71 求められているのは
緊張に固くなったアーセリアさんの口調が、その存在の大きさを物語っていた。
(幻獣様、か。これまたファンタジーですね)
幻獣と聞いて、すぐに想像がつくところだと、さっきアーセリアさんの話に出てきた『竜』を筆頭に、一角馬とか不死鳥あたりだろうか。
けど、なんというか、もう街中に馬人族とか蛇人族が普通に闊歩しているこの世界でそんなことを言われてもなって感じてしまう。正直、今更ですよね。
「あれ、そういえばペスさんは幻獣じゃないの?」
「うん、じゃなくて、はい。ペスは幻獣じゃ、ではありません。分類としては魔獣になります」
「んん? どうしたの、リィル?」
振り向きながら聞いたのに、ワタシの方を直視せず、それどころか若干気まずそうに顔を背ける始末。しかも話し方まで、なんていうか、就活に向けて初めて敬語を練習するパリピみたいな様子でどもってる。
――こんな……、こんなのリィルじゃない!
いったいどうしたって言うんだ。いつもならワタシが少しでもリィルにかまうようなことを言えば、言葉じゃなくて全身を使って返答をしてくるっていうのに、これじゃあリィルがまともな人間みたいじゃあないか、お止めよ。
「だ、大丈夫? リィル。なんだか口調というか態度というか、むしろ全体的におかしいところしか見当たらないけど」
「へぁっ!? いや、ああじゃなくて、いえ、そんなことはないと……」
「りーるぅ?」
下からヌメつけるように覗き込んでやると、そわそわと落ち着きなく視線を揺らしていたリィルは、ようやく観念したように口元をもごもごさせながら拗ねたみたいに唇を尖らせた。
「ゔうぅ。だ、だって、普通の獣人ではないとは思ってたけど。まさかマレビト様とは思いもしなくて……。やっぱり、今まで通りはダメかなって思ったりして……、やっぱり変?」
不安げにこちら見つめてくる瞳を見返しながら、大げさに見えるように芝居がかった溜め息を吐いて、ズイッと顔を寄せた。
「今までが変じゃなったかと言えば、そんなことはないし。むしろ出合い頭にハグを決めてくる人が変じゃなかったら世界が間違ってるから、リィルは変だってワタシは胸を張って言うよ。
でもさ、それがリィルなんだよ。リィルは変じゃなかった変なんだ! だからさ、今まで通りでいいんだよ。ワタシたち、友達なんだからさ」
「で、でもぉ」
いやいや何が「でもぉ」ですか。
貴女が今までやらかしてきたことを考えたら、まさに今更ですから。
いやホントに、ちょっと思い返してくださいよ。人として人にやっちゃいけないことだらけなんで。
――ワタシが犬であったことを幸福に思うんだなぁ!
チワワだってもう少し慎みがある瞳で、小型犬ビームを照射する。星とハートを散りばめた瞳のワタシから逃れようと、リィルは横目でアーセリアさんに視線を送って、どうすればいいか尋ねているみたいだった。
「……マレビト様と交流を交わさせていただく際に最も肝要であるのは、マレビト様のご要望にお応えすることです。ご本人が望まれている以上、今まで通りの姿勢こそ、礼節ある態度と言えるでしょう。
……あくまでその場に適した節度を持って、ですが」
根負けしたように、アーセリアさんが小さく溜め息を零しながら許しを出すと、リィルの顔から不安げな色が吹き飛んだ。
見つめ合って、ワタシが満面の笑みで両手を大きく広げると、リィルも曇っていた空が急に晴れ渡ったみたいな笑顔で胸の中に飛び込んできた。
「イディちゃん!」
「リィル!」
ひしっ、と抱き合い、ワタシたちはお互いの友情を確認し合う。
「これからも友達としてよろしくね!」
「勿論!」
「一緒にいろんなとこに行こうね!」
「勿論さぁ!」
「たくさんたくさん散歩に行こ!」
「もち、おう、待てや。そこに友情はあるのか?」
「勿論だよ!」
(なら良しッ!)
何も良くないのはワタシが一番よく知っているのだけど、それはそれとして、それがたとえリィルだとしても、綺麗なお姉さんに抱き着かれるのは嬉しいものなので、割と色々と許してもいい気がしてくる。
それに、ハスハスさせながらの顔をお腹に擦りつけられるのが絶妙に気持ち良くて、これはこれで思考が蕩けていく感覚がたまらない。
「あぁ、リィル。りーるぅ!」
「はぁっはぁあっ! 駄目だよ、イディちゃん。駄目な子の匂いがするよぉ!
