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魔女発見業者の仕事その1

***


今の死神は、黒い霧のような姿をしている。死神はネズミに跨ってやってきては、人々の暮らしを脅かす。死神の無慈悲な鎌は、黒い死の病として人々の体をおかすことも、家畜や作物をおかすこともあった。


荒みきった灰色の街の広場の片隅で、灰色の枯れ木に凭れ掛かった男がひとり。歌うようにつぶやいた。


「今日もかわいそうな女を一人、火あぶりにしよう。腐った肉が焼けて、黒い煙が上がる。魔女が悲鳴をあげりゃ、町中皆が大喝采。これは神意。楽しい神罰。魔女の処刑は愉快な祭り」


 灰色の街は、まるで墓場のように澱み沈んだ街だ。街の人々の顔色は死体のように青白く、瞳は濁り光が無い。灰色の家からのそのそと出てくる様子はさながら、墓石の下から這い出す屍鬼だ。

 

 そんな灰色の街が、月に一度だけ息を吹き返す。灰色の家から出てくる住民たちの目はぎらぎらと輝き、興奮で顔が赤く染まる。住民たちはわらわらと、中央広場に集まってくる。


広場は異様な熱気に包まれていた。広場の中央には柱がたてられている。やがて、後ろ手に縛られ、猿轡をされた若い女が引きずられてくる。腰に鈴をつけ、鉄仮面を被った男が、女を抱えるようにして、柱の前まで連れて行く。女はほうほうの体で、立っているのもやっとのようだった。

 しかし、憔悴しきった様子に、心を痛める人はこの場には誰一人としていない。住民たちは、女が姿をあらわすやいなや、色めき立ち、口々に女を罵った。


「出たな、魔女め! 悪魔の情婦、呪われた女!」

「この街に育ててもらった癖に、恩を仇で返しやがって!」

「お前が妖術で作物を枯らしたせいで、俺たちはこんなに飢えて苦しんでいるんだ! お前も苦しめ!」

「それだけじゃねぇ。お前ら魔女が井戸に毒を仕込んだせいで、大勢死んだんだぞ!」

「死ね! 苦しんで死ね! 地獄で永遠に苦しみながら、私の坊やに詫び続けろ!」

「返して! あんたが争いを招いたせいで、殺されたうちの人を返して……かえしなさいよ、かえせ、かえせぇぇぇ!」


 住民たちは互いの言葉に煽られて、半狂乱になって騒ぎ出す。道端の石を拾い上げ、女に投げつける者もいた。しかし、投石は女を柱に括り付ける仮面の男の大きな背中に阻まれて、女には届かない。住民たちの怒号が飛ぶ。


「邪魔だ、どけ!」

「魔女を嬲るのは、てめぇだけの特権じゃねぇぞ!」

「アタシらにも魔女を痛めつけさせろ!」


 しかし、仮面の男は岩のように動かない。女を柱にくくり終え、男たちが人の背丈よりも高い藁の壁で女を取り囲んでも、その場を頑として動かなかった。住民たちは、押しのけ合いながら、仮面の男が出るための隙間から中を覗き込み、怒り猛り叫ぶ。


「汚らわしい拷問吏め! 人間様の言うことが聞けねぇのか!」

「まさか、魔女に誑かされたんじゃあないだろうね!?」


 項垂れていた女が、のろのろと頭を擡げる。猿轡を噛まされた、ひび割れた唇がわずかに動いたようだったが、住民たちの怒声にかき消されて、その内容は聞き取れない。ただ、拷問吏がはっきりと首を横に振ったことから、女と拷問吏が何らかの意思疎通を図ったことはわかる。住民たちが見逃すはずが無い。


「やっぱりそうなんだ! その拷問吏は、魔女の使い魔に違いない!」

「いや、そいつそのものが悪魔なんだ! 人殺しの血統に生まれた、こどもたちの生き血を啜って育った呪わしい子!」

「殺せ、そいつも殺せ! 魔女と一緒に火あぶりにしろ!」


 今にも暴徒と化しそうな民衆たち。高い壇上でふんぞり返っている司教が、慌てた様子で声を張り上げる。


「静粛に、静粛に!」


 喚く司教を尻目に、拷問吏は女の肩に手をかけ、懐から取り出した短剣をふるった。慈悲を与えたのだ。


 喉がぱっくりと割れる。夥しい量の血が迸り、拷問吏に血の雨が降り注ぐ。普通ならば、火あぶりの味を短時間でも味わわせるために、気管のみを切り裂く。拷問吏は明らかに深く切りすぎていた。


