058 ニコさんの羽
私は吸血鬼だ!というニコさんの告白に、ダンケルさんとメヴィルさんは不思議そうな顔をしています。
「吸血鬼って、羽なんかねぇだろ」
「え?」
ニコさんも不思議な顔をしています。何だか話が噛み合いません。
「そうなの?」
「まぁ、一般的にはそうかもしれませんね。吸血鬼はヒトの血を吸う魔族ですから、人に溶け込むために羽は不要です。そもそも吸血鬼に羽はありません」
「そうなの!?」
新事実発覚です。これにはニコさんも驚きです。
「本当ですよ。ですが、自らの血を操って羽を創ることは可能です」
「血!?」
「吸血鬼は種の特性として自分の血を自在に操れますからね。因みに着脱可。今まで気づかなかったんですか?」
「マジ!?元々あったから気付かなかったわ!必死に隠してた私馬鹿みたいじゃない!」
えー、とニコさんは自分の羽を広げるとマジマジと見ます。
「そもそも、そんなに自由自在に動く羽、あるわけないじゃないですか。何ですか、腰に巻ける羽って。骨無いじゃないですか」
「……確かに、言われてみればそうね」
ダンケルさん一家は何だか恐々とした顔をしています。アルム君はコホンと一つ咳払いすると「食事中に掘り下げる話でもなかったですね」と反省しています。
ニコさんも慌てて羽を隠しました。なにせ血ですからね。
「ま、まぁそういう事なら。というか、吸血鬼って普通の食事で良いのか?知り合いのダンピールは確かに普通の食事も取るが……」
「私はグルメなのよ!まぁ、血も嫌いじゃないけど、……あまり吸わないわ」
どこか気まずい表情でニコさんはパンをひとかけシチューに付けるとモグモグと咀嚼しました。
「んで結局、吸血鬼の嬢ちゃんと橙色の奇術師様はイリシオに一体何の用があるんだ?」
「私はちょっと頼まれごとがあってね、セレスティアに向かってるのよ」
「僕は少しニコ=ウォーカーに用がありまして、ストーキングしていました」
「もう少しオブラートに包みなさいよ!」
「ハッハ」と笑うアルム君。しかし、ダンケルさんはそんなアルム君のしょうもない台詞は聞き流したようで、ニコさんに問います。
「セレスティアだと?」
「そうよ!セレスティアよ!」
「そこに何の用がある」
やや鋭くなったダンケルさんの眼光に若干気圧されながら、ニコさんは考えました。
フラウをセレスティアから出してネロの元へと連れて行く。これがそもそもニコさんの目的ですが、馬鹿正直に話したところで荒唐無稽な話です。きっと信じては貰えないでしょう。
たとえ信じて貰えたとして、ちょっと怖い剣幕のダンケルさんです。何かの地雷を踏むのも嫌なもので、取り合えずアルガスさんの真似をしてみることにしました。
「神話に出てくる迷宮なんて、浪漫でしょ?勇者ですら辿り着けなかったなんて、面白いじゃない」
そう言ってシチューを啜るニコさんを、ダンケルさんはただただ見詰めていました。
やがてふぅ、というように視線を緩めたダンケルさん。納得したのかはわかりませんが、それ以上追及することはありませんでした。
食事が終わると、ニコさんは海水と潮風と砂でギシギシになった髪を触ると「この辺に川はないかしら?」とダンケルさんに言いました。全身もベタベタですから流石に気持ちが悪いのでしょう。
「それなら、メヴィル。案内してやれ。俺は少しアルムと話があるからな」
メヴィルさんは微笑みながら頷くと、ニコさんを連れて外へ出ました。
家の外は丁寧に整えられた芝と花壇。それに二階の窓から見えた大きな木があり、とても良く管理されているのが伺えます。門まで続く道は小さな石ころすらほとんど落ちていません。
ニコさんが「ほー」と感心しながらキョロキョロと見回していると、それが可笑しかったのかメヴィルさんは静かにクスクスと笑いました。
メヴィルさんはとても静かで穏やかな女性でした。食事の時もほとんど喋らず、あの後シチューを二皿もお代わりしたニコさんにも文句を言うどころか「美味しそうに食べてくれて嬉しいわ」と一言いうだけでした。
ふわふわとして柔らかそうな金髪は少し赤みがかっており、瞳はダンケルさんや子供たちよりも少し深い緑でした。素朴で優しい雰囲気ですが、二児の母とは思えない程若々しく、ほっそりとした体躯はまるで深窓の令嬢のようで、綺麗というよりは可愛らしいと言った見た目でしょうか。
ここ最近は何だかんだ賑やかな人に囲まれていた気がしなくもないニコさんは、たまにはメヴィルさんのようなヒトと何も語らず歩くのもいいわねぇとか思っていました。
「こっちに海に繋がっている川があるから、そこを使うといいわ。そのあたりはほとんど人も来ないから」
家から十分くらい歩いたところです。メヴィルさんが指さす方向には森の小道が続いていました。
