071 空の海
風になりたい時ってありますよね。
まさしくそこは空の海という表現が似合うでしょう。
アルガスさんとアルメリアさんは、その景色を見るなり足が竦みました。
「おおおおお、こえええええええええ!」
「な、な、なッ!?」
フィズィさんも若干顔が引きつっています。
「こいつァ、ヒヒヒ」
360度何処を見回しても青と白。
足元すらも、魔法陣の下は先の見えない青。平衡感覚すら曖昧になりそうです。
平静でいるのは空を飛べるニコさんとアルム君の二人だけです。
「あそこに行けば良いのかしら」
ニコさんの視線の先にあるのは小さな小さな黒い点。
それだけが唯一青と白以外の色をしていました。
「ってもどうやって行くんだよ!?」
「私は行けるわよ」
「お前はな!」
「僕も行けます」
「うるさいわ!おおお、足が竦むぅぅぅ、こぇぇぇ」
「流石にこれは私もちょっとキツい、です。地面が見えないというのがこんなにも恐ろしいとは……」
するとフィズィさんが「ん?」と何かに気付いたようです。
辺りを見回すと口角を吊り上げました。
「おい、ニコ。その辺をよく見てみろよ」
フィズィさんが指し示す場所には勿論何もありません。ただ、青が広がっているだけです。
しかしニコさんも「ああ」と得心します。
「コレは、……なんか昔こんなゲームあったわねぇ」
「ああ、あの緑の奴か?まぁいいか、ニコ、お前が試してみろよ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべてフィズィさん。
ニコさんも「まぁ、適任かしら」と魔法陣の外へ一歩踏み出します。その足取りは、まるで階段を降りるよう。
「お、おい!」
―――トンッ
と軽快な足音。
「ふぅん、やっぱりそうみたいよ」
「ヒヒ、鬼畜仕様じゃねぇか」
「成程、そういうことですか。これはまた随分なダンジョンですね」
「まさか、見えない床?!」
「悪趣味すぎるだろう……」
アルム君他、全員気付いたようです。
目に見えない床、踏み外せば即落下。行きつく先は一体何処か。
そんなダンジョンだったのです。
「こりゃ、魔素が見えないとどうにもなんねェなァ。魔素が見えても、辛うじてその燐光が薄っすら見えるだけだ。だが、それが分かれば進むことは出来るなァ」
フィズィさんはそう言いますが、アルガスさんとアルメリアさんはどうにも怖気づいている様です。
それは当然の感覚でしょう。
「お、おう」
「そう、だが」
「まぁ、心配すんな。アルメリア、お前は俺が抱えてってやるぜ」
そう言うとフィズィさんはアルメリアさんをお姫様抱っこしました。
「ひゃああ!?ちょっと!フィズィ!降ろしてください!」
「ヒヒ、遠慮すんな。俺は足場が見えてるから、踏み外すことはねェよ」
アルメリアさんは恥ずかしさと恐怖が行ったり来たり、顔色もコロコロ変わっています。
「おい、フィズィ!俺は!?」
「お前は自分で歩け、男だろう」
シッシッとフィズィさん。
ニコさんがアルガスさんの肩をポンと叩きました。
「落ちたらまぁ、何とか拾ってあげるわよ」
「……ソレハドウモ」
「ぎゃあああああああああああああ!うひぃ!」
ズルリッと足を滑らせバランスを崩すアルガスさん。一体何度目でしょうか。
そのたびに悲鳴を上げています。
「全く、情けねェなァ」
「仕方ねぇだろう!こっちは完全に見えねぇんだよ!何だよ魔素の光って!フザケンナ!」
「まぁ、あと半分くらいですよ。一緒に頑張りましょう」
「お前は飛んでるだけだろう!?」
どのくらい進んだでしょうか。アルガスさんにとっては行くも地獄、戻るも地獄な丁度中間地点。
ニコさんはアルガスさんの近くを飛んでおり、アルム君はあちこち飛び回っている様です。
