16歳♡貴族じゃないの
通学するにあたり、私が学園に来る時間、帰る時間は指定されている。警備の問題でこれ以外の時間に送迎の車が入ってこれないのだ。
ここから家までは歩いて1時間くらいで、私としては歩きでも大丈夫なんだけど家族に強固に反対された。
そんな私の帰宅時間は少し遅めで、授業が終わってから少し時間を持て余してしまう。でも意外と図書館で1人本を読んだり、授業でわからないことを1人で復習したり、レポートを1人で書いたり色々やることはつきない。
今日は図書館で明日の予習がわりに読みたい本があったんだけど、図書館の整備点検のため閉館でしょうがないので正門へ向かう。
校舎は賑やかでも正門あたりは寄り付く生徒もいなくて静か。私が授業の復習でノートを見返したりレポートを書いたりするのはこの車寄せだ。この王族も使われる車寄せは広々として静かで冷たい。
王族のためと思われる個室は広くて、ソファもふかふかで特に壁紙の模様がすごく美してく、探検で入った時にはびっくりして一旦ドア閉じたもん。鍵が開いているということは私も使って良いのかもしれないけどなんとなく怖くて探検以来入っていない。
少し離れた、ほとんど正門脇にある小さなドア、ここは送迎する人たち用の待機場みたいでこじんまりとしてシンプルな木の椅子で、私はこちらのほうが落ち着く……。小さな窓も付いていて車が来てもすぐわかる。小さなテーブルもあって書き物をするのにちょうどいい。
そしてこのテーブルの上には電話がある。
戦後に発達したものの一つに電話がある。小さめの街でも役所には最低でも一つ電話があって、遠くの人と話すことができるそうだ。ヌーヴェル家にもある。
個人宅にあることに意味はあるのかなあと思っていたんだけど、たぶんこういう時に使うんだろうなと眺めて終わる。
電話の使い方のわからない私は待つしかない。使い方、聞いておけばよかった。
「リリアンヌ?」
「は、ふ、フィリップ寮長」
ドアに手をかけたところで声をかけられた。
いつもの制服ではないフィリップ様に驚きのあまりへんに呼びかけてしまった。
ラフなシャツに黒のような濃紺のラウンジスーツ。制服が白なので色のついたフィリップ様を見るのが初めてで、なんか雑誌に掲載されている著名人の近影のようで現実感がない。
「寮長はいらないよ、せっかくだからハワードと呼んでほしいな」
彼はいつものように体調が悪そうな白く美しい死神のような微笑みとともに私の元へと近寄ってくる。
「何をしているの?」
「迎えを待っています」
けたたましいエンジンの音に振り向けば、ヌーヴェル家のではない車がやってきた。
「……あぁ、じゃあヌーヴェル家まで送ろう」
「はい?」
フィリップ様がドアを開けて乗るように促す。
ドアを開ける役目もある運転手さんはそのまま待機場に入って電話を操作している。あれ、乗る乗らないの押し問答もさせていただけない感じ?
力強い儚げな笑みの圧で押し切られて私は、車に乗る。
この学園に通うにあたって私は初めて車に乗りました。揺れるしうるさいし、正直なとこ馬車と変わらないんじゃないのって思ってました。実は。でもフィリップ様の車はうるさくないし、揺れもそんなだし、座面がふかふかだし広々としているし、全然馬車なんかとは違いました。すみません。
「リリは通学だから朝も早いだろうし大変だね」
車は広々なんだけど、なんでこんなに寄ってくるんですかね。車、4分の3くらい空間もったいない感じだよ。
「いえ、そんなことは」
「今日みたいに迎えを待つことになるのも大変だね。今年は色々と制約も多いだろうし」
「いえそんなことは」
「大丈夫、酔った?」
「いえそんなことは」
「私と一緒に出かけられて嬉しい?」
「いえそんなことは」
しまった間違えた!
