28 ステージの上の魅惑
『妖精ですぅ! とベタなツッコミを入れたところで、どうやらお菓子の用意ができたみたい! それじゃあ、さっそく紹介からいってみよー!』
ワァッと盛り上がる観客と反発するように、元々地面にめり込むぐらい低かったワタシのテンションは地表を突き抜けて反対側に飛び出しそうだった。
ワタシを取り囲んでいる空気も人も、なによりこの状況が逃げることを許してくれそうにない。どうあってもここにいる全ての存在はワタシに恥をかかせたくて仕方ないらしい。
妖精の癖に夢も希望もない鬼畜発言に思わず叫び返してしまったが、ワタシとしてはこれ以上の痴態は致命傷になってしまうので早々に膝を抱えなおし、膝頭の一点を見つめて畦道脇の地蔵様のように押し黙った。
自分でも致命傷に耐性ができつつあるように思えてならないけど、本当にこれ以上恥の上塗りを繰り返してしまったら、呼吸をするのさえ恥ずかしくなりそうなので勘弁してください。
でもきっと、この身体はほんの欠片でも菓子を口にした途端、メシ堕ちしてしまうんだろうなぁ、って見え過ぎていてもうホントにどうしたら良いんだろうか……。
さっきから漂ってくる甘い香りがもうなんとも蠱惑的で、膝の裏に隠したワタシの口の中は涎が溢れ返って仕方いのだ。
両脇からワタシを覗いている二人が、何やら微笑ましいものを見た時のような優しげな微笑みを浮かべているが、何か言い返そうにも顔を上げたら涎濡れの顔が見えてしまうので、頑なに今の自身を堅持するしかないのだ。
ワタシが今一度、自分というものを確かめて自信の喪失を確固たるものにしていたところで、胸元にふわりと何かを掛けられる感触に視線を下げて、悲痛な叫びをヨダレと一緒に撒き散らしてしまったのは致し方ないことだった。
「ヤメロッ! これ以上幼女が進行したらどうしてくれるっ!?」
またしてもいつの間にか背後に回ったイスゥさんの手によって掛けられた涎掛けは的確に涎を受け止めて、犬のアップリケの上に染みを作っているのが見てとれて、涙まで溢れそうになったワタシを誰が責められようか。
「お役に立てたようで何よりでございます」
「煽ってんな止めとけよッ、泣いても知らんぞ!」
(この溢れんばかりの涙が見えないのかよ!?)
相も変わらず完璧すぎる所作と笑顔で、そこにいるだけでワタシを苛んで仕方ない彼だが、きっとそれは悪意なき精一杯の気遣いに違いない、だってワタシ傷ついているんだもの……。
彼にワタシを苛める気があるならそれは、直接的ではないにせよ攻撃ということになるので、能力によって防がれてはずなのだ。
それなのにワタシの心が、飼う気もないのに撫で回すだけ撫で回されるペットショップの売れ残っている犬のように、弄ばれていると感じられてしまうのは、それが敵意なき所業ということに違いない、だってワタシ心が痛いんだもの……。
――なんて惨い!
