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月に咲け  作者: 杵島玄明
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月に咲け に興味を持っていただきありがとうございます。

楽しんで頂ければ幸いです。

食事を終えると、朔夜は長い髪を頭頂部でひとつに結った。

 修義館の制服に袖を通すと、身も心も引き締まる思いだ。

「やっぱり心配よ。色白で大きな瞳。貴方はこんなに可愛い女子だというのに。いくら術をかけて男に見えるって言っても朔夜さんは女子なのよ」

 支度をする朔夜の隣で、ずっと泣き続ける義母に朔夜は少なからず心を揺さぶられた。脩義館に行くことを迷ったのではない。未だかつて義母の愛情をこれほどまでに感じたことはなかった。

 傍らで父と義兄が必死に母をなだめている。

「朔夜は昔から賢いし要領もいい。きっとうまくやるよ」

「そうだ、むしろこのままでも男に見える時があるのだ。うまく溶け込むだろう」

 父の言うこのままで男に見えると言う言葉には少々納得がいかないが、自分のために母をなだめてくれていると思えばそれも許せる。

「お義母様かあさま、そんなに心配しないで下さい。二十日後には帰宅日があるそうです。どうか心安らかに日々をお送りください」

 うぅっと言葉を詰まらせた母が再び泣き出す前に、朔夜は耕史を引っ張り逃げる様に「行って参ります」と家を後にした。

 境内の中には馬車が待っていた。

「お義兄様、馬車で行くのですか?」

「お前は馬に乗れないだろ?修義館でしっかり乗れるようになれよ」

 そう言うと、耕史はひょいっと朔夜を持ち上げて馬車に乗せると自らも乗り込んだ。

「お義兄様も、行かれるのですか?」

「今日は初日だからな。特別だ。さぁ、有楽町の修義館まで行ってくれ」

 異国の服に身を包んだ御者が小さく帽子を浮かし、馬車が動き出した。

「ところでお義兄様、昨日言っていた修義館に術をかけたってなんのこと?」

「え?」

 耕史は片方の眉を顰めて朔夜を見入った。

「お前が男に見えるよう僕が術をかけたと言ったろ?」

「お義兄様が?術を?」

 何度も聞き返す朔夜を、耕史はいよいよ不審げに見ている。

 お義兄様が術を?そんな力、かけらもなかったのに・・・。この世界でのお義兄様は優れた陰陽師ってことなの?

「そっそうだったわ。ありがとう、お義兄様」

 取り繕うようにそう言う朔夜に、耕史は大きなため息をついた。

「お母様程ではないが、確かに心配だな・・・」

「あはは、大丈夫よぉ~」

 とにかく笑ってごまかすしかない朔夜に、耕史は再びため息をつくのであった。

 やがて修義館へ着くと、馬車が止まった。

「ありがとう」

 そう言った朔夜に、「いや、今日は元老院たちとの集まりがあるから、実はついでだ」そう言って笑う司宇の狩衣の袖を朔夜は思わず掴んだ。

「ちょっと待って!お義兄様っ、元老院って・・・・どういうこと?」

「はぁ?僕は政府の神官だ。行くのは当然だろ?じゃぁ朔夜、早く鐘楼門を潜るんだぞ。術が効いてるのは鐘楼門の中だからな」

 そう言うと、耕史を乗せた馬車は再び走り出した。

「政府の神官?なんなの、それ・・・」

 小さくなっていく馬車を見送りながら、朔夜は愕然としていた。少しだけ元の世界と違うと思っていたこの世界は、どうやら朔夜が思っていた以上に大きく違うようだった。朔夜はこの時初めて、冷静に町の様子を見渡した。

 少しづつ増え始めた近代的な建物と、着物姿で行きかう人々がなんともちぐはぐに見えた。しかし、それは朔夜も良く知る光景だ。では、一体この世界は何が違うというのか。朔夜は混乱していた。陰陽師の力などこれっぽっちもなかったはずの司宇が、政府の神官なのだ。

