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6. 俺であって俺じゃない俺

 

「お、おいっ」


「ここがあなたのお部屋になりますから~」


 ニッコリと三つ編みの少女。どことなく清々した感が見受けられるのは決して俺の気のせいではないはずだ。


「あんたら誰―――」


「お食事の準備が出来ましたら、お呼び致します。その時にでも、皆に紹介させましょう。料理長が張り切っておりました故、今夜はご馳走ですよ」


 出会った時と変わらず、気色の悪い胡散臭い笑顔をロマンスグレーの下に張り付かせた執事らしき初老の男が言う。

 ご馳走の言葉に、ピンク髪が嬉しそうにぴょんと跳ねる。


「お、俺は何を…それにこの赤ん坊は――」


「この部屋の物は何でも使っていいからね。また鳥に襲われないように、窓辺に置くのだけは気を付けた方がいいよ」


「なんでもって…何もねぇじゃ―――」


「じゃ、行きましょ。あたし疲れちゃった。ぜんっぜん寝れてないもん」


「同じくです」


 ピンク髪が他の三人を促し、そそくさと退散していく。

 まるで臭い物に蓋をする。

 いや、面倒なものを他人に押しつけ、見なかった事にするような。

 仮にも俺はよりは良く知っているであろう、この腕の中の小さな赤ん坊を全く見もせずに。


 ガキの頃、皆でやるべき掃除当番を気の弱い一人に押し付けて、さっさと遊びに出やがったあの蔑んだような目を。


 こいつらは笑っているが、誰も俺の話を聞こうとしないどころか、赤ん坊の心配すら無い。


「こいつの母親は!」


 産まれて間もないのであれば、産後の母親が何処かにいるはずで。

 そういやこいつらは、母親の存在などちっとも俺に明かしていないのだった。

 心配じゃねえのか。産まれてすぐに鳥に攫われるなんて、普通だったら大ごとだぞ。

 それに赤ん坊ってのは良く知らねえけど、常に母親のおっぱいにしがみ付いているもんじゃないのか?


(ってかこいつ、ミルクとか飲んでんのか?)


