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4. 見知らぬ地!わたあめと赤ん坊と戸惑う俺

 

 気付けば見知らぬ地に立っていた。


 リュックに大量の赤ちゃんグッズ。そして肩掛けのカバンに充電器とスマホを持ったままの状態で。


「へけっ、へけっ、へけっ」


 草葉の陰にしわくちゃの小っちゃな生き物と。


「グルルルッルウル!!!!」


 なんだかよく分からない、得体の知れない変な動物が、俺の脛に噛り付いていたのである。


「は…?」


 こんなにもはっきりと、独り言で「は?」と口に出したのは初めてだった。

 状況に理解が追い付かなくて、最初に思ったのがそんな呑気な事である。

 人は思った以上に想定外な出来事に対処できない。そんなの、漫画やTVの中だけの世界だ。


 ギシリと固まったまま、右へ左へ辛うじて視線だけが動く。

 背中に背負ったリュックがやけに重く感じた。


 どうしても視界に入るへけへけ言ってた赤ん坊は、なんか調子が変わって金切り声で泣き出しているし、


(つっか、なんでこんなところに捨ててあるんだ!?)


 親らしきものもいねぇ。


(いや、マジで捨て子?)


 脛をガジガジやってるこいつは凶悪な牙している割にちっとも痛くないし。


(なにこれなにこれ、ぬいぐるみ?)


 およそ図鑑で見たこともない、素っ頓狂な姿形をしている。


(わたあめに、牙と羽根が生えとる…)


 次に思ったのが、夢であるという事。


「いやいや、どう考えても現実的じゃねえだろ」


 目の前に泣き叫ぶ赤ん坊。

 俺しかいないその場所で、なんでか執拗に俺に噛みついているわたあめ。

 しかも全然痛くねぇ。

 さっきまであんなに曇ってたのに、頭上はカンカン照りで暑いくらいだ。

 強烈な日差しは木々に隠れて幾分か和らいでいるが、そもそも俺は店の駐車場にいたわけで、こんな避暑地の別荘地域のような、キレーなところは知らない!


 そこで俺の乗ってきた、母の軽自動車も消えていると分かる。


 いやいやいやいや、ないから。

 夢の中で夢と感じる白昼夢でも見てんのか。

 真昼間から幻覚を見てしまうほどに、俺は仕事に疲れていたとでもいうのか。

 ちょっとマジで病み過ぎだろ、起きたら病院とか行くべきかな。


 なんて、ぐるぐると頭の中で色々目まぐるしく考えていたのだが。


 俺の脛に噛り付いていたわたあめが、俺にちっともダメージなんて与えていないのだとようやく気が付いたのか。

 ふいに顎を外し、アホのように泣きまくる赤子に、そのターゲットを移しやがったのである。


「いやいやいやいやいや!!夢でもあり得ねぇって!!」


 わたあめの鋭い牙は、赤子の半分以上も長さがあって、あれに噛まれたらいくら何でも無事では済まないだろう。

 大怪我どころか、確実に死ぬ。


 夢といっても、悪夢の方だったのかよ。


 目覚めてしまえば何もかもなかった事になるだろうが、目の前で赤ん坊を惨殺された日にゃ、夢見が悪いどころじゃない。


 俺は素早く周囲を見渡し、木の下の落ち葉の中にあった棒切れを見つける。


「やいやいやい!!!」


 その間、俺に注意を向ける為、必死に大声を出して威嚇する。

 わたあめは俺と赤子を交互に見ては、モコモコした可愛らしい姿とは裏腹に、ぐるぐると野犬に近い唸り声を上げている。


 掴んだ棒切れは、か細いただの枝だった。

 だけど丸腰よりマシだ。

 枝の細い部分をわたあめに向ける。武道経験ゼロではあるが振り回す事くらいは出来る。


「グルル、グルルルルル…」


「ほえっ!ほえっ!ほえっ!」


 距離を取り、切っ先をわたあめにツンツン当てていると、赤ん坊の泣き声が大きくなった。


(なんだ?)


