第五話 ダチを助けるのは当然ですか?
道也は逃げていた。猿の置物一つが支配するあの部屋から、滝を置いて一人逃げていた。
「くそっ、くそっ、俺の馬鹿野郎……!」
自分に対する怒りを抑えられない道也は顔を下げ、自分を罵りながら歩いた。だが、道也は取って返し、あの猿の置物と戦う勇気は出なかった。道也のプライドは打ち砕かれた。戦いもせずに逃げるのは幼稚園生の頃、いじめられていた時以来だった。道也は常識じゃ図り切れない事に打ちのめされたのだ。
それに部屋を出てから一気に具合が悪くなった気がした。罪悪感かな……道也は自嘲気味に笑いながらそう思った。
とにかく助けが必要だった、あの部屋から一緒に滝を連れ出してくれる助けが。道也の脳裏には不知火大吾ただ一人がチラついた。連絡を取らなければ、道也は少し急いで自宅に向かうと、見慣れた人物が照らし合わせたかのようにそこに居た。
なぜか、自分の家の前で女性と口争いをしていた大吾の背後に駆け寄ると、大吾はすぐさまこちらに振り向いた。気配でわかったのだろう。大吾は昔からそういうのに敏感だ。
「お? 道也じゃねえか! 今、お前んちに行こうと思ってたんよ……てどした?」
「良いから来てくれ!!」
「何急いでんだよ! 道也、少し落ち着けよ」
「時間がないんだよ! 急いでくれ!!」
道也は急かすが、女性の様子を伺ったのだろう、大吾が少し後ろを振り向いた。
「この通りだからよ、俺、行かなきゃなんねえんだわ」
「え、困るよお兄さん! アタッシュケースを渡してくれないと! それに行くってあの家にかい!?」
「わりいな、そんな話聞いても、やっぱりダチは大事だし、こんな切羽詰まってんだ、助けてやらねえと気分わりいだろ」
「じゃ、じゃあアタッシュケースだけでも!!」
大吾の詫びに少し焦った女性は苦渋の顔を崩して懇願するが、大吾は物惜し気な顔をすると、思いついたような顔をした。
「あ、じゃあついて来いよ、助け必要らしいしよ、道也はどうよ?」
「俺も助けてくれるなら付いてきてほしいよ」
大吾の提案に道也も助けは多い方が良いだろうと思い、快諾した。女性は唸りながら悩むと、大吾はアタッシュケースを突き出した。
「着いてくるならこれやっても良いぜ」
大吾の魅力的な提案に心が揺れたのだろう女性はアタッシュケースをマジマジと見て、注視しだした。
「どっちにするよ? もし良いのなら名前くらいなら教えてくれや」
女性は諦めたような表情をすると、ため息を付き、アタッシュケースから目を離すと大吾の方を見た。
「はぁ、私の名前は、皐月 推、しょうがないから私も付いてってあげるよ、本当は行きたくないけど……少し黒髪のお兄さんの事も気になるし……」
最後の方がよく聞こえなかった道也だったが、大吾はまず聞こえてなかったのだろう、自分に親指を立てると自己紹介をした。
「よろしくな、推、俺は不知火大吾、こっちが木場道也」
「よろしくお願いします、皐月さんって、こんなことしてる場合じゃないよ! 急がないと!」
道也は本来の目的を思い出し、皐月と大吾を引き連れ、滝の家に着くと様子を伺った。外観からは何も把握できなかったが、道也は少し立ち尽くしてしまう。
「どうした? 何ビクついてんだよ」
「悪い、少しボーっとしてたわ」
大丈夫だから行こうと言うと、大吾と皐月は頷いて了承した。
そして、恐る恐る玄関に立ち、道也は生唾を飲むと、手汗を濡らしながら玄関のドアノブに手を置いた。開ける動作に移る勇気も出ずに膠着していると、後ろから大吾に押しのけられる。
「何してんだよ、道也、さっさと開けろよ」
「あっ!」
