5. ベビーシッター・俺!なんで?
訳も分からぬまま連れてこられた大神殿。
俺がいた場所というのは、この神殿の庭というか巡礼路の脇の休憩場というか、
背の高い木々で見えなかったが、あの3人の少女らが掻き分けてきた草むらの向こうに石階段があり、山の頂にその神殿は存在した。
古ぼけた、所々黒く汚れたやけにでかい神殿である。
赤子をその腕に抱き、ポカンと見上げてキョロキョロしていたら、すかさずピンク髪のつっけんどんな怒り声が飛んできた。
「ちょっとあんた!ぼうっとしてないで、ちゃんと持ってなさいよ!落としたりしたらボコボコにしてやるんだから!」
「わぁってるよ!しつこいなっ!」
可愛いと思ったのは一瞬で、なんて気の強い女なんだと思った。
でっかい瞳の上、眉間に険しい皺を作る彼女は怒り肩で、大股に石階段を昇っている。
彼女の特徴的な服の袖が、風に揺らめいた。
俺の腕はガチガチに固まっていて、確かに躓いたりしたら大ごとである。
抱いて――とは表現したが、正確には両腕を直角に曲げた二本の支柱に、赤ん坊をただ乗っけているだけだからだ。
緊張でプルプル震える俺の後ろに三つ編みとポニテの少女らが付いてきている。
俺の重いリュックを交代交替で持ってくれているのだ。
随分と仲が良い。
雰囲気も似ているから姉妹、いや双子なのかもしれない。
「ホントにシッターなのかしら!ぜんっぜん、そう見えないんだけど!」
鼻息荒く口捨てるピンク髪がなんでこんなに怒っているのか全く理解不能だ。
俺がこんなところに居るのも。
赤ん坊を腕に乗せてガチガチに固まっているのも。
問答無用に連れ出され、階段を昇らされているのも。
そもそも根本的に、何もかも、訳が分からないというのに。
「大丈夫ですよ。それを証拠に聖女様のご加護が御有りではないですか」
おっとりした声。三つ編みの方だ。
「たくさんの道具も持ち合わせているし、現に泣き止んだじゃない。うんしょっと」
二人よりも少しハスキーな声に次いで、ガシャンの小さな音。
リュックを背負い直したのだろう。大人の俺でも重いと思っていたのだ。どうせすぐに車に乗るから気にせず買い物をしまくった。年端もいかない少女達には少し大きすぎる。
長い階段もきつかろう。
「文の通りのお顔とお姿ですよ。緊張なさっているんですよ」
「あんなのただの絵よ。いまいち信用できないんだよねぇ、こいつ。口も目つきも悪いし」
俺を間に挟んで言いたい放題言ってくれやがる。
文句の一つや二つ、百ぐらい言い返してやろうかと思ったが、俺は大人である。
もうすぐ三十路になろうとするオッサンが、たかだかジョシコーセー相手に本気になるほどガキじゃない。
それに正直疲れていた。
この長い階段もそうだが、如何せん、腕の存在の方がキツい。
大体3キロ前後か?
