うと、逃げる様に部屋を飛び出したのだった。

 向かった先は、寄宿舎の青龍の部屋だった。

 既に他の仲間たちが集まって、有朋が来るのを今か今かと待っていたのだ。

 有朋は力なくその戸を開き部屋へ入るなり、へなりと身を崩した。

「どうだった、有朋っ。家達先輩はなんと仰っていたっ」

 駆け寄った昆陽の顔を見ることもなく、有朋は首を横に振った。

「だめだ・・・、とても優勝できないかもしれないなんて、言い出せる雰囲気ではなかった・・・あの先輩は恐ろしい方だ。もしも優勝できなければ、俺達だけでは済まないかもしれない・・・」

 有朋の言葉に、吉田秋水よしだあきみが身を乗り出した。

「そっそれって、どういう意味だよ・・・」

 黙って話を聞いていた昆陽がぎゅっと拳を握りしめ、苦い表情で言う。

「つまり、俺達の父親にまで影響が及ぶってことだ」

「嘘だろっ」

 有朋は頷いた。

「あの方なら、やりかねない・・・。時期将軍最有力候補と言われているんだ。そのくらいの力はあるだろうな」

 青龍の四人の父親は江戸の頃から、幕府に仕えていた。公武合体がなされた今、彼らの父親は貴族の位を貰いそれぞれ重職についている。

「有朋っ、お前が言い出したんだ!お前が家達先輩に優勝特典を差し出せば、俺達は安泰でいられると言ったんだ。どうにかしろっ」

「うるさいっ!貞行、お前だって乗り気だったじゃないか!」

 攻め立てる貞行を乱暴に払いのけると、有朋は不安を隠さない表情で昆陽へとしsんを向けた。

「なぁ、昆陽っ、どうするっ?俺達が優勝して願いを家達先輩の為に使わないと、俺達に後はない・・・・」

 昆陽は押し黙ったまましばらく考えていた。

 秋水不安を隠せない顔で、じっと昆陽を見ている。貞行に関しては、今にも泣き出しそうだった。

 四人の沈黙が、部屋の空気までをずっしりと重いものにさせた。

「つまりだ・・・。俺達が優勝すれば済む話だ」

 昆陽は静かに口を開いた。

 それを聞いて堪え切れないとばかりに立ち上がったのは貞行だった。

「馬鹿言うなっ!見ただろっ、白虎の奴らっ!徳川義輝の剣術、三条蓮翠の馬術、それに加えてあの皇子の弓の腕だ。どうやったら俺達が勝てるって言うんだ!」

 取り乱す貞行を横目に、昆陽は言った。

「奴らが本気を出さなければどうだ?奴らに勝つ気がなかったらどうだ?」

「えっ?」

 秋水がぱっと顔を上げた。

「昆陽・・・、お前、何かいい考えがあるのか?」

 有朋の目がぱっと輝いた。

「あぁ、俺に考えがある。みんなもっと寄ってくれ」

 昆陽に言われるがまま、青龍の三人は昆陽の周りに集まり頭を寄せあった。

 ひそひそと話す昆陽に頷きながらも、話がひと段落すると貞行が不安げに皆を見渡した。

「でも・・・そんなことして、大丈夫か?もしもばれたら・・・俺達どうなるんだ・・・」

 完全に腰が引けている貞行の背中を有朋がばんっと叩いた。

「馬鹿だな、どの道優勝しなければ俺達に後はないんだ」

「そっそうだけど・・・、本当にそんなこと・・・うまくいくのか?」

 情けなく震えあがる貞行の隣で、秋水が冷静に言う。

「やり方次第だ・・・。大筋は今昆陽が話したようにするとして、細かい部分をもう少し詰める必要があるな」

 昆陽の口元がにやりと吊り上がった。

「秋水、その辺りはお前に任せていいか」

「あぁ、考えてみるよ」

 秋水は普段となんら変わらない、涼しい顔で頷いた。


 その頃、修練を終えた蓮翠、司宇、義輝は偶然にも宿舎の入り口で顔を合わせた。

「義輝やないかぁ、調子はどうや」

「あぁ、まずまずだ。身体も軽いしこの分なら当日も問題はない」

「そら頼もしなぁ。おっ、司宇も終わりか。どうや、調子の方は」

「いつも通りだ。問題ない」

