64 お姉ちゃんだからな!
足の裏に爆薬でも仕込んでいたのかと疑いたくなる重低音を響かせて、一息で最高速に達したゼタさんは、まさに撃ちだされた弾丸の勢いで、真っ直ぐバルッグさんに突進していく。
武器も持たないままでは無謀にも思えたけど、それは間違いだった。
彼女は獣人、山羊人族。
徒人とはそもそも身体の作りが違う。その無理やり圧縮したように張り詰めた太ももから繰りだされる蹴りが、五メートル以上あった間合いを一拍の間で縮め、その頭部から延びる太く力強く捻じれた角は、並の武器と比べるべくもない天然の豪槍となっていた。
(……卑猥な想像した人は後で異世界まで来るように、お話があります! 来られるもんならなぁ!)
何に対してイキっているのか自分でも分からない、アホなことを考えている余裕があるワタシの身体も獣人、心は犬、いやはや恐れ入るね。
どれだけ体感時間の中で長く過ごしたところで時間の分だけ賢くなれるなんて訳もなくて、アホな思考のままゆっくりと流れていく視界の中で、ゼタさんの御立派様な槍 (意味深)が空気の壁を引き千切りながらバルッグさんに迫っていた。
――これもう勝ったろ、そろそろ風呂の用意してくるわ。
タンクローリーだってもう少し大人しいと思える走行音を響かせながら突貫するゼタさんを見て、勝利を確信したワタシは、自分史上三本の指に入るドヤ顔でもってバロッグさんを下から見下してやろうと顔を向けたところで、あり得ないものが見えて驚愕に目を見開いた。
(ヤロウッ、笑ってやがる!?)
どうなってるんだ、転生を望んじゃうような輩だって、許容できるのはトラックまでだって決まっているのに。
眼前に迫ってくるタンクローリーを目にして平然としていられるのは、ジョとかジョがつくとても高校生とは思えない高校生だけの筈だ。
それがなんでそれ以上のモノを前にして笑っていられる、何がそれだけの余裕を奴に与えているんだ!?
ヤバい、何がヤバいのかは分からないが、ヤバいのだけは分かる。
何か、何かとてつもなく恐ろしいことが、ゼタさんのみに起きようとしている。
これは予感じゃあない、確信だ!
予感を超えて、確信としてワタシの中にその感情が湧き上がってきている!
「止まるんだゼタさん! そいつは、ヤバいぃッ!」
「――」
バルッグさんが小さく口を開き、小さく何事かを囁いたと思った瞬間、ゼタさんが土煙を巻き上げながら急停止した。
一瞬、ワタシの言葉が届いたのかと思い、歓声を上げそうになったけど、すぐにそれが思い違いだと気づかされた。
風船からゆっくり空気が抜けていくみたいに、先程まで全身に漲っていた力が消え失せて、手をつくとか受身をとるとかの素振りもなく、膝が地面を擦り、お尻がついたかと思うと、ぐらりとゼタさんの身体が横に傾いでいき、そのまま横倒しにとさっと軽い音を立てて倒れ伏してしまった。
(以外ッ! マジで何やったか分からない!)
恐ろしく速い手刀とか、いつから私がとか、そんなことが起こったら尻尾を巻きながら裸足のまま転がってのオプションつきで逃げだす。そのことは自信をもって宣言させてもらうんだけど、そもそも何が起こったのかも分からないんじゃ、リアクションのしようがない。
もっと恐ろしいかどうかも、その片鱗さえ見逃して、ワタシが駄犬であるってことだけが唯一の分かったことだなんて、……知ってた速報。
現状、ワタシたちに残されていた最終戦力をあっさりと、それも言葉通り穏便に無力化されてしまった。
先程までのバルッグさんの静か過ぎる言動は、何もこちらを見下しきっていたゆえの余裕なんかじゃなかったんだ。純粋に、冷静に、戦力を分析した結果、相手にならないからこその態度だったんだ。
そのことを理解させられるのと同時に、ようやく逃げ切れないところまで危機的状況が差し迫ってきていることに身体が震え、ゼタさんがやられた何かがこっちにまで及んできたように、膝から頽れて四つん這いで地面に縋るように土下座の準備を始めたワタシの身体は、美徳のみで構成されているみたいに正直だった。
「……言操魔法。それも、とんでもなく高度な」
今まさに、地面に向かって満身の力を込めて振り下ろそうとされている頭が、そのタメを作るために相手を見上げるように若干持ち上げた時、背後からリィルの戦慄に染まったささやきが聞こえてきた。