動かないとはいえ、ずっしりと重い。
大きなペットボトルを二本、同じ姿勢でずっと抱えてみればいい。
絶対に落とせない条件付きで。
これが案外、重いのだ。
最初はいい。だけど、ずっととなると肩と腕にクる。
だから俺は早く休みたかったのだ。
それと早くこの赤ん坊から解放されスタコラサッサと逃げ出したいのが本音で、理不尽にもこいつらに誘導されるままに付いていっているのは、そのチャンスを狙っているが故なのだ。
少女らに発見された俺は、早く夢から醒めてくれと何度も頬を抓り、目を固く瞑ってはカッと見開くなど挙動不審な行動を取りまくっていた。
誰かと勘違いしているのか、俺を「シッター」と呼ぶ彼女らは3人とも変わった服装をしていた。
おおよそ日本人にはあり得ない髪の色と瞳をしているのに喋る言語は日本語で、その服装というか衣装がいわゆる「萌え系」だった為に、俺の彼女らに対する第一声は、彼女らを侮辱する一言だったらしい。
「なんの…コスプレだ…?」
癖の強いピンク髪の両サイドにぴょこんとツインテールとリボン。
上半身は日本の巫女服、下はミニスカ。
絶対領域をあざとく見せつけた紺のニーハイはうさぎの形をしていて、学生が好むローファーを履いている。
三つ編みの方は、髪は淡い紫。
上はピンク髪と同じ巫女服だが、下はきちんと長い袴を穿いている。
しかし靴は足袋と草履ではなく、踵の高いブーツだ。
どこか大正浪漫を感じさせる恰好。
大人しそうな雰囲気と相まって、かなり似合っている。
最後の一人、濃い紫ポニテも例にもれず巫女服だ。
だけどこっちはスカートでも袴でもなく、膝上までの幅広なキャロットパンツである。
恰好としては一番地味。
革のような紐を脛に巻き付けて靴もサンダルみたいで簡素。
なかなかボーイッシュで動きやすそうだ。
今日が土日か祭日で、何処かの会場で何かのベントがあってそんな恰好をしているなら分かる。
俺も仕事で忙しくなる前は、ゲーム好きが興じてMMORPGのオフ会や同人即売会に足繁く通っていたものだ。
そういったオタクに対する偏見も全くない。
しかし俺の記憶が確かならば今日は平日の真昼間で、この三人以外は人もいないしイベントをやってる独特のザワつきもない。
となると、こいつらはガチでこんな格好をしているという事になる。
「ちょっとあんた失礼じゃない?」
こめかみをピクピクさせたピンク髪。顔が明らかに怒っている。
「誇り高き聖女の巫女に向かって、コスプレだなんて馬鹿にしてるつもり?」
「え?」
「コスチュームプレイ。巫女になれなかった落ちこぼれがたまにやってるアレですね」
「あんなのと一緒にしないでよ!あたし達は、れっきとした本物の巫女よ!衣の加護が見えないの?」
「か、加護?」
「ペラペラの生地、テカテカで肌触り最悪の衣。下品な赤に媚びた衣装。問題外ですね」
この三つ編み、おっとりとした顔に似合わず辛辣だ。
まごまごする俺を余所にひたすら何かに怒っていた三人は、その勢いを削ぐ事なく俺を問答無用に立ち上がらせ、追い立てながら赤子を抱くように命じた。
「みんな待ってるわ。あんたの事は気に食わないけど、上からの御達しだから我慢する」
「でもちょっと早いよね。一週間で到着って、かなり上出来だよ?」
「さあさ、早く聖女様をお持ちになって?お荷物は私たちにお任せして、神殿に参りましょ?」
「え?ちょ…っ」
3人の、6つの瞳が俺を見ている。
俺は未だおしゃぶりを離さず、とりあえずは寝てくれているであろう赤ん坊に手を差し出したのはいいが、そこから先が分からない。
「あの~…何してるんです?」
「え、いや、あの」
え?俺が?赤ちゃんを?
抱け…とでもいうのか?
いや、シッターって、そういうこと?
そのまんまの意味って事か?
「またそんなところに置いておくと、鳥に攫われちゃうよ?」
「鳥にって…」
そういやこいつら、さっき鳥がどうのこうの言ってたな。
っつかあり得んだろ?こんな生まれたてを鳥に攫われ、下手したら食われてたかもしれないってのに、なんでそんなに呑気でいられるんだ。
「あんたを待ってたのよ。こういうの、お手の物だと《王都》からお墨付きをもらってんでしょ?早く抱っこしてくれない?」
お墨付き?王都?
