12. 実に呑気な異世界事情
久々の投稿です。
「この世界の仕組みは何となく分かった。スケールがでっかいのか小っちゃいのか分かんねえし、女神っつーのが随分と生き物に対して意地悪で残酷なのも腑に落ちねえけどな。だけどそれは俺の質問の答えになってねえぞ?」
俺は腕の中のリアを、ほらよと皆に見せつけた。
おおよそ“聖女”とはかけ離れた存在の赤ん坊を。
リアはまたも口周りをぐちゃぐちゃに汚している。哺乳瓶の先をずっと咥えている事が出来ず、その度に飲みきれないミルクが唇から零れる。
赤子の頭が柔らかくてしっかり持てない俺も悪いんだけど。
「赤ん坊は、何だ?って訊いてるんだけど。それにアンタらが異世界から来た俺を、何の疑いもなく軽く受け入れちまってる事も甚だ疑問だ。頭、大丈夫かって思う」
これが逆の立場ならば、間違いなく病院行きだ。まずクスリでもやってんじゃないかと疑われる。
現実と幻想の区別が付かないアタマのオカシイ奴とも思われかねない。
ファンタジーの世界はあくまで非現実のファンタジーだからこそ受け入れられるのであって、大真面目にその存在を信じる奴なんぞ、どっかのオカルトスレでもネタ扱いされる危険人物だ。
その哀れな妄想者の行先は一つ。社会不適合者として、最悪檻付きの病室で死ぬまで薬塗れである。
「だから言ったでしょ。そういう平行世界が在る事を、あたし達は聖女様に教えられたって」
「人間世界は暇だからって、よく別の世界をリア様は覗いていたんだよ。面白半分にね」
「ふふふ。それに貴方様の存在を受け入れているのは私達だけですよ。リア様と一緒に過ごしていたからこそです。この世界のほとんどは、異世界など何も知りません。貴方様と同様に」
今、マナの大いなる恵みは魔族側にあるのだと、聖女の巫女達は言った。
彼女らの言葉を信じるなら、恩恵に肖れない萎びた地獄の只中にいるのは、人間の方。
「じゃあ、人間側に勇者がいるって事か。魔族からマナの覇権を奪うために」
「そう。本来は…ね」
マナの優劣の争いは早くて10年、遅くとも200年で交代交代順繰りしているのだそうだ。
ある程度の人口も増やさねば戦争も出来ない。どうしてもインターバルが生じるのは仕方がないシステムのようだ。
「本来、とは?」
「800年」
「え?」
「800年…なのよ。人間が劣勢種族で居続けてる年数」
「はっぴゃく…」
なんと膨大な時間。
あまり数がに大きすぎて、ちっとも現実味が無い。そもそもこの話自体も俺からすればリアルじゃないんだが、今は揚げ足を取っている場合ではない。
俺の世界だと、800年前はちょうど鎌倉時代だ。イイクニツクロウの、あの時代である。
殆ど覚えちゃいないが、貴族に替わって武士が政権を獲得して、後々江戸まで続いた武家社会を設立させた云々だったか。
はっきりいって、教科書だけに存在した時代だ。
「この余りにも長い時間…。人は、人間は慣れてしまったのですわ。マナの恩恵にあやかれない事を」
長い黒髪を弄りつつ、パルミラは悲し気に眉尻を下げる。
「それは、戦う意義すら失ったのですわ」
「もはや遠い過去、人間がマナの優劣の頂点にいて、恵み豊かな大地に埋もれて幸せだった時代があった事を知る者はいない。人伝えでも限界はある。…人は完全に忘れてしまったの」
「それでも女神の摂理は働く。こんな中でも劣勢にいる人間側に勇者は産まれるんだ。唯一、歴史を紡ぐ王家が後ろ盾に立ち、勇者を最大限にバックアップしても尚、勇者にやる気がある者は少ない」
「それに戦争ともなれば、絶対に避けられないのが怪我や死。マナが枯渇し、不自由でも我慢すればそれでいいと人間は学んでしまったんです。贅沢は出来ないけれど、少なくとも戦争で死ぬ可能性はゼロだから」
世界をわざわざ二つに分け、すげえお宝を一個だけ与えるからそれを戦争して獲得しろというのが女神の作ったこの世界の仕組み。椅子が一脚しかない、椅子取りゲーム。要はそれだ。
それは分かったが、こうなる事は予め予測できないか?
お宝はそりゃすげえモノだ。毎日A5ランクの肉が食い放題みたいなもんだろう。
もう片っぽの飯は豆腐ハンバーグだ。肉は勝者が全部獲っちまったからな。
でもよ、それが800年も続いてみろよ。
もうそうなっちまうと、「肉が食いたい」んじゃなくて、「豆腐ハンバーグなのが普通。むしろ肉って何?」ってなるだろうがよ。
人はどんなに劣悪な環境でも、時間が経てばなんとなく慣れるのだ。最初からそんなもんだと思ってしまえば、それは不幸ですらない。
だから不思議に思うのだ。それの何が悪いんだと。
800年も戦争が起きない方が、俺にはよっぽどマシだと思うのだがそれじゃいけないのか?
