21. ミルクを作ってみよう ④
ミルク編終了です。
それから長い時間を掛けて散々吟味したオッサンが最終的に提示してきた物は、想定以上の素晴らしい効果を生む事が出来た。
ガレットはこんなクソ田舎に心底閉口している。今すぐにでも煌びやかな都会に行きたいが、都会は都会で金がかかる。
老後までこの地で踏ん張っているのは、ここには安定した職があり、尚且つ多少の贅沢ができ、老後の資金を潤沢に増やす事ができるからだ。
村の生活を担っていると尤もな事を言ったのは、ただの虚栄心だ。
本当は村人など二の次で、自分さえ幸せならばいいと考えているはずである。
前の職場で多くの老人と接してきた俺には分かる。
全部が全部こんな奴しかいないとは言わないが、少なくとも一定数はいるのだ。
残り少ない人生を、長く苦労してきたのだから最期はパアっ!と暮らしたいと願う人がな。
「では、これを頂戴したい」
価値とは、需要と供給、それから稀少性で決まる。
俺の世界の物など前例がないから値段の付けようがない。幾らでも安くできるし、高く吹っかけるのも有りだ。完全にこっちの独断場である。
手持ち無沙汰になったフアナがオッサン家の戸棚をゴソゴソして紅茶を淹れてくれて、俺は交渉の台に着いた。
リアのミルクの時間があるから余り長居は出来ないが、少しでも赤ん坊を忘れられるこの交渉の席は、俺にとっても気分転換になったのは有難かった。
ガレットが選んだ物は二品。
最初に見せた一円玉硬貨と、アニメ絵の主張が激しいクレジットカードだった。
一円玉もカードも、その材質を気に入っての事である。
アルミとプラスチックはこの世界に存在せず、特にクレカに標準装備してあるICチップと磁気テープは、現代文明の最たるものだろう。
またアニメ文化は言わずもがなである。俺の世界には多くのアニメがあるが、日本ほど多様な「萌え」を追求している国はない。
「私は妻を持つのは非合理だと思っていましてね。食い扶持は増えるわ、妊娠すると一年は働けないわ、ヒステリーや我儘に付き合わされるわで、凝りてしまったんですよ。結婚歴は2度ほどありますが、余生は独身を貫くつもりでいたんです」
訊いてもいないのに、ガレットは興奮気味に語る。
「もう女性に興味はないと思っていたのです。ですが、この愛らしい少女はなんなのでしょう!こう、何と言いますか、ビビビっと雷が脳天に突き刺さるような感覚が…!!」
「うわ…ガレットさん、気持ち悪い…」
「二次元に恋した瞬間だな。貴重なものが見れたぞ、フアナ。萌えに年齢は無粋、人はいつでも推しに恋をしていいのだよ。ふふふ、我が国のアニメ萌え文化を舐めるでないわ!」
「あに?も、え?」
「いや、なんでもない…」
ガレットが食いついたクレジットカードは、カード会社に勤める大学時代の友人のノルマに貢献した時に作ったものだ。好きな種類を選べと言われ、当時オタク界隈で一世を風靡したロリ幼女の日常系アニメと連携していたそれを選んだ。
ロリロリしていながらも作品自体は素朴で、時たま痛烈な社会風刺もしてくるから面白いと話題になっていたんだっけか。
そのカードを選んだのは、アニメ云々よりも転売目的だった。カード会員だけの特別グッズが定期的に届いて、それがオークションで高く売れていたのだ。
「印刷技術も素晴らしい!!《王都》にはこんなものが流行って…!?」
「いや、その道の、ごく一部でしか入手できないものだ。こっそり活動しているからな、王政府の非公認団体だから、本来は表に出ないもんなんだよ。だから間違っても《王都》でそんなものをひけらかしたりすんなよ、そんな事やらかしたら、もう二度と活動出来なくなるからな」
下手に突っ込まれないように、噓八百並び立てる。
「んで?この稀少な二点と引き換えに、あんたは何してくれるんだ?」
どうせ異世界でクレジットカードは使えない。元の世界に戻れば再発行してもらえばいいだけなので、クレカを失う事も痛手ではない。
「あんたの受けた感銘とやらの価値が知りたいんだけど?」
「少しここで待っていなさい。私は話が分からない凡愚ではないのですよ」
カードを大事そうに額縁に入れ、よく分からない捨て台詞を残して、いそいそと出て行ったガレットが暫くして持ってきたものに、俺とフアナは開いた口が塞がらなかった。
それはなんと、生きたヤギだったのである。
「めえめえ」
「めえめえ」
しかも二頭も!!