「ってか、政府の神官ってなによっ!ここの政府は陰陽師を重用してるっていうの?だめだわ・・・訳がわからない」

 こめかみを抑えつつ、ふらふらと朔夜は鐘楼門を潜ったのであった。

「あんた、顔色悪いで。いけるか?」

「ぎゃーっ」

 不意に顔を覗き込まれて朔夜は派手に飛び上がった。

「なんや、元気やん」

「えっと・・・」

 突然現れた謎の生徒に、昨夜は戸惑いつつもぺこりと頭を下げた。

「あの、本日入学致します榊朔夜と言いますっ!」

 すると頭の上からけらけらと軽い笑い声が聞こえて、昨夜はぎょっとして顔を上げた。

 すらりとした身体に、垂れ目気味の目。薄い唇はどこか色っぽくも見えた。

 細く長い指で、扇子を弄んでいる。

「そない固くならんでも、僕も新入生や。三条蓮翠さんじょうれんすいや。よろしゅう。榊言うたら・・・陰陽師か?」

「えっ、あぁはい。兄は神官です」

 あ、同級生だったんだ・・・と、仕入れたばかりの情報も披露しつつほっとしたのも束の間。

 今度は背後がなにやら、騒がしい。

 振り返ると、鐘楼門の向こうに何やら行列が到着している。その周りを道行く人々が、取り囲んで物珍し気に見ているのだ。

 なんだろうと見ていると、背後から蓮翠が朔夜の肩に顎を乗せ「なんやあれ・・・」と呟いた。

「ひぃぃぃぃぃっ」

 すぐ耳元で聞こえた声に、思わず朔夜はしゃがみ込むと蓮翠が首を傾げて朔夜を見ている。

「なんや、女子みたいな声だして。どないした」

 あなたのせいですっ!と言いたいのを必死に堪え、「ちょっとびっくりしただけです」と、昨夜は取り直すように立ち上がると再び鐘楼門の外へと視線を向けた。

 賑やかな様子に他の生徒も集まってきて、たちまち鐘楼門の周りは人だかりとなり肝心の行列の正体が見えなくなってしまった。それでも何とか見ようと朔夜がぴょんぴょん跳ねていると、目の前の人ごみがさっと開けひとりの生徒がこちらに向かって歩いてきた。

 その生徒は朔夜の目の前でぴたりと止まると、一言「真的很添乱!这个笨蛋!」と言い放ち腕で朔夜を押しのけて行ってしまった。

「え?・・・今の・・・なに?」

 呆然とする朔夜の横で、蓮翠がくくっと笑っている。

「あいつやな。清国の皇子言うのは」

「清国の皇子?」

「せや、留学で日本に来とるらしいで。で、僕らの同級生って話や」

 ふーん・・・と頷きながらも、昨夜は口を尖らせた。

「でも随分と感じ悪い!しかも、さっきなんて言ったんだろ。わからないっての!」

 地団太を踏んで怒る朔夜を蓮翠は「まぁまぁ」となだめつつも講堂を指さした。

「早よ、こん名札出さんと。式に遅れるで」

 新入生は一度講堂で、予め各家に送られてきた木の名札を提出しなければならないらしい。

 歩きだした蓮翠の後を、昨夜は慌てて追ったのだった。

 講堂に入ると、何やら生徒たちが固まっている。

「今度はなんだろう?」

「今度もどうやら騒ぎの中心は皇子みたいやで。初日からなんや、賑やかなやっちゃぁ」

 持っていた扇子を広げ、ぱたぱたと仰ぐ蓮翠を置いて朔夜は身を屈めて人ごみを割って入っていった。やっとのことで騒ぎの中心に辿り着くと、蓮翠の言った通りそこには先ほどの皇子がいた。

