空から落ちるための3つの動機
サンドイッチの残虐な表現があります
校舎から少し離れた庭園ともいえない木陰のベンチで私はサンドイッチを食べている。緑は香りが強くて、風が心地よい。
「この学園そうとう広いけど、こうも人の声がしない場所があるってすごいなあ」
わざと口に出してみるもその声は緑に溶けて消える。本当に静か。
貴族なんて雑誌の中にしかいないものだと思っていたけど、いるところに入るんだなとこの学園に入ってから思い知らされました。特に今期は王族の方が入学されているということで、普段は入学しないような分家筋もこぞって入学しているから生徒数が多いそう。
もちろん、人が多かろうが少なかろうが真っ当に馴染めないのが私でして、こうして一人でお昼ご飯を食べています。
本当に今日はいい天気だ。日差しも風も穏やか。
見上げたその時、人が降ってきた。
「天使?」
それにしてはかなり痛そうな音がしていたけど。それに天使は落ちてこないで空を舞うもので。
……天使じゃない、人だ。
人が落ちたところは芝生とはいえ、打ち所が悪ければ怪我では済まない。
「大丈夫!?」
「つてて、木の上だってこと忘れてた」
食べてたサンドイッチも放り出して私は駆け寄った。
私と同じ白い制服を着ているこの学園の生徒だ。刈り上げた髪に少し日に焼けた顔といいがっしりとした体格。何よりもう起き上がって埃を払っている。大丈夫そうだ。
「何やってるんだこんなとこで」
落下してきた彼は私にたずねた。藍色の瞳が驚いたように私を見ている。
いえ、空から人が降って来るよりはベンチに座ってご飯食べてる私が常識的だと思うんだけど……。
「なんか言えよ」
「昼食をいただいておりました」
精一杯の貴族言葉。
「昼食って……」
「あぁ! 私のサンドイッチが!」
私のサンドイッチは無残にも芝生の上に身を投げその儚い一生を終えていた。投げたのは私だけど。
「私のご飯が……」
芝生の上に落ちた程度で食べません、なんて私もそんな貴族に染まったなんてことないですのよ。食べかけのサンドイッチさんは身を投げた衝撃で中身のハムやトマトは完全に飛び出してしまって、レタスは同じ葉物として芝生に還ってしまった。膝の上に置いてあったサンドイッチさんは落下の衝撃で具のコールスローがドロリと出てしまっている。
さすがにこれを食べるのは……。
「お茶ならレストランでもカフェでもどこでも行けばいいだろ」
彼がいうのはごもっともだ。
この学園のいろんなところにカフェだのレストランだのがあって何かを食べたり飲んだりするのに混雑していては入れない、なんて下町の食堂のようなことは起こらない。
そういったところを私が利用できないのは1人でいると男の人に絡まれやすいのとは別に重大な理由があった。
「……お金を持っておりませんので」
「? 園内のものは基本タダだぞ」
「えぁ!?」
びっくりして変な声が出てしまった。
「タダというと語弊はあるな。そこは学費に含まれている」
そうだったんだ……!
だからお昼を作って欲しいと頼んだとき、変な顔されたのか。最終的には「シェフが作ったご飯を学園でも食べたいんです」でゴリ押してなんとかサンドイッチを作ってもらっている。
まさか家族も私がお金なくてご飯たべれないってひもじい思いで学園初日を過ごしていたとは思うまい。そうかあれ、食べてよかったんだ……。
「おい! それ食べるのか!」
私が芝生の上に散らばったサンドイッチの亡骸を丁寧に拾っていると彼は腕を掴んで私を止めた。
掴まれた腕は痛くはなかった。こうした体格のいい男性に掴まれて全く逃げ出せず怖い思いを何度もしてきたけど、きっとそう出来るはずの彼はそっと私の腕を引いただけだった。
「片付けてるんですよ」
「だ、だよな。……すまん」
「フフッ……」
シュンとして謝る大柄な男の人というのが面白くて思わず笑ってしまった。
私の笑い声が聞こえたのか彼が私を睨む。やばい! 貴族様を笑うだなんて、これで私が元平民だなんてバレたら追放だ。もう学園中にバレてた。だからつまりは追放だ!
「申し訳ありません! 」
急いでこのサンドイッチのご遺体を回収してこの場を去らなければ。
お怒りかと思われた彼はするりと木に登って制服のジャケットを手に降りて来た。
あそこにジャケットをかけて、あのあたりで休まれてて、落ちて来てって……結構高くないですかあの枝。なんで落ちて来て平気なの? 貴族って体が頑丈にできていることをいうの?