 ザワザワと木々が揺れる。

 地面の草が、その後ろに見える静かだった湖畔が、風もないのに騒めき出す。


「はんわぁ!はんわぁ!はんわぁ!!」


 まるで蝉の声だ。

 可愛いもんじゃない。相当、うるさい。


「はあはあ、はあはあ…」


 俺もいい加減息が切れてきた。

 老人達の御用達の中に、野良犬退治の依頼は無かった。だから対処の仕様が分からない。

 野良猫の餌付けは完璧なんだけど、と一瞬だけ想いを馳せる。


 騒めきはどんどん強くなり、俺とその周りだけすっかり大嵐だ。

 この赤ん坊が泣けば泣いた分、それは比例して大きくなっているようにも見えた。


 夢なのだ。なんでもありな世界。


 その時、丁度いい追い風が吹いた。


「ちゃああああんすぅぅぅ!!」


 俺の持つ枝と、勢いよく突き出した腕。俺の踏み足が良い感じに風に乗って、ついにわたあめの中身、つまりは奴の肉に刺さったのだ。


「ぐひゃっ!!」


 なんとも可愛げのない悲鳴がわたあめから上がる。

 俺はブニっとした肉の感触が気持ち悪くて、枝を放り投げてしまった。


「あ…」


 なんてことだ。唯一の武器を手放すなんて。

 頭を抱えながらも俺は赤子の方に走り、覆い被さるように腹の中に赤子を入れる。

 わたあめからの反撃を予想して身を固くしたが、その衝撃はいつまでも俺を襲う事はなく。


「ほんわぁ!ほんわぁ!」


 ひときわ強い風が吹き、落ち葉を巻き込んだ風の塊が、俺の微々たる攻撃に仰け反ったわたあめ諸共舞い上がる。


「すげぇ!!」


 そして、空高くそのまま何処かに吹き飛ばされていった。


「ほんわぁ!ほんわぁ!ほんわぁ!」


(こいつがどうにかしたのか…ちょーのーりょくっての?)


「ほんわぁ!ほんわぁ!ほんわぁ!ほんわぁ!!!」


「っつか、マジでうるせええええ!!!」


 これが夢なら敵を倒してめでたく終わりで。赤ん坊は泣き止んで二カリと笑って、そんで俺はバイバイしながら夢から覚めるはずだった。


 しかしそんな都合よく赤ん坊が泣き止む気配はなく、声は増々大きくなって湖畔のうねりが高い位置にいる俺らの所まで届きそうに荒れだした。


(これってもしかして、どうにか泣き止ませないとヤバイ系?)


 しわくちゃの顔を更にしわくちゃにして、赤ん坊の顔は真っ赤っかに泣き叫ぶ。


「ほぅえ!ひぃぃいい、ひぃぃっ」


 ついに泣きすぎてひきつけを起こしてしまった。


 俺は唐突に背負っていたリュックの中身を思い出す。

 店員にあれこれ訊きながら、必要なのかどうか分からないままとりあえず買いまくった赤ちゃん用品の中に、そういやピッタリの物があったはずだ。


「待っとれ!すぐにオッチャンがどうにかしてやるからな!」


 ねえちゃんの、生まれてくる甥っ子か姪っ子の為に買ったものだがこの際仕方あるまい。

 ヒィヒィ言ってる赤ん坊を放置するほど俺は冷酷じゃねえし、これも何かの縁だ。


 ガサゴソと取り出したるは、新生児用のおしゃぶり!

 パッケージを破り、消毒は…してねえけどまあ緊急事態だ。

 あんま見てねぇけど、さっき俺がいた横の木は、こいつの泣き声でとっくに折れちまってる。

 ここも無事である保証はどこにもないのだ。


「テッテレーン!!」


 と、ほわほわ言っている赤子の口に、おしゃぶりを突っ込んだ。


 赤ん坊の小さな口には少し大きすぎるかと思ったが、心配するまでもなかった。

 すぐにおしゃぶりの先に吸い付き、んぐんぐと必死に食らいついている。


 当然泣き声は止み、嵐の中心(なか)にあったこの場所は、俺が目覚めた時と同じく穏やかな空気に戻っている。


(やっぱりこいつの仕業か)


 泣き声と連動する超能力か。

 それにしても、俺はいつ夢から醒めるんだろう。


 静かになって俺もようやく落ち着きを取り戻す。

 心臓はバクついてて、不安な気持ちは拭い去れなかったが、あの泣き声を聴くと早くどうにかしたて切羽詰まり、気だけが焦ってゆっくり考える暇が無かったのだ。

 更にへんな生き物に襲われて無我夢中で撃退するに至った事だし、アドレナリンは全開だった。


 改めて今いる場所を見回して、それから地面に寝転がる小さな小さな赤ん坊を、じっと見つめた。


 歪な形の頭の上に、お情け程度に生えている髪はふわふわと柔らかそうで丸まっている。

 光に透けて見える色は金。

 垂れ下がった薄い眉も、金色だ。


 何処を見ているのか分からない虚ろな瞳は蒼。深い水の底のような、それでいて澄んだ蒼色をしている。


(外国人の子供か?)