「ガレットさん…?これは、なに」
ガレットの装飾だらけの家の前、鎖に繋がれた二頭のヤギが草を食んでいる。一頭はまるまる太って、もう一頭はそれより少し小さい。
「見ての通り、ヤギです。貴公らは乳搾りは出来ますか?」
ビシっと糊が効いた燕尾服が汚れるのも構わずに膝を土に付け、慣れた手つきでヤギの乳を絞り出す。
バケツにシュゴー!と勢いよく噴射する乳は生暖かく、獣の匂いがする。
「へ?え?あんなちっこい丸い彫刻と、変な絵柄の板っきれで、ヤギが二頭も貰えるの!?」
嘘でしょと可愛らしく鼻を膨らますフアナを余所に、ガレットは涼しい顔である。
「毎日取りに来られるのは面倒でしょう。牛よりも量は出しませんが、品質は私のお墨付きですよ」
「え?ホントにいいの?」
「フアナ、有難く貰っとこうぜ。これがあの萌えっ子への愛の証だ」
クレカ会員だけに送られる特製PVをダウンロードしておいてよかった。この子が歌って踊るだけのチャチなアニメだが、ガレットにはカルチャーショック過ぎた。それを取引のオマケとして見せたらこれだもんな。興奮具合というより、俺らへの尽くし具合が半端ない。
「……なんかこう言っちゃなんだけど、普通に気持ち悪い」
「俺の世界…というより、俺の国じゃ違和感ないんだがな。特に夏と冬のある数日だけはこんなんしかいなくなる日もあるし」
「あんたの世界、変」
「いやいや!この世界でも俺らの文化が通じた事に感動すべきだと思ったぜ」
新鮮なミルクが手に入るのなら、牛でもヤギでも羊でも構わない。
ヤギは家畜の中でも飼い易く、頭が良いのである程度のしつけもできるし、飼い主になつくのもいい。牛のように大量に食う訳でもなく、神殿の裏に放牧して、餌はアホのように生えている雑草を食わせればいい。
草むしりの手間も省けるうえに、餌代も殆ど掛からない。飲み水は湖から引いた大量の水があるし、放牧する広さにも困らない。
良い事尽くめではないか。
「やったな!」
「え、ええ…なんなの、これ…」
万事巧く行き過ぎて、フアナは若干引き気味である。
「これで牛乳問題はクリアだな!牛じゃねえけど。いいとこを紹介してくれてあんがとな」
ガレットは使える。これから先、何が起こるか分からないのだ。村の有力者とコネを作っておくのは非常に有益に働くに違いない。まだまだガレットに見せてないPVもあるし、ちょっとだけならイラストも描けるから、すけべな萌えっ子を進呈してくれてやってもいいな。
もっと偏屈で交渉の余地が無ければ危うかった。珍品に興味を抱かず、堅実で現実主義者だとしても無理だったろう。
ここまで神殿の力が及ばないとは思っていなかったからな。聖女の名を出せば、すんなり事が済むとばかり思っていた俺が間違っていた。
次に向かった先でも、ガレットと同じ事が起きたからである。
一旦牧場にヤギを預けて、俺達はまた長い階段を降りた。
降りた先はぼうぼうに生えた草と、乾拭き屋根の簡素な民家が点々としているだけの、寂しさ漂う田舎村だった。
手作りミルクは乳と砂糖を必要とする。神殿のストックは僅かしかなく、調味料ならともかくリアに回す余裕がないというので、村の作物でもあるサトウキビを融通してもらおうと、ある農家を訪れたのだ。
気のいいおばさんだからと紹介され、訪問の意図を告げた時のババァの顔は忘れられない。
