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魔女発見業者の仕事その3

 そこへ、僧兵がぞろぞろと駆けつけてきた。屈強な男たちが築く壁の向こう側から、司教が顔をのぞかせる。


「ジゲル、無事か!?」


 天高く舞い上がった白いカラスを一瞥して、ジゲルは目を皿にする司教に微笑みかけた。


「この通り、ぴんぴんしてますぜ。そんなことより、さすがは司教様。ちょうど良いところにおいでなさった。これも主のお導きですかねぇ……魔女とその使い魔を発見したところなんですよ」


 ジゲルがマーサの両親を名指しすると、司教は微塵の疑いも挟まずに、それを信じた。狂信者の目は、義憤に燃えている。


「悪魔め、性懲りもなく、神のお足もとを穢すか。引き立てよ! 涜神には、然るべき報いを受けさせねばなるまい!」


 司教の号令で、僧兵たちがマーサの両親を捕縛する。忠良な犬は主人を守ろうと敵の前に立ちはだかったが、猟師仲間たちは誰ひとりとして、夫婦を庇おうとはしない。皆して、顔を逸らして、偶然居合わせただけの、無関係な通りすがりを装っている。

 ジゲルという脅威に立ち向かわんと結んだ絆は、神の威光の前に脆くほどけてしまった。


 安全が確保されると、司教は親の庇護を求めるこどものように、ジゲルに駆け寄って来る。ジゲルが皮膚の深部まで染みついた愛想笑いで対応していると、地響きのような唸り声がした。それは僧兵に縄打たれ、血の涙を流すマーサの父親のものだった。食い破った唇から、血と怨嗟を漏らしている。


「神よ……なぜなのです……なぜあなたは、悪しき罪人に恵みと生を、清く善良な乙女に苦痛と死をお与えになるのです……あなたは、悪魔すら、許せと仰るのか……」


 マーサの父親が蛇のように頭をもたげた。凄まじい形相でジゲルを凝視している。ジゲルが嘲笑うと、マーサの父親は喉を引き裂かんばかりに叫んだ。


「なぜ! なぜなのです、神よ! この惨たらしい有様を是となさるのなら、もはや、あなたは何処いずこにもいらっしゃらないのだろう!」


 マーサの父親は神を恨み、呪いながら叫ぶ。それを聞いた者たちの顔から、さぁっと血の気が引いた。

 何人たりとも、神を否定してはならない。マーサの父親は、最大の禁忌を犯した。


 司教は飛び上がり、続いて顔を真っ赤にして怒号を飛ばした。


「口を慎むのだ、悪魔よ! お前たち、何をしている! これ以上、悪魔の好きにさせてはならぬ! さっさと連れて行け!」


 司教の怒声に鞭打たれたように、僧兵たちははっと我にかえった。まだ何か喚こうとするマーサの父親を殴り、猿ぐつわをかませる。それでもなお、マーサの父親はくぐもった声で、神をなじり続けていた。


 ジゲルはその無様を、顎を撫でながら観賞していた。狂乱する怨敵と、無惨な死骸を晒す犬。しばらくは、この光景を肴に、旨い酒が飲めるに違いない。


(きひひ、いいねぇいいねぇ。間抜けの末路はこうでなくっちゃあ、面白くない。だが、あともうひとつ、刺激が欲しいところだな)


 そこで、ジゲルは閃いた。我ながら悪趣味な思いつきだと、低く含み笑うと、ポケットに両手を突っ込んで、長い足をもてあますように歩を進める。アヒルの雛のようにあとを付いて来る司教は、マーサの父親の傍らを通り過ぎる時、大きく迂回していた。


 ジゲルはマーサの父親の前を素通りした。蝋のような顔色で黙りこくっている、マーサの母親の前で立ち止まる。


 ジゲルはぐっと腰を屈めて、俯くマーサの母親の顔を覗き込んだ。マーサの父親が言葉にならない怒声を上げ、背後の司教が飛び上がったが、気にも留めない。


 ジゲルはにんまりと唇を歪めた。苦痛に耐えるように噛みしめた唇が、震える花瞼が、良い風情だ。

 ジゲルはマーサの母親の耳元に、笑みにたわめた唇を近づける。秘密を打ち明けるような、親密な距離で囁いた。


「おかみさん、旦那がアレじゃ、あんたも苦労するなァ。なんだったら、処刑人を誑し込んでみちゃ如何です? 拷問吏の妻になりゃ、晴れて無罪放免だ。アンタ、マーサによく似てるから、いけると思うんだが」


