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20. ミルクを作ってみよう ③

 

「心当たりがある」と連れて行かれた先は、山の裾の野原を利用した、縦に長い牧場だった。


 山頂の神殿から伸びた何処までも続く長い石階段を、まだ降り切っていない山の中腹部分にそれはあった。

 ここまで降りるだけでも優に10分は掛かったのに、地面は遥か下の彼方である。

 どんだけ高い山なのだ。この山道をバズは毎日村から通っているらしいのだから恐れ入る。


「降りたらすぐ村だけどね」


 落下防止用の柵の周りに生える雑草目当てに、十数匹のヤギがメエメエと鳴いている。

 奥の方は牛か、マダラ模様の動物がたくさん見える。


「ここは凄いのよ。牧場は山をぐるっと一周してね、色んな動物がいるの。村の貴重な収入源だから、ここで働いている人も多いんだから」


「人っ子一人見えやしねぇけど」


「当たり前でしょ。牧場に人を放牧してどうすんの。働いている人は家畜舎の掃除とか餌作りとか、見えない所で働いてんのよ」


 牧場への侵入者が急に現れたにも拘らず、様々な動物たちはのんびり草をハムハムしている。

 俺は更に歩かされ、素朴な牧場とは裏腹に、やけにでかくて派手な屋敷の前に連れて行かれた。


 見た目は丸太のロッジだが、至る所に金銀に光る装飾品が付いている。あからさまな輝きは田舎には無粋の代物で、そこに住む主人の顕示欲を垣間見た気がした。

 その屋敷を取り囲むように、大量の樽が犇めき合っている。フアナが言うには、全て《王都》へ輸入する畜産物なのだそうだ。


「《王都》には行って帰るだけでも2週間は掛かるから頻繁じゃないけどね。搬入日は村総出で大忙しになるの」


 多くて3か月に一回、村の男全員を荷物持ちにして《王都》へ行商に行く。村が生きるか死ぬかは、この行商に掛かっていると言っても過言ではないそうだ。

 そして村には女子供だけが残され、長旅に行く夫の帰りを待つ。その期間、治安に不安が無いようにと、戦える力を持つ聖女の巫女らが村の巡回に当たる。

 だから村人たちは巫女を含め、神殿を頼りにしているのだとか。

 用心棒や村の手伝いを請け負う代わりに、日々の生活の面倒を見て貰っているという寸法なんだろう。


「でも()()はそうじゃないんだよね~」


 フアナは笑っている。

 眉尻を下げながら、であるが。


「どういう事だ?」


「この牧場は村のお金そのものよ。村の働き口でもあり、収入源でもあるからね。だからここのご主人はお金にとってもシビアなの。私達でさえ、お金じゃないと取引してくれない。便宜は図って貰ってんだけどね」


「難癖付けてくるとか?」


「ただ、お金に執着してんのよ。一代だけの牧場主だとしても、お金があればあるほど老後はいい暮らしができるもの」


「あ、そっか…この世界じゃ、職業は決められてんだっけか」


 アゼルに於いて、王族以外に世襲制は認められていない。貴族であろうと、どれだけ財を成そうと一代限りなのが面白い。

 それぞれ適性に合わせた職を勝手に定め、後は放置する無責任な王政府だが、途中で好き勝手に転職するのは自由だし、どう金を稼いで使おうとも関知しない。一貫して自己責任を王民に遂して、それで国が成り立ってんのは凄いと思う。


