82 飛べない馬鹿は、ただの馬鹿さ……
風が吹いた。こずえをざわつかせて吹き抜けていったそれは、アーセムさえ震わせるような叫びだった。
空気を伝播してワタシたちに叩きつけられたオロアちゃん(の方がやっぱりしっくりくるな、うん)の決意は、背負っている覚悟の差がハッキリと感じられた。
(……お互いに背負われてるっていうのにさ……。ワタシたち、どこで違っちまったんだろうな……)
かたや過酷な運命に立ち向かうべく毅然と前を向き、かたや息が詰まるようなシリアスから背を向けるために年下の女性の陰で下を向く。
たどり着いた場所は同じだっていうのに、こんなにもワタシたちは違ってしまっているんだ。
(この差! 現実さんってば、ワタシを追い落とすのに勤勉すぎやしませんかね? どうせならオロアちゃんと一緒に地に落として欲しいんですが?)
可能な限り優しくな!
でも、それを望んでいるのはワタシだけなのは確認するまでもなくて、向上心の塊なオロアちゃんは後ろも下も目に入らないようで、目指すはアーセムの頂上のみだと、上を向くことしかする気がないのは知ってた。
(でも、さ。それじゃあ涙も零れようがなくて、いつか溺れちまうぜ? 人間、適度に気も涙も抜かないとね!)
でも、人間力と標高の急上昇しているこの現場にいては、普通の人間では耐えられそうにないから、人間味もそこそこに抜いておかないといけない気がしたけど、そこはワタシ以外全員が抜かりなかった。
(ワタシは犬だから抜くまでもないけどな!)
薄いはずなのに重苦しいこの空気からなんとか抜けだそうと、間抜けな考えを巡らせてみるけど、しっかりリィルの背中に括られた糸からは抜けだせそうになかった。
(道は一つだと……、逃げ道も、抜け道もないんだと、そういうことなんですね……ワタシは諦めないからなぁ!?)
命大事に、無様を晒し抜くスタイルで生き足掻こうとするワタシを背に、リィルは解脱完了したお坊さんみたいに静かな声で、オロアちゃんに訊ねた。
「……一つだけ聞かせてもらえる?」
「……なんですか?」
じりじりと距離を測り、策謀を巡らせながらも、オロアちゃんは律儀にリィルの質問に答えてくれる。
一秒でも早く先を急ぎたいだろうに……、いやだからこそリィルを無視できないんだろうけど。
ここをやり過ごしても、進んだ先でまた行く手を遮られては堂々巡り、だからリィルを無力化、最低でも足止めをしなくては意味がない。
今、オロアちゃんの頭の中では、どうすればこの格上の人間兵器を出し抜けるか、その無理難題に挑むために灰色の脳細胞がブドウ糖を消費しまくっているはずだから、無理なものは無理であることを思い知ってそのまま希望も消去しろよおらぁ!
視線に乗せて諦めろと、執拗に念を送ってみても、そもそも現実から目を反らしているのはワタシだから目が合うはずなんてなくて、オロアちゃんもペスさんもリィルから視線を外すことはなかった。
「どうやって私たちの話を盗み聞きしたのかな、ってさ。あの部屋はあの時、この街でも最上位の術師によって対策されていたからね。
どうやってもオロアには破れるものじゃなかったし、君はそもそも魔術師じゃないからね。不思議に思ってさ」
「ああ、そのことですか」
オロアちゃんはリィルの疑問に、得意げに鼻の穴を膨らませながら大きく息を吹き、瞳を閉じて口角を上げてみせたのに、これ以上なくチャンスであるように思えたけど、リィルは微動だにしなかった。
それもそのはずで、どれだけオロアちゃんが隙を晒そうとも、その下で光るペスさんが二対の瞳が、一瞬たりとも反らされることなくこちらを射貫いていた。
視線で、指先の僅かな動きで、お互いの動きを牽制し合いながら、僅かにでも自分の有利な状況を、体勢を作り上げようと、一人と一匹の間で細かすぎて常人には伝わらない静かな激戦が繰り広げられている。
そんな高度な駈け引きが今この瞬間に為されているとは、露とも知らないんだろうオロアちゃんは、得意げな顔のまま人差し指を上に向けてピンッと立てて語りだした。
「あの時、あの部屋にかけられていたのは、人に向けた(・・・・・)目隠しと盗聴防止の魔術でした。だから、ペスには(・・・・)筒抜けだったんです。それだけのことですよ」
オロアちゃんの指がくすぐるようにペスさんの耳の裏を引っ掻く。
