107 人って、つまりそういうことだよ
無言のまま、首を傾げるレオゥルムさんと見つめ合った。
――もしかして……またワタシ何かやらかしました?
「うむ? ……まさかとは思うが、巫子が命を捧げる生贄か何かと勘違いしてはおるまいな?」
――やらかしたみたいですね……知ってた!
いつもの通りのワタシだけど、ドッと冷や汗が全身から吹きでた。
誰だって知り合って間もない、よく知りもしない相手から、急に生贄を要求する危険物だなんて言われたら、そりゃあキレるだろう。
ましてや身に覚えのない罪での糾弾じみたやりとりからの命乞いだなんて、もう喧嘩売ってるとかそんなレベルじゃない。
しかも、その相手が明らかに格上の幻獣様とか……。
これはもう、いよいよワタシの命も秒読みですね。
しかし、顔が引きつりすぎて、命まで天井に吊り上げられそうな具合で震えているワタシをジッと見つめていたレオゥルムさんは、何やら得心がいったように頷いただけだった。
「どうやらその様子では、まことにそのような思い違いをしていたようだな。安心するといい、此方の巫子というのは、そういった人柱の類とは異なる。
これまで上げられてきた子らは、今も健やかにしておるよ。
それにしても……ふふっ。どうやら其方は一つ思い込むと、それに捕らわれてしまう性質のようだの?」
カチカチと嘴を打ち鳴らすような音を立てながら、身体を震わせるレオゥルムさんを見て、ようやく全身から緊張と力が抜けていくのを感じた。
どうやら、今のところはだけど、ワタシの態度はレオゥルムさんの逆鱗に触れてはいないようだった。
尻尾をへなへなと地面に横たわらせながら大きく息をついた。それと同時にふっと素朴な疑問が浮かんできて、何か考える前にそれが口をついてでていた。
「あれ? でも、そうするとなんでオールグや揺り籠の人たちが、今まで召し上げられた子供たちが戻ってきたっていうことを知らないどころか、そのまま亡くなっていると思い込んでいるのはどういうことなんでしょう?」
「ああ、そのことか」
ワタシの疑問にレオゥルムさんは大きく頷き、なんでもないように言葉を続けた。
「それは、ここに上げられた子供たちは皆、人族ではなくなるからな。
人の身で生きるには、ここの環境はちと厳しいのでな。此方のような存在に近い、精霊となってもらうのだ。
精霊故、通常の人族では見ることも声を聞くこともできない。それ故に下の者たちが知らぬのだろう」
「………へ?」
よく耳を疑うっていうけど、今まで一度だってお前らは自分の耳を心底信じてやったことがあるのかって話なんだけど、ワタシはもちろんない。
でも、ワタシは既に人じゃない、犬だからね。人の数倍は耳の性能がいい訳ですよ。
だから、たまには信じてあげもいいかなって思ったんだけど、こんな人を人じゃないものに作り変えてしまいますなんて聞き間違いがあると、それも揺らいできちゃう訳ですよ。
まったく、もう一回聞くから今度はしっかり頼みますよぉ?
「えっと、聞き間違いかと思うんですけど……人をどうすると?」
「うむ? ……ふむ。信じられないといった様子だな。うむ、分かるとも。通常、種族の変化は起こり得ないからの。
幻によって見えている姿を誤魔化す、一時的に他の種族の特徴を借り受けるなどは可能でも、根本から種族を変化させるとなると、世界広しといえど可能であるのは、此方や精霊の主ぐらいであろう……褒めてくれもいいのだぞ?」
「さすがでございますレオゥルム様!」
「うむうむ!」
タタタさんからのすかさずの合いの手に、レオゥルムさんは大きな鼻息を吹きだして満足げな様子だけど、鳥って鼻あったんだとかそういうの全部すっ飛ばして、ワタシとしてはそれどころじゃあない。ようやく収まっていた震えが、また見境なく暴れだしてくれていた。
もう、これは勘違いとかそんな次元を通り越して、疑いようもなく、アウトです。
――人じゃなくなるって……人じゃなくなるって!
