074 ロコ・バレーナ
空を飛ぶ鯨ってなんか良いですよね。
「おいおい、ヒヒ。冗談じゃねぇぞ!?」
「こっち、見てるわよね?」
大きな、大きな鯨。
その大きな体にはめ込まれた、ルビーのような瞳。
それがニコさん達を横目に捉えています。
「出来れば見逃して貰いたい所ですが」
「殿下、ここはお逃げください」
「いや無理だろ」
鯨はその巨体をゆっくりと、ですが確実にニコさん達へと向けようとしています。
ニコさんは早まる鼓動を抑える様に胸に手を当てると、その黄金の瞳で鯨を見返します。
「あれ?ちょっと待って」
「どうかしましたか?」
「ええ、ちょっと確かめたいことがあるの」
何かに気付いたのでしょうか。ニコさんは眉を顰めてそう言うと、翼を広げて鯨に向かって飛んで行きました。
アルム君もニコさんと鯨を交互に見やります。
「おい、馬鹿!何やってんだ!?」
フィズィさんが慌てて飛び出そうとすると、アルム君がそれを手で制止しました。
「何すんだ!」
「いえ、私もちょっと気になりまして。まぁ、恐らく大丈夫でしょう」
「何が大丈夫だってんだ!」
「恐らく、いえ、あの鯨ですが。知性があります」
アルム君はあの大きな宝石のような瞳の中に、知性の光を感じたのです。
「彼女は、彼と対話をしに行ったのでしょう」
ニコさんが鯨のすぐ傍まで飛んで行くと、その巨大さは更に顕著になりました。
鯨の瞳とニコさんの大きさは、ほとんど同じくらいです。大きな口を開けば彼女など一飲みにできるでしょう。
しかし、鯨はその様な事はしません。反対に、実に知性的な対応、すなわち会話を試みてきたのです。
『これはまた、随分と珍しい。ここに客など、今まで無かったものだがな』
飛び出してきたは良いものの、どうやって会話をしようか考えていたニコさん。これにはとても驚きました。
しかもその声、というより思念でしょうか。それはニコさんの頭の中に直接響き、その違和感と衝撃は、咄嗟に両手で頭を抑える程です。
言語、というよりは思考が直接伝わる不思議な感じです。
「何よいきなり!びっくりしたじゃない!?てか喋れるのね?!」
『残念ながら、其方の言葉は分からぬ。だが、その様子では脅かしてしまったようだな。すまない』
「こっちの言ってることが分からないってこと?……それは困ったわね。魔法って、テレパシー的なモノも使えるのかしら」
ニコさんはこの鯨がやるように、自分の思考をそのまま鯨に伝える様にイメージ。魔法を行使しました。
加減が分からないので、ほとんど叩きつける様に。
『聞こえるかしら?』
すると、鯨は一瞬身じろぎすると、「~~~ッ!」と声にならない声を発しました。
鯨の叫びはそれだけで衝撃を生み、正面にいたニコさんは吹き飛ばされるように後退します。
「きゃああ!何するのよ!?」
『すまない。だが、そんなに強く思念を叩きつけるものではない。脳が揺れる』
どうやら、ニコさんの声が大きかったようですね。
「ああ、さっきのじゃ強すぎたのかしら。なら、『これくらいでどうかしら?』」
『ああ、それなら問題はない。もう少し抑えても良いくらいだ』
『あら、そうかしら』
今度は上手くいった様です。
『それじゃあ改めて、私はニコ。ニコ=ウォーカーというものよ』
『名、か。私に名はないが、周りからは巨大なモノ、と呼ばれている』
『そのまんまね!』
鯨は愉快気に巨体を揺すり、鳴き声を一つ上げました。
ただそれだけの事なのに、とてつもない迫力です。大きいというのは、それだけで凄いのです。
『ふむ、其方を見ると何故か懐かしい気持ちにさせられる』
『貴方のような大きな鯨。知り合いには居ないわよ?新手のナンパかしら』
『面白い事を言う、だがそういうことではない。其方の、その生物としての形、といったらいいか。初めて見るはずだが、何故かとても覚えがある様な気がしてならないのだ』
『ああ、ヒト型ね』
ニコさんは何となく自分の身体をあちこち見回しました。
彼女が人と違うのは、目に見える範囲では蝙蝠のような翼くらいです。
『ヒト、人。ああ、それだ』
鯨は得心したかのように一つ、その巨大な頭を揺らしました。
ニコさんは煙管を取り出して火を着けます。
『もしかして、鯨になる前はヒトだったとか?』
