其の13 がんばれココロ -02
「たくさん買っちゃった……。買い過ぎちゃった……」
翌日の朝――。
送迎車で登校してきた優樹は、鉢合わせした生美と教室前で立ち話をしながらため息を吐いた。
「おいしそうだったから、つい、買っちゃって……。どんなにあげる人を数えても、それでも、十個は余っちゃうの……」
「誰にあげるつもりで買ったの?」
「生美ちゃんたちでしょ、それと、後藤さんたち新聞部の人たちでしょ、椎名先生でしょ、お父さんたちと、お家で仕事してくれてるみんなと、石田さんたちと」
どんどん指折り数える優樹に、生美は呆れた顔でため息を吐いた。
「いくらなんでも、それは買い過ぎよ?」
「おいしそうだったから、あげたくなったの」
優樹はシュン……と俯いて肩の力を抜いた。
「どうしよう、余ったチョコ……」
「食べれば?」
「無理。賞味期限、そんなに長くないから。一人じゃ、無理」
首を振る優樹に生美は更に呆れるようにため息を吐いたが、じっと考えて言葉を切り出した。
「……で、そのチョコレートって……、もしかして全部義理?」
「そうだよ?」
なんで? と、言わんばかりに首を傾げる優樹に、生美は「まったく……」と腕を組んだ。
「洋一に昨日言われたでしょ?」
その出だしに、優樹は少し顔を赤くしながらも目を据わらせた。
「生美ちゃんまでっ」
「何よ? 何かおかしい?」
「……だから言ったでしょっ、……彼女がいるってばっ」
ムスッと頬を膨らませる優樹に、生美は「……もう、この子は」と肩の力を抜くと同時にため息を吐いた。
「今日、流と放課後約束してるんでしょ? あんたも、この際だからよーくあいつの話しを聞きなさいよ」
「……、え? 用事って、話しなの? ……生美ちゃんたちは一緒じゃないの?」
優樹がキョトンとした表情で聞くと、生美はガックリと頭を落とす。残念そうな様子に優樹は「ん?」と顔をしかめたが、コートの中で携帯電話がブルブル震え、取り出して着信を確認した。
……知らない番号だ。昨日と同じ。
優樹は間を置いてそれに出た。
「はい? もしもし?」
相手はやはり無言で何も言わない。物音もない。
訝しげに眉を寄せている間に通話が切れ、腑に落ちない表情で携帯電話を下ろす優樹に気付いた生美は「どうしたの?」と問い掛けた。
「何かあった? 誰から?」
「う……ん、……昨日からね、変な電話が掛かって来るの」
「変な電話?」
眉間にしわを寄せて繰り返され、優樹は頷いて、携帯電話の着信履歴を見せた。
「この番号。……出ても無言で、すぐ切れるの。昨日、家に帰ってからと、夜にも一回あったんだ……」
「……知らない番号ね。みんなのケイタイじゃないわ」
生美はじっと番号を見つめて、真顔で優樹に目を戻した。
「気味悪いわね。……今度その番号から掛かってきた時、誰か、男子に代わりに出てもらいなよ。嫌らしいいたずらかもしれないから」
「うん……」
優樹は不安げに返事をしながら、携帯電話をポケットに入れる。
「……今まで、こんな事なかったんだけどなあ……」
優樹のその言葉に、生美はふと、思い出したように顔を上げて目を据わらせた。
「……あれじゃないでしょうね?」
「あれ? あれって何?」
「ほら、昨日あんたが会った、……ファンクラブ、とかいう連中」
不愉快げに顎をしゃくる生美に、優樹は「……ま、まさか」と微妙な笑みで頬を引き攣らせた。
「で、でも、ケイタイ番号知ってるのは、洋ちゃんとマー君と華音ちゃんだけだって言ってたよ?」
「……あいつらの番号知ってるの?」
生美はうんざりするように脱力した。
「それ、教えておいてあげなくちゃ。どこでどう広まるか、わかったもんじゃないわ」
「そ、そうだね。そうだった」
優樹は不味そうに笑いながら頷き、「うーん……」と目線を上に向けた。
「……あの子たちかなあ……。だとしたら……、……どうしよう」
「番号変えた方がいいよ。そんなの構ってちゃキリがないでしょ」
呆れ気味に勧められ、「だ、だよね……」と、優樹はため息を吐いた。
「……そんなに、悪いコトするような子たちじゃないと思ったんだけどなあ……」
誰からなのかわからない、といったところで不気味さは残ったが、しかし、ずっと気にしていても仕方がない。
お昼になる頃には、電話のことも忘れていた――。
「チョコは用意したか?」
お昼時間に依頼書の振り分けをしようと部室に行くと、ドアの側でこっそりと大介に聞かれて優樹は目を据わらせた。
「……買ったのは買ったけど。でも、みんな同じだよ」
大介は「……おまえなあ」とじっとりと目を細めて呆れ気味なため息を吐いた。
「アホかぁ。みんなと同じでどないすんねん」
「何がよー」
「特別なモンにせぇよ、こういう時は」
「なんでよー」
コソコソと背を向けて話す二人に気付いた反町は「?」と首を傾げた。
「そこ、何秘密の話ししてるわけ?」
二人はビクッと肩を震わすと、「はははっ」と、振り返るなり笑って誤魔化した。
「な、なんでもないねんっ。なんでもっ」
「そ、そうっ。全然なんでもないのっ」
そそ……と、互いに席を離れる二人に、反町は顔をしかめた。
優樹は「さ、さあ依頼書を……」と、束になっている依頼書を手にとって振り分けようとしたが、携帯電話が鳴り、「はいはい」と言わんばかりにそれを手にとって出た。……時に気が付いた。
しまった! あの番号だった!!
っちゃー、出ちゃった……、とうんざり気分で思ったが、出たからには仕方なく、言葉を切り出した。
「……はい、もしもしぃ?」
面倒臭そうに聞くが、やはり、相手は無言だ。やっぱりか、と、想像通りの状態にため息を吐き、「どうせすぐ切れる」と思っていたが、――切れない。携帯電話に出たまま優樹が顔をしかめていると、対面の反町が首を傾げた。
「……どうした?」
心配げなその声にみんなも「ん?」と顔を上げ、優樹は「……あ」と、何か言葉にしようと思ったが、その時、《……はぁ》と、小さな息遣いが聞こえ、優樹は携帯電話に耳を傾けた。
「……もしもし?」
《……》
「……あの……、……どちら様ですか? ……間違いですか?」
問い掛ける優樹に、生美は「朝のヤツね」と気付いて目を据わらせ、反町に顎をしゃくって見せた。
「ちょっと代わってやって。いたずらよ。しつこいみたい」
相手に聞こえないように囁くと、反町は少し不愉快そうな顔をして優樹に「貸せ」と手を伸ばした。優樹はためらいながら、携帯電話を手渡そうとしたが、《……あの……》と、小さな声が聞こえ、慌てて再び耳に寄せた。
「はいっ、もしもしっ?」
《……》
「……も、もしもし?」
《……あの……》
「……」
優樹はみんなが注目する中、硬直したままで瞬きをした。
聞いたことのある声だ。……誰だったか――。
《……もしもし。……すみません。……今、お昼時間ですよね。……お忙しいですか……?》
弱々しい声――
優樹は大きく目を見開くと、ガタンッ、と椅子から立ち上がった。
「あっ、いえ! 全然お忙しくないので大丈夫です!!」
焦って奇妙なことを言ってしまった。
戸惑う姿にみんなは顔を見合わせ、生美が「……誰?」と訝しげに問うと、優樹はオロオロと目を泳がし、
《……みんなには、……秘密にしてくれませんか……》
と、言う声に、咄嗟に「お父さん!」と大声で返事をして部室の外に出てドアを閉め、みんなから見える窓に寄り添って立った。北風が強く吹き、「うっ……」と顔を歪めて寒さに身を震わすと、その場で足踏みをしながら会話を続ける。
「も、もしもしっ? ……えーとっ……。……鈴木さん、だよね?」
そっと問い掛けると、向こうで《……はい》と小さく返事が聞こえた。
「昨日からの電話も……」
《……ごめんなさい。……変な電話をしてしまって……》
「う、ううんっ、いいよっ」
寒々と腕を撫で、たまにジャンプをし、「コートを着てくれば良かった!」と思いながら、体を暖めようと更に速く足踏み状態を保つ。
「そ、それで……、何かあったんですか? ……って言うか、私の番号……」
《……流のケイタイを見て、……調べました……》
「……、あっ、そっかっ。だねっ。調べられるね!」
よくわからない状況だったが、そう同調してしまった。
優樹は、少し薄雲が掛かる空を見上げ、深く息を吐いた。白い息がすぐに空気に溶けていく。
「えーと……、それで……」
《……今日、……私の所に、来てもらえませんか……?》
「……、え?」
優樹はピタ、と足を止めた。
《……私の、所……。……反町病院の、西病棟、……七階の、1052です。……個室です……》
「……え、えーと……、……あ、じゃあ、なが……反町君も」
《流には言わないで》
すがるような必死な声に、優樹は息を詰まらせた。
《……お願い。……絶対、流には言わないで。……誰にも言わないで……》
震える小さな声に優樹はためらい目を泳がしたが、「……うん」と頷いた。
「わかりました。……じゃあ、……放課後、行きます」
《……ありがとう。……ごめんなさい、大島さん……》
「ううん。それより、……大丈夫? すごく、しんどそう……」
《……ありがとう。……大丈夫》
加奈は少し明るい声で返事をして、深く息を吐いた。
《それじゃあ……待ってます……》
「わ、わかりました。……、行きます」
優樹は、加奈が切ったのを確かめてから携帯電話を下ろした。
……、な、なんだろう!? なんで私の携帯電話に!?
そう考えて、嫌な予感がした。
ただでさえ、去年のことがある。今回もきっと、反町を部活から絶対に外せ、と言われるに違いない。
そうなったら……――
優樹は少し視線を落とした。
そうなったら、そのことを反町に話すしかないだろう。けれど、それを伝えるのは辛い……。そう考えて、ハッとした。
……なんで辛いの? ……辛くなんかないよ! だってっ……、って、なんで私、また巻き込まれなくちゃいけないの!? 美女と野獣の問題に!!
そう思うと、ムカッとしてきた。
もうヤダ! こんなの! 今日、ケリをつける!!