 そう聞いた義輝に司宇は頷いた。

「今日の分の課題をだしておいたから、多分そうだろうな」

「なんや。付きっきりでみてやるんとちゃうんか」

 どこかからかうような蓮翠の言葉に、司宇は視線をそらし手にした手ぬぐいで汗を拭きながら、さっさと宿舎へ入って行ってしまった。

 三人が部屋に戻ると、朔夜が笑顔で迎えた。

「あっ、おかえりなさい!」

「どや?論語の勉強ははかどってるんか」

「うん、先生がいいからね!」

 そう言って朔夜がちらりと司宇を見ると、司宇はどこか照れたように視線をそらした。

「それにしても、司宇は流石だな。今回は弓だが、剣や馬の腕前もなかなかのもんだろ。次は手合わせを願いたい」

「別にいいけど」

「なんや、それなら僕も頼みたいわぁ。僕の雛菊と司宇の踏雪。どっちが賢いか勝負やねん」

 普段はどこか飄々とした雰囲気の蓮翠が、唯一雛菊のこととなると熱くなる。

「わかった。やるから、落ち着けって」

 詰め寄る蓮翠を手で押しながら苦笑いの司宇に、朔夜が「モテモテだねぇ」とからかうような笑みを向ける。

「ばか、そういんじゃないだろ」

 そう言いながらも顔を赤くする司宇を見て、三人はぷっと吹き出した。

「なんや、司宇。照れんでもえぇやないかぁ」

「照れてなどいないっ」

 そう言いながらも、司宇の顔は益々熱を帯びるばかりだった。

「さてと、俺は風呂に行こうと思うが・・・・」

 義輝が言うと、「ほな、僕も」と蓮翠が支度を始めた。

 義輝と蓮翠が風呂に入る為、部屋を出ると司宇と朔夜二人だけになった。

 今までみんなで笑っていたのに、急に静かになった部屋の中にはどことなく緊張感が漂っている。

「ねぇ司宇、今日覚えた論語確認してくれないかな」

「あぁ」

 朔夜と司宇は向き合って座った。

「じゃぁ、いくぞ。知之者不如好之者。好之者不如樂之者」

 朔夜はごくりと喉を鳴らした後で口を開いた。

「これをしるものは、これをこのむものにしかず。これをこのむものは、これをたのしむものにしかず。理解しているということは好きだということにはかなわない。好きだということは楽しむこと、満足していることにはかなわない」

 すらすらと言葉にした朔夜を見て、司宇は目を細めた。

「よく頑張っているようだな」

「うん。司宇が山を張ってくれて大分数も減ったからね。義輝も蓮翠も、もちろん司宇も頑張ってるんだもの。僕だってこのくらい頑張らないとね」

 そう言まるで花が咲いたように笑う朔夜を見て、司宇は思わず目を反らした。

「司宇?どうしたの?」

「別になんでもない。それよりもだ。朔夜、論語を学ぶときは目で文字を見て、耳でその音を聞き、心で感じろ。そうすればより早く正確に覚えられるだろうから」

「目で文字を、耳で音を・・・、心で感じる・・・・。うん。確かにその方がただ覚えようとするよりも、すんなり頭に入る気がするよ。司宇、ありがとう!」

 素直な朔夜の笑みを見ていると、司宇の心は自然と温かくなった。

 同じ修義館の衣こそ纏ってはいるが、花が咲いたように笑う朔夜の笑顔に司宇は見とれた。

 気が付けば、いつまでもこの笑顔を見ていたい衝動に駆られる自分を、必死に律していた。

 朔夜の口から自らが女子であることを、打ち明けれくれたら。そう強く願えば願う程、そうはならない現実に苛立ちさえ覚える。

 とはいえ、この男ばかりの修義館でこの先朔夜には不便なことが多くあるはずである。せめて白虎の仲間にだけでも、いや自分にだけでも打ち明けてくれたなら、もっと朔夜を守ることができるのに。そう思わずにはいられない。

 司宇は窓の外の沈む夕日を見ながら、ひとりため息をつくのであった。

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