甘いケモ臭と仄かな土の匂に混ざって香ばしい汗のかほりがぁ……、駄目な子だよぉお!」
「節度を持ってと言いましたよねっ!?」
アーセリアさんの叫びリィルが顔を上げたことで一瞬正気の戻りかけた気がしたけど、すぐに顔に替わって手がお腹を撫で回してきたから、尻尾を激しく振るのが忙しくて正気まで振り切ってしまっていた。
「あっあっあっ」
「お言葉ですがアーセリアさま゛ぁっ!?」
「もの申す前にイディちゃんへのわいせつ行為を止めてください! 悪ふざけが過ぎますよ、リィル殿」
脳天に落とされたゼタさんの拳によって、リィルは頭を抱えながらようやく動きを止め、それと同時にワタシの中に人間性が帰ってきたのだった。
(……やっちまったぁあ!)
羞恥から余計に荒くなりそうになる息を強制的になだめながら、アーセリアさんの方を見ないように様子を探る。
こんなお固くって重苦しい、難しそうな話をしている場でお茶らけてしまうなんて。いや、むしろだからこそなんだけど。
だとしても、シュシュルカさんが沈み切ってしまうような内容の話をしようっていう今を、なんか微妙な空気にしてしまったのは許され難い。
――これは早くもゲームオーバーですかねぇ。
リィルのあまりに巧みな顔捌きに失礼千万な態度を取ってしまった。アーセリアさんが額の血管がブチ切れさせて、一筋の怒りという血潮を流していても不思議じゃない。
お上品な人程、怒った時は超絶怖いって相場が決まっているっていうのに。
しかし、分かっていたことではある、相手の顔を見ずに思考を読み取るような超能力がワタシにある筈なかった。
むしろ、あの日本にいながら空気を読む能力すら低すぎて、コミュ力超低空飛行ゆえにエマージェンシーすら送れない存在だった。
つまり、お話する時は相手の目を見て話しましょう、ってことですね。
――は~、分かる。小学校で教わったわ、それ。
まあ、教わったってことと、できるってことは、一致する訳じゃあないんですけどね。
仕方ないので、次の瞬間に叩き潰されてもいいように、あらかじめ自分で心を叩き折っておいてから、そろりそろりとアーセリアさんの方を上目遣いで見上げた。
そして、ゆっくりと持ち上がっていく視界に映ったのは……、キュッと目をつぶり、顔と一緒にこれ以上なく真っ赤になった耳を隠すように握って、頬っぺたに押しつけているアーセリアさんだった。
(何それあざとい!)
まるで、小さなお子様が怖いようで怖くないアニメを見てしまって、なんとか耳だけは死守しようと懸命になって塞いでいるような仕草。
これには全ワタシがスタンディングオーベーション。まともな人間だったら耐えられなかったに違いない。
――マレビトってすげぇんだな。
感動のあまり両手で口元を覆いながらじっと見つめていると、アーセリアさんの後ろに控えていた護衛の森人さんが咳払いをして割り込んできた。
「アーセリア様」
「はっ! お、おほん。お話を戻します」
(顔色は戻ってないけどな)
元の肌の色が透き通るような白さを持っているから、余計に赤く染まった頬と耳が鮮やかに映えるんだな。なんかもう、どうやっても先程までの息が苦しくなるような空気には戻りそうにない。
「え、えっと。あれ? あ、あの、どこまで」
「幻獣様のくだりです」
そしてアーセリアさんの威厳も戻りそうになかった。
眉をハの字にして、今にも泣きそうな顔で耳を力なく垂らしながら不安げに辺りを見回していると、すかさず護衛の人が耳打ちをした。
「あ。そ、そうでした。つまりです!」
護衛さんの言葉を聞いた途端、アーセリアさんの耳が自信を取り戻したみたいにピンと上を向いた。
同時に、今から私は重要なことを言いますと、全身で訴えかけてくるみたいに、小さな握りこぶしを上下に振り回しながら少し身を乗りだしてきた。
「幻獣様は『世話役』をお求めなのです!」
――……色々とはしょりましたね?