 おしゃぶりの食いつき方が尋常じゃなかった。

 それに布を適当に巻いただけのオムツもどきも。

 抱っこした時にムアっときた体臭も。


 ――――って。


「いねえじゃん!!!」


 俺が思案の海に溺れている間に、これはしたりと居なくなりやがった。

 ご丁寧に音も立てず扉も閉めて、部屋の隅っこに俺のリュックをポツンと置いて。


「ああ、これで安泰よねー」


「こんなのやってられないよね。早く到着してくれて良かったね」


「私、今すぐにでも眠れそうですぅ」


 などと、扉の外で声が遠ざかっていく。


「無責任すぎんだろ…」


 俺の呟きは当然奴らに届くわけもなく。

 茫然自失に俺は肩を落とす事しか出来なかった。




 部屋を見渡す。


 20帖ほどの広さ。

 奥に馬鹿でかい机、年季の入ってそうな椅子。

 ドアを背にして左側は全て飾り棚で埋まっていて、ガラス戸の中に本や訳の分からん金属の小道具が押し込められている。


 右は全面が窓。

 一つ残らず開放されていて、カーテンなどの目隠しは無い。

 心地良い風と暖かい日差しがゆるりと入ってくる。

 こんな状況でもなければ、昼寝を貪るのも悪くはない、俺の心境とは真逆の平和さである。


 部屋の中央にソファと背の低いテーブル。

 ソファのクッションが効き過ぎて、座ると完全にケツが埋まった。

 こりゃダメだと赤ん坊はとりあえずテーブルの上に乗っけている。

 ふかふかに顔が埋もれて窒息するのを防ぐ為だ。


 硬いテーブルにそのまま置くのも可哀想だったから、無駄に豪華な絨毯を引っ張ってきて身体の下に敷いた。

 これで背中は痛くないだろう。


 部屋にあるのはこれだけだった。

 パッと見ただけだからもっと色々見つかるかもしれんが、赤ん坊を寝かせる部屋でない事は確かだろう。


 ベビーベッドも着替えもオムツも、いわゆる一般的な「赤ちゃんグッズ」と云われる物が何一つ無いのだから。


 誰かの、仕事をする部屋なのか。

 第一印象は応接間。ドラマなどでよく見る社長室のようでもある。


 少し埃があるから、暫くは使っていない部屋。

 だけど物置になるほど時間は経っていない。


 誰もいないからか、寝息も立てない赤子は静かで、部屋の外もシンとしている。時たま開けっ放しの窓から鳥の鳴き声が聞こえるだけで、俺は次第に落ち着きを取り戻し、冷静に頭が冷えていくのを感じている。


 夢―――にしては、「俺」という自我がはっきりし過ぎていて。

 時間経過も、場所移動も夢ならではの矛盾は無く、体感通りコトが進んでいる。


 そこでハッと気づく。


 俺の、持ち物だ。


 夢は何でもありな世界。だが、意識を失う前に持っていた荷物をそのまま夢の世界に具現化するってのは、なかなかのレアケースだ。


「持ち物チェックでもするか…」


 俺は腰を上げ、荷物を抱えて幅広の机の上に、一個一個並べていくのであった。

 極力、音を立てずに。



<所持品> 肩掛け鞄

 ・スマートフォン

 ・携帯充電器(電池式) 5つ←フル充電

 ・財布

 ・現金(7683円)

 ・クレジットカード 一枚

 ・免許証

 ・メモ帳、ボールペン

 ・家内安全の御守 一個


<買い物> リュックサック

 ・粉ミルク 2缶

 ・哺乳瓶 2本

 ・おしゃぶりの空ケース ←本体は赤ん坊が咥え中

 ・新生児用オムツ 1袋

 ・オムツ拭き 1袋

 ・赤ちゃんせんべい 1袋

 ・うさぎのモコモコ産着 1着

 ・入浴セット(海綿、ボディソープ)