そう意気込んで部室に戻ると、みんなが「どうしたんだ?」と問い掛けるが、
「……お父さんからっ。……急用だから、ちょっと放課後、会って来るっ。……終わったら戻って来るっ」
暖房機の前で体を擦りながら報告しつつ、優樹の目は反町を睨んでいた――。
「本当にお父さん?」
放課後になって、サッサと支度をする優樹の教室に生美が現れた。
帰宅準備をしながら「……うん」と頷いたが、元気のないその返事が不自然だったのだろう。生美は腕を組んで片眉を上げた。
「どこのお父さん?」
優樹はピタ、と動きを止め、顔をしかめながらも戸惑った。
「どこのって……、お父さんはお父さんだよ?」
「お父さんって名前の誰か?」
疑い深い生美に優樹は困惑していたが、「……はあ」と、深くため息を吐いた。
「……誰にも言わないでね。……流君には特に」
「オッケー」
「……、鈴木さんなの」
「……誰それ?」
「……流君の彼女」
ふて腐れた表情で答える優樹に生美はキョトンとしていたが、すぐに訝しげに眉を寄せた。
「なんであんたに?」
「……わかんない。……話しがあるから、みんなには秘密で会いに来て欲しいって」
口を尖らしてコートを着る優樹に、生美は少し不愉快げに目を細めて「ふうん……」と腕を組んだ。
「宣戦布告ってヤツかしらね」
「? 何それ?」
「で、本当に行くの?」
「……うん。……行くって言ったし」
優樹は鞄を持って、深くため息を吐いて俯いた。
「……なんの話しか、大体わかるよ。……きっと、流君を部活から外して欲しいって事だと思う……」
「それって、流に言わなくていいの?」
「……話しを聞いてからにする。……終わったら、戻って来るから」
困り果てた様子で何度もため息を吐く、そんな優樹に生美は間を置いて問い掛けた。
「優樹はどう思ってるの?」
「んんー? 何がぁ?」
「もし、流を部活から外せって言われたら。どうするつもりなの?」
「……、どう、って……」
優樹はためらい、目を泳がせて再びため息を吐いた。
「……とにかく、流君に伝えるしかないよ……」
「そうじゃなくて、優樹はどうしたいの? 流には、いて欲しくないの?」
訝しげに、それでも真剣に問う生美を見上げて優樹は「……え?」と表情を消した。
「部活、やめてもいいと思ってるの? いなくなってもいいって、思ってるの?」
睨む生美に言葉を詰まらせ、逃げるように、悲しげに目を逸らす。戸惑いを露わにする優樹に、生美は間を置いて深く息を吐いた。
「……人のこともいいけど、……自分の思いっていうのも大事にしたら?」
「……」
「ったく……。あんたも流も、何やってんのかしらね」
呆れるような生美に優樹は顔をしかめたが、再び深く息を吐いて鞄を持ち、その場から足を踏み出した。
「……流君たちには秘密にしてね。……すぐ戻って来るから」
「ヘルプが欲しい時はケイタイしなさいよー」
呆れるように手を振られ、優樹は「はーい」と、ガックリとした表情で手を振り返した。
話す内容はわかっているから緊張はない。だが、タクシーで花屋に寄って反町病院に向かい、西病棟に入ってエレベーターに乗り込んだ時、段々と不安になってきた。
本当に、部活から外して欲しい、そういう話しになったらどうしよう――。
七階のナースセンターで記帳し、花を抱え直して病室へ向かう、その間も頭の中では戸惑っていた。
『優樹はどうしたいの? 流には、いて欲しくないの?』
そう問い掛けてきた生美の言葉が脳裏で繰り返される。
……どうしたい、って言われても。……私には――
1052室、鈴木加奈、そう印字されたプレートの病室で立ち止まり、間を置いてノックすると、「はーい」と、柔らかい返事が返ってきた。
優樹は少しためらったが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。……意を決して、ドアを開けた。
「あ、大島さーん」
ベッドの上、ニッコリと笑う加奈に優樹はキョトンとした。……予想外だった。
優樹は「……あ、えーっと……」と、困惑げに中に入り、少しずつベッドに近寄った。
「……その……、あ、これ、お見舞いです」
花束を差し出すと、加奈は嬉しそうに笑って受け取った。
「ありがとう! 嬉しい! すごく綺麗!」
両腕に抱えて笑顔で香りを嗅ぐ、そんな加奈に、優樹は戸惑った。以前会ったときもそうだが、とてもお淑やかで、清楚なイメージが強かった。なのに、今ここにいる彼女は、どちらかというと……無邪気な子どものようだ。あまりにもガラッと変わりすぎて、別人じゃないかと思える程。
そんな考えを表に出すことなく、なんとか笑顔を取り繕った。
「……大丈夫? ……意外と……元気そう、だけど」
「うん、元気」
「……、電話じゃ、すごく辛そうだったから……」
「あ、そうした方が絶対来てくれるって思ったの」
ニッコリと笑う加奈に優樹は意味を考え、頭の中で目を据わらせた。
……昨日の“ファンクラブ”にしても、みんな、“計画的”過ぎる――。
「どうぞ、そこに座って」
花束をベッドの側の小棚に置いた加奈に来客用の椅子を勧められ、優樹は「……はあ」と、曖昧な返事をしながら腰掛けて、改めて室内を見回した。外に出なくてもいいように、トイレもシャワーも、何から何までが揃っているようだ。けれど、ベッドの側にある、小さなモニターがいくつか付いたとても貴重そうな機械と、そこから伸びる無数のコードを見つめることは出来なかった……。
優樹は「……え、と」と、戸惑い目を泳がしながらも切り出した。
「それで……話し、って……」
「うん、それね」
加奈は笑顔で頷くと、少し身を乗り出して覗き込んできた。
「最近、流とケンカした?」
「……、へっ?」
キョトンとした表情で顔を上げると、加奈は「んー」と目線を上に向けた。
「最近、全然元気がないの。……この前の連休の時からかなあ」
「……あ、……えー、と……」
「スキー旅行に行ったんでしょ?」
「……、き、聞いてるんだ?」
少しためらったが、加奈は「うん、聞いてる」と普通に頷いて、顔をしかめた。
「何も話してくれないの。いつもなら、ちょっとした触りは教えてくれるんだけど、今回は全然。それに、元気がない。……これは、絶対、大島さんが関係してるって思ったの」
「うん」と、自分なりに納得して頷く加奈に、優樹は少し顔をしかめ、戸惑った。
「ど、どうして私が……。私なんか、何も関係してないよ……」
少し悲しげに目を逸らす優樹に、加奈は数回瞬きをした。
「……本当にそう思ってるの? 関係ないって」
優樹は「え?」と顔を上げ、キョトンとしている加奈と目が合うと、すぐに俯いて膝の上に置いている手をモジモジと絡ませた。
「だ、だって、ただの……、ただ、同じ部活してるだけで。……それだけなんだし。……それ以外は、何もないんだし」
少々拗ねているような口調に加奈は間を置いて笑った。
「大島さんって、おもしろいねー」
言われた優樹は、俯いたままで顔をしかめただけ。
加奈は「ふふ」と笑みを溢すと、深く息を吐いて天井を見つめた。
「なるほどねー。これが原因かー」
呟くような声に「……?」と顔を上げた優樹に、加奈は残念そうな笑みで目を戻した。
「大島さんって、なんだか、損しちゃいそうだねー」
「……え?」
「ねえ、大島さん?」
加奈はベッドから少し身を乗り出し、優樹に近寄って顔を覗き込んだ。
「大島さんってさ、……流のこと、好きでしょ?」
じっと窺われた優樹はギョッと目を見開いて背筋を伸ばすと、顔を赤くして目を据わらせた。
「ち、違いますっ。そうじゃないですっ」
「うそつき」
真顔でスパッと否定された優樹は「……っ」と言葉を詰まらせたが、すぐに意気込んで切り返した。
「す、鈴木さんでしょっ、流君が好きなのはっ」
「そうだよ。好きだよ、流のこと」
面と向かってはっきりと答えられた優樹はキョトッとし、顔を赤くしたまま何も言えずにモジモジと目を逸らす。そのまま、何も言えずに恥ずかしそうに顔を背ける彼女に加奈は苦笑して、天井を見上げた。
「でもねー、肝心の流がねー、駄目なんだよねー」
もううんざり、そんな口調で首を振る加奈を見て優樹は眉を寄せた。
「……そんなことないよ……。流君は、鈴木さんのこと……大事に思ってると思う」
辛そうに、それでも真剣に伝える優樹に、加奈は間を置いて顔をしかめた。
「大島さんって……、鈍いって言われない?」
「……、う、ううん。多分……言われない。……どうして?」
「すごく鈍いから」
即答されて恥ずかしそうに頬を膨らませる優樹に加奈は少し笑うと、その笑みを消さないまま、間を置いて切り出した。
「……私のこと、聞いてる?」
「……、少しだけ。……心臓……悪いんでしょ……?」
不安げに、戸惑うように訊く優樹に、加奈は「うん」と頷いた。
「小さい頃からでね。持病なの。前はそんなに悪化しなかったんだけど……三年くらい前から体調が悪くなっちゃって。それで、ここに検査に来るようになって、よく入院してたんだ」
笑みを絶やさないまま言葉を続ける加奈に、優樹は視線を落とした。
「……ごめんね……、鈴木さん……」
謝った優樹に、加奈は「何が?」と首を傾げた。
「……私、何も知らないで。……鈴木さんが病気で苦しんでるのに、流君を部活にいさせちゃって……、ごめんね。……心細かったよね……」
悲しげに俯く優樹をじっと見つめて、加奈は苦笑した。
「大島さんって、やっぱり損しちゃうね。流もそうだけど。……もっとわがままになった方がいいよ?」
優樹がそろっと上目で窺うと、加奈は平気な顔で肩を竦めた。
「私なんか、わがまま言いたい放題。なんでも叶えられるの。誰かがなんでも叶えてくれるの。欲しいものは買って来てくれるし。すごく贅沢してる」
「……」
「でもその代わり病気持ってる、そう思う?」
横目で問われた優樹は慌てて首を振ったが、空気でばれてしまったのだろう。加奈は「ふふっ」と笑って天井へと目を向けた。
「けど、病気って治っちゃうかも知れないんだよね。……って事は、今のウチにわがまま言って置いた方が得って事。逆に……わがままも言えない流や大島さんって、かわいそうだなぁ」
加奈はぼんやりと笑みを浮かべて遠くを見つめていたが、軽く息を吐いて優樹に目を戻した。
「ねぇ、大島さん?」
無口になる優樹に、加奈は再び身を乗り出す。
「大島さんにね、わがまま言いたいことが三つあるの。聞いてくれる?」
笑顔で首を傾げる加奈に、優樹は戸惑いながらも間を置いて小さく頷いた。
「う、うん……」
「絶対約束ね」
「……。な、内容にもよるけど」
「だめ。……私、病人よ? 死んじゃうかも知れないのよ? 約束してくれてもいいじゃない」
