第一話 これが最後の喧嘩ですか?
三月十日、日曜日、次の日に卒業式を控えた道也と大吾は共に道也たちの町で一番の娯楽である歓楽街に繰り出していた。目的は特になかったが、これが学生の醍醐味と言わんばかりに早朝に家から飛び出て、大吾と駅で待ち合わせをし、繁華街を謳歌した。
歓楽街の帰り道、歩道を歩いていると風景から建物が消え去り、綺麗な海が広がっていった。そんな人通りも少なく日が暮れ夕日が輝く河川敷を二人は談笑をしながら歩いていると、不意に道也が立ち止まった。
「どうした? 道也? 腹でも痛いのか?」
「少し河原で話聞いてくれないか?」
唐突に言われた大吾は嫌な顔一つせずに承諾すると、河川敷を降りて行った。
「で、話ってなんだ? 悪いが、勉強や豆知識はまったく知らんからな」
「いや、大吾にそんな事聞かないから」
当たり前だろっていう顔で、大吾を見ると、失礼なやつだなと言った風に顔をしかめる。そんな表情にも触れずに一度咳ばらいをすると口を開いた。
「俺、高校は喧嘩やめようと思ってさ」
「そうか、まぁ俺たちそろそろ止めた方が良いかもな」
その言葉に大吾はさして驚かなかった。どころか肯定したのだ。大吾はお世辞にも聞き分けが良いとは言えず、日ごろから道也とは意見がぶつかり、その度に殴り合いの喧嘩をしていた。
そんな大吾が肯定し、尚且つ、自身も好きであろう喧嘩を自身も止めた方が良いといった趣旨の事を言い出したのだ。道也は驚愕した。
「え!? だ、大吾、悪いものでも食べた!? 大吾が喧嘩止めても良いなんて……」
「何そんな驚いてんだよ! いつまでもガキみたいに喧嘩喧嘩じゃあだめだろうが」
こんな正論を言う大吾は初めて見るかもしれない、いつもの返しで『は!? やめるだぁ!? 喧嘩しなくなったら人生つまんねだろ!!』とか言われるかと思ったが拍子抜けだった。
「確かに賛成だが……でもよ、わかってんのか? 道端でムカついてもガン飛ばしたり、つっかかったりしたらだめだし、絡まれても手をだしちゃだめなんだぜ?」
「わ、わかってるよ! それくらい! 胸倉掴んだり、殴らなきゃいい話じゃないか!!!」
自信は皆無だ。正直、幼稚園の頃からムカつくやつには鉄拳制裁。そこに正義があるかどうかも曖昧だ。
道也は固唾を飲み込んでガッツポーズをするが、大吾は不審な目を向ける。
「大吾こそ、いつもより冷静ぶってるけどさ、出来るの?」
お返しというように大吾を煽ると、大吾は目をつぶり口を開いた。
「出来ないじゃなくてすればいいだろ、もしもしそうになったら止めてくれや、同じ高校だろ」
「そ、それもそうか……」
「おう、おめえが喧嘩しそうになったら止めてやるからよ」
「おう、頼むよ」
二人は話すのをやめると水が夕日に揺れる川を見つめた。
「ぎゃははは!! 休日でもべったりとかお前ら、ホモかよ!」
落ち着いている二人に冷や水を掛けるようにゲスな笑い声が響き渡る。
二人が河川敷の上に目をやると、そこにはおっさん面の熊のような体格の男がアタッシュケースを片手に仁王立ちをし、ほくそ笑んでいた。そして、周りには仲間だろう男たちが四人ほどニタニタとこっちを笑いながら見ていた。
「あ? んだよ、誰かと思えばくそ雑魚光吉君じゃねえか」
大吾は親し気に手を振ると、光吉と呼ばれた男はほくそ笑むのをやめ、今度は苦虫を噛み潰したような顔になっていった。
この堂本、この外見で中学生、道也と同い年なのだ。
「くそ雑魚だと!? たかが52勝0敗で調子に乗るなよ!?」
「いや、その戦績でいまだに向かってくるほうが異常じゃないか?」
道也の冷静なツッコミに図星を突かれたのか、光吉は黙ってしまう。だが、顔を真っ赤にしながらうるさい! うるさい!と喚き散らした。