大吾は何の躊躇もなしにドアを開け放つと、ずかずかと玄関に入ると辺りをキョロキョロと見渡した。道也も大吾のそんな様子に呆れながらも勇気づけられ、覚悟を決め、玄関に入る。
「一応、人の家なんだよ?」
「んだよ、おめえがなかなか開けねえからだろ、で? 何を助けてほしいんだよ?」
「そこの廊下を曲がったところに滝ちゃんの部屋があるんだけどさ、問題はそこにあるんだ」
説明をしていると、後から、皐月が無言で入ると大吾が指で皐月を指した。
「おい、人んちだぞ、お邪魔しますくらい言えよ」
「え? あ、ごめん、お邪魔します」
唐突な指摘に驚いた皐月であったが、綺麗に靴を揃え、お辞儀をすると、大吾は満足気にうんうんと頷いた。
だが、よくよく考えると大吾もしてないじゃないかと道也が非難の目を浴びせるが、大吾は気づかずじまいだった。
「やっぱ礼儀って大切だよな」
「お前は?」
「は? 何の話だ?」
一応、道也が非難の目を向けたまま聞いてみるがこの有様だった。だが、しばらくして大吾は思い浮かんだように、靴を乱雑に脱ぎ捨てた。
「ほらよ、これでいいんだろ?」
「まぁ、それでいいよもう」
諦めた道也は自身の靴を皐月の靴の隣に置くと、道案内をするように一歩先を歩いた。大吾は悠然と歩いていたが、皐月はどこか不満顔だったが、きっとさっきの件や取引の件で大吾にヘイトが溜まってっているのだろう。後でフォローでも入れといてあげようと道也は思ったが今はそれどころじゃない、道也は先を急いだ。
階段を上り、右側奥の部屋を見て、道也は臆したが、どうせ自分が行かずとも先ほどのように大吾がガツガツと勝手に一人で押し進んでいくだろうと踏んだ道也は臆した気持ちを捨て、部屋のドアノブを開こうとした。
「家の玄関の時と違って軽快じゃねえか」
「そうかな? でも確かに気持ち的には楽かも」
大吾の言葉に道也は不思議な気持ちになった。実際、道也はこの三人で居ると、不安や恐怖感は薄れており、すんなりと移動できていた。きっと短い道中ながら筋道から離れた茶番をしていたおかげで、自分が一人でないと確認できたからだろう。すると突然、皐月は大吾の顔を覗き込んだ。満面の笑みで。
「わかった!! お兄さんは道也さんの恐怖心を消すためにあえて下で粗暴で自己中心な態度を取ってたんだね!!」
皐月は合点がいったような顔をし、先ほどまでの不満はどこへやら、明るく小さい子どものような笑顔で大吾にそう尋ねるが、大吾は理解出来ず、首を傾げた。
「うんうん! わかってるよ! お兄さんは気を遣うのが上手いんだね!」
「お、おう、俺はそういった所まで目が届くからな! 何の話かまったくわからんが褒められるのは嬉しいぜ!」
「またまた謙遜しちゃって!! お兄さんは謙虚だね!!」
「よく言われるぜ」
嘘つけ、道也はそう言いたかったが、言葉を飲み込み、二人の方を振り向いた。
「早く開けたいんだけど、良いかな?」
「わりいわりい、で、開ける前に確認なんだが、そろそろ中に何があるか教えちゃくれねえか?」
大吾の問いは最もだし、中にあの猿の置物がまだあるなら、注意しといた方が良いだろうと思い、かいつまんで説明すると、大吾は理解に苦しむ顔をしたが、皐月の方は明らかな顔の変化が見えた。汗を少し垂らし、目が泳いでいたのだ。
「ねえ、皐月さん、何か知ってるなら教えてほしい、ここに入ると摩訶不思議すぎて正直、俺も眼で見た情報しかないんだ」
道也の必死な問いに皐月は悩むが、意を決したように大吾の問いに答える。
「たぶん……その猿の置物が本当に私の知ってるものならもうその部屋はもぬけの殻だよ」
「え!?」