口をとがらせて拗ねる仕草に、「……び、病気を盾に取るなんて……」と、弱みを握られたがごとく、内心、悔しさが充満させるが、それを表面に出すことは出来ない。そんな優樹を悟ってか、加奈はにっこりと笑った。
「約束。ね?」
相槌を問う笑顔がまるで脅しているよう。ふと、「……、あ、こういう感じ、流君に似てるかも」と思いながら優樹は渋々ながら頷いた。
「それじゃ、まず一つ。今度手術するの。もうすぐ。……手術が成功して終わったらね、学園にもまた行けるの。大島さんたちと同じ学年に残ることは出来ないと思うけど……、その時ね、私も奉仕屋の仲間に入れて」
加奈の申し出に優樹は目を見開くと、焦りを露わに胸の高さまで両手を挙げてブンブンと左右に振り、併せて首もブンブンッと強く振った。
「そっ、それは無理っ! だってすごく大変だし! 何かあったら!」
「や・く・そ・く」
「……。約束でもっ!」
ちゃんと聞いて! と言わんばかりに太股に両手を戻して背中を伸ばし、ムキになって眉をつり上げるが、加奈は必死な表情で手を合わせた。
「絶対に無理しない。ほら、マネージャーみたいな感じで。書類を片付けたり。そういう仕事でいいの」
「……けどっ……」
「流を見てたらすっごく楽しそうなんだもん。私も仲間に入れて欲しい」
すがるような、寂しそうな笑みを向ける加奈を前に無碍にすることが出来ない――。
優樹は「うっ……」と息を止めて身を引くと、「……ははは」と取り繕うように笑った。
「……そ、そういうことは私じゃなくって……」
「流には秘密。絶対に言わないで。許してもらえないから」
「じ、じゃあ、私も同じで」
「大島さんがOKしたら流は文句言えないから。だから大島さん、絶対に私を仲間に入れて」
有無を言わさない真剣な加奈に何を言っても無駄だとわかった優樹はガックリと肩を落とす。あっさりと白旗を揚げた格好に、加奈は「フフッ」と笑って、吐息と共に言葉を続けた。
「次の約束。……手術の時、傍にいて」
優樹は表情を消し、「……え?」と顔を上げた。加奈は笑顔を消さないが、それでも、どこか寂しげで、遠慮気味に目を逸らしている――。
「手術に立ち会うんじゃなくって……待ってて欲しいの……」
「……」
「……私が元気になるの、……待っててくれる?」
答えを待つように首を斜めに傾ける加奈を見て、優樹は少し微笑み頷いた。
「……うん」
「へへ。ありがとう」
加奈は嬉しそうに笑うと、ホッと力を抜いて、訝しげに眉間にしわを寄せた。
「流は傍にいないって言ってた。大島さんとは大違い。なんだと思う? 酷いよね?」
膨れっ面の加奈に優樹も訝しげに眉を寄せた。
「……本当に?」
「ほんとだよ。無理だって言われた。お花をくれたこともないよ」
と、加奈は優樹が持ってきた花束に目を向け、ため息を吐いた。
「ほんっと、興味ないことには無関心なんだから。流ってさ」
不愉快げに言ったあと、優樹も不愉快げな表情をしているのに気付き、加奈は少し笑って窺った。
「あと……最後の約束」
加奈はにこっと微笑んだ。
「流と仲直りして」
優樹はキョトンとして目をパチパチさせると、肩身が狭そうに体を縮めて俯き、戸惑い目を泳がせた。
「な、仲直りって言われても……、ケンカなんてしてないし……」
「ホントに流、元気がないの。突然。ついこの間までは元気だったのに。……絶対に大島さんとケンカしたんだって思ったの。問い詰めても何も言わないの」
「……そ、そんな……」
「ねぇ、大島さん。流と仲直りして」
すがるように身を乗り出す加奈をそっと見て、優樹は少し息を吐くとゆっくりと力なく首を振った。
「……あの……よくわからないけど。……じゃあ、ちゃんと友達として」
「友達じゃなくって」
言葉を遮られて「……へ?」と、キョトッとした顔を上げると、加奈は鼻から呆れ気味な息を吐いた。
「友達じゃないでしょ?」
「……、なんのこと?」
顔をしかめつつ首を傾げると、加奈は「もうっ」と頬を膨らませた。
「大島さんってばホント鈍いっ!」
「……。に、鈍くなんかないよー」
困り果てた表情で口をとがらせるが、加奈は「ったく」と目を据わらせてため息を吐いた。
「わかんないの? 流は、大島さんのことが大好きなんだよ?」
その言葉に、優樹は表情を消して硬直した。
――しばらくお互い身動き出来ず、乾いた空気が充満すること数十秒。
優樹はいきなりボッと顔を赤くし、慌てて強く首を振った。
「な、何言ってるのっ? そんなことあるわけないよっ!」
「ンもーっ。そうなのーっ」
対抗してブンブンと拳にした両手を胸の前で上下に振る呆れ顔の加奈に、優樹は戸惑いを露わにうろたえた。
「お、おかしいよっ……、そんなっ……」
「何がーっ?」
「だってっ……」
優樹は加奈に詰め寄り掛け、悲しげに俯くと椅子に座り直した。
「……鈴木さん、……流君のこと、好きだって言ったじゃない……」
「言ったよ。でもね、……流が大島さんを選んだの。……ずっと前から。……私が入り込む余地はなかった。……それだけ」
加奈は少し俯いたが、すぐに顔を上げて、視線を落とす優樹をじっと見つめた。
「大島さん、……私が発作起こすのが怖い?」
「……。……怖いよ……」
「私も怖いよ。大島さん以上に怖い。だから手術を受けるの。もう、怖がるのはイヤだから」
怖いくらいの真顔で告げる加奈に、優樹は少し悲しげに目を見開いた。
「流が傍にいてくれるとね、安心だった。なんか、ホッとした。……けど、それじゃ発作は治らないの。流がいたって、病気は治らないの。……私が、がんばるしかないの」
加奈は強めに言って、少し布団へと視線を落とした。
「……流が私に気を遣っているって事はわかってた。それがね、最初は嬉しかったんだ。でも……それじゃ悲しいよね。流を束縛してる私は嬉しくっても、束縛されてる流は嬉しくないんだから」
段々と元気をなくして俯いていく横顔に息が詰まるほどの思いを感じながらも、優樹はじっと耳を傾ける。
「入院仕立ての頃は、誰にでも甘えて、誰にでも泣きついて、……それが当然だって思ってた。だって、病気と闘ってるんだもん。それくらい、わがままくらい言ってもいいって、そう思ってたの。……だからね、去年、大島さんにもわがまま言っちゃったんだ。……でも……みんなはどんどん離れていくの。……流も。……その時にわかった。私のわがままに付き合うのは……私が病気だからで、私を好きだからじゃないんだって。……当たり前だよね。病気を盾にわがまま言ってるんだから」
そんなことないよ、と言いかけたが、そう伝えることが出来ず――。
加奈はひ弱な笑みを浮かべた。
「……なんだか悲しくってね……。……何もかもなくなってしまえって思った時に……、去年、大きな発作が起きて……。それから、流は学校休んじゃって……」
加奈は少し目を細め、「……はは」と自虐的に笑った。
「馬鹿なこと考えたから、罰が当たったんだよね、きっと。……みんなが心配して。流も心配して……。……私、どれだけ自分が馬鹿だったのかすごく思い知った。……それから……少し優しくなれたの」
加奈は深く息を吐くと、すがすがしい笑みを浮かべて顔を上げた。
「こう……みんなが幸せになって欲しいなーって。……それを見て、もし、それに触れることがちょっとでも出来たら……なんだかそれが嬉しくって」
「ふふっ」と照れくさそうに笑うと、神妙な顔をしている優樹を見て微笑んだ。
「好きでしょ? 流のこと。流はね、大島さんのこと、好きだよ。もうはっきりちゃんっと教えたんだから、鈍い頭でもわかるよね?」
ニッコリと笑顔で言われ、優樹は顔を赤くしながらも目を据わらせる。
加奈は「ふふふっ」と笑って窺った。
「私は、もう、流がいなくても平気だから。病気、治すから。……頑張って手術受けるから。だから……約束。……大島さん、流と仲直りしてね。がんばって、わがまま言ってみて。それで……流とここに来て、私を励まして。友達として」
微笑む加奈を見ていた優樹はグッと膝の上の手を握り、真剣な表情で頷いた。
「わかった! もう……流君を怒っておいてあげるから!」
加奈はキョトンとして「……、へ?」とパチパチ瞬きをする。
優樹はムッとした表情で、それでも真剣に身を乗り出して加奈を見た。
「鈴木さんの気持ちも知らないでっ……ホント酷いっ。……流君がそんなだとは思わなかったっ。ちゃんと鈴木さんのこと支えてるんだと思ってたのにっ……!」
「……。お、大島さん?」
怒りを露わにされて、「あれ? 何か通じ合えてない?」と、加奈は戸惑うように笑った。
「あの……ここって、怒る場面じゃないと思うよ?」
「……、えっ?」
「な、何っ? なんか違ったっ?」と言わんばかりに戸惑い目を見開いて首を傾げる優樹に、加奈は内心、「……これじゃあみんな大変なんだろうなあ」と思いつつ、「ははは……」と、なんとか笑みを溢した。
「いーい? まず、大島さんがやらなくちゃいけないのは、流と向き合うこと。……それが出来たら、流を蹴るなり殴るなり、煮るなり焼くなり、埋めるなり沈めるなり、好きにしていいから。なんなら手伝うよ」
恐ろしい願望の表れか、段々と無表情になっていく加奈に「……し、沈める?」と顔をしかめつつ、「う、うー……ん」と気難しく眉を寄せた。
「……む、向き合う……」
「そう。……自分の気持ちを大切に」
加奈は自分の胸に手を当てて目を閉じ、物思いに耽ると、目を開けて「……ね?」と相槌を伺う。優樹は少しためらい気味に目を泳がし、顔を赤くしただけ。
加奈は少し笑うと、小さく息を吐いて肩の力を抜いた。
「私からのお話しは、以上です」
ご静聴、ありがとうございました、と、頭を下げる加奈に、優樹は間を置いて切り出した。
「……病気、……本当に大丈夫?」
「うん。今は結構、平気なんだ。気分がいいよ。大島さんにも会えたしね」
ニッコリと笑う加奈に、優樹は少し恥ずかしそうに、ためらいがちに笑った。
「また……、お見舞い、来るから」
「うん、来て。絶対来て。退屈だから。何かおもしろいお話し聞かせて」
口をとがらせてだだっ子のようにせがむ加奈に、優樹は少し笑った。
――それからしばらく状況の話しを聞き、「そろそろ行くね」と、加奈に見送られて病院を出た優樹は、少し、気分もスッキリして学園へと戻ることに。
……何もかもが考え過ぎだったのか――。
タクシーの中、揺られながら優樹は深く息を吐いた。
話しをしていると、加奈はいい子だとわかった。確かに、少しわがままっぽいところはあるが、何故か憎めない。
……早く元気になるといいな。そう思いながら、しかし、ムカついてきた。
何、流君。鈴木さんの手術を待ってあげない、って。どういうこと?