 ・ガーゼ10枚


 こんなもんか。

 しかしこうして並べてみると、結構買ったつもりだったんだがそんなに数は無い。


 これだけで2万近くもしたんだがな。

 粉ミルクが一番高かったが、店員に言わせると完全ミルクで育てるとなると、二週間で1缶無くなる勢いらしい。

 まだ新生児のうちはいいが、月数が増えれば増えるほどミルクを飲む量も増えるから、買う頻度は必然と高くなるんだと。


 金がいくらあっても足りないな。


 少子化が進む原因として、やっぱり経済的に余裕がないからの理由で赤ん坊を作るのを断念する理由が含まれるのも何となく分かる気がする。

 国から手当ては貰えるが、オムツ代の足しにしかならない。


 本来ならこの他に、ベッドや布団、肌着や服、チャイルドシートやベビーカーなんてものも必要となる。

 ちょっとでも費用を浮かせる為にレンタルっつー手もあるが、結局初期費用に掛かる金は結構な額になるのは同じだろう。


「ねーちゃんも大変だよな…」


 初孫フィーバーに俺の親が色々買い揃えたらしいけど、それでも普段生活する上で必要なものは多くある。


 臨月を迎えたねーちゃんの今後を想像してみたが、それよりなによりまずは目の前の状況解決が先だと思い出した。


「しっかし、ホントになんもねぇな」


 赤ん坊一人育てる為の、その当たり前の物が見当たらない。

 キョロキョロと上から下まで見回して、やっと見つけたのが平べったい皿に埃やゴミの浮いた牛乳らしき乳製品の残骸だけである。


「ペットかなんかと勘違いしてんじゃねえのか、あいつら」


 スマホを手に取り、電源をつける。

 パッと明るいブルーライトに目を細める。


「そういやこの部屋、照明がねぇな…」


 何でも声に出てしまうのは、不安な気持ちを少しでも払拭させたいからだ。

 静けさは冷静を得るが、それと同時に孤独も味わう。

 右も左も分からない俺はまさに孤独そのもので、置いてけぼりを食らった迷子の子供のように泣き叫びたいのをどうにか堪えているだけの面持ちだったのだ。


「電話は…繋がんねぇか」


 予想の通り、何処に架けてもツーと無機質な音が鳴るだけである。

 試しに110番をしてみたが、やはり意味は無かった。


 ゲームもアプリも全く駄目。そもそもアンテナすら立っていない。

 GPSで居場所を特定する手段も失った。


 使えるのはオフライン機能のみ。

 俺の前の職場で様々な顧客の対応に対処すべく、容量一杯になるまで情報をダウンロードしまくったテキストだけだ。


「どんだけ田舎なんだか」


 今の日本国内で、携帯が不通な場所を探す方が難しいと思う。

 限界集落の山村地ならばまだ話は分かるが、明らかに女子高生な年頃の娘が三人もいるってのに、今時の子がスマホなしで生きてるなんて天然記念物ものだ。




「ちょっと整理してみようか」


 俺は買い物途中に雷と遭遇し、意識を失った。


 生きているし、怪我もないから雷の直撃を食らったのではない。運悪く近くに…母の車に落ちた可能性も否定できないな。


(目覚めたら、見知らぬ森だった)


 しかも突っ立ってたんだっけ?

 空気の澄んだ、湖畔が近くにある小さな森だったようだ。

 そこでわたあめみたいな生き物と、泣き叫ぶこの赤ん坊と出会ったんだった。


 わたあめに噛まれた足はちっとも痛まず、赤ん坊の泣き声は風を、そして嵐を呼んだ。


 まさに非現実な超能力。

 だからここを、夢の世界だと思ったのだ。


 余りに泣いてうるさいから、おしゃぶりを突っ込んだら大人しくなって眠った。

 そして、3人の少女が現れる。


(派手な髪色に美少女。巫女服にミニスカってどう見てもコスプレだろうが)


 気の強いピンク髪。おっとりとした三つ編み。ボーイッシュなポニーテール。

 話を総合すると、彼女らは「聖女サマの巫女」というもので、特別な加護を得ている衣装を身に着けている事に誇りを持っている。


 そしてこの俺。


 これが一番意味不明なのだが、どうやら「俺」は王都らしき場所から一週間でやってきたこの赤ん坊の「ベビーシッター」らしい。


 聖女の加護というものを俺も得ていて、人相も聞いていた通りだからとあいつらは俺の話も碌に聞かずにベビーシッターだと決めつけた。

 この赤ちゃん用品が何よりの証拠だって、まあ、傍から見ればその通りで、言い訳なんて無意味だわな。


 しかし、職業ベビーシッター(オレ)は赤ん坊の抱き方さえ分からず、途端にあいつらの―――特にピンク髪の反感を買う。

 それからこの大神殿と云われる、神話の建物の中に問答無用で連れてこられた。


 イシュタル神のイシス神殿。

 執事っぽいオッサンがそう言っていた。スマホで検索してみるが、俺のダウンロードしたテキスト内にそのような文言はヒットしなかった。


 少なくともこの神殿には、巫女である3人の少女、執事のオッサン、ちょび髭とガサツそうなオッサン2人、妙齢の女性が1人いる事が分かっている。生活感も窺えたから、恐らく住んでいるんだろう。

 それに俺と、この赤ん坊を足して全部で9人。

 神殿の規模の割に、呆気ないほど少ない人数だ。


 大事なのはそのあと。

 あいつらはベビーシッターの到着を心待ちにしていた。睡眠を妨げるほど…という事は、面倒を見るべきこいつの両親は存在しないんだろう。死んだか、捨て子か、色々と理由は考えられる。