道也はその言葉に驚くと、勢いよくドアを開いた。皐月の言った通り、滝の姿も猿の置物も消えていたのだ。
「そ、そんな……」
道也は膝から崩れ落ちると今は誰も居ないベッドを見つめた。
「俺が逃げたから……、滝を置いてったからだ……」
ゆっくりと呟く後悔の声は後ろの二人にも聞こえ、大吾がすぐさましゃがむと道也の肩を揺らす。
「しっかりしろ道也、まだやれることはあるはずだ」
「やれること……? 俺はやれることがあったにも関わらず、逃げたんだよ? そんな俺が何か出来るわけないよ……」
ぶつ切りに発せられる言葉に大吾は頭を掻いて、唸ると、道也の胸倉をつかんだ。道也は勢いよく掴まれ、首が揺れ動いたまま呆然としていた。
「立てよ、道也、ほら、自分の足で立つんだよ」
無理矢理、立たされた道也は力が入りきらずふらふらとするが、大吾が胸倉を掴んでるおかげで崩れ落ちることはなかった。道也が絶望に染まった眼で大吾の目を見た瞬間、とてつもないスピードの大吾の左フックが腹にキマッた。
「んぐっ!!! っ!!!!」
「ちょっとお兄さん!! 何してるんですか!!」
道也は小さく呻くと、口を押えうずくまった。そんな様子に皐月は驚愕し、大吾の両腕を羽交い締めにし、拘束した。
「うるせえ! 離しやがれ!! そんなにグチグチ自分の不満が腹に溜まってるなら出させてやろうと思っただけだ!」
「その方法で出るのは吐しゃ物だけだよ!!」
二人のそんなやり取りを横に道也は苦しんでいた。
道也の腹は殴られた衝撃でとてつもない吐き気と気持ち悪さを生み出し、道也は吐かないように必死だった。
「道也!! お前がそんな風に自分を貶めるなら俺はお前を殴り続ける!! そして、幼馴染を探し行くなら俺はお前の事を全力で助けてやる! 河川敷でもう喧嘩はやめると言ったがお前を腑抜けじゃ無くすためならい今から喧嘩したって良いんだぜ!? お前の目を覚まさせるために何度でも殴ってやる!!」
「大吾……」
大吾の励ましに、道也は苦しみながらも意識的に強い意志を持ち始めた。滝を何者かから救い出す。次は逃げないと。道也は今にも出そうな吐しゃ物を無理矢理飲み込むと立ち上がり、大吾の目を見た。
「わかったよ、大吾、そんな言われたらやるしかないよな、ありがとう」
「お、おうよ、気にすんな、ダチだろ、それに推だってサポートしてくれるしな」
大吾は羽交い締めをやめ手を休めていた皐月の腕を引っ張って前に立たせ、肩をたたいた。皐月はひどく驚いた顔をして、大吾の方に振り返った。
「え!? どうして私が!?」
「なんか文句あんのか!?」
「大有りだよ!! ここまで付いてきて助けたらアタッシュケースをよこすって!」
「助けてねえじゃねえか!」
「手遅れだったししょうがないじゃないか! それに北の超女についての情報ならあげたじゃ……あっ」
北の超女。道也と大吾は口を滑らせたであろうその言葉に反応した。
「なぁ、推、この際、隠し事はなしにして話そうぜ? な?」
大吾は皐月の両肩をがっしりと掴むと、威圧していてもおかしくないような笑顔で皐月にそう言うと、皐月はとぼけた笑顔を冷や汗付きでお返しした。
「とぼけてんじゃねえ!! 教えねえとこのアタッシュケース河川敷に捨ててきちまうぞ!!」
「あああああああ!!!ちょっと待って!!!」
「あの河川敷、海に繋がってるから大変だよ?」
「えええええ!? さっき助けたのに道也さんも脅す側なんですか!?」
「俺は頼んでないよ?」
「お兄さんたちすごいね!! 鬼だね!!!」
道也と大吾はさらに鬼気迫る表情で迫り、ついに皐月はわかった、わかりましたと頷くと話し始めた。
今、現在の同じ時空列の別の世界の話を。