考えれば考える程、段々とむかついてきた。
お見舞いも持っていったことがないなんて……。鈴木さんがかわいそう。なんなのいったい。
表情が鬼の形相に変貌し、それをバックミラー越しに見て恐れるタクシーの運転手に料金を支払い部室へ足早に向かうと、優樹は「ただいまっ」と、ドアを開けて中に入った。
「オーッス、戻ってきたかー」
……白川一人だけ。
優樹は目を据わらせた状態で鞄を置き、マフラーを解いた。
「……、みんなは?」
「仕事だけど……何? なんだよ? なんでそんなに怖い顔してんだよーっ」
怯えた表情で軽く身を逸らし、持っていた小箱を下ろす白川に、優樹は「……別にっ」と、コートを脱いで対面に腰を下ろし肘をついた。
何やら不愉快げに口をとがらせる優樹に、白川は「……で?」と、そっと伺った。
「……おじさん、なんだって?」
「……。みんなによろしくって」
優樹は深く息を吐いて気を取り直し、白川の前にある小箱に目を向けた。綺麗にラッピングされ、リボンもついている。どう見ても贈り物だ。
「……どうしたの、それ?」
「あっ、さっき、依頼の片付けから帰ってきたらさー、オレ宛に投書箱の上、置いてたんだーっ」
嬉しそうな笑顔でミニカードをピラピラと揺らされ、優樹は「へえーっ」と目を見開き、少し頬を赤くして笑顔でカードを見つめた。
「マー君のこと、好きな子かなあっ?」
「中三だってさーっ。オレ、あんまり年下に好かれる事って、ないのになーっ」
へへへーっ、と得意げに笑う白川に、優樹は興味津々で身を乗り出す。
「中は? 見た?」
「まだ。とりあえず、誰かに見せびらかそうと思って待ってたんだ!」
誇らしげに胸を張られ、優樹は「ふふっ」と笑った。
「洋ちゃんに羨ましがられるよー?」
「だろっ? オレが一番のリーっ!」
やったねーっ、と、小箱を両手で掴み持ち、「中身は何かなー?」と振り振り動かしていると、「ただいまー」と、次々にみんなが戻ってきた。
「お、優樹。オトン、どないやって?」
鞄を下ろしながら一平に聞かれ、優樹は苦笑した。
「あー……、みんなによろしくって」
「なんの用事だったのー?」
と、続いて華音がコートを脱ぎながら聞くと、優樹は「ははは……」と空笑いする。
「用事って程じゃないんだけど、まあ……ちょっと」
「ちょっと?」
首を傾げるが、「終わったわよー」と、生美と大介が戻って来ると、生美はじっと、確認するように優樹を窺った。
「……とりあえず、無事に戻ってきたわね」
片眉を上げる生美に、優樹は「……ま、まあ……」と、引き攣った笑みで答える。
「無事も何も……」
「お? おまえ、それどないしてん?」
大介が白川が持っているプレゼントに気付くと、白川は「ふっふーん」と、威張るように顎を上げた。
「バレンタインデーのプレゼント、もらっちゃったー」
「……、はやっ!」
「誰からー?」
華音が依頼書にサインしながら聞くと、白川は二つ折りのカードを広げて見た。
「中三の、小林だってー」
「あとで相川たちにどんな奴か聞いたろ」
大介が嫌らしく笑うと、白川は「おまえには関係ないだろーっ」と頬を膨らます。
賑わうみんなを見て笑っている優樹の隣りに、生美は腰掛けた。
「……で、……話しはどうだったの?」
「うん、……悪くなかったよ」
そう答えた時、「さむーっ」と、洋一と反町が戻ってきた。
「戻ってきたか、箱入り娘」
洋一が背後を通る時に、ポンポンと、優樹の頭を撫でていく。優樹は目を据わらせたが、ふと、反町と目が合った。
「おかえり。……お父さん、なんだって?」
コートを脱ぎながら訊く反町の、その、極普通の態度が無性に気に食わなかった。当然と言えば当然だが、しかし、脳裏で「……鈴木さんのこと、心配じゃないの?」と浮かんでしまったら、もう止まらない。
空いている椅子に腰掛けた反町は、じっと、睨むように行動を見つめる優樹に「……?」と首を傾げた。
「……何? ……、どうかした? ……お父さんに何か言われたのか?」
優樹はムスッと頬を膨らませた。
「……、会ってきたのはお父さんじゃなくて、鈴木さんっ」
不愉快げに言った後、生美以外のみんなが「……はっ?」と優樹に注目する。
反町は表情を消していたが、次第に段々と不愉快げな顔付きになってテーブルに肘をついた。
「……で? なんで会ったわけ?」
「呼ばれたのっ。鈴木さんにっ」
「なんでそのことを言わなかった?」
「秘密にしてって、鈴木さんに言われたからっ」
睨み合う二人の間、みんなは顔を見合わせた。と、その時ドアが開いて無言で立花が戻ってきたが、室内の異様な雰囲気に気付いてみんなを見回し、睨み合っている反町と優樹を見るとニヤリと笑って空いている席にすぐに腰掛けた。
「……で、今の状況は?」
少し愉快げに隣の一平に聞くと、「……今始まったばかりや」と呆れ気味に小さく返事をされた。
反町は「……はあ」と、深く息を吐いて肩を落とした。
「……で、今度は何を言われたんだ?」
不愉快そうな彼に、優樹はムカッと眉をつり上げた。
「何じゃないよっ、流君っ、鈴木さんに冷たいっ!」
「……はっ?」
「手術の時、待ってあげないって言ったんでしょっ? お花だってあげたことないんでしょっ?」
身を乗り出してムスッと頬を膨らませる優樹を見ていたみんなは、サッと反町に目を向ける。
反町は目を据わらせて鼻から深く息を吐いた。
「花なんてあげる間柄じゃない。それに、手術の時に待つのは無理だ。どれだけ時間が掛かるかわからないのに」
「どーしてっ!?」
優樹は椅子から立ち上がると、眉をつり上げたままテーブルに手を付いた。
「時間掛かったって、待ってあげようって気にならないのっ!?」
「オレは家族じゃないんだから」
「家族じゃないからって、そんな冷たいコトするのっ!?」
「冷たいんじゃないだろっ。手術をずっと待つっていうのは、結構疲れることだしっ」
「そんなこと知ってる!」
身を乗り出して食い掛かる反町に、優樹も食って掛かる。
「待つのがしんどいことくらいわかってるモン! でも、待ってて欲しいって言ってるのに!」
「だから! なんでそこまでしなくちゃいけないんだ!」
反町もいい加減、腹立たしさを覚えてきたのか、椅子を立って同じようにテーブルに手を付いた。
ケンカが始まる二人の間、みんなは口を開く方にサッと目を向ける。白川は白川で、まるで、何か舞台でも見るように、「つまみながら見よう!」とワクワク顔でプレゼントを開けだした。
「鈴木さん、悲しがってたんだから!」
「わがまま言ってるだけだって! 騙されるな!」
「騙してるんじゃないもん! ホントに悲しがってたんだもん!」
「優樹の優しさにつけ込んでるんだよ!」
「違うもん! 流君は鈴木さんのことわかってない!」
「オレにどうしろって言うんだ!」
「ちゃんとわかってあげて!!」
怒鳴る優樹に、反町は眉をつり上げた。
「無理だ!!」
「なんでよ!?」
「優樹が好きだからに決まってンだろ!!」
怒鳴った反町に、みんなが硬直した。――優樹も硬直した。
反町は鼻息荒く、深く息を吐き出すと、キョトンとする優樹を睨むように見つめ、口を開きかけた……が、「ガキッ!」と、どこからか鈍い音が聞こえ、静まり返っていたみんなは「……?」と顔をしかめて音の鳴った方、白川に目を向けた。――彼は、泣きそうな顔でじっとしている。
「……おい、白川?」
洋一が顔をしかめると、白川は口を半開きにして、情けない顔でみんなを見た。
「……はんらろ、……はんらぁ……」
口を動かさずにしゃべられて何を言っているのかよくわからないが、状況はわかる。彼の前には、開いた箱の中にクッキー。それを食べていて、何か異物を噛んでしまった、と。
反町はすぐにティッシュを数枚取って「吐け!!」と白川に差し出した。白川は半ベソ気味に口の中のクッキーを出すが、ティッシュがじわりと赤くなった――。
「ちょっとっ、口の中切ってるんじゃないのっ!?」
生美が大きく目を見開いた。顔を上げた白川の口元にも、血の跡が付いている。目に涙を浮かべて、どうすることも出来ずに口を半開きにしている白川に、「何食ったんだよ!」と、みんなが愕然とし、立花は慌てて近寄ると、彼が吐きだしたティッシュの中を見た。
「……、ネジ?」
砕けたクッキーと血が混ざり、その中に短いネジが紛れている。
反町は真剣な顔で、口を半開きにしたまま顔を歪める白川の腕を掴み、「来い!!」と、引っ張って部室を出た。みんなも急いであとを追うと、一番近い水飲み場で足を止め、反町は白川にうがいをさせた。白川は口の中が痛むのか、顔を歪めつつも口の中を綺麗にしようと、何度かうがいを繰り返す。
「ちょっと見せろっ」
白川を座らせて口を開けさせると、反町は唇を横に引っ張り、中を覗き込んだ。
――右奥歯の横から血が滲んでいる。
「……、傷は深くなさそうだけど」
反町は真顔で、半べそを掻く白川を見つめた。
「いくつ食べた?」
「……多分、七個」
「……、水を飲め」
「……へ?」
「出来るだけたくさん」
白川は言われたとおり、そのままガブガブと水を飲み出す。
反町は、不安げに背後で様子を見守るみんなの中、立花を見上げた。
「念の為に胃を洗う」
「……出来るのか?」
「応急処置程度。それより、部室に戻って、残っているクッキーの中を見てみて。他に異物が入ってないか見て、入ってなかったらそのまま置いておいて。大学の方に持って行く」
ウプッ、と水を飲むのをやめた白川を見ると、反町は一平に目を向けた。
「手伝ってくれ」
「お、おう」
「他のみんなは見ない方がいいから、行って」
そう言われた立花たちは「……行こう」と、気にしながらも部室に戻るが、優樹は戸惑い、そこを動けなかった。胸の前で手を組んでオロオロとうろたえる、そんな彼女に気付いた反町は、なんとか笑顔を取り繕った。
「大丈夫。心配はないから」
「……で、でもっ……」
「優樹、ほら、残りのクッキー調べなくちゃっ」
生美に腕を掴まれ引っ張られ、優樹は戸惑いながらも足早にみんなのあとを追う。
遠離る背中の向こう、「……うあああー!! やっ、やめ!!」と、白川の悲痛な叫びが聞こえていた――。
「まあ……、しゃーないな」
「でも良かったじゃない。流に感謝しなくちゃね」
保健室――。
ぐったりとした表情でベッドに横になって、恨めしそうな顔をしている白川に、一平と生美は苦笑した。
あのあと……。一平に体を押さえつけられて身動き出来なくさせられた白川は、反町に強引に口の中に手を突っ込まれ、水をたらふく飲んだあとだけに胃の中のものを全部吐きだした。その後も、嫌がる白川に強制的に水を飲ませ、再び強引に吐かせ、そのあとまた水を大量に飲ませて保健室に運んだ。
白川の汚物で汚れた反町は、校内にあるシャワーで汚れを落とし、持って来ていたジャージに着替え、そして保健室に閉じ込められた白川は、ふらつきながら何度もトイレに起き上がっていたが、今度はお腹を下し、しばらくトイレに閉じこもりっきり。
「スポーツドリンクを持って行ってやって」と反町に言われた一平は、「一緒に行く」と言う生美を連れて白川の元へやってきた。
白川はげっそりとした顔で、チビチビと、買って来てもらったスポーツドリンクを飲んだ。
「出来るだけ飲むようにせえ、言うとったぞ」
「……、飲みたくない」
「駄目よ、流の言うことは聞きなさい」
「だって、……またお腹がゴロゴロすンだもん」
半べそを掻く白川に、生美は苦笑して「はいはい、よしよし」と頭を撫でた。
白川が食べ残したクッキーには、もう口の中を痛めるような異物は入っていなかった。だが、砕けたクッキーをみんなで大学の医学部に持ち込んでみると、薬物の反応が出たのだ。主に、下剤となる成分だった。
「劇薬ちゃうくてよかったな」
一平が少し笑うと、白川はガックリと肩の力を抜いた。
「……下剤も毒薬も一緒だぉー」
「下剤でも、大量に飲んだら良くなかったって言ってたわよ。あとでちゃんと、流にお礼言っておくのね」
