063 箸休め
ニコさんのオッドアイと仮面の男の視線が交差します。と言っても、仮面の男の視線はその仮面に隠され、良く分からないのですが。
「あら、貴方……」
「シャアアッ!」
ニコさんが何か言いかけた次の瞬間、仮面の男が目にも止まらぬ早さで一歩、踏み込みました。それに伴って、一筋の銀閃がニコさんの上半身と下半身を真っ二つにせんと襲いましたが、彼女はこれをバックステップでひらりと躱し、「せっかちね」と一言、右手を前に突き出しました。次いで、ダンッ!と地面を踏み込む音。これは仮面の男の二歩目です。
「無駄よ!」
次いで振り下ろされる長剣は、果たして魔法の壁に止められたのでした。
「抜けないか。それに三体一、流石に分が悪いな。忌々しいことだ」
「ふん、私一人が相手でも分が悪いわよ!……引きなさい」
「そうさせてもらう」
仮面の男がピーッ!と口笛を吹くと、何処からともなく空を泳ぐ白い鮫が現れました。その姿は例えるならトラフザメのようなのっぺりとしたモノで、ニコさんは「あら、可愛いわね」とか呑気に呟いています。
「目的は達した、帰るぞ。白霧」
白霧と呼ばれた鮫は仮面の男を背に乗せると、鳴き声一つ上げることなく雨の夜空を泳いで行きました。それを状況に流されるままに見送った三人でしたが、我に返ったアルメリアさんがニコさんに噛みつきます。
「貴様!何者だ!何故奴を逃がした!」
今更ですが、突如現れたヒトに非ざる容姿を持つニコさんの登場に彼女が動揺するのも無理のない事でしょう。完全に臨戦態勢です。しかし、ニコさんは堂々としたモノ。アルガスさんとアルメリアさんに何ともない顔で振りかえりました。
「あら、貴女。向こうで戦ってた騎士たちのお仲間かしら。向こうはそろそろ片付いているはずよ」
「何!?どういうことだ!?」
完全に喧嘩腰のアルメリアさんの肩を掴み、「大丈夫だ」とアルガスさん。
「彼女は敵じゃない」
「……殿下」
流石にアルガスさんに諭されては仕方ないと、実際に矛を収めるアルメリアさん。ニコさんは相変わらず気にした様子もなく、ただ、雨を鬱陶しそうにアルガスさんを見据えます。こんな時こそ番傘でもさせばいいのですが、今は持っていません。
「とにかく、一旦この状況を落ち着けてから話をしましょう。アルガス、イリシオがこうなってしまった以上、そろそろ貴方の本当の目的も、素性も、ハッキリさせといた方が良いんじゃないかしら。流石にもう、このままという訳にもいかないでしょう?」
「……そう、だな」
アルガスさんは一人決意したように空を見上げました。
激戦の夜を越えた翌日、雨はすっかり上がり、ノビリスには太陽の光が爽やかに降り注いでいました。照らされたのは活気ある街の姿ではなく、ボロボロになった街の姿。雨の晩ということもあって、全焼した建物こそそこまで多くはありませんでしたが、結構な数の家屋が半壊、全壊していたという結果です。避難していた街の住民は街に戻ってくるなり泣き崩れる者、呆然とする者、安堵の息を漏らす者、実に様々ですが、一様にその表情は明るくなく、今後のことを憂いていました。
今、ノビリスの街にいる者達の大半は、中央の広場に集まり、何やら色々とやっています。身なりの良い男が大声を張り上げて何やら演説めいたものをしていたりしています。きっと、立てよノビリス的な何かを声高に叫んでいるのでしょう。
「お前は行かなくて良かったのかよ」
そんな様子を窓越しに眺めるフィズィざん。ピオニー騎士団が駐屯している施設、ここは被害も無かったのか、部屋の中は綺麗なもので、白い壁にはシミ一つなく、壁際の花瓶にも綺麗な芍薬の花が一輪飾られていました。
そんな部屋にはニコさん、アルガスさん、フィズィさん。それにアルム君やアルメリアさんと、アルガスさん達が街で最初に出会った女騎士の人と他数名、女騎士の方々がいました。
「……俺は、一応行方不明ということになっているからな」
何やら色々と秘密を抱えているらしいアルガスさんは、なんとなく勝手に責められているような気分で、やり難そうな顔でぷかぷかと煙を浮かべています。そんな彼に、やっぱり煙を浮かべてるニコさんが悪戯っぽい視線を向けます。
「で、説明してくれるのかしら?アルガストロ=A=イリシオ第三王子殿下」
「……分かったから、嬢ちゃんに殿下って言われるのは正直なところ居心地が悪い」
クスクスと笑うニコさん。アルガスさんはポツポツと語り始めました。
「深淵より来る神の遣い、その瞳の美しく稀有な事。汝、その者の智に触れん。汝、扉を開くものなり。汝、災い止める勇者なり。……これは俺の受けた予言だ」