顔を上げるとかなりの近距離にいらっしゃって、その透けるような毛穴が見つけられない肌が、近い……。
「そういえば!学園の方で車寄せで人と会ったのは初めてです」
「外出は制限されているからね、私は寮長特権である程度自由なんだけど」
そうだったんだ。知らなかった。
少し距離を置いてくれたハワード様に少し落ち着く余裕ができて、改めて車に乗ったことを後悔した。それまでは後悔する余裕すらなく……。
やっぱり今からでも降ろしてもらったほうが、私の精神衛生上いいのでは……でも今どこにいるのかわからない。
「スネグラチカ」
「え?」
「タイピンの形を模した砂糖菓子だよ。最近流行りの」
「あ!」
ユウ様とのお茶で出てきた宝石のようなアレね! スネグラチカ、よし名前覚えた。って言ってもお金持ってないんだから買えないんだけどね。
「雪娘って意味らしいよ」
「美味しかったなあ」
「そう?」
あの味を思い出している私を見てフィリップ様はクスクスと笑う。遠慮しているのか声を出さないように気をつけてはいらっしゃるが。
あれ、私、あのお菓子が好きなこといったっけ?……ちょっとこれ以上は考えないようにしよう。これ以上は。
いつも乗っている車と違って私は車が止まったことに気がつかなかった。なんていうか、キキーっとなっておっとっとってなる感じがない。ドアが開き、降りるよう促される。
てっきり家の正門かと思いきや、街だった。
「じゃあ行こう」
「どこにですか? ここどこですか?」
「好きなんだよね? スネグラチカ」
囁きのようなのにしっかり響く独特の声。
まるでその声を合図に目の前のお店のドアが開いた。どういうこと? どういう仕組み?
促されるまま入るとドアには店員さんがいてドアを開けてただけだった。
それだけなんだけど、なんていうか、なにも言ってないのに、なにも指示していないのにフィリップ様が望むように世界が動いている。これが、公爵……。
綺麗に整列している焼き菓子の中心にスネグラチカがあった。いろんな色がある。
「きれい……」
私が食べたのは透明だったんだけど、赤や緑、真珠みたいな白色もあって宝石箱のようで、なんだかとてもワクワクする。
お義父様からお義母様から「ほーら宝石だよー」と色々なアクセサリーを見せてもらったけど現実感なさすぎてよくわからなかった。でもスネグラチカは綺麗でワクワクして欲しくて食べたい。私やっぱり根が平民よね。
「リリの瞳の色だね」
子供をあやすみたいに言われてしまった……。こんな平民&田舎者丸出しな私といてフィリップ公爵の汚点になりやしないかと思ったんだけど、お店には誰もいなかった。
うわあ、貸切?
「お待たせいたしました」
小箱が手渡された。いや、私なにも言ってないですし、お金持ってないので後ででしか買えないのですけど……。恐る恐るフィリップ様を見るとそれはまあ美しさ全開の笑顔で頷かれる。
いや、物をもらうと後が大変……。
「ハワード?」
お店の奥からどことなくハワード様に似ていらっしゃる女性の方が現れた。
「店にいたのか」
「私の店ですから」
「アンバー、こちらはリリアンヌ・ヌーヴェル」
紹介されて慌てて私はお辞儀をした。この方、声もフィリップ様に似ている。
フィリップ様が死にそうな冷たさならこの方は生き生きとした冷たさ、厳しい先生のようなオーラ。そして美しい。
「リリ、こちらはアンバー・P・スパーク、私の従姉妹でこの店のオーナー、そしてそのスネグラチカの考案者なんだ」
なんと! この可愛い夢のようなお菓子を考えた方がこんなステキな女性だなんて!
「なにか御用でも?」
「いや、お土産をね」
「私と会うのに私の店で?」
スネグラチカ、美味しかったですと感想を伝えたくてもなにやらお二人で話を始めてしまって私はニコニコとしているしかない。
ほんと、好きです。これ。とりあえず念じておく。
「仕事だったのか?」
「終わらせて今から向かうところでした」
「そうか。一緒に向かうか?」
「いえ、車を呼んでありますから」
「あ、せっかくだし、リリも一緒に」
一緒に、なに?
だから物をもらうとろくなことがないんだよ。
帰るために今ここがどこなのか聞こうにも誰も教えてくれず、流されるようにフィリップ様の車に乗せられ、なんかよくわからない一軒家に連行……と思ったら一軒家ではなくそこはレストランだった。
ヌーヴェル家とさほど変わらない食堂に椅子は三つ、テーブル上も3人分のセッティングがされていた。私が来ることが決まったのがついさっきなのにどうしてこんなに準備がいいんだろう。「お邪魔なので帰りますね」と言う隙がない。
「私は家に帰りませんと家族が心配して……」
「リリの家族には伝えてあるから問題ない」
いつのまに?
