049 ニコさんと船と異邦人保護協会
サラリと伸びた真っ赤な髪を風に靡かせ、船の甲板の落下防止用の柵に肘を掛けて煙管の煙を燻らせる着物姿の女性。
髪の色と似た赤い羽織が風にあおられパタパタと色鮮やかにはためいています。
長い睫毛は整った顔に儚げな影を落とし、物思いに耽るかのような表情は気怠さを帯びて何処か蠱惑的です。
左右色の違う瞳は青く煌めく海へと向けられていますが、ここではないどこか遠くを見ているようなそんな雰囲気を醸しており、異国情緒溢れる姿も相まって実にエキゾチックな魅力が周りの旅客の興味を引いています。
もしかしたらお昼ご飯の事でも考えているのかもしれませんね。
ニコさんは今、イリシオ行きの船の上にいました。
良く晴れた青い空には細かく群れを成す巻積雲が空飛ぶ羊のように浮かんでおり、眼前に広がる海原はまるで何処までも続くかのように広大です。
イリシオ行きの船は豪華客船とまでは行かなくてもそれなりに大きな船で、青い海に白波を立ててはその巨体を揺らしグングンと海の上を進んでいきます。
「ごきげんよう、レディ」
さて、儚げな和装の麗人を気取ったニコさんに恭しく声を掛けてきたのは一人の少年。
ハロウィンの魔女みたいな見た目をした彼は先日樽の中からニコさんとフィズィさんを見ていた少年、アルム君でした。
どうやら同じ船に乗っていたようで、大きなオレンジの魔女帽子を取ると優雅なお辞儀を見せました。
そんな彼に肩越しに振り返ったニコさんは「ごきげんよう、少年」と挨拶を返しました。
そして溜め息のように一息煙を吐き出すと、カランコロンとアルム君に向き直りました。
「本当に、貴方は私。私たちに何の用があるのかしら」
「そう邪険にしないでください、ニコ=ウォーカー」
アルム君の表情には特に感情が浮かんでいませんが、ニコさんの目はスッと細くなりました。
元々あまり頼るつもりは無いようですが、神の瞳でも彼を見透かすことが出来ないのです。
得体の知れない彼にニコさんの目つきが鋭くなるのも仕方のない事でしょう。
「貴方の見た目、眩しいのよね」
「ハッハッハ、昨日の背の高い君もハロウィンの様だと仰ってましたしね。まぁ、あながち間違いでもないですが」
そう言うと突然ババッと体を隠すように片手でマントを持ち上げて、マント越しに金の瞳を輝かせたアルム君。
全く、吸血鬼らしからぬニコさんよりもよっぽど吸血鬼っぽいポーズで、ニコさんも少しは見習った方がいいかもしれません。
「Are you from New York ?」
「昨日も思ったけどなんでニューヨークなのよ!!」
「大した意味などありませんが」
「全く、人を喰ったような子ね!」
「ハハハ」と笑うアルム君を見るとニコさんは「はぁぁ」と煙を吐き出しました。
するとアルム君はその端麗な顔に微笑を浮かべると、黄金に輝く瞳を輝かせました。
「あまり茶化しても仕方ありません。単刀直入に訊きましょう、貴女は転生者。それも地球で暮らしていた人間と見受けますが、いかがでしょうか?」
「……もしそうだとして、どうするつもり?」
思わぬ質問に眉根を寄せて警戒を顕にするニコさん。
それに対しアルム君はヒラヒラと手を振りました。
「ああ、そうですね。いきなりこんな事を訊かれたら不安になりますよね」
アルム君はパンッと手を打つと、そこから名刺を出現させるという手品を披露して、少し腰を低くニコさんにそれを差し出します。
「わたくし、こういう者です」
「これはご丁寧にどうも」と受け取ったニコさんですが、名刺に書いてある"異邦人保護協会"という文字列を見つけるとすぐにその顔を更に顰めることになりました。
「……異邦人保護協会?」
「はい、その通り。この場合の異邦人は外国人ではなく、異世界人を指すものですが。要するに異世界の方々を保護する組織です。意外といるんですよ、転生者やら召喚された人やら。そういった方々が無茶をやらかしたり、不当に利用されることを防ぐのが目的の組織で、危害を加えるなんてとんでもない」
ニコさんは何も言わずにアルム君と名刺の間で視線を彷徨わせていました。
「異邦人の存在自体あまり公にする訳には行きませんので、組織としてもあまり公なものではありません。今も表面上僕はここの大陸の互助協会の構成員として貴方を監視しているのです」
「監視ですって?」
「元々貴女に関しては、新たに発見された吸血鬼で始祖の可能性ありと。要注意人物としてこちら側の組合の監視対象になっていますよ。まぁ僕としては別の意味でアタリを引いたようで、嬉しい誤算ではあったのですが」
ニコさん、いつの頃からかどうやら普通に監視されていたみたいですね。
確かに先日目の前の少年に樽の中から見られるという珍しい体験をしたばかりです。
何となく釈然としない気持ちになりましたが、監視されていたと言うのは納得できなくもありません。
「因みに監視って、昨日の樽みたいな奴。ほかにもあったのかしら?」
「ハッハッハ、よくぞ聞いてくれました。どうやら静かなる追跡シリーズ無機物編に興味を持っていただけたようですね?」
「いや、やっぱりいいわ。何か凄く頭が痛くなりそうだわ」
アルム君は「それは残念」と肩を竦めましたが、顔は少しも残念そうに見えません。
「それはともかく、ニコ=ウォーカーさん。貴女は我々の言うところの異邦人ということで宜しいでしょうか?」
これに対してはニコさんが「さぁねぇ」と肩を竦める番でした。
「私は確かにおかしな知識があるけれど、以前の記憶については良く分からないわ。どんな人間でどんなことをしていたのか、そんなことは知らないし知りたいとも思わないわ」
「おや、そうですか。しかしまぁ、貴女の言う"おかしな知識"というのは興味がありますね。先日平原でぶっ放していた魔術銃もその知識の産物でしょうか」
アルム君がポンと手を打つとニコさんは「アレも見てたのね」とため息を吐きました。
「アレはまぁ、そうとも言えるしそうでないとも言えるわ。銃は最近見かけたのよ」
「この大陸に銃があるとは聞いたことが無いですが」
「持っていたのは魔王軍を名乗るモノだったもの」
「魔王軍ですか」
魔王軍という意外な言葉にアルム君は「ふむ」と顎に手を当て少し考えるような仕草を取りました。
すると突然上空から甲高いピューというような鳴き声が聞こえました。
二人が空を見上げると、それなりに大きそうな鳥が一羽船の上を鳴きながら旋回していました。
「アレは、……不味いですね」
「何?」
「アレは恐らくバムバルジロフ鳥という魔鳥です」
「バムバルジロフ?」とコトリと首を傾げるニコさんに、アルム君は神妙に頷きました。
そしてアルム君の口から出たのはそれは恐ろしい事でした。
「ええ、通称地獄鳥。非常に厄介な鳥で、早急に手を打たないと街一つくらいニ十分もあれば致命的な打撃を与えられるようなモノです」
「何ですって?」
「残念ながら本当ですよ。アレは偵察の個体で、恐らくこれから少なくとも十羽程度の群れが襲撃に来るでしょう。そうしたらこの船は十分ともたないでしょう」
それはつまり、この船が沈む可能性が高いということで、そしてこの広い海のど真ん中に放り出されるということです。
ニコさんはもう一度「……何ですって?」と表情を無くすことになりました。