「徒人の間じゃあ、言霊って方で知れてるんだがね。
それにしても、この短さで気づくか、流石は元準一級の空師だ。とはいっても、おれはコレしかできねぇし、そこそこ知られちまってるんだけどな」
「コレしかできない? じょーだん。それだけできるんなら他のことができないんて、些細なことでしょ。
でも、それも嘘。空帝騎士団の団長が、それだけで務まるなんてあり得ない。どーせ、言操魔法と比べたらって話でしょ」
「いやはや、持ち上げてくれるねぇ~。
とはいっても、おれぁ、荒事は専門じゃあねぇし。ただ、『上』の獣どもの相手より、対人の方が上手く立ち回れるってだけの話さ」
リィルの身体は未だに震えている、何がそんなに彼女を恐怖させているのかは分からない。それでも、震える膝を叱咤して、再び地を踏みしめてバルッグさんたちと相対していた。
「いいのかい? おれはともかく、アンタがアーセリア殿に刃向かうってのは、相当デカい意味を持つはずだ。
それこそ、オーグルで生きていけなくなるんじゃねぇか?」
「そうね。正直、自分でもなんで立ってられるのか不思議なくらい、心も身体もビビちゃってる。
今すぐにでも、ゼタとイディちゃんを抱えて、ここから走って逃げたい」
「なら」
「それでも!」
意思の込められた一声に、その場にいる全員が動きを止めた。
音が鳴りそうになる歯を食い縛り、浮かんでくる涙を意思の炎で吹き散らして、それでも自分の内に巣くう弱気を振り払うように、パァンッと頬を両手で大きく一つ打ち鳴らして、一歩を踏み込み腰を低く身構えた。
「私は『お姉ちゃん』なんだッ! 妹に手だされて、ハイそうですかって、すごすご逃げ帰る訳にはいかないんだよッ!」
叫ぶのと同時に、リィルから針が投擲される。一切の挙動を悟らせないような巧みさで放たれた針は、ワタシが気がついた時にはバルッグさんの目の前まで迫っていた。
「――」
しかし、そんな達人の技の冴えをもってしても、バルッグさんの言霊の前には通用しなかった。また何かしらの言葉を短く発した、それだけリィルの針は見えない壁にぶつかったみたいに弾かれてしまった。
しかしそれはリィルも予想済みのことだったようで、針を追い駆けるように体勢を低くしたままバルッグさんの懐に潜り込むと、全身で拳を持ち上げるような勢いでアッパーを繰りだしていた。
当たりさえすれば人族はおろかアーセムの獣でもひとたまりもない、そんな空気の壁を引き千切って迫ってくる暴力を前にしてもバルッグさんの目は冷めきっていた。
「――」
どこまでも冷静に最善の一手を繰りだす。
おそらくゼタさんを昏倒させたものと同じであろう言霊が放たれ、抗えない急激な眠気に襲われたみたいに、その場に倒れ込んでしまう。
それで決着。――その筈だった。
「ぅぐぉおッ!?」
バルッグさんの身体が『く』の字に折れ曲がる。
目一杯開かれた瞳からは何が起こったのか分からないといった困惑が、これ以上なく開かれた口からは腹から突き抜けて脳を焼く激痛が、溢れでていた。
バルッグさんがたまらず腹を庇いながら膝をついたのを見ることもなく、リィルは倒れていたゼタさんを素早く回収すると、一足でワタシたちの元まで戻ってきた。
優しく地面に寝かせ、手早くゼタさんの容態を確認すると、どうやら本当にただ眠っているだけのようで、規則正しい呼吸と緩やかな寝顔に、リィルは安心から大きく息を吐いて破顔すると、またワタシたちを庇うように踏みだした。
「どうなってやがる!? おれの言霊は確かに発動した、それが、ッ!?
まさか、おめぇ!?」
困惑の極地にいたバルッグさんだったが、そんな状況でも冷静な分析をしていた脳は動きを止めていなかったようで、自分の中で一つの仮説に行き着き、困惑から驚愕へと表情が塗り替えれていった。
「……言操魔法の恐ろしいところは、他の魔法と違って、魔力を遮断できたとしても、言葉が聞こえた時点で効力が生まれること。――なら、」
悪戯が成功した子どもみたいに、リィルの顔が喜色と愉悦に歪む。膝をついたバルッグさんを見下ろして、自分の耳を指さしながら、間違いなく今世紀最高のドヤ顔で魅せてくれた。
「聞こえなくしちゃえばいいのさッ!」




