31 夢見心地な味わい
『えー、っと。まぁ、なんだか一悶着あったみたいだけど、進行にはなんの問題もないね! それじゃあ、いってみよう。ガロンさん、どうぞぉ!』
『おうよ! 本邦初公開! 我が糸蜜堂の新商品は、こいつだぁ!』
ガロンさんの掛け声とともに猫人族の彼女たちが盆の蓋を持ち上げる。震えが止まらず、盆と蓋をぶつけてガチャガチャ鳴らしながらも蓋を取り上げたメーアさんのプロ意識に涙を禁じ得なかった。
(すげぇよ、メーアさん! あんたぁプロだよ!!)
未だに震えている背中に英雄の片鱗を見た気がして、心の中で最大の賛辞を送った。
後は彼女が、夜道で背後を気にすることなく、布団の中で震えずに安眠できる日が訪れることを願うだけ願っておこう。
――大丈夫、命を差し出せばきっと許してくれるから。
それを大丈夫と言えるかどうかは別して、きっとそんな気がします。
思わぬ流れ弾に震えていたワタシの体も何とか平静を取り戻したので、視界を滲ませる涙を振り払い皿に視線を移した。
――こ、これはっ!
目の前に晒された皿の中身を確認するのと同時に驚愕の余り言葉をなくし、大きく目を見開いて皿とガロンさんとの間で視線を行ったり来たりさせているワタシの様子に気がつく筈もなく、彼は哀愁を交えた遠い瞳に何かを映しながら語り始めた。
『俺はこれまで、どうにかして天然物の糸玉に近づけるように、蜜壺蜘蛛の生態や糸玉を作っているところやら観察して、再現度を高めることに専念してきた。
それが間違ってるとも、今までやってきたことが無駄とも思わねぇ。
これからも、その追及は止めねぇ。……だが、それだけじゃあ菓子の探求はできても、店の質の高上は止まっちまう。
菓子が前に進んでも店が前に進まねぇんじゃ、意味がねぇ。
そこで考えた! 再現ができねぇなら、いっそ真逆に突っ走ってみよう、ってな! その答えがコイツ!』
そこにあったのは、見るからに木の枝。
おそらくアーセムの小枝であろうそれの先端に、ふわふわとした、触れれば沈み込んでしまいそうな、色とりどりの雲、あるいは綿のような塊。
そう、これは見紛うことなく――、
『糸雲だぁ!!』
――綿あめだこれぇ!
もう天下でも取ったように握り拳を掲げながら、力強く声を上げるガロンさんの横顔を思わず凝視した。
いやね、何も悪くないし、誰も悪くない。
むしろ、人力や自然の力が強力過ぎてそこまで科学が発達していないように思えるこの世界で、見てくれだけでも地球と同じレベルの綿あめが作れるというのは称賛ものなのは確かなんだけど、それでも……。
――どう受け入れればいいんだろうか、この乾ききった心を。
美味しい、確かに綿あめは美味しい。手にしているだけで、ボッチでも祭りを満喫している気になれるし、スプーン一杯の砂糖に何百円も出している自分の浮かれ具合が面白くって涙が出るくらい楽しくなる。
でも最近の祭りで売っている綿あめは日朝のアニメキャラの袋に入っていることが殆どだから、もう手にするだけで羞恥プレイかよって具合なのが、口惜しいぐらいに好きですけど、でもそうじゃないでしょう、ファンタジーって。
もっとこうさ、実際に食べられる雲が空に浮かんでるとかさ、そういうのがあってもいいじゃない、異世界なんだもの……。
それを言ったら蜘蛛の糸を美味しく食べれるってだけでファンタジーなのはその通りだけど、もう一声、もう一声欲しかった!