 これはいけない。魔女は生きたまま焼かれなければいけないのだ。


 司教は顔を青くしたが、愚鈍な民衆たちは派手な流血に気を取られた。幼稚な嗜虐心を満足させ、歓声を上げる。


 拷問吏は素早く藁の囲いから抜け出すと、一抱えの藁で自身が出た隙間を塞いだ。


 わたわたとその場で立ち上がった司教が、裏返った声で口上を述べる。

 

「戦、飢饉、疫病。あらゆる災厄は、悪魔と契った魔女の仕業。魔女はありとあらゆる卑劣な手段を用いて、善良なる隣人たちを不幸のどん底に陥れる。魔女を捕らえよ。そのおぞましき正体を暴け。浄化の炎で悔い改めさせよ。さぁ、諸君! 魔女に鉄槌を!」

「鉄槌を!」


 藁に火が放たれる。乾いた藁は面白いほどよく燃える。女の死骸が火に包まれると、住民たちがひときわ大きな歓声を上げた。燃え盛る「聖なる火」に照らされた、悪魔よりも醜悪に思える人々の歪んだ笑顔。


 それを、遠巻きに眺めている男がいる。少々骨ばってはいるものの、長身で、肩は実り、手足は長く、恵まれた骨格の持ち主である。働き盛りの若者だが紫暗の瞳には、若者らしい希望や純粋さが欠片も見当たらない。深淵を覗き込んでしまった者の、暗く淀んだ目をしている。


肩まで無造作に伸ばした髪が、不愉快な赤錆色をしているが、顔立ちは醜くない。ただ、にやにやと脂下がった、悪趣味な笑みがこびりついた細面は、ずるがしこい狐を彷彿とさせて、お世辞にも人好きがするとは言いがたかった。


 男は広場の隅の、忘れ去られた灰色の枯れ木に、腕を組んで凭れ掛かっている。男は喉奥でくつくつと、泥を煮やしたような笑い声をたてた。


「きひっ、くははは……馬鹿馬鹿しい。そんなわけが、あるかってぇの」


 男の名はジゲル。この街で唯一の魔女発見業者であり、たった今、処刑されたマーサという娘を、魔女としてでっちあげた、張本人である。


 ジゲルは退屈なお祭りに背を向けた。司教から報酬として渡された金貨が詰まった袋が、懐にずっしりと重く唸っている。ジゲルはうつむき加減に笑った。


「きひひっ、愉快痛快。チョロイもんだぜ」


 高い酒をたくさん買い込んで、家でしこたま飲もう。酒の肴に、上等な生ハムも買って帰ろう。住民たちがあくせく働く陽も高いうちから、贅沢な酒盛りをするなんて、最高の気分だ。それも、住民の一人を売った金で贅を尽くすのだから。なおのこと。


 義足を引き摺りつつも、いい気分で家路につこうとしたジゲルを、強い腕が路地に引きずり込んだ。ジゲルは咄嗟に腕を払いのけたが、力負けして、路地裏に連れ込まれてしまう。屈強な男たちが立ちはだかっていた。


街の猟師たちだ。猟師たちを取り纏めるマーサの父親が、仲間の猟師たちを引き連れてやってきたのだ。ジゲルがいつも、処刑を最後まで見届けずに中座するのを知っていて、路地裏に引きずり込んだ。司教に重用されるジゲルをなんとかしてやろうと思えば、チャンスは今しかない。


しかし、その後はどうなる? ジゲルの死体が見つかれば、真っ先に疑われるのはこの男だ。ジゲルに依存しきっている司教は、ジゲルの失踪にすぐさま気がつくだろう。遅くても、ジゲルの死体がまだ暖かい頃には、ジゲルを見つけるはずだ。