「もらいもんだけど食べる?」
可愛くラッピングされた包み。これって女の子からのプレゼントじゃないのかな。男の人が持つものじゃない。
よく見るとこの方、顔立ちは精悍で切れ長な目が少し怖い印象、なんていうか学生というよりか男性とか教師陣側っていうか、体もがっしりしているし背も高い、少年なんて言えない完成された人間男性って感じでざっくりと平民風に言わせていただきますと、モテそう。
「いえ、結構で……」
自重しない私のお腹は大きな音を立てて私のサンドイッチ殺害を責め立てた。
「くくっ」
顔を背けて笑われる。立ち上がるタイミングを逃した私に隣になんの躊躇もなく彼は座る。
その可愛い包装を破り中身を取り出した。
「ほら」
差し出されたのは、パウンドケーキ、のようなものだった。
お腹が空いているのとその無言の圧と実際にグイグイと口元に差し出される良い香りに私は負けてパウンドケーキを一口食べた。
「わぁ、これ美味しい! 甘くなくてしょっぱいケーキなんて初めて!」
てっきり甘いお菓子だと思って口にしたらしょっぱいおかずよりの味にびっくりしたけど。でも美味しい。お昼に食べるのにちょうどいい。
「ほら」
もう一切れ、もう一切れと差し出されるがまま、結局半分は私のお腹に収めてしまった……。美味しかった。
「ありがとうございました」
食べ物をいただけたことには感謝をしなければ。本当にこの辺りに人がいなくて誰も見ていなければいいけど。どこに目があって誰の耳があるかはわからない。もしかしたらまだ木の上に……。
「お前、平民だろ?」
「え!?」
バレた……!ってもともとバレてたか。そういえば。
「お貴族様は学園で『昼食』……『食事』を食べない」
「? ご飯は食べてますよね?」
あちこちで美味しそうなもの食べてましたよね。私たくさん見てます。美味しそうなパンケーキに美味しそうなプティング、ソテーされたお肉にお魚。どれもこれも見たことないほど美しく飾り盛られて、それを皆さま美味しそうに品良く召し上がってらしたですよね。
「あれは『お茶』だ。王族が王宮以外で食事をしないことに倣って学園では『食事』ではなく『お茶』という。せいぜい言い換えてランチだな」
「どうみても食事なのにお茶?」
「言葉遊びみてえな屁理屈だけどな」
納得はできなかったけど理解はした。
「それに貴族は金を持ち歩かない」
「あ! そっかー……」
言われてみたらそうだ。そもそも孤児院での買い出しもお金を持って行かずに、月末まとめて支払っていた。
そっか、私の少ない言動がそもそも「私は平民です!」って言ってるようなものだったのね。バレたとかそういうことじゃなくて。うーん、これってヌーヴェル家にとって問題じゃないのかな。やっぱり学園じゃなくて市井の専門学校のほうがよかったんじゃないのかな。やっぱり16歳から始める貴族令嬢生活っていうものに無理があったと思うのよね。うん。
私はいつものように頭で会話をしているつもりになって、すっかり彼の存在を忘れてしまった。彼が私に近づいていてその長い指が唇の端をなぞるまで。
「ひゃ!」
私の唇に触れた指をそのまま彼が舐める。ひょっとしてさっきのパウンドケーキの食べかすつけたまんまだったんだろうか。
……いやいやいやいや違う違う。おかしい、こんなのすっごくおかしいから。
「お前のほうこそ『天使』みたいだな」
ニヤリと笑った彼に、私が最初にうっかり呟いた一言はきちんと聞こえてたようだ。
恥ずかしさと恥ずかしさで私はダッシュでこの場から逃げ出した。ろくに挨拶はしていないけれどまあいいでしょう。これまでの授業で見かけたこともないし、きっと会うことはない。名前も知らないんだから、大丈夫。
なんて逃げ切ったと思ったのは完全に私の勘違い。
次の日車寄せに彼は立っていた。「よぉ!」と声をかけられたけどなにが「よぉ」かよくわからない。校舎までずっと隣を歩いている。なぜ……。
「あの、ご用がないなら」
「用ならそっちがあるだろう?」
「いえ、私はあなたに用事も何もありません」
「あ? 便利だろ? 余計な輩が寄ってこないし」
「それは……」
実はそう。今日、学園に入ってからずっと隣に彼がいるからか誰にも声をかけられていない。ただ先程から女の子たちが小さく悲鳴を上げているんですよ。聞こえてらっしゃいますか?
「私は大丈夫ですので」
「ピーター」
「は?」
「ピーター 」
「……ピーター様。授業に遅れますよ」
「サボる」
サボっても私の授業はありますよ!