ニコさんが耳を澄ませると僅かに川のせせらぎの心地良い音が聞こえるので、そこまで離れてもいないのでしょう。と言ってもニコさんの耳は本気を出すと常人よりもかなり優れていますから、その場から見える程ではありません。
「ありがとう、このまま真っ直ぐ行けばいいのね。後は一人で行けるわ」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫よ!」
ニコさんが力いっぱい頷くと、メヴィルさんは少し微笑むと「それじゃあ気を付けて」と家の方へと戻っていきました。
それからまた十分くらい歩くとようやく川が見えました。そこまで流れの早くない川です。
川辺に着くなりニコさんは「んーッ」と体を伸ばしました。
そうしてスッキリしたところで新調した着物をしゅるしゅると脱ぎ、適当な木の枝にかけると川に足を入れると「冷たッ!」と言いました。さらさらと流れる川の水は、以前アルガスさんたちと入った川より随分冷たくニコさんの足を刺します。
「流石に涼しくなってきたもの、そりゃ冷たいわよね」
そう言いながらも徐々に慣らして川に入るニコさん。暫くすると慣れたもので、川の半ばまでざぶざぶ進めば丁度お尻が隠れるくらいの深さの場所に辿り着きました。
「そういえば、この羽着脱可とか言ってたわね。どうやって外すのかしら」
ニコさんは金の瞳で川面に映る自分を良く見てみました。
「血を操る、ねぇ」
そんな事は意識したことがありません。羽は自分の手のように自在に動かせますが、手を外せとか言われても出来るわけはありません。触ってみればしっかりと感覚もあります。これが血であれば神経も通っているはずもないので、感覚などないはずなのですが。
そして自分の羽をしっかりと神の瞳で見てみれば、ニコさんは「少年、嘘ついたわね」と一言ため息交じりに言うのでした。
「でも、もしかしたら魔法を使えば縮めるくらいはできるのかしら」
ニコさんが羽が縮むイメージを強く思い描いて魔素に干渉すれば、みるみるうちに羽は縮み、「おおお!」と感嘆の声を上げました。ニュルニュル羽が縮む不思議な感覚に背筋がゾワリとしましたが、そのまま無いも同然の所まで縮めてしまうのでした。
「出来たけど、何だか変な感じね」
今まであったモノが無いというのはとても不思議な感じがします。体のバランスも変わり、何だかとっても違和感を感じるニコさん。
改めて川面を覗くと、羽のない自分の姿にヒヤリとした冷たい感情が湧き上がるのを感じました。胃の辺りに広がるジクジクとした痛みに体を両腕で抱きしめると、「……駄目よ」と一言息を止めて沈むように川に潜りました。
どういうわけか、ニコさんの視力は水中でも殆ど失われることはありません。多少見辛さは感じるものの、そこまで不便を感じません。
青く澄んだ透明度の高い川で、魚もそれなりに泳いでいるのが分かります。射し込んだ陽の光がまるでカーテンのように揺らめき、青く澄んだ景色はまるで異世界のよう。そんな風景と身を刺すような冷たさが、暗い感情に支配されそうになったニコさんの心を少しだけ今に呼び戻しました。
コポコポと口から洩れる気泡、ゆらゆらと泳ぐ髪。膝を抱えて丸くなればゆっくりと回転する体。ニコさんはそのまま少しの間穏やかな川の流れに身を任せて水中を漂いました。
数分間水中を漂っていても苦しくならない体に驚きながら、一度「ぷはぁ!」と立ち上がると、元居た場所からは大分離れてしまったようです。木に引っかけてある着物が遠くに見えます。
流れる川の中を逆走するのは面倒だったので、一度川から上がり元の場所へと向かうニコさん。濡れた髪を絞り頭を振ると、きしきしとしていた髪もだいぶ手櫛が通るようになっていました。
「タオルでもあればいいのだけどね」
水滴を滴らせながらそう呟き、秋風に濡れた裸体を晒して歩くニコさん。
着物の場所まで戻った頃、いつやって来たのか慌てた様子のダンケルさんがニコさんを見るなり凄い形相で迫ってきました。その様子はまさに鬼気迫ると言ったもので、ニコさんも若干身の危険を感じました。
「な、なによ!?物凄い堂々とした覗きね!?」
申し訳程度に体を隠したニコさん。ダンケルさんはそんな彼女の肩を掴み顔を近づけます。
「ちょっと、ホントに何よ!?」
その荒い呼吸に割と本気で怯えたニコさんは若干涙目で苦情を叫びましたが、ダンケルさんも負けじと切迫した様子で声を荒げました。
「殿下!アルガストロ殿下と連絡が取れるというのは本当か!?」
どうやら身の危険は迫っていなかったようです。
ニコさんが変な顔をしていると、後から追い掛けてきたであろうメルヴィルさんが走ってきた勢いそのままにダンケルさんの後頭部でスパーンッ!という爽快な音を奏でました。
人知れずメルヴィルさんにサムズアップしたニコさんの顔は、やっぱり変な顔のままでした。