子どものように河川敷の上から喚く光吉を道也は軽く睨みつける。堂本はそれが効いたのか少し冷や汗をかきまたしても黙りこくるが、堂々とした態度はやめずに勢いよく指を指した。
「こ、この堂本光吉様を睨むとはい、命知らずなやつめ!」
「自分で自分のこと様付けなんて、自分の事好きすぎだよ」
「うるせえ! だが、安心しろ、この俺も今や忙しい身だからな、命を取るのは今度にしてやるよ」
「へー、いつもぶらぶらしてるだけの堂本君が忙しいの?」
イラっとした道也が少し皮肉交じりに言うと、言われた本人は気にもしてないのか皮肉だと気づいてないのか、アタッシュケースをトントンと足に当てた。
「足折られてぇて意味か?」
「んなわけねえだろ! まじでお前馬鹿か!?」
「んだとごらぁ!! 今すぐ魚のえさにすんぞ!!!」
「まぁまぁ、大吾、で、それがなに?」
大吾をなだめると道也は光吉のアタッシュケースを指さした。すると待ってましたと光吉は誇らしげに胸を張りながら、憎たらしい顔で二人を見た。
その動作を見た道也は今すぐにでもぶん殴って河原に捨てたい衝動に襲われるがなんとか我慢した。大吾もそう感じたのだろう、今にも殴りに行きそうな雰囲気を醸し出していたがギリギリで耐えていた。
光吉は二人の雰囲気に気づいてないのか、これ見よがしにアタッシュケースを見せびらかす。
「お前らみたいな三流ヤンキーは羨ましいだろうな! こいつは極道のアニキからの極秘任務でな! このアタッシュケースを繁華街の裏ルートの売人まで持ってくのよ! どうだ羨ましいだろう!」
「大将、極秘全部言ってます……」
「あっ……」
仲間の一人の指摘に顔が青ざめる光吉は、俺たちをまじまじと見ると可愛くもないウィンクをしだした。大吾と道也は気色の悪さで倒れそうだったが我慢すると、道也は不意に満面の笑みを作った。それを見た光吉も自然と口角が上がっていくが……
「うんうん、すごいすごい、堂本君にぴったりの仕事だね、将来は海の藻屑かな?」
堂本の口角は急落下した。先程の傲慢な顔つきはどこえやら、悲壮に駆られた表情に変わっていった。
「まじで洒落になってねえよ! お、おい! 絶対サツとかにチクんなよ!!」
「それは堂本君次第かな、ねえ? それって何が入ってるの?」
「い、いや、知らねえ、アニキに運べとだけ頼まれたからよぅ……」
「じゃあさ、開けてみる?」
道也の誘いに光吉は酷く狼狽した。この誘いは暗に断わるなら警察に行くと含まされているのに光吉も気が付いていた。だが、アニキと呼ばれる男に開けるなと脅されたのだろう。光吉の顔が苦悶に満ちていった。
「い、いや、それはまずい、サツに通報されなくても開けたのがばれたら殺されちまう!」
「じゃあ、どうしたい? 即警察がいい? それとも、もしかしたらバレないかもしれない開けるほうを選ぶ?」
「うぐっ……わかった、見よう、見にこい」
「ちゃんと考えられるじゃないか」
上機嫌になった道也は軽快な足取りで河川敷を登っていった。光吉は苦々しく見つめていたが道也にはお構いなしだ。
「別に無理矢理俺たちを黙らせる事も出来るんだぜ?」
大吾が何事もなく終わりそうなのに不服なのか、挑発をしだす。だが、光吉は悔しそうに歯ぎしりをするのみで何も言わなかった。 「だんまりかよ、つまんねえな」
「堂本君は心の中じゃあ俺らに勝てないのわかってるんだ、命かけてまで抗わないさ、はい、じゃあそれ開けてよ」
嫌味の言葉にも反応しない光吉をそっちのけに、待ちきれないというように坂を登りきる直前に光吉の右手にあるアタッシュケースに右手を伸ばした。
だが、その右手は光吉の大きくがっしりとした左手に止められた。道也の手首に思いっきり力を込めた。道也は苦渋の表情を浮かべると、大吾ほどではないが身長差のある光吉の顔を上目遣いで睨んだ。
「堂本君、何? 離してよ」
