74 まだワタシのデュエルフェイズは終了してないZE!
天敵から身を隠す小動物のように、じっと息を殺し、危機が過ぎ去るのを待ち続けていたシュシュルカさんの身体がビクッと震えた。
顔を伏せていても逃れようはない、彼女の全身に突き刺さる視線が現実からまでは目を反らすことを許さなかった。
過呼吸を起こしているように、ひゅるひゅると浅く掠れた息が繰り返される。
目の前には、鋭い牙がずらり並んだ巨大なアギトが限界まで開かれている。ほんのわずかでも挙動を悟られれば、すぐにでも渾身の力をもって振り下ろされ、抵抗をする間もなくズタズタに噛み千切られる。
そんな大きすぎる死の気配を前にしているのに……いやだからこそか、震えながらもそれを確認せずにはいられなかったんだろう。
シュシュルカさんの顔がゆっくりと持ち上がって、ワタシたちの視線を受け止めた。
――いや、どう見ても受け止め切れてはいないんだけどね。
もう今にも、胃の中身どころか、血も涙も吐き散らかして、崩れ落ちそうな表情をしたシュシュルカさんは、雛が親鳥に命乞いをしているような悲痛な叫びを上げた。
「で、でもっ! 前の巫子を上げてから五十年くらいしか経ってないって、百年以上経たないうちにお告げがあったことはないって。
だから、だから、アタシの代じゃ、まずないって!」
「百年というのはあくまでも目安に過ぎません。たとえ、五年であろうが十年であろうが、幻獣様からお達しがあれば、ひと月を過ぎぬうちに巫子を召し上げる。そのこともお話があった筈です。
そして、貴女はそれを承知の上で『籠守』として、ここに残った。違いますか?」
「でも、でもぉっ!」
膝の上で固く握りしめられた拳の内で、鋭くとがった爪が自分を責め立てるみたいに食い込んでいた。
でも、どれだけ自分を虐めてみても、どれだけ涙ながらに懇願してみても、事態が好転する望みはなかった。
しかし、それでもと、声を上げずにはいられなかった訳で、シュシュルカさんの中で暴れ狂う思いが外にまで溢れて、彼女の周りで苦しみのた打ち回っているようだった。
何か、何かないか。あの子たちを犠牲にしない方法は、どうすればこの人たちに帰ってもらえる、どうしたら、どうしたらこれまでと同じように、みんなで笑って暮らしていける……。
そんな、拠り所のない思考が荒波となって、シュシュルカさんを飲み込もうとしていた。
「ここに集められる子供たちが、身寄りもなく、年端もいかない幼子であること。それがなぜか……、貴女も『籠守』であるなら、ご存知でしょう」
もはや、言葉が届いているかさえ怪しかった。荒れ狂う恐考はアーセリアさんの声がシュシュルカさんに届く前に打ち消し、より強大に、嵐のような苛烈さで彼女自身も、周りの人間も、区別なく闇の中に引きずり込もうとしていた。
――これは……、マジでヤバイと違いますん?
明らかにシュシュルカさんの様子が普通じゃない。全身から闇のオーラが漏れだしていて、今にも闇の人格となり、『もう一人のボク』として独立独歩の末に、アーセリアさんたちに「罰ゲーム!」しそうな勢いですよ。
そうなったら最後、アーセムの頂上なんてフッ飛ばして、天井の世界に王として君臨することになるってワタシ知ってる。
そんな高みを目指されたんじゃあ、四つ足で地面にしっかりと縋りつく犬っ娘のワタシでは手も足もでない訳なんですけど、そんなことの前に四つ足だから前足と後足なんで、まさに打つ手がないってね。
(フ~ッ! 上手いぞ、ワタシ。今ので座布団二枚はかたいから、一枚を生き贄に捧げて、堕落へ誘う魔の手を特殊召喚! この冷え切った空気からワタシの身も心も守る!
さらに堕落へ誘う魔の手の特殊効果発動! このターンは『夢落ち』となり、一ターン前まで時間を巻き戻す!