アルガスさんはフィズィさんに先導され、アルメリアさんは相変わらずお姫様抱っこ。時折小さく悲鳴を上げながらもがっしりとフィズィさんにしがみ付いています。
アルガスさんは稀にゴォォォォッ!と音を立てて吹く風に怯え、常に気を張っていました。一度そのせいで落ちかけているので余計です。
「しかし、アビスとは全然違うンだな」
「そうねぇ、あっちはダンジョンダンジョンしてたし」
「そういえば、そっちはどんな感じだったんだ?」
フィズィさんとニコさんの言葉に、アルガスさんが反応しました。少しでも気を紛らわしたいという気持ちでいっぱいなのでしょう。興味がありそう、というよりは、あまり風景に意識を集中したくないという雰囲気です。
「あっちはあっちで面白かったけど、いきなりこんな感じではなかったわね」
「まぁ、暫くは普通の洞窟って感じだったしな」
「へぇ、じゃあここよりはマシなのか」
「どうだろうな、こっちもまだ入ったばかりだし、アビスの奥は中々にイカれた場所だったぜ?」
「灼熱の氷海なんて、意味の分からないところもあったわね。そういえば」
「想像が出来ないな」
まぁ、中々想像できる光景ではないかもしれませんね。
そんな話をしていると、一際強い風が音を立てて通り過ぎました。
「あ」
丁度足を次の床へと伸ばした時にバランスを崩されたアルガスさん。着地場所がズレてしまい、足を下ろした先に床は無く―――。
「アルガス!?」
傾く身体は重力には逆らえず、残った足も踏ん張りが効きませんでした。
「うああああああああああああああぁぁぁぁ」
絶叫を上げながら落ちるアルガスさん。
一拍遅れて、ニコさんとアルム君は直ぐにアルガスさんを追いかけました。
落ちる身体は空を裂き、アルガスさんには風の音しか聞こえません。
空中に投げ出されたその身は空気の抵抗であっと言う間に制御を失いグルグルと周りながら落ちています。
その速度は加速度的に増し、アルガスさんはただニコさんの助けを信じて手を伸ばしました。
どのくらい落ちたかはわかりませんが、ニコさんとアルム君は何とかアルガスさんに追いつき、その手を掴みます。
「全く、本当に落ちるとは思わなかったわ」
「ハッハッハ、これもまたお約束という奴でしょうか」
「悪い、助かった」
ニコさんは溜め息を吐き、アルガスさんは顔面蒼白で礼を言いました。
すると再び一陣の風。
「全く、何でこんな突風が右から左から突然吹くんだか……」
ふと、ニコさんは風の行先を見ました。
「あら、まさかアレって……」
そして、ソレと目が合ったのです。
「マレ、フィキウム=ウェントス?」
その名を呼べば、空気中にボンヤリと何か徐々に浮かび上がり、ゆっくりとその全容が現れました。
「ウフフ、フフフフ」
その姿はまるで、女性がクラゲを着ているような不思議な姿。
羽も無いのに空にふわりと浮かんでいます。
「何だ、ありゃあ」
「どうやら風の精霊の様ね」
「成程、突風は彼女たちの仕業だったのですね。しかし、精霊ですか」
ふむ、と頷くアルム君。
すると、精霊は再びその姿を空に溶かし、一陣の風となって何処かへと去ってしまいました。
「とにかく、上に戻りましょう」
「ああ、そうしてくれ」
一面青い世界。
どう表現したらいいものやら、空の上にガラスの床を引き、その上に水でも張ればよいでしょうか。そんな場所。
そこには一人の美しい、まるで女神様のような完璧な美を称えた少女が一人、静かに立っていました。
髪は蒼く、しかし毛先に行くほど黒く。瞳は金色。
白いワンピースは風に揺れ、ヒラヒラとスカートの裾が遊んでいます。
「全く、稀有な事」
その表情には何も映っていません。
「それに、懐かしき香りがする」
しかし、その声はやや嬉しそうでした。
彼女は一度深呼吸をすると、少しだけ目を伏せました。
「愛き人。疾く、会いに来て」