 子どもや子孫なんてものはないから残す財産は必要なく、自分の老後の事だけを考えて民は生きている。人の心配をしないでいい分、ある意味ラクな生き方だろう。


「手前手前で勝手に生きる世界、か…」


「そうよ。あたし達はこれが当たり前だから、今更どうとも思わないけどね。じゃあ、行きましょ」


 妙にゴテゴテした牧場らしからぬ堅固な扉を開け、俺とフアナは牧場主の屋敷へ足を踏み入れる。


 話を聴く限り、相当な守銭奴みたいだから足元を掬われないようにしないとな。


 そう意気込んで、主人と対面に臨むのである。





「成程…聖女様をお育てするのに、貴重な生乳を寄越せと、そう仰るわけですか」


 いちいち嫌味垂らしく、実に感の障る物言いをするこの男は、思った以上に頭のいい奴だった。

 1から10まで全部説明せずとも、概要だけ聴いて全てを把握してくれたからである。

 交渉事は簡潔に素早く、そして正確にがセオリーだ。


「聖女様はこの世界の救世主。今は力無き赤子とは云え、力を取り戻せればいずれ魔王を滅ぼしてくれるでしょう。ですから今、助けが必要なのです」


 第一印象は()()()()()()()―――といったところか。

 このクソド田舎の、家畜のクソに塗れた牧場で、どうしてそんな恰好をする必要があるんだと小一時間くらい問いたい所ではあったが、それくらいこいつの出で立ちは変だった。


 頭には今にも鳩が出てきそうなシルクハット。上下はフォーマルな燕尾服で、ご丁寧に白い手袋と赤い蝶ネクタイまで付けてやがる。

 片渕眼鏡の中は細く、しかしぶってりと太った身体はまるで肉まんだ。

 それでいて靴は泥に汚れた長靴ってなもんだから、一体何の冗談かと思ったくらいだよ。


 俺が不躾な視線を隠そうともしないから、その燕尾の豚まんはスマートにハンカチーフを取り出して額をふきふきしながら、勿体ぶった丁寧な口調でこう説明してくれた。


 長靴だと牧場仕事が捗る、とな。


「皆まで言わずとも、重々承知しておりますよ。女神様を奉り、聖女様を擁するからこそ、タダ同然で施しをしているではありませんか」


 年の功は50代前後か。ふくよかな身体に細い目、髭を携えたその姿はマンガに出てくる典型的な金持ちのオッサンで、名をガレットと言った。


 昼食後のティータイムを愉しんでいたのか、突然の訪問を快く受け入れてくれたのだが、決してテーブルまでは許してくれない。椅子すらも勧めてくれないので、俺達は立ちっぱなしである。

 彼からしてみれば、俺達は交渉の席にも立たせてもらえず、更にいえば客人でもないという事だ。


「何も協力しないとは言っていませんよ?」


 ズズと飲み干した紅茶を自分で継ぎ足す。

 金持ちなのに使用人の類いが見当たらない。華美な装飾の目立つ室内ではあるものの、綺麗に片付いているし、太ったガレットがちょこまか動くのも差支えがないような広さが取られてある。

 どうやら自分で何もかもしているようだった。


「2日おきに一瓶の牛乳、5日おきにチーズとバター、7日おきに干し肉を分けて差し上げていますよ。たったあれだけの硬貨で、チーズ一切れしか買えないあれっぽっちで、神殿の皆様方の為に私が身銭を切ってご協力差し上げているのに、まだ寄越せと?」


「うぐ…」


 フアナの提示した条件は、「もう一枚硬貨を上乗せするから、毎日二瓶の生乳を融通して欲しい」―――である。

 一枚の銀の硬貨にどれほどの価値があるかは知らないが、ガレットの反応を見る限り、随分と無茶な事を言っているのはこっちの方だったみたいだ。


 俺の国で置き換えてみれば、宗教団体への布施を強要しているようなものだ。熱心な信者ならばいざ知らず、普通は嫌なもんだろう。

 しかしこの世界の宗教は、創造の女神イシュタリアを信仰するイシュタル教のみであり、この世に生まれたと同時に洗礼を受け、誰一人例外なく信者となるとパルミラさんが世間話ついでに教えてくれた。

 己の信じる神を祀る――しかも女神から遣わされた聖女がいて、信仰の大元がめちゃくちゃ困っているのであれば、多少なりとも相応の援けをするものだと思っていたのだが。


 二つ返事で生乳を分けてくれるはずと、フアナもそう思っていたんだろう。

 しかしガレットのあまりに冷めた口調に負けん気が殺がれて黙り込んでしまった。


「私はねぇ、合理的なんですよ。女神様、大いに結構!…だからといって、私に直接利はないでしょう?」


 そして俺の方をチラ見して、


「そちらさんが《王都》からわざわざやって来たくせに何も手を講じてこなかった事と、私がその不手際をカバーする理由はありませんよねぇ?」


 皆まで言わずとも、ガレットは俺達の状況をよく知っている。

 流石に異世界召喚の云々は黙っているが、ここは狭い村だ。勇者が逃げて魔王討伐が失敗した上に聖女が赤ん坊となり、《王都》から遥々シッターがやってきて面倒を見る話は、既に村中に伝わっている。


