13. 究極魔法を発動したのにコレかよ
「あはははは!見て、リア様の顔っ!すっごい事になってる」
急にフアナが笑いだした。
今、すげーシリアスな話をしていた筈なんだが、その重苦しい雰囲気は明るい笑い声によってぶち壊された。
何事と思い彼女の視線の先を辿ると、俺にゲップをさせられる為に変な恰好で持ち上げられたリアにぶつかる。
「ぷ!本当です!皺が…皺が凄いです!」
どっかの遠慮ないオバハンみたいに俺の背をバンバンと叩きながら、エリザが釣られて笑った。
「痛い痛い痛いって!」
「はわ~…まるでお猿さんだね。あはは、これがあのリア様だなんて、面白すぎるや!」
エミールもそしてパルメラやオッサン連中も大笑いだ。
俺も腕をひっくり返してリアを見る。
俺の掌の上で死んだ蛙のようにぐてっと身体を投げ出して、ゲップをさせるのに軽く背を叩かれるとビクンと顔を反射的に上げるのだ。
その顔が、赤ん坊特有のシワシワの顔が更に歪み、額に深い皺を何本も作って垂れ下がり、開いてんのか閉じてんのか良く分からない細い目だけが飛び出して見えて、滑稽というよりもめちゃくちゃ不気味だった。
「おいおい…仮にもあんたらのご主人様じゃねえのかよ」
俺はそもそもこいつらを知らないから内輪ネタで笑っている理由についていけない。
それに一体何が爆笑するほど可笑しいのかも分からない。一人蚊帳の外で、ぽかんとするのみだ。
っつか、前から思っていたが、こいつらのリアに対する態度はひでえ。
話を聞く限り、リアは人間の救世主的な存在である。にも拘らず不幸にも望まずこんな姿になった訳でもあるまいし、それ以前にも人としての対応がなっちゃいない。
「いい加減、話進めてくれないか」
「ごめん…我慢できなくて」
苛々が募る。
ずっと我慢してきたモヤモヤ感が、徐々に怒りを伴ってくる。
こいつらの人を小馬鹿にするような態度と口調が、何も見えてこないこの真っ暗な現状と重なってやけに癪に障るのだ。
「噂だとね、せっかく見出した勇者が敵前逃亡したらしいのよね」
笑ってしまうからと、大袈裟に顔を逸らしてフアナは言う。
しかしなかなかゲップが出ないのも不安になる。やり方がまずかったのか。
「逃亡?」
急に話が元に戻って混乱する。
ええと確か、勇者と一緒に魔族側に戦争を仕掛けたが、どっちも戦いに不慣れでなあなあになった――んだっけか。
「王はこれまで多大な援助を勇者様ご一行に惜しみなく行ったのよ。恩恵を取り戻す為だと、それを国民にも強いたの」
勇者は遠慮なく援助を受け入れたという。
身勝手で我儘、自分本位で他力本願。思う存分に贅沢を享受し、その仲間達もそうだった。
本当にどうしようもない奴だったのだ。
それでも使命を果たしてくれるのならと、人々は快く勇者らをもてなしたのだそうだ。
「リア様は必死で勇者達を奮い立たせ、ついに一週間前、魔王との最終決戦だと連絡が届いたんですよ」
伝書鳩はこの世界のポピュラーな連絡手段なのだそうだ。
それからひと時の後、遠き魔族の地では暗黒の雲が渦巻き、雷柱がいくつも迸った。
不安定な天候は世界アゼルのマナを淀ませ、それはまさに天変地異の前触れを予感させた。
怯える国民に王は言った。
これは勇者がついに魔王を倒す瞬間の、マナの流れが変わる時の前兆。恐れる必要はない。むしろ喜ぶべき現象であると。
そして、一際大きな雷が、轟いた。
「でも、なぁんにも変わらなかったんですよねぇ…」
「てっきり魔王が倒されて、マナは人間側に移ったと思ったのに。
聖女はその刹那に、もう一羽の鳩を飛ばしていた。
最後の伝書鳩である。
「鳩が王様の元に届く頃、ようやく厚い雲の隙間から太陽が顔を覗かせて光を届けてくれた時だったよ。鳴り止んだ雷とは違う音が、神殿の外から聞こえてきたんだ」
聴こえてきたのは、聴き慣れない甲高い泣き声。
神殿に待機して作戦の成功を祈っていたフアナらは、一斉にその音の出所を探した。
「……で、そこにいた、と」
「そう。産まれて間もない赤ん坊。へその緒が付いたままのリア様が、神殿の前門に打ち捨てられていた」
王様に届いた最後の文の内容は、間際にリアが残した想定外の惨状を報告するものだった。
まず、勇者とその仲間たちが逃亡した。勇者を導く聖女としては、この時点でお役目大失敗である。
だがリアは、勇者がいなくなった後も、魔王城を一人で攻略したそうなのだ。
「この際、どうでもいいから早く目的を果たしたかったんじゃないでしょうか」
「分かる。リア様の性格なら、やりそうだ」
クスクスと笑い合う双子。
紫の濃淡だけが違う同じ顔が、頬をくっつけ合って笑っている。
そして文にはもう一つ、記されていた。
これが最も大事な文言だったのだ。