その慈愛とか親愛とか、とにかく愛しさという愛しさを全部詰め込んだみたいな手つきに、こそばゆそうに首をひねりながらも、ペスさんは自分からその手に擦りつけるみたいに片方の首を持ち上げた。
その一人と一匹の様子は、まるで血も時間も、何もかもを分け合ったみたいで、本当の双子でもここまでの絆を結ぶのはきっと難しい、そう思わずにいられないくらいに信愛というう言葉を見せつけてくれた。
「ペスはリアンナに何一つ与えることができず、自分勝手に消沈している私に、両親が買え与えてくれたリアンナの代わり、新しい家族でした。
目も開き切っていなくて、しっかり立つこともままならない、生まれたてのペス。
私はリアンナにできなかった分を埋めるみたいに、ペスの世話を焼きました。どこに行くのも一緒で、寝るのも、トイレに行くのさえ一緒でした」
昔を懐かしんでいるんだろう。オロアちゃんの瞳がゆっくりと細まり、そのモフモフの毛皮の中に沈み込んでいくように顔を埋める。
「片時も離れることなく、共に育ってきた私たちは、ある日を境にお互いの深い部分、魂とでもいうべき部分で、繋がったのです。
私たちは、お互いの存在を重ねることができ、匂いや味や思考を共有、いえ共感できるのです」
鼻先をくすぐる毛先の感触とか、その奥から香ってくるペスさんの匂いを楽しむように笑みを浮かべながら、彼女の身体に腕を回してぎゅうっとだきしめてみせた。
「……なるほどね、納得した。ペスとオロアのチームワークがすごいのは知ってたけど、そもそもチームワークっていうのが間違ってたんだね」
リィルが一人で得心がいったかのように小さく頷くのに合わせて、ワタシも神妙な表情を作ってオロアちゃんとペスさんを見据える。
はっきり言って何も分かっちゃいないけど、ここで何かを聞けるような雰囲気でもないし、とりあえず顔ぐらいは場に合わせないと。
「意思ある者同士が、お互いに自分っていう存在を保ちながら一つに混ざる、オロアの言葉でいうところの重なることができる。
獣人でさえ、滅多なことじゃ生まれない。それが人族なら、それこそウン百年に一人ってレベルで希少な存在……、オロアとペスは撚り子だったんだね」
(ナ、ナンダッテー!?)
いや本当にどういうことさ?
えっと、なんだ? つまりは元の世界でもたまに聞いた、双子が互いに今何をしているかと何を考えているかが分かるっていう、アレの強化版ってことでいいんだろうか?
でもまぁ、分かったところで何かできるわけでもないし、双子だなんて、自分一人のことで手一杯なワタシですから。
……だから気がつかなかったんだろう。
ペスさんの毛並みに隠されたオロアちゃんの口元が、ニィッと鋭く上がったことに。
「ええ、その通りです。私たちはいつだって繋がってる。……だから、こんなことだってできるんです!」
オロアちゃんと会話をしながらも、その足となっているペスさんの動向を注視していたリィルは、オロアちゃんの手から投げ放たれたそれに気がつくのが、ほんの僅かに遅れた。
突然目の前に迫ったきた物体に、リィルは反射的に手で弾いていた。
辺りにまき散らされる粉状の顔を庇いながらリィルが後退る。
その姿を確認することもなく、ペスさんはオロアちゃんが何かを投擲すると同時に、こちらに向かって、ではなく。まるで見えない足場があるかのように、アーセムの幹を駆け上がっていた。
「行かせないよ!」
しかし、そこは元とはいえ準一級の空師。
リィルはすぐさま針と糸を使い、ペスさんの後を素早く追随する。
「くっ! ペスッ!」
――このままでは確実に追いつかれる。
そのことが予想でもなんでもない事実として自分に迫ってきたことが、オロアちゃんを無謀な賭けに急き立てたんだろう。
かけ声と共にペスさんの身体が反転、ワタシたちに向かって躍りかかってくるのと同時に、オロアちゃんだけがペスさんの背中を蹴って、目の前にまで近づいていた足場に向かって跳びだした。
「バカッ! 今、飛んだりしたらッ」
リィルの言葉が最後まで続くことはなかった。
突如として吹き荒れた突風が、辺りの何もかもをさらっていく。
音も、視界も、――オロアちゃんの身体も。
ワタシたちの見ている目の前で、殴りつけてくるような荒々しい突風は僅かな抵抗を許すことなく、小さい、今見れば本当に子供としか言いようのない華奢な身体を、無慈悲にもさらっていった。