「なあ、それの何が悪いんだ。誰だって死にたくはねえだろ。それにあんたらだって800年前までは豊かで幸せでしたよって言われても、想像すらできねえんだろ?なあ、それの何がヤバイんだ?」
疑問を素直にぶつけたら、フアナは腕を組み考え込む素振りをする。
確かにその通りだと大きく頷いた後、パッと顔を上げて「でもね…」と、続けた。
「マナの停滞は、生命エネルギーの循環を滞らせ世界に影響を生む。――最初にそう言ったわよね。このアゼルは、マナの循環により成り立つ世界。そこに住む人間の意見なんて女神には関係ない」
「それにね、ここからが大事なんだけど」
と、エミール。
温くなったコーヒーで喉を潤し、フアナと同じような真剣な顔で言った。
「聖女様の受け入りにはなるけどね。マナが長い間停滞すると、それだけ世界を維持する力も失われていく。つまり、人間と魔族が戦わなくなった事で、この世界は滅亡してしまうんだよ」
世界は繋がっている。一見なんの繋がりもなさそうだけど、次元の糸で互いに互いを干渉し合っている。
これがこの世の、宇宙の理。
世界が一つ滅亡しただけも、平行世界に連なる他の世界との均衡も崩れ去ってしまう。
「あんたの生まれ故郷、チキュウとやらの世界にも、何らかの影響を及ぼしてしまうのよ。それも、悪い方にね」
「マジか…」
だから女神は一挙を投じた。
女神の導き手――聖女を遣わしたのは、問答無用にマナの覇権を交代させる為。
それは強制的な戦争を意味する。
果たして聖女は30年前に世界に降臨。現状に慣れ過ぎた人間達に発破をかけ、魔族と戦うべく戦力を増強した。
聖女は不老不死であり完全無欠。
マナの制約を受けずに魔法を操り、たった一人で千軍万馬の力と叡智を持つ。
「チートじゃねえか」
「それだけ女神は切羽詰まっていた、という事ですわ」
「そんで、その聖女とやらが、こいつ…」
目の前の赤ん坊に、今度は忘れずにげっぷをさせる。
腹に空気が貯まり過ぎると危険なのだそうだ。
噴水のようにミルクを吐瀉し、それが喉に詰まると簡単に窒息する。数十秒息が止まっただけでも簡単に死ぬ。この月齢の新生児は特に要注意だと、スマホにストックしていたマニュアルに記されてあった。
右手の掌に腹を預け、背中は俺の方へ向ける。首が据わってないからダラリとしているが、なるべく縦になるようにリアを持つ。
小さな、身体。足を伸ばせば50センチはありそうだが、基本的に手足を屈折させているから30センチくらいしかない。
俺の掌にすっぽりと、頭が収まる。
なんて未熟で、なんてか弱い生き物なんだろうと思う。
しかしこいつが本当に不死身だというなら、育児マニュアルの通り繊細に扱わなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。だからと云ってぞんざいに出来るほど、俺は非情ではない。
赤ん坊というものは、ただそれであるだけで無条件に大人の庇護を掻き立てる。そんな本能的に組み込まれた何かが働いているのだろう。
「聖女が世界の秩序を守るためのチートである事は分かった。だけど、なんでこんなちっこくなってんだ?それにそんな能力を持って30年も経つのに、まだ戦争には勝ってねえのか?」
「それが…残念ながら勝ってないからこうなっている訳で」
「リア様がこんな姿になっちゃったのも、実は意味が分からないというか」
「色々と準備はしたんですがねぇ…」
もごもごと巫女達は何だかはっきりしない態度である。
するとパルミラが口を挟んできた。何もしていなかった訳ではないと、彼女は正当性を主張した。
「30年をかけてお師様は戦力増大に尽力したのです。そして今より一年前に、十分な戦力を得た人間は魔族に宣戦を布告し、同時に師は勇者を擁して魔族の地に旅立ったのですわ」
「一応、聖女の巫女のあたし達も、途中までは着いて行ったんだけどね。戦力はまずまず、気概も十分。人間側の士気は高くて勢いもあった。お陰ですんなり魔族の地を攻略できたの」
だが、それにはもう一つカラクリがある。
人間が劣勢に慣れきって戦う気力を失っていたと同様に、魔族の方は完全に平和ボケしていたのだという。
どうせ人間が侵略してくるはずはないと高を括り、暢気に平和に、のんびり暮らしていた。
当然、戦える者は少なかった。実際には不戦勝での勝利が多く、互いの死傷者も想定よりかなり下回った。
まるでお遊戯会だったらしい。
人間も魔族も、まさか本気で戦争なんて…と侵略されても尚、危機感はまるで無かった。
カタチだけの戦いすら起きなかったという。
次第に攻める人間側も、なんとなく有耶無耶になって戦争はすぐに終結した。
勝敗すら決さずに。
次回は31日21時