アルガスさんが話したのは、その予言の言葉と、深淵を探すための旅の話。身分は隠していたため、今まで打ち明けることが出来なかったことなどでした。
「ふーん、何で予言って汝とかなりとか言っちゃうのかしらね」
「なんかそれっぽいからじゃねぇか?」
「そういうものかしら」
アルガスさんはそのやりとりに何となくいつも通りの二人を感じて、つい苦笑がこぼれました。そして、意を決し頭を下げました。
「俺が嬢ちゃんに声を掛けた本当の理由はこれだ。騙すような真似をして済まなかった」
それに対し、ニコさんは別に何も思うところはありません。何故なら。
「別に、知ってたから良いわよ!」
という事でした。
「は!?知ってた!?」
「知ってたわよ」
ニコさんは自分の右目、金の瞳を指さします。
「私が改めて聞いたのは、まぁ一応の確認と、これからどうするつもりなのかってことよ。私の目的は変わらないわ、けれどアルガス。貴方はどうするの?全然それっぽくはないけど、仮にも王族でしょう?」
「国のことは気になる。しかし、一晩考えたが、今、王族としての俺に出来ることなどない」
「「殿下!?」」
アルガスさんの言葉に驚愕の声を上げるのは、騎士団の方々です。彼女達としては、今後は王族であるアルガスさんの指揮下に入り、魔王軍に反抗するなり、一時撤退するなりと思っていたので、彼の言葉に驚き、或いは失望するのは仕方のないことかもしれません。
「確かに、王都にいた他の王族の消息が分からない今、ここにいる者たちの旗頭となることはできるかも知れない。しかし、それで首都をあっけなく陥落させた魔王軍に対抗できるなんてそんなことは思わない。そんな楽観的に構えられる相手じゃない。ましてや、俺はずっと行方を晦ましていたんだ。いくら理由を並べたところで、俺に求心力なんざ無いさ」
その内容は何も間違っていないかもしれません。しかし、騎士団の方たちは、どこか納得できないという表情です。何となく、アルガスさんに何かを期待していたのかもしれません。そんな彼女達に苦笑しつつ、アルガスさんは「それに、」と続けます。
「まだ俺は予言の続きを見ていない。嬢ちゃん、そこの予言の人物に出会った以上、予言は正しい可能性が高いと踏んでる。だから、俺は変わらずただのアルガスとして、嬢ちゃんの旅に付いて行くつもりだ」
そして、ふぅーっと煙を吐きました。アルメリアさんは煙ではなく溜め息を吐きました。そして、彼女は「分かりました」と言いましたが、次の一言は他のヒトにとっては予想外の言葉でした。
「ならば、わたくしもその旅に付き添います」
「ちょッ!団長!?」
「ちょっと待ってください!」
騎士団の女性たちはもう勘弁してくれ!という様子です。
「殿下の旅は苦難多き旅のご様子。神の遣い様、はともかく、他の得体の知れない連中も一緒なのでしょう?」
「今、神の遣いに(笑)がつかなかったかしら!?」
得体の知れない、というのは頬杖ついて欠伸をしているフィズィさんと、烏をブラッシングしているアルム君の事でしょう。実にマイペースな二人です。
「権限は一時カナリア、貴女に委譲します。正式な書類は後程発行しますが、頼みましたよ?」
「本気ですか?!」
「本気です」
アルメリアさんが瞑目し、カップの紅茶を飲むのを見て、カナリアと呼ばれた彼女、アルガスさんとフィズィさんが最初に出会った女騎士は溜め息交じりに「わかりました」と答えたのでした。
この後、ピオニー騎士団と生き残った貴族たちは現状の情報をまとめ、今後の事を話し合うという事で、一時アルメリアさんも抜けて行きました。ニコさん達は、混乱を避けるため外出を控えるようにと言づけられていたので、銘々アルメリアさんが戻るまで暇つぶしにいそしむことになったのですが、ニコさんはフィズィさんから逃げるように部屋をこそこそ出ていくと、一人散策に出かけたのでした。
フィズィさんはその様子にフン、と鼻を鳴らすとアルム君に声を掛けます。
「おい、少年」
「何でしょう」
「アイツ、ニコの奴はあの後どうしてたんだ?」
「海に落ちてからですか?私がサルベージして、暫く寝たら完全に回復していましたよ。いやぁ、凄い体ですね」
「何か、言っていなかったか?」
「……そういえば、貴女でしたか。フィズィ=ウォーカー、貴女にも話がありますので少し付いて来て下さいませんか?」
フィズィさんはふん、と軽く頷くと、ソファから立ち上がり部屋の外に出るアルム君に付いて行きました。残されたのは、アルガスさんと副団長のカナリアさんだけでした。アルガスさんは何となく居心地悪く、新しい煙草に火を着けました。