「……うん」と、白川は素直に頷いて、またチビチビとドリンクを飲んだ。
その頃――
部室では、大介と華音、そして事情を聞いた相川と勝則に依頼書の片付けに回ってもらい、反町と立花、洋一と優樹で話し合っている。彼らの中央には、砕けたクッキーが――。
「……なんであいつがターゲットなのか、わからなくもない」
「……酷い。……こんなことするなんて……」
重い空気が流れる中、立花は深く息を吐いた。
「……。悪かったな」
不意に謝られた反町は、「……何が?」と、立花に目を向けた。
「なんでもかんでも信じるなって、何度も言ってんだけどな。言ったあとは気を付けても、すぐ忘れやがるんだ」
呆れるように、不愉快そうに言いながらも、どことなく心配そうに目を背けている、そんな立花に反町は苦笑した。
「ま、それが白川の悪いトコと言えば悪いトコだけど、でも、あいつのそれは、みんな、結構気にいってンじゃない?」
肩を竦められ、立花は少し鼻で笑った。洋一も苦笑すると、身を乗り出してバラバラになった紙袋の中のクッキーを見た。
「下剤だけなら悪質ないたずらって思うけど、もしネジを飲み込んでたらって考えると、……ゾッとするな」
「大介だったら、飲み込んでいたかもしれない」
「あり得る」
「でも……」
反町は椅子にもたれて真顔で考え込んだ。
「……何が目的なんだろうな。……白川が人の恨みを買うとは思えないし」
無口になる反町たちを見て、優樹は視線を落とした。あまりにも突然の災難で、どう考えたらいいのかわからない――。
「とにかく、しばらくの間はもらったものを食べるのはよそう」
洋一はピクッと顔を上げた。
「ってことは……チョコはっ?」
愕然とした表情を見せる彼に、立花は呆れるようなため息を吐いた。
「白川がどうなったか、見てなかったのかよ、おまえ」
洋一はガックリと頭を落とす。
反町は小さく息を吐くと、悲しげに俯いている優樹に目を向けた。
「優樹」
呼ばれた優樹は、「う、うん」と、戸惑いながらも顔を上げた。
「な、なあに?」
「……絶対一人で行動しないで」
真顔で警告され、間を置いて取り繕うように笑った。
「だ、大丈夫だよ。私のことは心配しなくても」
「何もないとは言えない。……去年のこともあったし」
反町は少し視線を落とし、すぐに顔を上げて言葉を続けた。
「誰がターゲットなのか、よくわからないうちは迂闊に行動しない方がいいと思うから。身の回りのことには充分に気を付けて」
「……白川以上に頼りねえヤツだからな、おまえは」
と、立花にため息混じりに言われた優樹は、少しムッとしながらも、不安げに頷いた。
「そういやあ」
洋一は訝しげな顔でキョロキョロと見回した。
「このクッキー、メッセージ付きじゃなかったか? 白川が持ってたような気がしたけど」
その言葉に、優樹は「……あっ」と顔を上げた。
「う、うんっ。もらってた! マー君が持ってたのを見たよっ!」
立花と反町はすぐに周りを見回した。あの時、みんな騒々しく動いたから、どこかに置いているかも……、そう思って床の方を見ていると、「あった!」と、洋一がテーブルの下からミニカードを拾った。
「これのことか?」
テーブルに置いたミニカードを、それぞれが覗き込む。優樹は「これ」と頷き、カードに書かれている文字を目で追った。
《白川先輩へ。少し早いバレンタインデーです。よかったら食べてください》
丸文字の手書きに、周りにはハートのシールがデコレーションされている。
「……女の文字だな」
立花が覗き込みつつ目を細める。優樹もカードをじっと見ていたが、ふと、「……あれ?」と眉を寄せた。
「……私、この字……見たことあるよ」
「はっ?」と、洋一が訝しげに振り返ると、優樹は、終わった依頼書を仕舞っている棚に向かい、そこをカサカサと探り出した。そして「……あった」と呟くと、ミニカードの隣に手にした依頼書を並べた。昨日の、“ファンクラブ”を名乗った女生徒たちの、あの依頼書だ――。
「……、この字と、この字、同じだな」
と、反町が文字の一つを指差すと、立花も「ああ」と険しい表情で頷き、戸惑い窺う優樹に目を向けた。
「こいつらの顔、見たか?」
「う、うん……。これを書いた人かわからないけど、中等部の三年の、高見さんって、一人、言ってた」
「相川に連絡して、知っていないか聞いてみる」
洋一はすぐに携帯電話を取りだして電話を掛けた。その姿を横目に、反町は、困惑げに目を泳がす優樹の顔を覗き込むように身を乗りだした。
「そいつらに何もされなかった?」
「……おい、触られたって言ってなかったか?」
立花がすぐに思い出し、声にしながら眉間にしわを寄せ振り返ると、優樹は硬直して息を飲んだ。
――確かに、あの時、周りを囲まれてペタペタと……。
困惑して何も言えない優樹に、反町は焦って近寄った。
「何か変なことはなかった?」
「……へ、変って? ……ど、どんなこと?」
「制服とか、コート、大丈夫だった?」
「……た、多分」
曖昧に返事をする優樹に、立花は「チッ」と苛立ち舌を打つ。
反町は、半べそ気味に戸惑う優樹の腕を撫で、俯く顔を覗き込んだ。
「家に帰ったらチェックして。念の為に」
「……、う、うん……」
「相川も勝則も、そんなヤツは知らねえって」
携帯電話を下ろした洋一がため息混じりに告げた。
「今から、三年の教員室に行って生徒名簿を見てみるってさ」
「よし」
反町は真顔で頷くと、ずっと俯いている優樹の顔を再び覗き込んだ。
「優樹?」
「……、う、うん……」
「なんでもいいから、そいつらのこと思い出して。何を話した? 何をした?」
反町たちから真剣な眼差しを向けられ、優樹はオロオロと目を泳がした。
「な、何って……、キャーキャー騒がれて、それで……え、と……」
思い出そうとするが、焦って言葉に詰まる。そんな優樹に立花は痺れを切らし、反町を見た。
「矢野も一緒だったんだろ? 呼んでみるか?」
「……そうか、矢野さんも一緒だったんだな」
「連絡先知ってるのは相川たちだろ?」
と、洋一は再び相川に連絡を入れ出す。
慌ただしくも着々と事を進める彼らに、何も言えずに不甲斐なさを感じた優樹は、「……っ」と息を詰まらせて、悲しげに眉を寄せた。
「ご、ごめんなさい……。マー君、酷い目に遭ってるのに……」
「気にすることないよ。優樹が悪いんじゃないんだから」
反町はすぐに慰め、ミニカードと依頼書を交互に見る立花に目を向けた。
「すぐに見つかるといいんだけどな……」
「女子か……。やりにくいな、くそ」
「なんで?」
反町が顔をしかめると、立花は目を据わらせた。
「相手が男なら暴力行使出来るだろーが」
「女でも関係ないんじゃない?」
アッケラカンとした様子で、反町は肩を竦めた。
「女だからって甘やかすと、ロクなことにならないと思うけど?」
立花は更に目を据わらせて、「そいつはどうなんだっ?」と言わんばかりにビッと指差した。その先には、ションボリと俯いている優樹がいる。それを確認した反町は立花を不愉快そうに睨んだ。
「こっちに来るってさ」
携帯電話を一旦下ろした洋一がみんなを見回した。
「家に帰ってるみたいだけど、すぐにこっちに向かうからって」
「そうか、助かるな」
「あと相川たちな、高見って三年の女子は三人いるそうだ」
反町と立花み目を向けられ、顔を上げた優樹は「う、うんっ」と頷いた。
「わ、私、顔は覚えてるから、明日にでも確認しに行くっ」
「じゃあ、オレも一緒に行くよ」
反町はそう答えて洋一を見た。
「何組のヤツか、相川に聞いておいて」
「オッケー」と返事をして、洋一は「何組だ?」と携帯電話越しに話す。その姿を確認して、反町は立花を見上げた。
「白川の知り合いに、高見って女子は?」
「オレは聞いたことがねえな。……っていうか、あいつ、キャパが広いから誰とでも仲良くなるし。本人に聞いても、わからねえんじゃねえか?」
ため息混じりに答える立花に、反町も小さく息を吐いたが、優樹が何か不安げな顔をしているのに気付き「……優樹?」と声を掛けた。
「どうした?」
「……、ちょ、ちょっと……思い出したんだけど」
優樹は、戸惑いをそのままに言葉を続けた。
「あの子、……みんなの情報、すごく知ってたよ……?」
困惑げな優樹に、反町と立花は顔をしかめた。
「……情報、って?」
「なんだよそりゃっ?」
「い、いろいろっ!」
二人に詰め寄られて、優樹は半べそ気味に首を振った。
「せ、生年月日とかっ、……住所もっ。あと……誰だったかなっ、ケイタイの番号もっ」
反町は真剣な顔で視線を斜め下に置き、立花は「……マジかよ」と、不味そうな顔で腕を組んだ。
「ケイタイまで知られてンのか……」
「……変えた方がいいな、番号」
反町はそう言って、携帯電話を下ろした洋一を見た。
「矢野さんが来たら、みんなで白川の所に行こう。大介たちと相川たちに、仕事は中断して保健室に行けってメールして」
「わかった」と、洋一は言われたとおりに、すぐ、メールを打つ。
反町は、腕を組んでいる立花を見上げた。
「……所在が知れているのは仕方がないとして、……出来る限りの防衛策は練った方が良さそうだ」
「……、だな」
段々と深刻な状況になって来て、優樹はどうしようもなく不安に襲われた。
まさか、彼女たちが人を傷付けるようなことをするとは……。どこにでもいる女子生徒だったし、みんな、笑顔で愛想も良かった。悪さをするようにも見えなかった。
これが本当に彼女らの仕業なら……恐ろしい話しだ。
――それから十数分後、タクシーでやってきた鈴菜が走って部室にやってきた。
「お、遅くなってすみませんっ」
「来てくれてありがとう」
反町が挨拶もそこそこに礼を言うと、鈴菜は「いいえっ」と首を振って、悲しげな顔をしている優樹に近寄った。
「先輩っ、……大丈夫ですか?」
「……私は大丈夫。……でも、マー君が……」
「相川君から聞きました」
俯く優樹の腕を軽く撫でて、鈴菜は真顔で反町たちを振り返った。
「昨日の人たちですよね。高見さん、っていう人」
「ああ。その人たちとどんな話しをしたか、覚えてる範囲でいいから教えて欲しいんだ」
「はい、わかりました」
頷いた鈴菜を連れて、とりあえず、みんなで白川たちがいる保健室へ――。ゾロゾロと集まった奉仕屋部員に女医は顔をしかめたが、白川という病人の“見舞い”だと言われたら追い返せなかった。逆に、彼らの気不味い様子を察して、「何かあったら呼んでね」と、自ら席を外してくれた。
「どうだ? 調子は」
反町がベッドに近寄って聞くと、白川は「うん……」とゲッソリとした顔で頷いた。
「……だいぶマシ。でも、お腹がゴロゴロ言う……」
「今日はどうしようもないな……。とにかく、水分補給を忘れずにして」
「……わかった」
そう答えて、白川はおとなしくスポーツドリンクをチビチビと飲む。
生美は「こっちにおいで」と、優樹と鈴菜を呼び、空いているベッドの隅に腰を下ろさせ、反町を窺った。
「それで? 何かわかったの?」
「昨日、優樹と矢野さんが行った依頼、その依頼書が、白川宛に届いたクッキーについていたメッセージカードと似た筆跡だった」
「……つまり」
「同一犯の可能性が高い」
反町はそう言って、優樹と鈴菜を交互に見た。
「二人は犯人に接触してる。……何を話したのか、詳しい話しをみんなと一緒に聞かなくちゃいけないと思ったんだ」
そう言って二人に頷くと、鈴菜は優樹を窺った。勧めるような視線を感じ、優樹はためらい目を泳がせながら口火を切る。
「え、と……。一人で中等部に行って、途中で矢野さんと会って、矢野さんが、暇だから一緒に手伝うって言ってくれて、一緒に行ったの。東校舎の特別教室の、家庭教室。……で、ドアを開けたら、……みんなキャーキャー騒いでて」
「先輩たちって、中等部じゃ人気があるんです」
少し複雑そうに眉を寄せる優樹のあとに鈴菜が続いた。
「特に、優樹先輩なんて女子に人気があるし。ねえ、相川君たちも知ってるでしょ?」
「うん、知ってるよ」と勝則が頷くと、