 そして、俺と同様に赤ん坊の世話の仕方を知らない。煩わしいのが手から離れて清々すると、赤ん坊を邪険にしている節も見られる。


(問題なのは、誰もこいつの心配をしてねえって事だ)


 んで、考えられるこの赤ん坊の正体。

 あいつらの言葉の端々に出てきた思わせぶりな単語が何度もリフレインする。


「―――聖女」


(はっ…ガチでゲームの世界みたいじゃねえかよ…)


 スマホを片手にソファに埋もれる。

 ケツが嵌って身動きが取りづらい。あまりにふかふかなのも考えものだよなと、出産を控えた姉の為にダウンロードした有名な子育てブログと記事をまとめたテキストを探っていく。


 出産後から小学生に上がるまでを網羅した、子育てマニュアルである。

 身長や体重は勿論、月齢に合わせた赤ん坊の特徴、注意点、成長の兆しなんかも載っている。

 ちょっとした怪我や病気、離乳食のレシピや遊び方まで何でもござれだ。

 しかしその情報量は膨大。人を一人育てるのだから、そりゃそうだろう。


 一応ここに書かれたとおりに実行すれば、とりあえずは何とかなるだろうけども。


「なんで俺が、面倒見なくちゃいけないんだ?」


 と、そもそもの疑問が解決しないのに、体よく面倒ごとを押し付けられて黙っていられるものか。


 この世界が何処で、あいつらが何者で。

 そんで俺がここに居る理由と、どうやったら帰れるかなど、知りたい事は諸々と多いに滅茶苦茶あるのだ。

 それに一言あの小娘共に、文句を言ってやりたいのだ。俺がこの状況に面食らって何も言えないのをいいことに言いたい放題一方的に云われまくって、随分と年下のJKが粋がってくれたもんだ。


 特にあのピンク髪!

 なんで最初っから喧嘩売ってくるかねえ。


 大人を舐めたら痛い目に遭うって事を、今のうちから教えるのも―――と立ち上がる。

 生理的な現象に襲われたからである。

 要は、便所に行きたくなったのだ。


「ついでにミルクでも作ってやるか」


 腑には落ちないが、今までペットのように皿から牛乳を与えられていた赤子が可哀想になってしまったのは、多少なりとも情が移った結果である。

 ミルクの缶を一つと哺乳瓶を一つ抱えて。ポケットにスマホを入れてまた違和感を感じる。


 その違和感の正体がいまいち掴めないまま、部屋のドアノブに手をかけた時。


「――――は?」


 また、はっきりと「は?」と言ってしまった。


 ドアの手前、入り口の脇に姿見の鏡があった。

 それをチラリと見てしまったのだ。

 あんまりにも鮮やかな「水色」が映っていたものだから。

 目の端に映るそれを、俺は無視する事なんて出来やしなかった。それくらい鮮明に鮮やかに、俺の目に飛び込んできたのである。


「俺の…髪…」


 鏡に映る俺は、【俺】ではなかった。


 いや、俺…なんだけど、()()()()()んだ。


 違和感の正体がようやく掴めた。

 赤ん坊を腕に置いて長い石階段を昇っていた時から何となく感じていたのだが。


 俺でいて、俺じゃない俺。

 自分でも何言ってんのかサッパリ分からないけど、とにかく俺なのに俺でいて、俺じゃないのだ。


 ワックスで固めたツンツンの髪は、艶やかな水色。

 蒼のトルマリンを彷彿とさせる、鮮やかな瞳。

 三十路に半分浸かったオッサンの身体は随分と若返ってハリを取り戻し、浅黒い肌が若々しく光沢を放っている。

 シャツにジャケットといったオシャレの欠片もない恰好は何処にもなく、幾何学模様の入ったパーカーを見事に着こなし、こまっしゃくれた綺麗な身体の線が美しいとさえ思えてしまう。


 でも顔は、俺。

 ちょっと幼い、俺。


「なんの…コスプレなんだ、よ…」


 俺の呟きは今度こそ、霧散して消えた。


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