気のいい奴があんなやべえ顔するか?ってくらい、滅茶苦茶迷惑そうに顔を歪ませて、俺らをホウキでシッシと追い出そうとしたのである。ガレットの時より露骨な反応で、驚きよりも虚しくなってしまった。
聞けばこのおばさんの所からは無償で砂糖を譲って貰っていたようで、神殿は厚かましくもサトウキビの加工品をせしめていた。
そりゃ迷惑がられるのも当然である。
「おいおいフアナさんよ、どうなってんだこりゃ」
世界に一宗派しかなく、崇める神の総本山であり、その遣いを擁しているのにこの扱いだ。
「権威ゼロじゃねえか。普通ファンタジーっつのは、教会がアホみたいに権力持ってんじゃないのかよ」
「ま、まあ…そんだけ人が救われてないというか…魔族を優遇する神様だって揶揄られてるし…劣勢に長く居過ぎた影響よね、ごめん」
突如異世界に飛ばされ、美少女と出会い、絶対防御の無敵の力を得て、とんとん拍子に住む場所まで決まった。
神を祀る神殿という強力な後ろ盾が出来た俺は、一からのし上がる事もなく、ある意味チート能力を得たようなもんだと思った。これぞ異世界の醍醐味だとタカをくくっていた部分もあるだろう。
《王都》の連絡を待ちつつ、リアを育てる代わりの奴が来て、何となくまた元の世界に帰れるんだと漠然と考えていた。
だが俺の考えはクソ甘かったようだ。
あの不味い葉っぱを食わされた時点で期待を捨てるべきだったのだ。
シチュエーションは完璧だが、背景が最悪だ。ヒロインが美人でも、ハードモードでは異世界を満喫する事すらできない。
「ガッカリだ…」
済まなそうに項垂れるフアナには悪いが、異世界なんて来るところじゃない。
面白いのはゲームや漫画の世界だけなのだと思い知った村人達との皆合の一日だった。
三時間なんて刻は瞬く間に過ぎる。大幅に遅れて帰った俺とフアナは、腹を空かせたリアの泣き叫ぶ声に出迎えられた。
けたたましい喚き声は力強く、リアの体力は最初の頃より随分回復している。まだあの傍迷惑な魔法を発動するに至ってないから全快とは言い難いが、少しは安心である。
ヤギ二匹と、カゴ満杯に背負ったサトウキビの束をまんまるに見開いた目で固まる神殿の連中に預け、俺は痛む腰を庇いつつ、リアのミルクを作りに厨房へ。
説明はフアナに任せた。正直口を利くのも億劫なほど、俺は疲れ果てていた。
あの後、結局欲しい物は手に入れたが、その代金として思う存分畑仕事をやったからだ。
サトウキビのおばさんは、俺の持ち物に何の反応も見せなかった。すぐに金になるものならまだしも、足しにもならない異世界の硬貨など、興味がなければただのゴミである。
おばさんは畑を所有しているが、人手不足でいつも作物を枯らしてしまうのが偲びないと悩みを吐露してくれた。
前任から受け継いだ畑は広大で、おばさんだけではどうしようもなかった。昔は働き手が居たそうなのだが、牧場の方が儲かると全員辞めてしまった。彼女の夫ですら牧場に鞍替えして当てにはならないと声が震えていた。
神殿はそんな彼女から布施として加工した砂糖を徴収していた。たった一人で何もかもやるには大きすぎる畑を持て余し、必要な分だけを採って加工して、やっとできた砂糖を全部取られてしまう。
だからおばさんは嫌な顔をしたのである。
この状況で平然と徴収量を増やした俺らに対して、殴ってやりたい心地だったとな。