「不手際って、あのなぁ!」


 カチンときた。

 売り言葉に買い言葉、ついつい相手の挑発に乗ってしまう。

 ガレットからしてみれば、フアナも(ユミル)も青臭い10代の若造で、交渉のテーブルに着く事すら烏滸がましいと思っているのかもしれない。


「その通りでしょう?王政府からの正式な協力要請もありませんしね。貴方は特別なエリート様なのでしょうが、この村ではただの新参者です。王の名をかざせば全て思い通りになるのは大間違いだと言っているのですよ」


 ガレットは食べかけのクッキーを皿に置いた。

 丁寧に口周りを拭いて、食卓から立ち上がる。


「それともあれですか。きちんと正規のお値段を支払っていただけると、そういう事でしたら前向きに対処させて頂きますが?」


 呆然と立ち尽くす俺とフアナの前を通り、ガチャリと入り口のドアを開けた。

 金も払えない貧乏人は帰れという事なのだろう。


「…悔しいけど、お布施で生活してるあたし達には何も言い返せないわ。コウハ、また別の方法を考えましょう」


「は?帰んのかよ。リアはミルクがないと死んじまうんだぞ」


「しょうがないじゃない。無い袖は振れないもん」


 あの気の強いフアナが大人しくショボくれ、巫女服の袖を文字通りパタパタさせて溜息を吐く。


「いや、心当たりがあるっちゅーから黙って聞いてたけどよ、まさかタダ同然でおねだりとはちょっと図々しいんじゃないか?」


「だってお金ないもん。お布施もここんとこパッとしないし、アンタとかいう食い扶持も増えたし、カツカツだからしょーがないじゃん」


「いやいやいやいや、そりゃオッサンが無下に断んのも当たり前だろうが」


「……あんた、一体誰の味方なのよ」


「味方もクソもあるかよ。困ってんのは事実だけどよ、あんまりにも横暴な考えなんじゃねえか?」


「…ほう?」


 俺の言葉にフアナはきょとんとし、ガレットは興味深そうに声を漏らす。


 リアのミルク作りに不可欠な生乳をこのオッサンが持っているのは分かった。カチンとはきたけどな。

 ガレットは嫌味垂らしいが、間違った事は言っていない。あの言い分だと、今まで神殿に無茶振りされて、色々と理不尽に搾取されていた可能性もある。

 布施の強要はなくとも、圧力はあっただろう。

 聖女を擁し、王政府をバックに付けた神殿は、畏怖感はなくとも発言力は少なからずあっただろう。


 彼が金に執着しているのも、ここが村の貴重な収入源だからに違いない。

 鬱陶しいこぶのように神殿が近くにあって、自分は元より神殿の連中の生活まで面倒見なけりゃならない。

 だから金に執着するのだ。生活の為に。

 このオッサンが着飾ってんのはただの趣味なんだろう。土に塗れた長靴がその働きっぷりを物語っている。使用人を雇わず自分で何もかもこなすのは、それだけ無駄金を使う訳にはいかないからだ。


 なんだこのオッサン、見かけによらず凄い奴じゃないか。


「ただの民草にお味方する上級国民がいるとは思いもしませんでしたよ」


「味方もクソもねえっつったろ?俺はどっちにもつく気はねぇよ」


「ちょ、コウハ!」


 取引には対価が必要である。それに見合った対価が。

 人の好意を当たり前のように享受する宗教団体はあまり信用がならない。俺が元々無宗教だってのもあるが、フアナの態度を見る限り、その厚意に恐縮している割には妙に上から目線というか、ガレットが俺らを門前払いする気持ちは重々理解できたのだ。


 女神を、そして王の名前を笠に着て、それを信仰心による厚意と胡坐を掻いていたツケが今回っているのだと思った。


 でもそれはそれ、これはこれだ。

 俺は何としてもこのオッサンから定期的な生乳を確保しなければならないのだ。

 俺にはこの世界の通貨は持っていない。取引の材料は、何も金だけではないはずだ。


 ならば手段は一つしかない。


「なあ、オッサン。俺は聖女のベビーシッターだが、女神信仰者じゃない」


「…なんと、それはあまり宜しくない発言ですが…」


「まあ、それはいいんだけどよ、俺と取引しねぇか?…残念ながらカネじゃないんだけど」


 良くある話ではないか。

 異世界からやってきた奴が、その世界の高度な文明によって生み出された利器で稀少性を煽り、金品以上の価値あるモノを手に入れる話が。

 例に漏れず俺も異世界人、そしてこのアゼルは発展途上の貧しい世界だ。運が良い事に、異世界に召喚されたのは俺だけじゃなく、その時持っていた荷物も一緒に飛ばされてきた。


 俺は財布を取り出し、クッキーのカスがたくさん残るテーブルの上にバシンと乗せた。


「…それは?」


 やったぞ、食いついた!