「気が変わった! これ持って離れてろ!」
アタッシュケースを隣に居る仲間に無理矢理持たせ、距離を取らせる。
離れたことを確認した光吉は道也を睨みつける。その顔はまるで鬼神の様だった。
「道也から手を離しやがれ!!」
「待て、大吾」
急な態度の変化に驚いた大吾は、道也を救うため、走り寄ろうとするが、道也の制止が入る。渋々と寄るのを止めた大吾はこれでもかというくらい堂本にガンを付ける。
大吾の視線に光吉は何の反応もせずに道也を睨む。まるで自分の敵は道也のみ。今自分の目の前にいるやつのみこそが最大の敵と認識しているようだった。
「急にどうしたの? もしかしてこのままサシで戦うつもり?」
不機嫌な表情から真顔に変えた道也の問いに答えず、光吉は表情を変えずに仕掛けた。
光吉はまず道也の右手を力任せに放った。
道也は体制を崩し、普段なら、踏ん張って耐えただろうが、今回は河川敷の坂を登りきる直前で体制を整えられず、転びかけると、光吉はその隙を逃さず、左足を軸に右足を勢いよく道也の身体の側面めがけて打ち込んだ。
だが、光吉の右足は道也に当たらず宙を薙いだ。
道也は蹴りを食らう前に自分から後方に跳ねたのだ。
「馬鹿め! 背中から地面に直撃しちまえ!!」
光吉は勝利を確信し叫んだ。初めての勝利。初めての幸福感に光吉は彼の存在を忘れていた。
「おいおい、俺が後方に居たの忘れてたのかよ」
斜め下に落ちていった道也は背中を強打することなく、大吾という最高の相棒の手で襟首を捕まれ宙を浮いていた。
「な!? し、不知火!!」
「最初から居ただろうがよ!! 道也しか敵じゃねえってか!?」
「大吾! そんなのいいからあのアホ目掛けて投げ飛ばしてくれ!!」
「ああ!! うおりゃああああ!!!!」
道也の言葉に促され、大吾は忘れられてた鬱憤を晴らすかのように斜め上に位置する光吉に投げ飛ばした。
道也は傾いたままの姿勢でまっすぐ光吉の元に勢いよく飛ばされるが、余裕そうな笑みで、光吉の頭上にまで飛ばされた。
「たっだいま!」
そう言うと、道也は光吉の頭を通過する直前に、光吉の顔面につま先蹴りを食らわせた。
光吉は繰り出された蹴りに反応しきれず、つま先蹴りは見事に光吉の顔中央に直撃し、光吉は悲鳴を上げることもなく、見るも無残な顔になりながら、背中を強打しながらコンクリートの地面に沈んだ。
道也は、そのまま、無残な姿となった光吉の足元に、見事に着地すると何事もなかったかのように河川敷の上から大吾に手招きをした。
「た、大将!!」
呆然と見ていた仲間たちが、一斉に光吉のそばに来ると、身体を揺さぶったり、涙を流しながら声を掛けていた。
光吉の顔はぐちゃぐちゃとまではいかなかったが、口から血が出ていたり、白目を剥いていたりで悲惨な状況だった。
「相変わらずえげつねえな、お前は」
「喧嘩なのにえげつないもくそないでしょ」
スッキリしたという顔で道也は大吾の方を一瞥すると、大吾も納得したような顔で堂本を見た。
「おい、てめえら、さっさとそれ置いて病院行ったほうが良いと思うぜ、見逃してやるから消えな」
大吾がそう言うと、仲間の三人があわてて光吉を支え、引っ張っていった。アタッシュケースを持っていた男はアタッシュケースを置くと恨めしく道也たちを見ると何も言わずに仲間の後を追っていった。
「いやー、しょっぽい喧嘩だったな」
「大吾、何もしてないけどね」
「投げてやったろうが!」
「そんなの猿にでも出来るよ?」
「なら今すぐ河川敷の先の海に投げ入れてやろうか!?」
大吾がすごい剣幕で怒り出したので冗談だよと手を振ってアタッシュケースを持とうとした瞬間、懐かしい後ろ姿を見つけ、道也は少し戸惑いながらも元気よく名前を呼んだ。
「た、滝ちゃん!!」
本編ですね!! 一話です!!