なのでついつい申し出てしまったのだ。
俺が畑仕事を手伝ってやるから、泣くのをやめてくれって。
俺は働いた。
一生懸命、働いた。
慣れない畑仕事、腰を屈めてサトウキビの硬い茎をとにかく切る切る切る。
元の身体ならばいざ知らず、このユミルは貧弱で筋肉も殆ど無いから参ってしまった。余計に疲れを感じるのも、体力皆無なユミルの所為だ。
当然フアナも手伝ってくれた。俺の独断で手伝いを申し出たから、何か文句が飛んでくるかと身構えたが、何故か素直に言う事を聞いている。俺が収穫したサトウキビをまとめて束にしてくれていた。
それから村中を回って、サトウキビを売りに出た。
俺の前職は営業である。飛び込み営業なんて当たり前すぎて、今更どうってことはない。
家のリフォームを提供するよりも、絶対に必要な砂糖の原料を売る方が簡単だ。
おばさんの砂糖は需要が高く、思った以上によく売れた。だったら村人が協力して収穫すりゃあいいのに、皆仕事があって他を手伝う余裕がないのだという。
顔を売るついでに周りに回って、俺の覚えもおばさんの懐も少々潤ったところでお開きとなった。
お礼にたっぷりのサトウキビと、好きな時に収穫していい許可まで頂戴して。
神殿を迷惑がる村の人々は悪くない。そして神殿に住むフアナらも悪くないと思う。
全てはこの世界が貧しいからいけないのであって、得手不得手も事情もお構いなしに職業を決める政府も駄目だし、そもそもこんな仕組みを作った女神が一番悪いのだ。
女神がもっとまともな世界を創ってりゃ、人間と魔族は富を争う必要はないし、リアも下界に降りてくる事はなく、赤ん坊になる事もなかった。
そんで勇者とやらはその存在も要らなくて、リアが魔王を倒す為にやべえ魔法を使って、その影響で俺が異世界くんだりまでしないで済んだのだから。
「なんかもっと、いいやり方があるような気がすんだけどな…、お前もそう思わないか?」
しゅごしゅごと哺乳瓶にむしゃぶりつくリアに話しかけても当然返事が返ってくることはなく、俺は腑に落ちないもどかしさを胸に感じながら、この異世界への不信感を強めていくのである。
【今日の俺の子育て理論!!】
今日は緊急用のミルク代用品の作り方を伝授しよう。
まずは「コンデンスミルク(練乳)を作るぞ!
<材料>
・牛乳(作りたいだけ)
・砂糖(牛乳の1/5)
これを鍋に入れ、まずは沸騰。それから弱火で30分くらい煮詰めて煮詰めて煮詰めるぞ。
あとは冷めれば出来上がりだ。出来上がりは最初の牛乳の半分の量になるから気を付けてな!
かき氷の上にかけても、いちごにかけても美味いぞ!
次に「ミルク代用品」を作るぞ!
<材料>
・コンデンスミルク 10g
・お湯 100g
1:9の割合と覚えておけばいいぞ!
あとはこれを人肌に冷ませば、ミルク代用品の出来上がりだ!!
赤ん坊はミネラルも必要だぞ。スポーツ飲料があれば、2/3に薄めればOK。
無ければそれも代用品で作れるから覚えておくとイイゾ!
<材料>
・お湯 1ℓ
・砂糖 4.5g
・食塩 1.5g
ミルクが無い時、どうしようもない時は一日ぐらい大丈夫だから、コレで乗り切って頑張ってくれよな!
次の日からちゃんとした奴を食わせりゃいいんだからよ。
奮闘を、祈る。
次回更新は、来週になります。
ありがとうございました。