 マーサの母親は目を瞠った。ジゲルを睨みつける彼女の頬には、赤みがさしている。屈辱に伴う怒りは、やつれきった彼女の中の、かつての美貌を呼び覚ましていた。


 ジゲルは小さく口笛を吹く。女の強い眼差しが、ジゲルの背筋をぞくぞくさせた。


 ジゲルはえり好みはしない。街中の誰であっても、皆等しく同じ地獄に叩き落としてしまいたいと考えている。


 しかし、やはり美人は味わい深い。その苦痛に、復讐の愉悦のみならず、性的な興奮を覚えることを禁じ得ない。


 街一番の美人と評判だったマーサが、惨たらしい姿でロバに股をさかれる様など、思い出しただけで腹の底が熱くたぎるようだ。何よりも、最後まで気丈に振る舞う勝気さが堪らなかった。なんとしてでも、マーサを妻にしようと、拷問吏がしゃかりきになったのも頷ける。


 女には、たったひとつだけ、いかなる罪をも許される術がある。それが、拷問吏の妻となることだ。拷問吏の求婚に応じてその妻となれば、たとえ万死に値する大罪だろうが、刑の執行を免れる。


 しかし、そうであっても、拷問吏の求婚に応じる女はいない。マーサもそうだったのだろう。あの拷問吏はマーサに懸想しており、マーサが魔女として捕らえられたとき、真っ先に彼女に求婚した。しかし、マーサは応じなかった。


 信仰心と自尊心をもつ女ならば、まず、拷問吏の手をとることはない。それならば、犬の妻になれと言われた方が、まだ転びやすいだろう。


 焼け付くような憎悪の眼差しを心地よく受け止めながら、ジゲルは嘲った。


「命を粗末にするもんじゃあ、ありませんぜ。抵抗はあるでしょうが、死ぬよりマシだと思いませんか? それに、ですよ。考えてもみてください。奴のあの見事な体! あんたの萎びた旦那は、赤ん坊を産んで弛緩したあんたを、満足させてくれやしなかったでしょう……」


 ジゲルは最後まで言いきれなかった。途中で、昂然と頭をもたげたマーサの母親が、ジゲルの顔に唾を吐きかけたのだ。


 マーサの母親は苛烈な炎の双眸でジゲルを見つめた。娘を火炙りにした男をその瞳の中で焼きながら、軋るような声で言い捨てる。


「地獄に堕ちろ」


 背後では、司教がぎゃあぎゃあと騒いでいる。その内容を、ジゲルは聞いていなかった。目の前の女だけに神経を集中させていた。腹の底で燻っている、どす黒い炎がめらめらと燃え上がるのを感じる。


 気の強い女は良い。堕ちる様が、いっそう悲劇的だ。


 ジゲルは手の掌で吐きかけられた唾を拭うと、その手でマーサの母親の頬を張った。


 マーサの母親の頭ががくんと逸れる。ほつれた髪で掌を拭い、ジゲルはねっとりと糸を引くような声調で言った。


「お先にどうぞ」


 ジゲルはくるりと転向して、小さくなっている猟師とその女房たちの前に立った。いつのまにか、騒ぎを聞きつけた物見高い住民たちが集まって来ている。


 住民たちの前立つと、ジゲルは両腕を広げ、高らかに告げた。


「お集まりの皆様! そこの道行く皆々様! 心してお聞きなさい! 私は司教様より、魔女発見業を拝命つかまつった! 死力を尽くし、この街から魔女を駆逐すると誓いましょう! それはすべて、この街を大いなる災から守るため! 魔女を悉く殺し尽くすまで、我が言葉は司教様の言葉と心得なさい!」


 ジゲルの言葉を聞いた司教が、すかさず加勢する。


「そうとも、その通りだとも! 皆の衆よ、ジゲルに協力を惜しむことのないように。このジゲルこそ、主が我々に遣わした、救世主なのだ! この街の青年が、善良なる隣人の中に潜む、邪悪なる魔女を見抜く神通力を授かったという事実こそ、主が我々を見捨ててはおられないという、何よりの証。諸君、ここは皆で団結し、魔女の脅威に毅然として、立ち向かおうではないか! 案ずるな、我々には主がついておられる!」


 静まり返る住民たち。その目に、ジゲルははっきりと畏れを見た。


 愚かな住民たちも、やっと理解出来たのだ。かつて自分達が虐げ、靴裏の泥落としとして惨く扱った、弱いジゲルはもう何処にもいないということが。


 ジゲルは彼らの上位者。彼らを踏みつける者。ジゲルは、彼らを支配したのだ。


(きひひっ、くふふ……あーはっはっはっは!! 見ろ、この俺を! 俺をムシケラみてぇに踏みつけやがった、有象無象どもの生殺与奪は全て、俺に委ねられた! ムシケラは俺じゃねぇ、この街のうすのろどもだ! 見ろよ、見るんだ、この俺を! 間抜けの死体で築いた玉座に君臨する、俺こそが死の王だ!)


 ジゲルは嗤った。心の底から愉快だった。ジゲルは勝者だ。


 高い空を旋回する白いカラスが、赤い目玉でジゲルの醜悪な悦びを見下ろしていた。


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