『イディちゃんの漫才もいつまでも見ていたいぐらい面白いんだけど、それじゃあ闘技会が終わんないからねっ! お楽しみを邪魔してなんだけど、イスゥさん! お菓子のサーブと解説をお願い!』
「承りました」
イスゥさんは丁寧に腰を折ってお辞儀をし、リリゥさんから何やら掌ぐらいの大きさの青緑色に淡く光っている鉱石のようなものを受け取って、奥に控えていた、あの犬人族の彼に目配せを送った。
合図を受け取った彼は、頭の上と両手に一枚ずつ器用に皿を乗せながらトコトコと短い足を動かして、テーブルの上に見事に並べ、丁寧に一礼してから、また奥に下がっていった。
彼のタキシードに似た制服から覗く短い尻尾の類稀な愛くるしさに、荒んでいた心が癒されていくのが分かり過ぎて、後姿が見えなくなるまで彼のお尻を凝視してしまった。
――いや、マジでラブリーだわ。
『それでは、菓子の説明から入らせていただきます』
辺りに響いたイスゥさんの声に我に返り、慌てて目の前の皿に視線を移した。
『今回、私が用意させていただいた品は、こちら! 「カロン」です!』
イスゥさんが手に持った鉱石に向かって声を発しながら、反対の手に持ったものを陽光にかざすように掲げてみせる。
ワタシたちの皿の上に乗っているのと同じもので、外見は蓋がされた八角形のやや縦長の透明なもの、特に特徴らしい特徴もないそれは、紛うことなき瓶だった。
『もちろん外見の瓶はただの容器なので、食べないようお願い致します』
「見れば分かりますぅ! こっち見ながら言わないで下さい!」
もう能力が機能してるのかも怪しくなってきたな。
今度、あの自称神様に会ったら問いただす心構えだけしておこう、そう心構えだけ、できるかどうかは問題じゃないんだ。
『それでは御三方、蓋をお開け下さい』
イスゥさんに促されるまま三人して蓋に手を掛けるが、ワタシの手には蓋が大きすぎて掴めないとかこれはもう狙ってやってるだろ。
意地でもイスゥさんとリィルの方を見ないようにする。もう口の端をヒクヒク震えさせながらムカつく顔をしている、絶対にしている。見なくても分かる。
「ぷふっ」
「声に出すのはダメだろ!」
(分かってるから! 笑ってますよアピールはいらないから!)
さっきから涎掛けに涎じゃないシミが増えてるのに気付いてください。
またも反応を返してしまったワタシに、会場からも温かな笑い声が湧き上がる。
これはもう街中を歩いたら笑顔で話しかけられちゃうぐらい顔覚えられちゃったなぁ、有名人は辛いなぁ、表歩けねーや……。
心の中ではそれもう大瀑布のごとき滝涙を流しているワタシだけど、現実では気丈にも二、三粒しか涙を零していない訳で、しかし垂れてくる鼻は如何せんどうしようもないので、ずびずび隠すように小さくすすりながら蓋と格闘を続けた。
何度となく挑戦を繰り返すも、相手も歴戦の猛者らしく頑なに腹の中を見せようとしない。
もういっそのこと叩き割ってやろうかと思い始めたところで、いつの間にか移動していたゼタさんが、後ろから抱きしめるように腕を回し、ワタシの手に自分の手を重ねて、実に鮮やかに蓋を瞬殺してくださった。
一部の女性たちから、黄色い歓声が上がった。
ワタシが唖然としたまま肩越しにゼタさんの顔を、茶化したものではない真心からの笑みを眺めていると、彼女は懐からハンカチを取り出して、優しくワタシの目元と口元を拭ってくれた。
また、一部の女性から黄色い歓声が上がって、気絶者が一人増えた。鼻血の人数は数えていない。
可愛らしくデフォルメされた山羊の刺繍がワタシの涙と涎に濡れていく。
それが、また目と心に沁みて、もう一粒、雫が頬を伝った。
『これ以上長引かせてしまうと、観覧されている皆様のお時間をいたずらに消費することになってしまいますので、手早く説明させていただきます』
「じゃあさっきまでの件はいらなかったよねっ!?」
『瓶の中に入っておりますのは「蜜玉」になります』
(そこは取りあってくれないんだ!?)
もうやけっぱちになるしか残されていないワタシは、九割を腹いせに残り一割を八つ当たりで、瓶の中身を皿の上に全部ぶちまけた。
カチ、カツン、と高い音を鳴らしながら、皿の上に色が溢れた。
赤、黄、緑に琥珀色、陽に照らされた真ん丸のそれらが、ツヤツヤと身を輝かせていた。
一つを手に取って陽光に透かすように掲げて見る。
外側を覆う膜のようなものは、滑らかな手触りで、ガラスを思わせる質感をしている。その中で琥珀色の液体が、手の振動に合わせて波打っていた。