「さすが優樹先輩」と、相川が誇らしげに胸を張る。
「だから、物凄い騒ぎだったけど、それも最初は普通に見えて……」
「何人くらいいた? 男子は?」
反町の問いに優樹は考え込んだが、「九人です」と、鈴菜が答えた。
「優樹先輩が囲まれているのを、私、後ろから眺めていたので、人数は覚えています。男子はいませんでした」
「あ、ありがとう」
優樹が申し訳なさそうにお礼を言うと、「いいえ」と、鈴菜は笑みを溢し、すぐに真顔に戻って言葉を続けた。
「その中の、リーダー格のような人が、三年の高見さんって言ってました。……でも、私、あんな人、一度も見た事はありません」
「他の子たちは? 見た事のある子はいた?」
「いいえ、全然」
反町の問いに答えながら、鈴菜は思い出すように視線を斜め下に落とした。
「教室に通されて、椅子を勧められて。私と先輩は隣同士で座りました。ジュースとお菓子が用意されて」
「食べたのかっ?」
洋一が焦って聞くと、「いいえ」と鈴菜は首を振った。
「私も先輩も、手を付けませんでした。……慌ただしかったんで」
「それで、どんな話しを?」
「優樹先輩に、皆さんの情報が知りたいって、そうしつこかった気がします。なんでもいいから、って」
「さっき優樹に聞いたんだけど、……ケイタイの番号を知られてる、とか」
反町の言葉に「はあっ?」と一平たちが顔をしかめたが、鈴菜は頷いた。
「はい。山口先輩と、白川先輩と、華音先輩のケイタイ番号は知ってるって言ってました」
「えー!? なんでかのん!?」
「オレまで!? なんで!?」
「知らないヤツに教えたことないぞー……」
三人が愕然としていると、生美はため息を吐いた。
「あんたたちの共通点。……人と容易く仲良くなれる」
冷静な声に、三人は何も反発出来ずに黙り込む。
鈴菜は、尚戸惑っている優樹を覗き込んだ。
「それだけじゃなかったですよね、先輩」
「……え? ……あ、うん、……えーと……。……なんだった?」
「先輩たちの趣味がなんなのかって事も知ってました。……確か、立花先輩と、山口先輩と、華音先輩。あと、生美先輩のことも何か言ってましたよね、中学校がここじゃない、とか。それと、大介先輩と一平先輩の男子寮、どの部屋かわかっているみたいでした。あと、反町先輩に妹さんがいるとか」
次々と話す鈴菜の言葉を聞いて、みんなは唖然としていた。
「……マジか? ……バレバレか?」
一平が呟くと、鈴菜は「……あ、でも」と、首を振った。
「何もかも全部がわかっているって感じではなかったですよ。だから、もっと詳しいことを優樹先輩から聞き出そうとしてましたし」
「……何もしゃべってないだろうな?」
立花から睨まれた優樹は、ドキッとしながらも、慌てて首を振った。
「な、何も話してないよっ。……た、多分」
曖昧な優樹にみんなが目を据わらせるが、
「大丈夫です。優樹先輩は何も話してません。逆に、個人情報を調べちゃいけないって諭してましたから」
「さすがにそこは常識があったようね」
と、生美は深く息を吐く。
「あ、でもただ……」
鈴菜は目線を上に向け、優樹を窺った。
「聞いてましたよね、先輩?」
「……え、なに?」
「ほら、……チョコレートのこと」
「……あっ」
優樹は思い出して頷き、みんなを見回した。
「みんながチョコレートを受け取ってくれるか、聞かれたのっ」
「で?」
「……、多分、受け取る、って、……返事……しちゃった」
首を縮めながら小さく答える優樹に、みんなはため息を吐いた。
「……まずは白川が狙われたっちゅーわけかあ?」
大介が呆れるような横目を向けると、白川が半べそを掻く。
優樹は慌てて、口をへの字に曲げる白川に向かって身を乗り出した。
「ご、ごめんねマー君っ、……私っ……」
「優樹のせいじゃないよ」
反町はそう遮って、鈴菜を見た。
「他に何かなかったかな?」
「そうですね……」
鈴菜は視線を落として考え込んだ。
「……優樹先輩に注意されて、話しは終わりになったんですけど、先輩の写メはたくさん取られたし、握手もたくさんしてたし、撫でられたりしてたし……」
「その時、矢野さんから見て、優樹の服に何かを忍ばせるような素振りはなかった?」
「いえ。……、こんなことを言うと、優樹先輩に失礼かもしれないですけど……。私はなんとなく、馬鹿にされてるっぽいような印象も受けました」
優樹が「……へっ?」と、キョトンとした顔を向けると、鈴菜は慌てて首を振った。
「あっ、先輩が悪いんじゃないですよっ? ただ、あの人たちの態度っ……、……普通、いくら憧れている先輩だからって、頭を強く撫でたり、髪の毛クシャクシャにしたり、洋服引っ張ったりって。……まるで、いじめっ子が遊び半分で冷やかしているみたいで、最後はちょっと……、イヤでした……」
鈴菜は少し不愉快げに俯き、それでも顔を上げて反町を見た。
「お話し出来るのは、これくらいです……。すみません。もっと何か、手掛かりになるようなことがあれば……。本当に、皆さんの情報を知りたがっていましたから、これ以上何もなければいいんですけど……」
不安げな表情を見せる鈴菜に、反町は笑顔で首を振った。
「ありがとう矢野さん。矢野さんが賢い子でよかったよ」
鈴菜は顔を赤くして首を振った。
「ぜ、全然っ。私は、優樹先輩のことを見ていただけだったのでっ」
「……ありがとう、優樹のこと、見ててくれて。……今回も、矢野さんがいたから、優樹に危害がなかったのかもしれない」
微笑む反町を見た優樹は「……そうか」と少し目を見開き、鈴菜を見上げた。
「ありがとう、矢野さん……。流君の言うとおりだ。……矢野さんがいなかったら、私、……どうなったかわからないんだね……」
悲しげに眉を寄せる優樹に、鈴菜は首を振った。
「それは私も同じです。先輩がいたから、私、冷静に見ることが出来ていたんですから。……一人だったら、テンパってました」
「へへへ」と、残念そうに笑う鈴菜に、優樹は「……ありがとう」となんとか笑みを溢して小さくお礼を言う。
立花は間を置いてため息を吐いた。
「とにかく、相手にケイタイの番号も知られている。……オレたちも、みんな、一度番号を変えた方がいいかもしれないな」
「せやな……」
と、一平も頷いた。
「んで、出来る限り漏らさんようにせんとな……」
「犯人捜しはどうするんですか?」
勝則が聞くと、反町が頷いた。
「明日、オレと優樹で探してみる。……高見って女子の組は?」
「Aと、CとD」
相川が答えると、反町は「よし」と優樹を見た。
「明日、さっそく昼休みにでも中等部に行こうか」
「うん、……わかった」
優樹は頷き、ベッドにいる白川を見た。
「……マー君、明日、お休みする?」
「しない」
と、白川は半べそを掻きながら即答した。
「みんなの側にいた方が安心だし」
「とにかく犯人を見つけなくちゃな……」
「あと」
反町はみんなを見回した。
「プレゼントを受け取るのは、しばらくは禁止だ」
相川が「えー!?」と拗ね、洋一も「……ちくしょぅぅ」と、悔しげに頭を落とす。
鈴菜は「……」と、目を泳がし、それに気付いた優樹も「……あ」と、動きを止めた。
チョコレート……。矢野さん、買ったのに……。
反町は深く息を吐いて、みんなを窺った。
「少しの間、互いに気を付けて。一人で行動しないように。あと、拾い食いしないように」
最後の言葉でじっと見られた大介は「……なんでオレやねんっ」と目を据わらせた。
「……お腹、空くんだけど、食べれない」
翌日――。
昼休みに入り、部室に来た白川は、モグモグと二つ目の弁当を食べる大介を見て口を尖らした。
「……口の中、痛いし。……食べたら、まだちょっとお腹ゴロゴロするし」
仕方なくゼリー飲料で済ませる白川に、一平は苦笑した。
「治ったら、旨いモンを大介におごってもらえ」
「おう、連れてったる」
と、大介も大きく頷いた。
「これで済んで、不幸中の幸いよ」
生美はお弁当箱を仕舞い、鞄の中からポーチを取り出した。
「流がいなかったら、もっと重傷だったかもしれないんだから」
そう言ってティッシュで口元を拭い、リップを取り出すと、唇に軽く滑らした。ハムハムと唇を合わせる様子に、洋一はズイ、と身を乗り出した。
「オレを誘惑してるだろ?」
「……、何言ってンの?」
生美は目を据わらせて、ポーチを鞄にしまう。
「ちぇ」と拗ねる洋一に、立花が呆れ気味にため息を吐いた。
「おまえも気を付けろよ。くノ一には弱そうだからな」
「それを言うならこいつもや」
と、大介に指を差された華音は頬を膨らませた。
その頃――
「A、だな……」
中等部の校舎に入り、三年のクラスがある階へと進む。
反町は、振り返る後輩たちの視線と目を合わせないように首を縮めている優樹を軽く振り返った。
「高見って女子と一緒にいたヤツ、いないかどうか見てて」
言われた優樹は顔を上げ、「うん」と頷いて辺りを見回したが、「キャ、先輩だっ……」と、嬉しそうな声を上げて隠れる女生徒たちに顔をしかめた。“アレ”は反町に対しての反応なのか、優樹に対しての反応なのか――。
反町は周囲の反応など気にも留めずに歩き、そして、3のAとプレートに書かれた教室の手前で足を止めて、オドオドしている優樹を振り返った。
「……後輩相手にそんなに怯えてどうするわけ?」
苦笑気味に、どこか呆れてため息を吐く反町に優樹は少し頬を膨らましたが、プレートを見上げると、「……えーと」と、開いているドアからこっそり中を覗き込んだ。……見る限り、知っている顔はいなさそうだ。
反町は、近場の席からチラチラとこちらを窺う男子生徒に「ごめん」と声を掛けた。
「このクラスに、高見さんって女子、いると思うんだけど、誰かな?」
「はいっ」
男子生徒は「奉仕屋に声を掛けられた!」と言わんばかりに背筋を伸ばして室内を見回し、「あの子です」と、窓際で談笑している女子たちを指差した。優樹はそこを見て一人一人を確認すると、反町に首を振った。
反町は「ありがとう」と男子生徒に礼を言って顔を引っ込めた。
「次に、Cか……」
そのまま二人でCクラスに行き、同じように尋ねて確認するが、あの高見ではない。Dクラスでも尋ねるが、やはり、あの高見ではなかった――。
通行の邪魔にならないように、廊下の壁に寄って腕を組む反町に、優樹はためらいながら問い掛けた。
「も、もう一度確認してみようか? 見間違えしたのかもしれない」
「……いや、もういいよ」
反町は首を振って小さく息を吐いた。
「まあ、こんな事だろうとは思ったけどね」
「……こんなこと?」
「悪さしようってヤツが、正直に正体を明かすわけはない」
肩を竦めた反町に、優樹は戸惑いを見せた。
「じ、じゃあ……犯人がわからないままになっちゃうって事?」
「手芸部に行ってみよう」
答えることなく反町が歩き出し、優樹は慌ててあとを追う。
そのまま特別教室が続く階へと来て家庭教室の前に立ち、「ここ?」と目で問う反町に、優樹は「うん」と頷いて耳を澄ました。……中から物音はしない。
反町は念の為ドアをノックして、「失礼します」とそこを開けた。――誰もいない。
優樹は反町の後ろ、大きく背伸びをして肩越しから中を見回した。
「……部活は放課後かな……」
「かもしれないな」
反町は少し息を吐いて振り返ったが、ちょうど肩越しに覗き込んでいた優樹と目が合い、動きを止めた。優樹も、目が合った瞬間に硬直し、息を止める。
どうにも動けない状況が数秒続いたが、優樹がカーッと顔を赤くしてかかとを下ろすと、大きく一歩、サッと横に移動した。それを目で追った反町は、目を逸らす優樹を見て苦笑し、廊下を左右、見渡した。
「放課後、来てみるか……。当人たちは現れないかもしれないけど」
そう言って足を踏み出した反町のあとを、優樹は焦って追う。そして、階を降りようと階段に向かっていた時、ちょうど下の階からやってきた女生徒たちと鉢合わせ、彼女たちは驚いたように肩をビクつかせた。
「うわっ、奉仕屋さんだっ」
と、女子の一人が声を上げ、反町は苦笑した。