俺の知らない単語が次から次へと出てくる。
いや、知らない訳ではないが、なんというか、ゲームの世界で聞いた事のあるような、ないような…。
「悪いんだけど」
ゴクリと唾を飲み込む。
3人の顔を一人一人じっくり見ながら、俺は正直に言った。
「赤ん坊の抱っこの仕方、教えてくんね?」
この台詞がピンク髪の怒髪を衝いたのは、いうまでもない。
厳かで堅苦しい門を潜る。
彫刻など何一つない。大神殿という割には着飾ってなく、実に素朴な造りだ。
しかし恐らくは大理石。白い石は丁寧に磨かれ、よく手入れされているのが素人目からも分かる。
石門を潜って直ぐに扉はあり、ギギギと蝶番が開く様はいつかテレビで見た北欧神話の遺跡のようにも感じた。
案の定内部も素朴で、カツンカツンと俺たちが立てる足音以外に音は無く、だだっ広い建物に人気も無かった。
入ってすぐに礼拝堂らしき部屋。長机と椅子が整然と並んでいる。
教会か?
北欧神話時代の神殿の中に現代の教会とは変な組み合わせだ。あの十字の有名なシンボルがないからそう見えるのか。
代わりにあるのは丸が二つ重なってくっ付いている文様。
それが中央にちょん、と刻まれているだけだ。
日本風に云えば、輪違の家紋によく似ている。
初歩の知恵の輪みたいな、そんな形である。
俺たちは礼拝堂の奥に進み、長い通路を歩く。
勝手知ったる我が家なのだろう。3人の少女らの歩みは早く、迷いはない。
いい加減、腕がパンパンでどうにかなりそうである。
赤子はむっつり目を瞑っているが、いつ起き出すか分かったものではない。また大惨事を引き起こしそうなあんな泣き声を聴きたくはないし、かといってここに放り出すわけにもいかず、俺は懸命に腕を叱咤しながら歩く事10分弱。
窓にカーテン。床にじゅうたん。
瓶の水、木箱の果物、折り重なったシーツの山。
ようやく神殿の中に、人の住む生活感らしきものが現れた。
「おお、随分とお早いご到着だな!ご苦労なこった」
突然、小部屋の影から禿げ頭がぬんと飛び出してきた。
「ボンジュ~~ル!」
その向かい側の部屋からも、ちょび髭を蓄えたオッサンが顔を覗かせている。
部屋の中は大量の食材に埋もれている。オッサンの覗いたドアの隙間から、ほわんと湯気が立っている。
「うるさい!起きちゃうでしょ!!それに、紹介はあとよ」
ピンク髪は立ち止まらない。
歓迎してくれているっぽいオッサン達を完璧に無視して、ずんずんと歩いている。
「ふふふ…」
今度はなんというか、蛇のようなねっとりとした視線を前方からひしひしと感じる。
「随分と可愛らしい坊ちゃんだこと。あら、そんなにお急ぎになって、いけずなお方ですこと」
「えっと…」
「ここは無視でいいんですよー。構っちゃうと数時間も捕まってしまうんですから」
部屋の扉が少しだけ開いて、中から白い腕だけがひらひらと俺を誘っている。
長い指、骨ばった手首。爪の先は真っ赤なマニキュア。どう見ても熟女の手である。
人気が無かったのは最初だけで、生活感のある内部は随分と人がいるんだな。
しかも普通の人じゃなくて、突っ込み待ちでもしているのか、随分と癖の強い人たちばかりなようだ。
その手に誘われるまま熟女の元に馳せ参じたかったのだが、前にピンク髪、後ろに紫髪にしっかりホールドされている俺は願いも虚しく、前へと進むのみである。
そして突き当りの部屋。
ピシッと背筋を伸ばし、細身の背広を着こなしたロマンスグレーの執事みたいなじいさんが俺たちの姿を見止めると、これまた流れるような動作でゆったりと礼をして、口をちょっとだけ開けて「ヌホホ」と笑った。
「ようこそ女神イシュタルを戴くイシス神殿へ。遠路はるばるご苦労様で御座いました。歓迎致します、御守様」
そこで俺は既に彼らに囚われ、逃れられない事を知るのであった。