椅子の背もたれと座の間に設けられた穴から背後に飛び出させた尻尾が、どうしようもなく項垂れる。
このワタシの意思とは無関係に、勝手気ままに感情を垂れ流してくれている尻尾が、ガロンさんからは角度的に見えないのが救いだった。
「うむ! ガロン殿は相変らず子供が好きそうな見た目の菓子を作るのが、巧みでいらっしゃる。手に持って食べるというのが何とも、祭りの時などは余計に気分が高揚しそうだ」
「ねー。さっきのイスゥさんの『カロン』は選ぶ楽しみだったけど、ガロンさんの『糸雲』は分け合う楽しみっていう感じかな。
みんなで一つの食べるっていうのが、喧嘩にもなっちゃいそうだけど、そういうのもいい思い出になりそう。
見た目も可愛し、なんだか、こういう不思議な形の食べられる花なんだよ、って言われたら信じちゃいそう!」
思わぬ好評価に勢いよく振り向いたまま固まってしまった。
しかしよくよく考えてみれば、初めて綿あめを見たら、そりゃあそうなるも当然かもしれない。
元の世界でもあそこまで奇抜なお菓子ってそうそうないだろうし、今日まで廃れることなくずっと続いているのを考えれば、作り方が根本から違うとはいえ、ノーヒントでそれを作り上げたガロンさんはやはり優秀な菓子職人であることは疑いようもない……んだけど、これが俗に言う音楽性の違いってやつなのかな。
――子供の頃は、この砂糖の塊に何かトキメキのようなものを感じていた筈なんだけどな……ボッチでも。
祭囃子と屋台の橙の灯りの中、綿あめ片手に一人歩く子供の頃の自分の後ろ姿を幻視して、涙ながらに目を逸らした。
むしろなんで子供の頃のワタシはそんな孤独の極致に身を投げ出すようなマネをしたんだろうか、胸が詰まる思いです。
「ね、イディちゃんはどっちの方が好み?」
甘い筈の綿あめを前にしょっぱい気分に浸っていたワタシは、リィルから突然降られた話題に辛い現実に引き戻された。
「へっ!? いや、あの。食べてみないことには何とも……」
「あっ、そりゃそうだよね。ごめんごめん、先走っちゃった。それじゃ、いただいてみよっか」
「ええ、いざ!」
しどろもどろに声も仕草もまとまりきらないまま、ゼタさんの掛け声に合わせて、手に持った綿あめに一斉に齧りついた。
予想通り、口の中に入ると豊かな甘味を広げてすぐに溶けて消える。
地球の物と違って、若干弾力のある口触りや仄かな果実の香りが楽しいが、それでもやはりこれは、綿あめだ。
何もかも予想通り、これといって新たな驚きがある訳じゃなかった。それなのに、
――ワタシって、まじチョロ犬。
口の中の優しい甘みに尻尾が乱舞する。
甘けりゃ何でもいいのか、ワタシ、あんまりにも安直が過ぎるぞ。でも、幸せって小さいことの積み重ねだからね、きっとこういうので良いんだよ。
だから、ワタシが特別お易い訳じゃない。そう、犬は楽しい散歩と美味しいご飯には、抗えないんだから。
堕落しきった室内犬のような思考に涙が一筋流れていくが、気にしない。そう、一度でも使ってしまったら、もう後戻りはできないんだ。
でも涎以上に涙を受け止めているこれは、すでに涎掛けという存在からはかけ離れている気がするので、ワタシの精神には大したダメージにはならないんだ、きっと。
「うむ、こちらも実に美味い!」
「巻き方一つで糸玉とは全然違うお菓子になるんだね。
口の中でもこもこ膨らむ糸玉の感じも好きだけど、こっちの、糸雲だっけ? 口に入れた瞬間に溶けて、甘さと風味だけ残して消えていって、なんだか本当に雲を食べてるみたい。
もちろん、本物の雲を食べたことはないから想像でしかないんだけど、でも食べられたらこんな感じなのかなって、思わせるぐらい食べてて楽しいお菓子だね」
目を閉じて、ひたすらに甘みを堪能する。
しかし、どんなに現実から目を逸らしても、閉ざした視界の外からいくつもの視線がワタシに突き刺さってくるのが分かり過ぎて、女性は視線に敏感だっていうけど、これは誰でも分かるだろうし、むしろ分からせにきていて、口を閉ざしている選択肢がないのを思い知らされますね。
「……素朴な甘さが口全体に広がって、いくらでも食べられそうなお菓子ですね。
先程の『カロン』はいろんな味が入っている分、好き嫌いが出てきそうですが、こちらはそういうこともなく。形も普段食べているものとはかけ離れていて、持っているだけでなんだか特別な日っていう感じがしてくるように思いました」
これは見えない圧力にワタシが屈したとか、心の支柱をバキバキに砕かれたとかそういうことではなくて、そもそも繊細なワタシの心はこっちの世界に来てから、もうだいぶ磨り潰されて見るも無残な状況ですし、その主犯たるリィルに迫られたらお腹を見せるのもやぶさかではないのは誰が見たって疑いようもないことで、ワタシもこれぽっちも疑いなんて持ちません。
――だから、そんな風に頭を撫でられたって尻尾を振るだけだからなっ!
『おぉ! 流石は無敗を誇る糸蜜堂、どうどうたる高評価の連発だぁ! これは本当の本当に結果が分からなくなってきたね。
色とりどりの宝石のような見た目と様々な種類のフレーバーで勝負をしかけてきた「カロン」と、ふわふわした幻想的で可愛らしい見た目と他に類を見ない味わいの「糸雲」。
軍配が上がるのは、はたしてっ!? それじゃあ、さっそく』
『待ちな』
意気揚揚と捲し立てていたリリゥさんを遮って、一歩前に踏み出したガロンさんは不敵な笑みを広げながら続けた。
『俺のプレゼンはまだ終わっちゃいないぜ』