 見た感じ、この赤ん坊の身分を証明するようなものは何もない。

 本当に捨てられているのだろうか。だけどこの一連の立ち回りを終えても尚、こいつの保護者らしき人物は現れていない。

 というか、人そのものがいねぇ。


(捨てるのにもこう、なんというか…せめて最低限の産着とか、なんか色々あってもいいもんじゃね?)


 そう思うほどに、この赤子はほぼ裸同然で放置されている。


 一応オムツらしき布切れが乱暴に下半身に巻き付けられているが、チラっと中をみたら何も無かったから女の子で確定なんだが、それにしても酷い扱いである。


「お前、ちゃんと飯食わせてもらってんのか?」


 あの尋常でない泣き声は、母親のミルクを欲するものだったのではと思ったのだ。

 赤ん坊の生態なんて知らないから、この折れそうな腕や足が正常に発育してるのかさえ分からない。

 腹の真ん中でビロンと出っ張っているのは(へそ)なんだろうけど…。


「どう見てもお前、生まれたばっかの姿してんよな…」


 見知らぬ場所で目覚め、訳も分からず変な生き物と戦い、更には生まれたばかりの乳飲み子を拾う夢なんて、早々見られるものじゃない。

 でも夢にしては、俺は何も()()()()()()、なのである。


 この赤ん坊のように超能力を使えるわけでもなく。わたあめ一匹に枝キレで応戦するだけで精一杯。




 その時であった。


 折れた木々の奥の草むらが、ガサガサと音を立てたのだ。


「!」


 またあのぬいぐるみが現れたのか。

 俺は立ち上がり、んぐんぐとおしゃぶりに夢中な赤ん坊を背に、物がパンパンに詰まったリュックを前に掲げて身構える。


 武器は無いが、最悪またこの赤子を泣かせて、超能力で切り抜けよう。

 そう思ってじっと草むらを睨みつけていたのだが。


「あ、いたいた!」


 草むらの影から、ひょっこりピンク色が現れた。


 突然の鮮やかな色に、俺は目を顰める。


「おおーい、ここにいたよ!シッターと合流してる!!」


「?」


 両サイドをツインテールにした、高校生ぐらいの女の子だ。

 愛嬌のある笑顔で後ろを振り返り、手を振っている。


 誰かを呼んでいるようだ。


 ガサガサ、ガサガサ


 するとまた少女が二人、草の中から顔がひょこんひょこんと飛び出た。


「ああ、良かったですぅ。鳥さんに攫われちゃって、一時はどうなる事かと…」


「窓を開けっぱなしにするから。でも、ちゃんとシッターさんが見つけてくれたみたいで良かった」


 どちらも良く似た顔立ちをしている。

 一人は淡い紫色の髪で、三つ編みを肩から流している。もう一人は濃い紫色。こっちは幾分か体格は良くてポニーテールだ。


「しったー…?」


 何を言っているのか。

 しかしその台詞は、赤子の知り合いである事を示していた。

 ああ、よかった。この子は捨て子じゃなかったんだ。鳥に、攫われただけで…って、もうそっから変すぎるけど。


 それよりなにより、この見知らぬ少女達は、この俺の事も知っている口調なのだ。

 初対面の三十路に足を突っ込むオッサンが、無防備な赤ん坊の側にいてもちっとも警戒していない。むしろホッとした表情である。


 三人が三人、ニコニコしながら草を乗り越え、俺に近づいてきた。


「ま、外部(そと)の人間に頼むってのも腑に落ちないしまだ納得してないけど、無事到着できたようで良かったわ」


「それに流石ですね、出会ったばかりだというのに、もうこのお方の泣き止ませ方を心得ていらっしゃる」


「は?」


 違う意味でピシリと固まる俺を余所に、濃い紫髪の少女が俺に手を差し出した。


「ようこそ、我がイシス神殿へ。歓迎しますよ、聖女の子守り(ベビーシッター)殿?」


「は?」


 不気味なくらい笑顔を張り付かせてくる三人の少女たちと。

 んぐんぐやってる間に落ち着いたのか眠ってしまった赤ん坊。


 そして、何も知らない俺!


「夢―――じゃねえの、か」


 そうして抓った頬は、やっぱり痛くなかった。


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