周りの人は「当たり前でしょ」みたいに動じていなくて、私だけが知らないでいるみたい。アンバー様もなにもおっしゃらない。
「リリは編入で学園に入ったんだけれど、とても優秀で教授陣が言っていた」
学園は学期末にテストを行い、合格すれば基本的に来期でその上の授業を取ることができる。授業の難易度は初級、中級、上級と三段階でこの学園を卒業するには1つの上級と3つの中級の合格がないとダメ。
なので学期末のテストが評価を下されるわけで、今この段階で優秀だとかそういう話は聞いていない。私は。
成績のことといい、さっきのスネグラチカといいなんでフィリップ様は私のことを私以上にご存知なのか。そして私は、今更大変なことに気がつく。
なぜフィリップ様は私の家の場所をご存知なのだろうか、と。
ボードスクールへ通っていた頃、私のこといつも見ていて絶妙な先回りする男の人がいたな。帰りに図書館へ寄ろうと思ったらドアを開けてくれたり、孤児院でおつかいを頼まれて出かけた日用品店でカウンターで待っているその後ろにいたり。
その人に見つかってたまるかと人を撒く技術を身につけたなあ。その人最後は神父見習いになって孤児院に入り込もうとしてたけど。
「あのフィリップ様」
「ハワードと呼んで」
「あ、あの名前は親しいかたでないとダメだと聞いてます」
「親しくないの? 私とリリは。」
「親しいとかでなく、その、フィリップ様が私を気にしてるというか」
「ハワード」
威嚇するには怒りと似たような態度を人はとる。でもフィリップ様はもう余命幾ばくもないようなそんな弱々しげに威嚇する。この最期のお願いを叶えないやつは人間じゃない、みたいな良心に訴えるような威嚇。
ほえー、こういう圧のかけ方もあるのかあ……。もう思考放棄。
「……ハワード様、私は学園でつつがなく生活できてますのでもう罪悪感を感じなくても大丈夫です」
「罪悪感……? いや、リリを大切にして大切にして大切にして」
「そんな大切にするようなもんでは」
「そう、リリはものじゃない。女神、私の女神。」
すっと冷静になって私はこの場にいるアンバー様のことを思い出した。こんな話を聞かされてどんな気持ちでしょうか。
「ハワード、どういうつもりなんですか?」
「どうあうってどう?」
「男爵令嬢を囲って恋人ごっこをする理由です」
「これがごっこに見える?」
「はい」
「心外だな」
「どういうつもりかわかりかねますが、あなたのその行為があなた自身を貶めていることに気づいてくださいね。なぜこんな女を。」
「こんな?」
「公爵家としてなすべきことをあなたが一番理解していると思っていました」
「理解しているよ、フィリップ家の役目はね」
「ならばこのようなことはなさらないはず。不沈戦艦も老朽化したということか」
そうしてアンバー様は席を立たれてしまった。私はスネグラチカが美味しかったと伝えられず。
アンバー様は始終口調は穏やかで、冷たいのは多分元からそういう感じの方なんだろうななんて思っていたけど。たぶん、怒っていらしたんだと思う。
彼女は私に話しかけなかったし、一度でも目を合わせようとしなかった。紹介をされたその瞬間から。
悪口を言われたり水をかけられたりしていないだけ優しいと思っていたけど違う。私のことをいないものとして扱っていた。嫌われるのは慣れているけど、存在否定までされるのは久しぶりかな。スネグラチカがすごく綺麗で美味しくて食べたくてお菓子の名前をお義兄様に聞いて見たけどご存知なくてがっかりして。……美味しいですって伝えたかったな。
「アンバーは考え方が古いんだ。貴族には青い血が流れていると思っている。その一方でパティスリーの経営なんてしたりよくわからない」
学園が一にも二にも階級差を排除しようとしているのはこの「青い血」の考え方があるからだ。戦前生まれの人に多いと聞いた。
「貴族はああいうものだよ、残念ながらね」
「でも、あの」
「でもリリを見ていると、貴族もそんなに悪いものではないかなと思うよ。貴族は爵位でも青い血でもない」
私のなにが貴族も悪いものではないんだろう。さっぱり全然わからない。
「どんな立場でも大変なものは大変です。いいとか悪いではなくて」
大変だけど、できることしかできないから、できることだけ頑張る。
先生が教えてくれたこと。ちょっと偉そうだったかな。
「そんなリリが私は好きだ」
恥ずかしくないのかな。