 皇子と対峙しているのは、どうやら上級生のようだ。修義館は2年制である。ひとつ上の学年ということになる。

 上級生四人を前にしても、皇子は全く怯むことがなかった。

「先輩に挨拶もなしか?」

 そう言った上級生に向かって、皇子は無表情のまま言い放った。

「この国では、年齢さえ上ならば愚者でも敬われるのか?」

 皇子と上級生を取り囲んでいた野次馬たちも、思わずしんと静まり返った。

「なんだぁ、日本語しゃべれるんじゃないか」

 ぽつりと独り言を言った朔夜の背後で、誰かがぷっと吹き出した。振り返ると、そこには蓮翠がいた。

「あんさん、おもろいなぁ。今の光景を見て、出てきた一言がそこかいな」

 くくっと、喉の奥で笑う蓮翠を無視して、昨夜は再び皇子へと目を向けた。

 もちろん、上級生は怒り心頭だ。

「ここは日本だ。清国じゃない。修義館に入学したからには、ここの規則に従ってもらう」

「俺もそのつもりだ。規則は守る。で、この修義館には留学生に初日から喧嘩を売る規則があるのか?」

「なんだとっ」

 上級生の一人が、皇子の胸倉を掴んだ。その時だ。

「やめてくださいっ!」

 そう言って、飛び出して行ったのはなんと朔夜だった。朔夜は上級生と皇子の間に割って入ると、皇子を背に庇うようにして両手を広げた。止めようと伸ばした手が一歩遅かった蓮翠は「あちゃ~」と、苦笑いしている。

「清国だろうが、日本だろうが、修義館の生徒は生徒です。おかしな言いがかりをつけるのはおかしいです!ご自分が恥ずかしくはないのですか!」

「なんだと!お前名前は?」

「さっ榊朔夜・・・・です」

 名乗ってから、一瞬まずかったかと後悔もするが、どの道いずれわかることだろう。

「榊?お前、陰陽師か」

 そう言ったのは、上級生四人の中でも今まで一言も発していなかった生徒だった。

「あっ貴方は・・・・」

 震えそうになるのを必死に堪え、そう聞くと答えたのは隣にいた別の生徒だった。

「彼は、徳川家達とくがわいえさとだ」

 得意げにそう言った上級生に、昨夜はぽかんとした。

「家達先輩・・・ですか・・・」

 朔夜の反応を見た生徒は、一瞬眉を顰めてから慌てた様に朔夜と家達を交互に見ると、「まさか、お前・・・家達の名を知らないのか?」と聞いて来た。

「はぁ。けど、今覚えました」

「そういう意味じゃないっ!家達と言えば、今徳川家の若手の中でも一番有力視されているだろ。お前はそれを知らないと言うのか!」

「えぇ、存じませんが・・・・」

 悪げ気もなく朔夜がそう言った時だった。背後から、清国の皇子が朔夜を手で払いのけ、四人の上級生の前に一歩進み出ると鼻で笑った。

「国内の者にも知られてさえいない者が、俺に何の用だ。悪いが、そこいらの虫けらまで気にかける程、暇ではないんでな」

 そう言うと、唖然とする朔夜と上級生をよそに行ってしまった。

 呆然とその後ろ姿を見送る朔夜の腕を、ぐいっと引いたのは蓮翠だった。

「今のうちや、行くで」

 そう言うと、蓮翠は朔夜を引きずりながら野次馬の人ごみへと体を潜り込ませたのだった。

 騒ぎの中心から逃れた蓮翠はそこでやっと朔夜を離すと、ふぅっと息を吐いてからくくっと笑った。

「朔夜言うたか。おもろい奴っちゃなぁ。あの家達を知らんふりするとは、とっさの機転にしてはえぇ判断やった」

 そう言う蓮翠に、昨夜は首を傾げた。

「え?蓮翠は知ってるの?あの先輩って、そんなに有名なひとだった?」

「は?」

 蓮翠は扇子を仰ぐ手を、止めた。

「それ・・・、本気で言うてんのか?」

「うん。で、誰なの?」

 至って本気の朔夜を見て、蓮翠はまたくくっと笑った。どうやら、この男はずいぶんな笑い上戸らしい。一体何が可笑しいのかと、朔夜は眉を顰めてじっとりと睨んだ。

「ねぇ、教えてくれる気、ある?」

「あるある。家達言うんは、生まれた年がもう少し前やったら今頃将軍になってたって話や。せやけど、14代将軍が亡くならられはった時、まだ赤子やったから今の慶喜公が将軍になりはったんや。せやから16代将軍は家達やって話や」

「ふーん・・・」

 朔夜は不審げに、先程騒ぎのあった方を見た。

「で、将軍って?」

 何気なく聞いた朔夜に、「へ?」と蓮翠は目を瞬かせた。

「だって、大政奉還以降、徳川は・・・・」

 そこまで言った時、蓮翠が「ちょい待った!」と、昨夜を止めた。

「大政奉還ってなんや?公武合体やろ?」

「こっ公武合体?」

 朔夜は目を丸くして、蓮翠を見入ったがどうやらからかってるわけではないようだった。

「せや。徳川と朝廷が仲よう政治をやっていこうや言うことになったやろ?って、僕らの生まれる前やけど」

 朔夜は一気に頭の中がぐるぐるとかき混ぜられたように混乱した。

 なにこれっ!まさか、違う選択肢って、ここまで違うのっ!

