肌の色が違う少年
黒川瑠璃さんの『なろう人権小説企画』参加作品です。
「僕、学校に行きたくない」
少年は唐突に母親に告げた。母親は少年を抱きしめて目に涙を浮かべた。
薄々は気が付いていた。この子が廻りの子たちと肌の色が違うということは彼女自身がいちばん気にしていたことだったから。
母親は自分と同じ肌の色をしたその少年を強く抱きしめた…。
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家族を養うためにマリアは日本で働くことを決めた。その時マリアは18歳だった。
知り合いの伝手で地方都市の町工場で働くことになった。職場の人たちはみんなマリアに優しくしてくれた。決して報酬は多いとは言えなかった。けれど、住むところは会社の宿舎で家賃や光熱費は会社が負担してくれた。余分な費用が掛からないのはマリアにとって願ってもないことだった。その分を祖国の家族に仕送りすることが出来る。
働き始めて1年が経つ頃にはマリアもすっかり日本の暮らしに馴染んでいた。たくさんの友達もできた。そうなると、いろんな付き合いで出費も増えた。その分仕送り出来る金額は減って行った。
ある日、マリアは工場長に残業や夜勤もやるので給料を増やしてもらえないかと相談してみた。
「労働時間は法律で決められているから無理な相談だなあ」
マリアががっかりした表情をすると工場長はあることを提案してくれた。
「アルバイトをしてみないか?」
「アルバイトですか?どんな?」
「隣町のスナックで女の子を募集していたから面接に行ってみる?」
スナックがどういうところなのかはマリアも知っていた。その上でマリアは工場長に是非と頼んだ。
マスターはマリアの顔をじっと見つめた。
「日本語は話せるの?」
「はい」
「今からでも働ける?」
「何をすればいいですか?」
「取り敢えず、カウンターの中でお客さんの相手をしてくれればいいから。仕事は少しずつ教えるよ」
「わかりました。それでは宜しくお願いします」
マリアはすぐに人気者になった。肌の色こそ違うもののイスパニア系のきれいな顔立ちをしていたマリアは店が終わると常連客達がこぞって家まで送ると言い寄って来た。そんな客たちの中にマリアが密かに思いを寄せる客が居た。彼は他の客と違って、いつもカウンターで静かに酒を飲んでいた。そして、この町には似つかわしくない、どこか垢抜けした雰囲気を持っていた。そんな彼がマリアに話しかけてきた。
「今日でお別れだ」
「えっ?」
彼は西山浩介。東京に本社がある企業の社員でこの町には1年間の期限付きで赴任して来ていたのだと言う。
「僕がこの町に来たのは運命だったのかもしれない」
「運命?」
「そう。君に会うための」
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校庭の隅で5、6人の子供たちが集まっている。その輪の中心には少し小柄な少年がうずくまっていた。ランドセルからは中身がばらまかれ周りの子供たちがそれを踏みつけたりつばを吐いたりしている。教師らしき大人がその輪に近づいて来た。少年は助けを請うようにその大人の顔を見た。
「お前ら、もう下校時間だから早く帰れ」
その大人はそう声を掛けると、足早に校舎の方へ戻って行った。子供たちは少年蹴り飛ばして校門の方へ駈け出して行った。少年は足跡だらけの教科書をランドセルに仕舞うとふらふらと立ち上がった。その腕や顔にはいくつもの痣が浮かび上がっていた。他の子供たちより黒い肌の色にも関わらず、その痣ははっきりと浮かび上がっていた。もう、何日も消えないその痣を見てクラスメートも教師たちも少年に声を掛けて来ることはなかった。
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浩介について東京へ出て来たマリアは浩介のマンションで同棲生活を送っていた。浩介はマリア一人を養うのには十分な所得を得ていた。けれど、マリアは祖国の家族に仕送りをしなければならないため、近所のスーパーでパートタイマーとして働くことにした。今までは自分の生活費を引いた分を仕送りしていたのだけれど、浩介が生活費をすべて面倒見てくれたのでパートで稼いだ金は全て仕送りに回す事が出来た。そんなある日、浩介が思いもよらぬ事を言って来た。
「結婚しようか」
マリアはあふれる涙をぬぐいながら浩介にしがみついた。
「コウスケさん、ありがとう。うれしい!」
結婚式こそ挙げはしなかったけれど、きちんとした手続きをしてマリアと浩介は夫婦になった。そして、間もなく男の子を出産した。
「マリア、君にそっくりで可愛い子じゃないか!」
浩介は生まれたばかりのその子を抱き上げて面々の笑みを浮かべた。けれど、マリアには一抹の不安があった。肌の色が自分と同じだったから。
「コウスケさんに似ていてくれたら良かったのに…」
マリアは誰に言うでもなく呟いた。
子供は浩生と名付けられた。
浩生は小柄ではあったけれど、健康に育った。肌の色が違うこと以外は他の日本人の子供となんら遜色なく、幼稚園に通うようになっても明るく優しい子に育っていた。それが、小学校に上がると肌の色が違いことを理由に苛められるようになった。