……なっ、なぜ効果が発動しない!? ハッ! もしやこれが、世に聞く禁止カードというヤツか……)
――フッ、なら仕方ない……やめてぇ、シリアスぅ! ワタシのライフはもうゼロよッ!?
しかし、竜の王にすら抵抗を許さないワタシの懇願でさえ、シリアスさんの前では「HA☆NA☆SE!」とばかりに無残に突き飛ばされるばかりで、その手はモンスターカード『闇より這い出でし爬虫類』をドローするため、山札に向かって伸ばされていた。
未だ山札の一番上は明かされていない状況だが、ワタシには分かる。シリアスさんのドロー力は主人公級、つまり運命を引き寄せるどころか、地面から神さえも引き抜ける存在。
ゆえに、次のドローは確実に『闇より這い出でし爬虫類』だ。それ以外は、あり得ない。
もし、何か、ほんの小さな切っ掛けがありでもしたら、その瞬間、全ての可能性がシリアスさんの手の内に向かって収束していく。そうなってからじゃあ、遅い。だから今すぐにでも、先手を打たなければ!
「繋がりが薄いからです。血にも街にも、そして人にも」
はーっ、自分で手がないって言ったばっかりなのに忘れるなんてな……。
――ワタシってばお茶目さん!
終わった、これはもう手詰まりってヤツですよ。これこそ本当の、手も足も出ないっていうことなんですね。
いやいや、そういう言葉遊びで自分をごまかすのはもういいから! マジでどうにかこのデカく重くなり過ぎたシリアスさんをどうにかしないと、外での状況に逆戻りしちゃいますって。
(どうする? どうするよワタシ! どうしたらこの場を、クソくだらないギャグ空間に変貌させることができる!?
ほらほら早くもシュシュルカさんの瞳からハイライトが消えちゃって、あれはマジで覚悟決めちゃった人の目だってやだぁ! もう自分の身とか、やらかした後のこととか、全部頭の中から消え失せちゃってますもん間違いない。
あああ、ホントに待って! 焦らないで! 手が早くたっていいことなんてないんだからぁ!)
そういうのはリィルだけで十二分なんですよ。これ以上そんな無鉄砲な人が増えたって、誤射って無駄に屍が晒されるだけなんだから。しかも、その誤射られて屍になるのは絶対にワタシだって決まってますもん。
(分かるよ、それが望みなんだろ? 神様……)
だからって、望み通りになんてなってやらないからな!
そうとも、座して死を待つのだけがワタシの芸風じゃないって分からせてやるよ。
シリアスさんにもシュシュルカさんにも、殺されてなんてやるもんか。ワタシは生きるぞ、何をしたって生き延びてやる。
(だから、……その方法を教えて神様!)
まぁ、元の世界でもこっちに来てからも、神頼みが一度でも通じたためしなんかないんだけどね。ワタシの願いなんて届く筈がなかった。
そして。そんなことに迷走している内に、シュシュルカさんの全身はたわみ、アーセリアさんに向かって決死の覚悟で跳びかかる準備が既にできあがっていた。
――これがラストチャンスだ……。
力を解き放つためのワンクッション、ここで何かしら行動を起こして、シュシュルカさんを止められなかったら、全員がお縄を頂戴するはめになる。
そうなったら、子供たちを助けだす方法を思いついても、後の祭りだ。どうしようもない。
――でも、ワタシに何ができる?
こんな、力も覚悟も、人脈もない。ただの犬な幼女で、中身がオッサン一歩手前のワタシに、『俺』に、できることなんてある筈ない。
それに、止めた後はどうする。シュシュルカさんを止めたって、子供たちの運命が変わることなんてあり得ない。
懇願されたからって変わるような、甘い覚悟でアーセリアさんはここに来ていない。そのことは、今も毅然な態度でワタシたちとまっすぐ相対している彼女を見れば、嫌でも分かる。
意味がない、価値がない、甲斐がない、覚悟がない、……代案が、ない。
――でも、それでも!
「ストォーップ!!!」
――ここで何もしないのは、駄目だろ。