『そのあたりは良く分からぬ。目覚めたときから、こうだった。もう、どの程度この世界に漂っていたかも分からんが』
ニコさんはフゥーっと煙を吐き出します。
『その匂いも、何処か覚えがあるぞ。ああ、懐かしい。……それはともかく、其方らはここへ、何しに来た』
その問いかけに対し、ニコさんはゆらゆらと燻る紫煙を辿るように視線を上へ。
『上に、ずっと上に行くのよ。フラウに会いに』
そう言いました。
すると鯨はグラグラ笑います。
『上か、竜共の巣ぞ?』
『そうね。貴方、乗せて行ってくれないかしら』
鯨は更に笑います。それは世界をも揺らしかねない笑いです。
ニコさんは若干びっくりしながらも、煙管の吸い口に口を付けました。
『やはり、面白い事を言う。だがそれで、私に何の得があるか。私はアレ等が嫌いだ』
試すような問いです。確かに鯨にとって、これは何の得も無いどころか、不利益を被りそうな要求ですから。よし行こう!とはなりません。
ニコさんはプカリと煙を浮かべます。
『退屈だったのでしょう?だから、あんな目で私達を見たのね。わざわざ姿まで現せて』
『……』
巨大な鯨は、その大きな目を僅かに細めました。
ニコさんの目に、彼の瞳はどう映っていたのでしょうか。
『それに、私良いものを持っているわよ?』
ニコさんが取り出したのは、キビ団子。ではなく、一つの輝く石でした。
『それは?』
『とある神様に貰った石よ。この石を使えば、貴方はヒトの形を得られるんじゃないかしら。貴方はさっき、私の形を懐かしいと言ったわね。興味、ないかしら』
それはネロさんがニコさんに渡した石。魔物を神域の魔物へと昇華させる石でした。
『……いいだろう。面白そうだ』
『ふふ、交渉成立ね!あ、これ一回は言ってみたい台詞ランキング第七位のヤツじゃない!』
ニコさんはビシッ!と指を立てて言い直しました。
「交渉成立ね!」
ニコさんは地上で待っていたアルガスさん達に事情を話すと、アルム君と手分けして、皆を鯨の背中に運びました。わざわざ二人が皆を運んだのは、巨大鯨を下せるほど開けた場所が、此方には無かったからです。
「何を話しているかと思えば。まさか、空飛ぶ鯨なんて面白いモノに乗れるとは思いませんでしたよ」
「ああ、あの階段上るよりはよっぽど楽そうだな」
皆が背に乗ると、一行は興奮が隠せないようで浮ついた空気になっています。
周りを泳ぐ危険生物たちも、流石にこの鯨に喧嘩を売ることはしません。ニコさんは一人、とても得意気です。「崇めてもいいのよ?」とか言っています。
そんな中、鯨が思念を飛ばしました。
『降り落とされぬよう、気を付けるといい。私はそこまで面倒見切れぬからな』
その感覚は、やはり初めは戸惑うモノで、ニコさんとアルム君以外は皆、身体を震わせ目を開きました。
「うぉ、コレが念話ってヤツかァ?!すげェ違和感だなァ」
「思考に別の思考が割り込まれる、感じか」
「普通に喋るよりも直接的で、尚且つ早く誤解が無い。面白いものだな」
それぞれ驚きを露わにする中、アルメリアさんは軍事転用できないものかとでも考えているのでしょうか。実際に、思考ですから伝わるのは一瞬です。それにとても直接的ですから、コミュニケーションを素早く確実に取るにはこちらの方が有利でしょう。
戦場では一瞬の指示の遅れ、少しの誤解から状況が破綻することはあります。そんな時は悔やんでも悔やみきれませんから、一騎士団を率いるアルメリアさんが興味を持つのも当然と言えば当然かもしれません。
それはさておき、鯨は続けます。
『私が行けるのは、彼方の海の上までだ。別に空を飛べる訳ではないからな。そこから先は、自力で登るがいい』
『分かったわ、そこに着いたら私も約束を果たすわ』
『承知した。それでは行こうか』
すると、ニコさん達を乗せた鯨はゆっくりと上昇を始めました。
背中で上がる歓声を聞きながら、ゆっくり、ゆっくりと高度を上げる鯨。鯨の表情は分かりませんが、どこか楽しそうな雰囲気なのは、気のせいではないかもしれません。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
感想など、お待ちしております。