「ごめん、手芸部って、お昼は部活動しないのかな?」
「手芸部ですか?」
女生徒たちは興味津々な目で二人を見ながら笑みを溢した。
「いえ、そんなことないと思いますけど」
「今、教室覗いたら誰もいなかったんだけど」
反町が家庭教室の方を振り返って言うと、女生徒たちもそちらに目を向け、「?」と目を見合わせて反町に目を戻した。
「手芸部の教室はあそこじゃないですよ」
少し訝しげに答えられ、優樹は「……え」と、反町の後ろから顔を覗かせた。
「ホ、ホントに? あそこ、手芸部が使ってるんじゃないの?」
「はい。手芸部は北校舎にある家庭実習室の方でやってますから」
「この階は、部活じゃほとんど使われてないです」
笑顔で答える女生徒たちに優樹は唖然とした。
……つまり、何もかも騙されていた、と、いうことか――。
反町は、変わらず興味を示す女生徒たちに笑みを向け「ありがとう」と礼を言って通り過ぎようとしたが、
「あのっ……大島先輩っ、一緒に写メ撮らせてくださいっ」
一人の女生徒が恥ずかしそうに携帯電話を握り締めている。優樹は彼女に「あ……、う、うん」と、戸惑いながらも笑みを溢して傍に近寄ろうとしたが、腕を掴まれて振り返った。
反町は優樹の足を止め、引っ張ると、女生徒たちに苦笑した。
「ごめん。応援してくれているのは感謝するけど、こういう要望に応えていたらキリがないから断っているんだ」
「……あっ、す、すみませんっ」
女生徒は慌てて頭を下げ、申し訳なさそうに携帯電話を仕舞う。
優樹は戸惑いながらも「ご、ごめんね……」と小さく謝り、反町に引っ張られながら、後ろ髪引かれる思いでその場をあとにした。
……かわいそうなことをしてしまった気がする。そんな優樹の気配を感じ取ってか、反町は少し息を吐いた。
「なんにでも応えていたら身が保たないよ。それに、たかが写メだけど、それがどう使われるかわからないんだから」
掴んでいた腕を放した反町の後ろ姿を見て、優樹は少し俯いた。
「……そうだね。……お父さんたちにもよく言われる。……もっと用心しなさいって……」
悲しげに呟く優樹を、反町は苦笑して振り返った。
「用心深過ぎる優樹はおもしろくないけどね」
優樹はじっと俯いていたが、「……ん?」と顔をしかめて、反町の背中を不愉快そうに睨み付けた。
「せんぱーい!!」
聞き慣れた大声と一緒に、前方から生徒たちを避けて走って来る姿に二人は足を止めた。相川と勝則だ。
相川は優樹の側で足止めると、間に割り込むように反町を背中で押して優樹の前に立った。
「先輩っ、オレも手伝うから!」
笑顔の相川に優樹は「……はは」と笑った。
「あ、相川君……。でも、もう終わったと思うから」
「ご苦労だったな、相川」
突き押された反町はニッコリと笑って相川の肩をポンと叩いてギュッと掴んだ。相川は「いててて!!」と、叫きながらすぐにその場を離れ、「……ケダモノ!」と、肩を押さえながら少し離れた場所で小さく非難する。そんな彼に呆れ気味なため息を吐き、勝則は反町と優樹を交互に見た。
「お疲れ様です。さっき矢野さんと合流して、一緒に校舎内をずっと歩いてたんです。優樹先輩が会った女子を探そうと思って」
「……そうなの?」
優樹は鈴菜の姿を探したが、勝則は真顔で言葉を続けた。
「矢野さんとはもう別れました。確認だけしてもらえればよかったんで」
「で、見掛けたか?」
反町が聞くと、勝則は首を振った。
「三年だけじゃなくて、二年と一年の方にも行ってみたんですけど、あの時にいた女子が全然見つからないって、言ってました。まあ……お昼時間ですから、そう簡単に見つかるとも思ってなかったですけど……」
「いや、いいよ。ありがとう、探してくれて」
勝則に微笑むと、反町は睨む相川にも目を向けた。
「おまえも、ご苦労さん」
一応労うと、相川は「フンッ」とそっぽ向く。
優樹は少し訝しげに眉を寄せ、反町を窺った。
「……中等部じゃなかったって、こと?」
「可能性はあるな」
「……制服着てたのに」
「借りる事は出来るだろ?」
「あ、……そっか」
去年、制服を借りて相川を騙した経緯がある。その事を思い出して、優樹は戸惑った。
「何もかも嘘だったら……これじゃあ本当に見つからない……」
「ああ」
反町は返事をして、窺うだけの勝則を見た。
「おまえたちも充分気を付けて。正式な部員じゃないけど、手伝っているのはみんな知っているから」
「はい、わかりました」
勝則は返事をすると、「おい、相川」と促した。相川はふて腐れながら「わーったよっ」と、無愛想に返事をしただけ。
反町は深く息を吐いて、行き来する生徒たちを見回した。
「……完全に踊らされてるだけ、か……」
――部室に戻って、現状をみんなに報告し、結局、「今は注意して行動しよう」と決めた。相手が見つからない、という部分で不安はあったが、次のアクションを待つしか術がないのも事実だ。
「依頼の仕事は、必ず二人以上で組むこと。依頼を請け負う時は、その前に生徒手帳を見せてもらって相手の身分を確かめよう」
反町の意見に、誰も反対はしなかった。
そして、午後の授業が終わって放課後になり、溜まっていた依頼書を片付けにそれぞれが向かう――。
みんなが依頼書を手にして部室を出て行く中、白川はまだ動けない為、残された反町と二人、今回の件について学園長に提出する報告書の作成に当たった。
白川は、スポーツドリンクを飲み、ノートパソコンのキーボードを打つ反町に目を向けた。
「なあー、流ー」
「……うん? なに?」
「遅くなったけど、昨日はありがとなー」
笑顔で言われて、反町はモニターから目を逸らし、苦笑した。
「いいよ、そんなこと。オレよりおまえの方が地獄を味わったんだから」
「もう、口の中に手ぇ突っ込むのはやめて」
真顔で訴える白川に、反町は少し笑った。
「変なものさえ食べなければ、そんなことしないよ」
「生美とかでも同じ事すんのかー?」
「そりゃね。やらなきゃいけないだろ」
「優樹にもかー?」
訝しげに問われ、反町は少し手を止めて、ためらうような笑みを溢した。
「……そうだな。……やらなきゃ、苦しむから……」
「ふうん」
白川は鼻で返事をして、スポーツドリンクの蓋を閉めながら首を傾げた。
「でもさあ、口に手を突っ込むのって、やっぱ、怖いんだろー?」
「……、え?」
不意に顔を上げると、白川は顔をしかめて口を「あーん」と開け、手を突っ込む振りをした。
「人の口の中だぞ? 絶対、手に歯ぁとか当たるし、そしたら痛いし。噛まれるかもしれないし。そしたらもっと痛いし。喉の奥まで手ぇ突っ込み過ぎたらどうしよう、とか、手を食い千切られたらどうしようとか、考えるだけですっげー怖い」
想像力が豊かなのか、身震いする白川に反町は苦笑した。
「おまえは考え過ぎだよ」
「じゃあ、何も考えないのか?」
「その時になったら、考えてる余裕なんてないからね。命の危険があるかもしれない、そういう時こそ冷静にならなくちゃ。それに、前以て考えて怖がって……たら、何も……」
ふと、反町は言葉を切らした。
そのまま、じっとどこかを見つめる彼に、白川は首を傾げた。
「どした?」
「……」
「流?」
「……、そっか」
「んあ?」
「……、おまえはなんで、昨日、されるがままでいたんだ?」
訝しげに聞かれた白川はキョトンとして、苦笑した。
「だーって言う通りにするしかないじゃーん。オレ、どうしたらいいかわかんないしさー。それに、流の言うことだしー。絶対大丈夫って、思ってるからさー。もし洋一とかに口開けろって言われても、オレ、無理。あいつら、絶対変なもの口に入れて来るから」
ブルブルと首を振る白川に、反町は間を置いて笑った。
「ありがとう、白川」
「ん? なにが?」
首を傾げる白川を放って、反町は笑顔のままキーボードを打つ。
白川は「?」と首を傾げ、間を置いてバタッとテーブルにひれ伏した。
「昨日は帰りに、立花にメチャクチャ怒られたしさー。口の中、痛いしさー。……オレ、もー絶対、もらった物は食べないぞ」
「いい心掛けだね」
反町は言いながら、内容をプリントアウトし、「ほら」と白川に手渡した。
「サインして」
「はーい」
と、白川は間の抜けた返事のあとに、署名欄にサインする。
「でも、ホント、誰だったんだろうなあー、犯人」
「……そうだな。……わかれば良かったんだけどな」
「見つけたら、同じように下剤混ぜたなんかを食わせてやろうと思ってたのにさー」
ムスッと頬を膨らませる白川に、反町は苦笑した。
「おまえもよく耐えたな。……偉かったよ」
「……、慣れてるし」
「……、え?」
顔をそらして呟く白川に、反町はキョトンとした。
「慣れてるって? なに?」
「……、おまえらもそのうちわかるはず」
「何が?」
顔をしかめる反町に、白川は真剣な表情で身を乗り出した。
「いーかっ? 絶ーっ対、立花ンちに行くことがあったら気を付けろっ。あそこはトラップばっかだからなっ」
更に顔をしかめる反町に、白川は声を潜めた。
「……立花ンちには、悪魔が住んでるんだっ」
「……。悪魔? って?」
「……、恐怖の妹」
そう答えたあと、まるで「どこかで聞かれてないか!?」と言わんばかりに周囲を警戒してキョロキョロする白川に、反町は少し笑った。
「妹が悪魔って……オーバーだな」
「ぜんっぜん話しを大きくしてないぞっ」
白川はブンブンッ、と首を振り、またキョロキョロとして声を潜めた。
「……だってオレ、……昨日の、ひょっとして多美ちゃんかな、って思ったもん」
「……タミ?」
「立花の妹っ」
「……なんで?」
「……、オレ、標的にされてるから」
口を尖らす白川に、反町は頬を引き攣らせて笑った。
「な、何それ?」
「マジ怖い妹なんだってっ。……昨日だって、立花も疑って帰りにケイタイしてたんだぞっ、おまえじゃないだろうな、って!」
「……。食べ物に下剤を入れる妹なのか?」
「うんっ」
「……、それは、手違いで?」
「計画的犯行!」
顔をしかめたままで瞬きをする反町に、白川はげっそりとした様子で椅子の背もたれに深く落ち着きため息を吐いた。
「多美ちゃんはさあ……、立花のことが好きなんだよー」
「……。は?」
「だからさー、立花と仲良くしてると、相手が男だろうが女だろうが、容赦なく攻撃を仕掛けて来るんだー」
ガックシ、と、頭を落とす白川に、反町は意味がわからずに首を傾げた。
「……妹なんだろ?」
「妹だぞー。正真正銘、血の繋がった妹だー」
「……。兄妹として立花が好きなんじゃなくて?」
「マジ、男として惚れてる。恐怖のストーカー。それも半端じゃなく恐ろしい」
白川は真顔で首を振った。
「オレ、立花ンちに行く度に攻撃仕掛けられてンだ。ジュースに変な物混ぜられるのは普通だし、食べ物に正露丸も普通だし、靴の中に豆腐とか普通だし」
「……、立花は?」
「知ってる。だから、オレに食べ物用意する時は、立花が先に毒味してくれるか、立花が用意してくれるもん」
少し頬を膨らます白川に、反町は「……はは」と、引き攣った笑いを見せた。
「……ま、前以て聞いてて良かったよ」
「多美ちゃんには免疫出来たし、大体のいたずらには引っ掛からないようにしてたけど、……うーん、オレもまだまだだなあ」
鍛えなければ、と、言わんばかりの真顔で腕を組み、白川は頷くと、椅子を立ってコーヒーメーカーに近寄り、「飲む?」と聞いた。反町は「いや、いらない」と答えつつ苦笑して、ノートパソコンを閉じた。
「立花も大変だな、そんな妹がいるなんて」
「立花の彼女には同情する。って言うか、殺されないように祈る」
真顔の白川に反町は苦笑したが、「コンコン」と、ドアがノックされて二人は振り返った。白川が「……どうしよう」と不安げな目で窺うと、反町は間を置いて「はい」と返事をし、近寄ってドアを開けた。
「あっ……あの!」
反町が首を傾げえう視線の先、中等部の女生徒が三人立っていて、反町を見ると慌てて一歩後ろに下がった。
「……何か?」