 過度な調度品で埋め尽くされ、自らも派手な恰好を好むヤツだ。絶対に珍しいものに目がないと思った通りである。


 ガレットは大きな身体を揺すりながら、フアナには目もくれずまたテーブルに戻ってきた。

 俺の使い古した牛革の財布を凝視し、ニヤリと笑う。


「俺は厚顔無恥な神殿とは無関係だ。だけどリアを飢え死にさせるつもりはない。俺にも色々と事情があってな」


 はっきり言って、この世界の文明レベルはかなり未発達だ。電気もガスも水道もなく、機械すらも見当たらない。その代わりに魔法という未知なる力が存在するけれど、文明レベルを向上させる力ではないらしい。


「コウハ、いいの!?」


「良いも悪いも、金が無いなら金になるような物と物々交換するしかねぇだろ?」


 俺の国の硬貨と紙幣は、高い技術で作られている超一級品だ。細かい彫刻と透かし技術は他国を凌ぐし、芸術性も高い。

 この男は打算的で顕示欲の強い男だ。そう思ったからこそ、この世界にただ一つしかない珍しい逸品に食いつくように仕向けたのだ。


 財布に残っている硬貨を一枚一枚テーブルの上に並べていく。

 1円、5円、10円、50円、100円に500円。紙幣は千円札を一枚置いた。

 ガレットは太った身体からは想像も出来ない素早さでテーブルに戻って来て、俺とフアナの椅子を用意してくれる。

 やっと客人扱いされた、というよりは、聴く耳を持ってくれたと言った方が正しい。


「それ、なに?」


 食い入るように硬貨を見つめるガレットの真横で、フアナも同じような恰好だ。


「おか――」


「ん?」


「いや、特別な加工技術を施した彫刻品だよ」


「ほう!こんなに小さいのに、なんて精巧なんだ!!」


 思わず「金」と言いそうになって思い留まる。

 仮にも俺の姿はユミルで、村の連中は俺が異世界人とは知らない。まだ状況が見えていない今、明け透けなく正体を明かす必要もあるまい。何が起こるか分からないし、神殿の人たちもリアがいたから異世界を信じたワケで、普通の人間が全て理解してくれて協力的とは限らないからだ。


「へえ…そっちはやっぱり凄いのねぇ」


「《王都》ではこんなものが手に入るのですか…やはり老後は《王都》に居を…」


「ま、都会でも手に入らないもんだろうな。これと交換といこうじゃないか」


 意外にもガレットが最も興味を示したのは一円玉だった。

 1円は1円の価値しかなく、道に落ちていてもスルーする。財布にあればあるほど邪魔なものだが、1円を笑うものは1円に泣く事も知っているので邪険にはできない。俺にとっての一円とはそんなものだ。


「この材質は何でしょうねぇ…こちらの銅の彫刻も素晴らしいですし、穴が空いているのにちっとも崩れていない銀も捨てがたい」


 アルミは加工素材だ。鉱石から数多の工程を経て、ようやくアルミニウム素材が出来上がる。それから色々な物に更に加工されて、製品として出荷されるのだ。

 この世界にアルミを生成する加工技術はないはずだ。

 リアを生かす為の相互取引が一円とは安すぎる買い物である。


「やったな、フアナ。先行きは明るいぞ」


 ガレットはもう俺達の方を見ていない。

 必死扱いて、俺の財布の中身を探っているのだ。


「……しょぼん」


「ま、守銭奴にゃ希少品だと相場が決まってんだよ、特にこんな状況だとな。それにしても漫画みてぇに簡単にいっちまって、俺すら驚いているよ…」


 流石、異世界である。


毎週月曜日に投稿予定です。

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