いじめを始めたのはクラスの中でも大柄な男の子岩田泰成だった。普段から威圧的で乱暴な彼に逆らえる者は居なかった。同じ幼稚園から一緒に入学した友達も何人かはいたのだけれど、彼が怖くて浩生と口を利くこともなくなってしまった。
「ねえ、今日、一緒に帰ろう」
浩生が話しかけると、何も言わずにその場を離れて行った。そして、いつしか彼らも苛める側になってしまった。そんな彼らが悲しそうな眼をしているので浩生は彼らを責めることもできなかった。
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そんなある日、浩生のクラスに転校生がやって来た。浩生と同じくらいの背格好でどちらかというと小柄な男の子だった。
「お父さんの仕事の都合で大阪の小学校から転校してきた蓑田康生君です。みんな仲良くしてやってね」
そう担任に紹介された男の子は浩生の後ろに席に着いた。
「ほなよろしゅう。あんた、おもろい顔してんな」
そう言って浩生に笑いかけた。“おもろい”と言ったのは浩生が目の周りに痣を作っていたからだった。浩生は挨拶をしなかった。仲良くしてもそのうち苛められる。だったら、なまじ仲良くならない方がいい。そう思ったから。けれど、彼は他のクラスメイトとは違っていた。
彼が転校してきた翌日。いつものように浩生は岩田たちに苛められていた。取り囲まれて蹴飛ばされていたのだ。廻りのクラスメイトたちは皆見て見ぬふりをしていた。浩生はいつものようにうずくまって嵐が去るのを待つだけだった。
「何すんだ、てめえ!」
岩田のそんな声がいきなり聞こえて来たかと思うと、続いて聞こえてきたのが関西弁のこんな声だった。
「あんたら何しよんの?ほんま不愉快なことしよるなあ。東京もんは卑怯やなあ」
声の主は転校生の蓑田康生だった。箒を手に岩田を睨み付けている。
「なんだと!」
そう言って岩田は蓑田に飛び掛かった。蓑田は素早く岩田を交わすと持っていた箒で岩田の尻をひっ叩いた。
「この野郎!」
かっとなった岩田が蓑田に掴みかかってくる。蓑田は岩田に掴まる前に身をかがめて下から岩田の顎にパンチを突き上げた。岩田は周りの机をなぎ倒しながら後方へ倒れて行った。
「こいつ苛めるんやったらおれが相手になったるさかいいつでもかかってきいや」
蓑田はそう言うと、浩生を立ち上がらせ肩を組んで笑って見せた。
「おまえ、俺とおんなじ名前やさかいな。今日から兄弟や」
浩生が苛められることはそれ以来なくなった。蓑田はあの日以来、クラスのリーダーになった。痛めつけた岩田とさえ、冗談を言い合ったりして遺恨を残すようなことしなかった。
「解かればいいんや」
それが蓑田の口癖だった。そんな蓑田がまた転校することになった。浩生は不安になった。蓑田が居なくなれば、また岩田たちから苛められると思ったからだ。案の定、蓑田が引っ越す前日に浩生は岩田に呼び出された。どうせやられるなら先延ばしにしてもしょうがない。そう思った浩生は呼び出された空地へ行った。すると、そこには今まで岩田と一緒に浩生を苛めていた連中も一緒に居た。そんな中で、岩田が浩生に近づいてきた。浩生は思わず身をかがめた。
「何してんだ、浩生。早く来いよ。今からみんなで蓑田の餞別を買いに行くんだから。お前も一緒に選んでくれよ」
「えっ?」
「バカだなあ。蓑田が居なくなるからって、また苛めたりなんかしねえよ。蓑田の兄弟は俺の兄弟だからな」
そう言って岩田は浩生に手を差し伸べた。
翌日、蓑田の家の前にはほとんどのクラスメイトが見送りに来ていた。
「元気でな。いつか遊びに来いよ」
岩田が言うと、蓑田はニカッと笑った。
「君たちこそ遊びにおいでよ」
蓑田がぎこちない標準語で返すとどっと笑いが巻き起こった。
「やっぱ、東京弁はあかんわ」
「今度はどこに行くの?」
浩生は思い切って聞いた。
「アメリカや。おとんが商社マンやさかい、しゃあないねん」
「アメリカ…。それじゃあ、遊びには行けないよ」
「まあ、そうやな」
蓑田はそう言って大声で笑った。
「I'm counting on you to be strong」
浩生は蓑田に言った。
「なんや?なに言うたん?」
「いつまでも元気でね…って」
「こりゃ驚いたわ。浩生、英語しゃべれるんかい」
「うん。お母さんがフィリピン人だから」
「そりゃ、すごいなあ。インターナショナルやないかい!俺の通訳で一緒に来てほしいわ」
そこで蓑田は父親に呼ばれて車に乗り込んだ。蓑田はみんなの姿が見えなくなるまで窓から顔を出して手を振った。
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浩生はその後、日本の大学を卒業して母の故郷であるフィリピンで小学校の先生になった。マリアはそのことを誇りに思う。そして、浩介との間に二人目の男の子と女の子を授かった。二人とも幼少期には苦労をしたけれど、今ではどちらも日本の企業に就職することが出来た。そして、浩生が結婚式を挙げると言うので家族そろってフィリピンを訪れた。
28年間、仕送りを続けて一度も帰ることがなかった祖国の土を踏んでマリアの目からは涙が絶えることはなかった。