 とは言え、蓮翠がこの時点で朔夜をからかう理由などない。

「う、うんっ。そうだった!思い出した!」

 慌ててそう言う朔夜に、「いや、思い出したて・・・そもそも、忘れるようなことかいな・・・」朔夜を怪しむ蓮翠のその視線を逃れる様に、朔夜は入学の儀を執り行う為、そそくさと学庭に向かって歩き出したのであった。

 間もなく入学式が始まった。

 新入生が一同に並ぶ中、正面の朝礼台に乗ったのは袴姿にざんばら髪を後ろでちょこんと結わいただけの男だった。年のころなら四十代・・・といったところだろうか。

「うーん、えぇ顔が並んどるぜよ」

 ザンバラ髪の男が言うと、朝礼台の下でいかにも生真面目そうな男が慌てて、「坂本龍馬学長である」と言い添えた。

「え・・・・」

 朔夜の目は、朝礼台の上の坂本学長に釘付けになった。

 坂本龍馬と言えば、幕末に活躍した志士の一人だと、いつか父に聞いたことがあった。彼なしでは、大政奉還はなされなかっただろうと。父がなぜ、大政奉還の裏側を知っていたのかはわからないが、確かに父は言ったのだ。

 彼は、大政奉還直後に暗殺されてしまったのだと。友人だったと話した父は、彼は死ぬには若く、惜しい人材だったと言ったのだ。

 目の前の学長、坂本龍馬は果たして同じ人物なのか。

「諸君らは今日から二年、この修義館で決して学問だけじゃのうて、人としてもっと大切なことをこじゃんと学ぶぜよ。わしは諸君らに期待しちょるぜよ。まぁ、学長言うたがて、わしは殆どこの学校にはおらんき。じゃとて、諸君らの事はしっかと見とるぜよ。気ぃぬかんと頑張るがよ。・・・・と、こんなもんでえぇんかい?」

 そう言って、朝礼台の下の男に声をかけると、その男は「大変結構でございます」と丁寧に頭を下げた。

 その直後、その男から修義館での規則など色々語られたことで、その男が副学長の伊坂斉詫いさかさいたくであったことがわかった。

 伊坂副学長によれば、四人一組の組分けが行われ修義館の中では常にその四人が共に行動することになると言う。ちなみに組には名が与えられ、今年は白虎、玄武、朱雀、青龍の名が与えられるそうだ。もちろん、宿舎でもその四人が同室となる。また、問題が起きた時は組全員の責任となるので、互いに正しい道へと導き合うようにと伊坂副校長は言った。

 最後に伊坂副学長は、既に宿舎の前に組み分けが張り出されているから、それを見て各部屋へ行き、今日はゆっくりと過ごすようにと告げて朝礼台を降りた。

 わりとあっさりとした入学式だった。

 生徒たちが一斉に宿舎の前へ移動する中、昨夜は去っていく坂本学長を目で追っていた。

 この世界へ来て、いくつかの事がわかって来た。

 ここは、大政奉還ではなく公武合体という道を選んだ日本だと言うこと。その中で、義兄の耕史は陰陽師の力を持ち、神官という立場で政治に関わっているということ。そして、何より死んだはずの人間が生きていると言うことだった。

「どないしてん?」

 背後から急に声を掛けられ、朔夜は飛び上がった。

 すると、またしてもくくっと喉の奥で笑う蓮翠がそこに立っている。

「なっなんでもない・・・」

「そぉか?ほな、早よ組み分け見に行くで」

 いつの間にか、蓮翠と行動してることに疑問を感じながらも朔夜は頷き、蓮翠と共に校舎の東側にある宿舎へと向かったのだった。


ブックマーク、感想などよろしくお願いいたします。


杵島玄明

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