そうなれば、男に逃げ場はない。


(それでもいいっての? 捨て身の覚悟ってか? そんな根性があるんなら、娘がヤられる前に、本気を出しゃあいいのによ。やることなすこと、後手後手に回ってるじゃねぇか。バカだねぇ)


 嘲笑していると、下のほうから、ぐるるる、と低い唸り声がする。熱く荒い息遣いに、背筋が凍った。見下ろすと、忌々しい猟犬たちが、主人の足元に控えている。いつ合図を出されても、すぐさま飛びかかれるようにと身構えている。


ジゲルはわずかに眉を顰めた。なくしたはずの脚が、むなしくうずくようだ。


(あのときのクソ犬は、とっくのむかしにくたばっただろうが……なるほどね。同じクソに仕込まれりゃ、同じようなクソ犬が出来上がるってワケだ)


ジゲルは唇の端に嫌な笑みをひっかけて、ねっとりと唇をなめた。芝居がかった、大きな身振り手振りを交えて言う。


「おお、これはこれは、親愛なる猟師の皆々様、お揃いで。お祭りは楽しまれましたか? 今日はいつも以上に盛り上がりましたな。結構なことです」


 ジゲルはマーサの父親を挑むように見据えた。マーサが魔女として告発されたときの、この男の狼狽を思い出す。何度思い出しても愉快痛快で、笑える。この男の涙は、何にも勝る酒の肴だった。

足元の猟犬に気を取られないように注意しながら、ジゲルはマーサの父親を挑発した。


「ご覧になったでしょう? 魔女の喉から迸る鮮血を。胸がすくようでした。まるでよくふった発泡酒のようでね」

「何が魔女だ、何が悪魔と通じた女だ。悪魔とは、てめぇのことだろうが」


 マーサの父親が地鳴りのように唸る。すかさず、仲間たちが加勢した。


「そうだ、てめぇこそ悪魔よ、ペテン師よ!」

「女が何人焼き殺されても、何もよくなりゃしねぇ!」

「作物は枯れて腐れたままで、病で人は死に続け、山賊は街に下りてきやがる!」


 ジゲルは顎に手をあてて、ふむ、と考え込む仕草をした。そうしながら、実際、考えを巡らせていた。 


 広場から続く一本道を、ずっと背を見せながら帰るはずのジゲルの姿が、忽然と消えたことに、司教が気づけば応援をよこすはずだ。あの司教はジゲルに頼りきりだから、すぐに異変に気づくだろう。それまでの時間稼ぎが必要だ。


素早くあたりを見回す。男たちの後方で、民家の壁に隠れている女たちを見つけて、ジゲルの頬が歪んだ。


「おんやぁ? なんだか、臭いますねぇ。この噎せ返るような、血と汚泥の混じったような悪臭……悪魔と契った魔女の臭い、ですかねぇ?」


 ジゲルは前かがみになり、犬のように鼻を利かせる。


「こちらの旦那かな? それともあちらの旦那かな? それともあんた? 誰だ、誰のかみさんが魔女なんだ? あんたかな? それとも、あんた? ……いや、女将さん、あんただ」


 ジゲルが指差したほうを振り返り、マーサの父親の顔が凍りつく。口を両手で覆って震え上がっているのは、彼の妻であり、マーサの母親だった。


 ジゲルは下卑た目でマーサの母親を嘗め回すように見る。女盛りはとうに過ぎてしまっているが、街一番の美女と名高かったマーサの母親である。色情狂の処刑人は、喜んで牢屋に忍び込むだろう。

 ジゲルはじりじりとあとずさり、猟師たちとの距離を稼ぎながら、言った。


「あんたの股が、ぷんぷん臭いますぜ。さては、悪魔を寝所に招きましたね? ありがちな話だよ。母娘そろって、ザバドに出かけたんだろう? まったく、ひどい女だね。娘を魔女だと差し出して、自分は生き延びるつもりだったのかよ」


 よろめくマーサの母親を庇うように、マーサの父親がジゲルに掴みかかった。


「汚らわしい悪魔め! 貴様なんぞ、生きながら犬の餌にしてやる!」


 


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