そんなん人でなしの所業ですよ! 人じゃないのは周知の事実ですけどぉ!
それをこんなにも楽しげに話すだなんて……価値観の齟齬というのはかくも恐ろしい!
ワタシはこっちに来てから日が浅い。だからこっちの常識とか価値観とかに疎いのは疑いようもないけれど、それでも種族が変わってしまうというのが、その本人の一生を大きく変えてしまうものは容易に想像がつく。
種族を変えられてしまった人は種族を変えられる前と同じくその人だと、果たして言い切れるんだろうか?
……やっぱり駄目な気がする。
これを許してしまったら、リィルの悩みはどうすればいい? ゼタさんのこれまでは?
楽しいことよりもつらいことの方が多いかもしれない、それでも今の彼女たちを作っている大切な要素には違いない。
――何もかも変わってしまっても生きてるんだからいいでしょ?
それは彼女たちの抱えている悩み、それだけじゃなくてこれまでその悩みと向き合ってきた彼女たちのこれまでをも否定することになってしまう。
――だから、これは尻尾を振っちゃいけないことだ!
「レオゥルムさん!」
「ふふふ、そんな大きな声を上げずとも、此方への賛辞はしっかり届くとも……」
「間違ってます!」
鷲の顔に対しておかしな話だけど、レオゥルムさんは予想だにしていなかった言葉に目を丸く見開いて、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「レオゥルムさんは、間違ってます。人族は……人は皆、自分と向き合って自分になっていくんです。どんなにつらいことでも、どんなに苦しいことでも……」
――人は誰しも、一生をかけて自分を作り上げていく。
いつだって誰かや何かの思想とか思惑に晒されながら、それを拒絶するのも受け入れるのも、いつの間にか侵食されてしまうのだって、全部ひっくるめて自分になってくんだよ。
でもそれは、自分があってこそだ。
「たとえ正面から向き合い切れなくても、目を背けてしまっても、それが自分を作るんです。自分が自分を作るんです。
いつだって何かに影響されて作られていくワタシたちすけど。それでも! 作っていくのも作られていくのも、自分でなきゃいけないんだ……だから!
本人のあずかり知らないところで変えるのだけは、駄目ですよ。そうじゃなきゃ……生きているだなんて、言えないんだ……」
長々とセリフを吐いた。いつ切れるとも分からない、身勝手なワタシの独白を、レオゥルムさんは噛み締めるように目を閉じて最後まで聞いてくれた。
「……其方の言い分は分かった。だが其方自身も述べているように、多くの人格というのは意識外から様々な影響を受けて作られる。
その最たるものこそ、生まれであろう。
これは人族だけではない。多くが生まれは選べぬもの……。其方の言い分は、それを否定してはいまいか?」
「……だからこそ、です」
「ふむ?」
「生まれは当然のこと、死ですら滅多に選べないワタシたちだから。選べなくても、押しつけられても、生きることだけは自分のものにしなくちゃいけないんです」
ワタシたちの間に、沈黙が横たわった。
ゆっくりと、レオゥルムさんの瞳が開かれる。そこには遥か高みから世界を望む、深い叡智が渦巻いているように見えた。
「相分かった……しかし、できぬ」
反射的に口を開きかけたワタシを、レオゥルムさんは器用にも前足のひらを見せることで制止させた。とりあえず最後まで聞け、そう言外に突きつけられて、零れかけていた言葉が喉奥に押し返されて詰まる。
言葉を吐けずに固まったワタシを見て一つ頷き、レオゥルムさんは厳かに続けた。
「まず、此方の元に送られてくる子らは皆、ここが人族では数秒といられぬ場であることとは関係なく……人の身では長く生きられぬの者たちだ」
「………ぇ?」
今度こそ、耳を疑わずにはいられなかった。
「病を抱える幼子。……持って一年。巫子を選定する時点で、そういった子らが選ばれる。人族から精霊に変容させるのは、寿命を延ばす意味合いもあるのだ」