「魔王を倒すのに、聖女様が神から賜りし“究極魔法”を発動する――と記されていたのよ」
「きゅうきょく、まほう…?」
この魔法は何が起こるか分からない。
世界の秩序を乱し、世界そのものに作用する災害を引き起こす禁呪。余りの威力に、創造神自らが封印したと伝えられる。
そんな書物だけにしか存在しなかった魔法――それが“究極魔法”と云われている。
「魔王は勇者じゃないと倒せません。だけど、その究極魔法だとそれが可能なのですわ。摂理さえ捻じ曲げる恐ろしい魔法ですから」
「リア様はとっておきのこの魔法を使った。災害を引き起こすかもしれないけど、背に腹は代えられなかったんでしょうね。800年の歳月は、神にとっても非常事態だったから」
しかし、そんな目論見は途方に消えた。
危険を冒してヤバイ魔法まで使ったのに、結局、肝心な魔王は倒せなかったのだ。
「なんだそれ。聖女の独り芝居じゃねえか。ほんとに暢気な世界だな」
ついに「ケポ」と、可愛らしいゲップが聞こえた。
同時に乳製品の生暖かい匂いも。
「くせえ…」
たくさん泣いて、腹一杯ミルクを飲んで。元凶であるリア本人は何を思っているのか今は満足そうだ。
猿みたいな顔は平時であろうと常に同じ表情で分かりにくいが、何となく穏やかそうに見えるのは気のせいではあるまい。
「で?こいつがここまでやっても世界は変わらなかった。こいつが赤ん坊になって、俺がこっちに来た事以外は」
「究極魔法は世界そのものに影響を及ぼすと言ったでしょ。多分、その通りよ」
フアナにそう、軽く吐き捨てられた。
幸いにも災害は怒らなかった。
だが、何かは起きた。
次元の海を越えて俺の住む地球に影響が派生し、俺が召喚されたのがまず一つなのは間違いない。
しかし、その全貌は未だ明らかになっていない。
「王様はリア様が赤ん坊になった事を知っているよ。リア様は自分がこんなになっちゃう前に、最後の力を振り絞ってどうにか王様だけには伝えたんだろうね」
王様は怒り狂った。
そりゃそうだろう。あんだけ便宜を図ってやった勇者が尻尾を巻いて敵前逃亡とは一体誰が予想出来たか。
世界アゼルはそれほどまでに、弛みきって堕落していたという事だ。
そんで、聖女に究極魔法を使わせた原因の一端を、国土全土の永久戦犯として探している。
少ないとはいえ一応はこの戦争で死傷者が出ているのだし、責任の重さはもはや他人事ではない。
魔王討伐が失敗に終わった事は、既に全人類に知れ渡っているそうだ。
各地に御触れを出し、兵を派遣して、草の根を掻き分けて勇者を探している。その状態は四面楚歌。勇者を匿えば、共犯として罰せられるから、いずれは発見されるだろう。
人の噂は何よりも早い。人の口に戸口は立てられないのだ。
「魔王はどうなったんだ?失敗ってんなら、ピンピンしてんのか?」
「ううん。それもいまいちよく分からないのよねぇ…」
「分からない?」
「聖女様の究極魔法をまともに至近距離で食らったのよ。なのに魔王は死ななかった。それはマナの流れに変化が無かったからね」
「でも死ななかったけど、無事…とは限らないよね」
「どういう事だ」
「その魔王の方も、行方不明だからよ」
「……なんだそれ」
リアの放った究極魔法で、魔王の住処は周辺もろとも吹き飛んだそうだ。
ついでに大地を削り、水を干上がらせ、混沌の空をも呼んだ。
魔族側からすれば大打撃であろう。
「まあ、あっちはあっちで混乱しているだろうね」
人間との戦争で死んだ数よりも、魔法の威力に巻き込まれて死んだ数の方が多い。
魔王城周辺にいた魔族はそのとばっちりを食らった。一瞬で消し炭と化し、灰すらも遺さず瞬殺された。
「ふふ、あちらさんも平和ボケしてましたからねぇ。いい気味…って思うのは不謹慎ですけど」
おっとりとエリザが笑う。
台詞が不謹慎レベルではない。一発アウトだ。
「ちょっと待て。いやいや…ちょっと待ってくれ」
「ん?」
ふと、考える。
いや、考えるまでもない。
「っつーことはあれか?この聖女とやらがやべえ魔法を使った所為で、こいつ自信が赤ん坊になり、魔族もめちゃくちゃ迷惑被って、何か知らんが俺が召喚されて、結局なーんにも変わってねえ…っっつー事かよ!!」
「だから最初からそう言ってんじゃない」
馬鹿じゃないの?と冷めた目で見られるが。いやいやいやいや、そうじゃねえ。
全部聖女の考えなしに起こした行動が発端なんじゃねえか!!
全く意味が分からん。
何故そこで、異世界が…そして俺が出てくるのだ。
それに俺であり、俺ではないこの姿も。
王都から派遣されたベビーシッターとはそもそも何なのだ。王都?王様?
何も謎が解けていないではないか。
次回2/5(火)21時