三人の顔を見ながら尋ねると、少女たちは恥ずかしそうに、それでも慌てて小さい紙袋をサッと差し出した。
「先輩! これ! 受け取ってください!」
反町は、顔を下げる女生徒から、目の前に差し出された紙袋に目を向けた。
「……、これは?」
「あっ!」と、別の女生徒が少し顔を赤くして切り出す。
「……バレンタインデーでっ、そのっ……」
「チョコレートですっ。受け取ってくださいっ」
「あ、これ、山口先輩にも渡してもらえないですかっ」
「これは倉地先輩にっ」
必死な顔で紙袋を差し出されて反町は少し身を引いたが、すぐに申し訳なさそうに笑った。
「ごめん。悪いけど受け取れないから」
女生徒たちは「……えっ」と、少し目を見開いて硬直した。
「せっかく持って来てもらったのに。ごめん」
「……あっ、じゃあっ……あの……、食べてください!」
サッとまた差し出す女生徒に、反町は苦笑した。
「食べたくないから。ごめん」
「ごめん」と謝りながらも「食べたくない」って……。
影から窺っていた白川は「……もっと他の断り方がないのかなー」と少し目を据わらせる。
女生徒たちはどうしたらいいのかオロオロとしていたが、その中の一人が意を決して顔を上げた。
「先輩たちって、彼女とかいるんですかっ?」
白川は「おおっ!?」と、興味津々に身を乗り出したが、反町は間を置いてニッコリと笑った。
「なんでキミらにそんなプライベートなことを答えなくちゃいけないわけ? って言うか、最近の女子はホント、淑やかさも忘れてガッツクよね? 欲求不満? 男が欲しいだけなら、他のトコに行った方がいいよ?」
なんて酷いヤツだ!? と、白川は愕然とした。
女生徒たちはポカンとしていたが、「……行こっ」と、一人がふて腐れた様子で歩き出し、他の女生徒たちもその行動を倣ってついて行く。
反町は深く息を吐いてドアを閉め、席に戻ろうとしたが、じっと目を据わらせている白川に気付くと「?」と首を傾げた。
「どうした?」
「ひどいぞ! 今の言い方はひどいぞ!」
「なんで?」
「いらないならいらないで、もっと優しく言ってあげてもいいのにさーっ!」
「それって、必要?」
「かわいそうだろーっ!」
彼女たちの気持ちを代弁するようにムスッと頬を膨らませるが、反町は変わらずの表情で肩を竦めた。
「興味ないし、もらっても仕方ないし。今は特に、人から何ももらえない。もらっても捨てるだけだ。もったいないだろ?」
「気持ちってのがあるんだっ。気持ちってのがっ」
白川はムッとして地団駄踏んだ。
「きっと、がんばって来たんだぞーっ?」
「そんなのオレには関係ない。……おまえはそれだから悪さに引っ掛かるんだ」
反町が拗ねる白川を呆れ顔で睨んでいると、「ただいまー」とドアが開いた。
「ねえ、今、なんか不機嫌そうな子たちとすれ違って睨まれたけど?」
優樹と生美が戻って来て、白川が問い掛ける生美に「聞いてくれよー!」と口を尖らせた。
「流が酷い事言って追い払ったんだっ!」
「……追い払った?」
コートを脱ぎながら訝しげに生美が繰り返すと、反町は悪びれた様子もなく肩を竦めて見せた。
「チョコを持ってきたから、いらないって言っただけ」
そう答える反町に白川は目を据わらせた。
「意地悪言っただろーっ」
「ああいうのはきっぱり断った方がいいんだ」
睨み合う二人を気にすることなく、「……あ」と、優樹は脱ぎ掛けたコートのポケットから二つの缶を取り出した。
「紅茶買おうと思って、間違えてコーヒー押しちゃった……。流君、飲む? あったかいの。暖めてたから、まだそんなに冷めてないと思うんだけど……」
困った顔で差し出された反町は「ありがとう」と笑顔で受け取り、それを見た白川は「えー……、さっきコーヒーいらないっていったじゃーん……」と、じとー……と湿った目を細めた。
――段々と日も暮れて来て、「そろそろ終わろうか」と、仕事から帰ってきたみんなで後片付けを始め出す。
あのあとも何人か女生徒たちがやってきたが、“優しい”白川じゃ相手に出来ないだろうと、仕事に行かずに残った反町が片っ端から追い返した。
「……記録更新ならず」
と、洋一が肩を落とすと、優樹は苦笑した。
「私がチョコあげる」
「おまえのなんかいるか」
そう不愉快げに言ったあと、「じゃあオレが全部もらいます!!」と、相川が意気揚々とした顔で手を上げた。
「……せやけど、これはどないするんや?」
一平はテーブルの上、無理矢理投書箱に投函されていた小箱、数個を見下ろした。全部、綺麗に包装されていてリボンがついているのを見ると、“それ”だろう。しかも、添えられていたメッセージカードを見ると、全部一平宛。
洋一は不愉快さを露わに一平を振り返った。
「……食っちまえよ」
投げやりな洋一に目を据わらせた一平は、そのままの表情で反町を振り返った。
「……これはどないしたらエエんや?」
「明日にでも返却行脚したら?」
苦笑気味に、反町はため息を吐いた。
「さすがに、こっそり投書箱に入れられたんじゃオレも断り切れないよ」
うんざりして頭を落とす一平に、「モテる男は辛いのー」と、大介が肩を叩くが、
「大介、食べるんじゃないわよ」
と、生美に注意されて「食うかっ」と、目を据わらせた。
「今年はチョコ抜きやっ。食わへんっ」
優樹はピクッと顔を上げ、焦るような笑顔で大介に近寄った。
「で、でも、私のチョコ、食べてくれるよね? 食べるよね? 変な物、混ぜるわけないもんね。わかってるもんね?」
必死に何か訴える優樹に大介は顔をしかめ、みんなも訝しげに彼女を見た。
相川は「……まさか!!」と、愕然とした表情で優樹に近寄った。
「先輩!! それって……本命チョコじゃないでしょうね!?」
物凄い勢いで訊かれた優樹はキョトンとし、慌てて首を振った。
「ちっ、違うよっ! 何言ってるの相川君っ!」
相川はホッとしたが、大介は「……なんや、違うンかい」と、片眉を上げて嫌らしく笑った。
「もろたってもエエぞー。本命チョコ」
「ないわよっ」
と、優樹は大介を睨んだが、視界に反町が見え、顔を赤くしてそっぽ向くと「さあ、片付け片付け……」と、椅子をテーブルの下に押し込んだ。
――その後、みんなで部室を出て戸締まりを終え、投書箱に「依頼書以外の物を投函しないでください」と張り紙をして撤収。校門に向かいながら談笑するみんなのあとをついて優樹は携帯電話からメールを送り、間を置いて着信を確認した。「……よし」と、笑顔で携帯電話を仕舞う優樹に気付いた華音は「ん?」と首を傾げた。
「どしたの優樹ー? なんだか嬉しそう」
みんなも「なんだ?」と振り返ると、優樹は「ううん」と笑顔で首を振った。
「今からちょっと、石田さんに会いに行って来る」
「石田って……あの、ヒョロい刑事さん?」
華音に言われた優樹は「……ヒ、ヒョロいって」と思いながらも頷き、鞄と一緒に持つ紙袋を軽く上げた。
「一日早いけど、チョコレート渡しに行くの」
「わざわざ?」
生美に苦笑され、優樹は頷いた。
「一杯お世話になったから。それに、お姉ちゃんにも頼まれてるし」
「お姉様とどういう関係なんだよ!?」
洋一がすかさず近寄ると、優樹は顔をしかめ、ため息を吐いた。
「わかんないってば。……二人とも、いい感じだとは思うんだけどなあ……」
「でもさあ」
白川がのんびりと歩きながら笑った。
「石田さんじゃあ真里乃姉ちゃんを口説き落とせないだろうなー」
「……。どうして?」
「だってさー、石田さんって、よわよわじゃん?」
「うん」と、同意して大きく頷くみんなを見た優樹は、戸惑い、首を振った。
「そ、そんなことないよ。石田さんは結構、あれでも……、……優しい人だよ」
「フォローが出来てないわよ」
生美に吹き出し笑われて、優樹は頬を膨らませた。
「石田さんはあれでいいの。ああいう石田さん、私、好きだもん」
立花と洋一が哀れむように同時に反町の肩をポン、と叩き、叩かれた反町は目を据わらせた。
「私も付き合おうか?」
生美が申し出ると、優樹は「ううん」と、笑顔で首を振った。
「まだ仕事中みたいだし。渡したら、もう、すぐ帰るから」
「そう、ならいいけど」
「先輩っ、明日はオレにもちょうだいね!!」
催促する相川に、優樹は「うん」と笑った。
それからみんなと別れて、予め呼んでいた送迎車に乗り警察署まで行くと、電話で呼び出した石田が署内から笑顔で走って出てきた。
「優樹ちゃん! 久し振りだねー!」
「こんにちわ」
優樹は笑顔で会釈をして、側で足を止めた石田を見上げた。
「お仕事中ごめんなさい」
「いいよ」
石田は笑顔で頭を左右に振っていたが、……ハッと顔を強張らせた。
「ま、まさか……また何か事件じゃないよね?」
「違うよ」
苦笑して手に持っていた袋を差し出すと、石田は首を傾げて優樹を見た。
「明日、バレンタインデーでしょ? 一日早いけど……去年の感謝のしるしです」
「えーっ。僕にっ?」
「うん」
「あ、ありがとうっ」
石田は嬉しそうにそれを受け取った。その様子に優樹は微笑み、紙袋を指差した。
「中にね、……加藤さんの分もあるから」
「……」
「ホ、ホントはあげたくなかったけど」
じっと見られ、照れ隠しで慌てて言うと、石田はニッコリと笑った。
「ありがとう。ちゃんと加藤さんにも渡して置くね。きっとすごく喜ぶよ」
優樹は「ははは」と、引き攣った笑いを浮かべ、気を取り直して紙袋の中身を思い出して確認した。
「あと……ブルーのラッピングのが、お母さんからで、赤いラッピングが、お姉ちゃんから」
「……。真里乃さんから!?」
「うん」
石田は袋を開けて中を見ると、「ほ、ほんとだ!」と、驚きに似た声を上げて優樹を見た。
「ま、真里乃さんにお礼言って置いて! すごく嬉しいって!」
興奮気味の石田を見て優樹は苦笑した。
「自分で言った方がいいと思うよ? 電話、してみたら?」
首を斜めに傾げて伺う優樹に、石田は「……そ、そうだね」と照れ笑いをした。
「けど、本当に嬉しいなあ……。まさか、もらえるなんて思ってなかったから」
「喜んでもらえて、私も嬉しい」
優樹は笑みを浮かべると、優しい顔で紙袋を覗いている石田を見上げた。
「……ねえ、石田さんって……」
「ん? なに?」
「……、やっぱり、お姉ちゃんのことが好きなの?」
唐突な質問に石田はキョトンとし、間を置いて少し笑った。
「優樹ちゃんのことも好きだよ」
まるで小さい子どもに言い聞かせているかのよう。微笑む石田に「そうじゃなくて」と、透かし見るように目を細めた。
「お姉ちゃんのこと、彼女にしたいなー、とか思わない? 思ってる?」
石田はまたキョトンとした顔を見せたが、すぐに笑ってみせた。
「そうだね。真里乃さんのような人が恋人だったら、幸せだろうね」
「じゃあ、好き?」
目を輝かせ、背伸びをして問う優樹に石田は苦笑した。
「優樹ちゃんと同じくらい」
「……、答えになってない」
優樹は目を据わらせるが、石田は困ったような笑みを溢した。
「どうしたの、そんなこと聞いて来るなんて」
「んー……。……なんとなく」
優樹は足下に視線を落とし、爪先で地面を撫でていたが、ため息を吐いて石田を見上げた。
「……石田さんって、お姉ちゃんのこと、すごく好きだと思ってたんだけどなあ」
拗ねるように言われた石田は、苦笑して目線を上に向けた。
「うーん……なんて言ったらいいんだろうなあ……。その……、僕さ、……キミや真里乃さんの笑顔を見るのって好きなんだ」
優樹に「……え?」と首を傾げられ、石田は照れたように笑って言葉を続けた。
「そんなに仲良くしてるわけでもないのにね。でも、優樹ちゃんとこうやって話していたり、真里乃さんと話しをしてると、すごく……楽しくて。なんか、昨日までの疲れも取れちゃうんだよね、不思議と。嫌なことも忘れられちゃうって言うのかな……。……楽しくって、……心地いいんだ。……なんて言うのか……キミたちの笑顔が心の栄養、って、言うのかな」
「……」
「そういう人がいるだけで、辛いこともなくなっちゃうんだ。……ほんの一瞬かも知れないんだけどね。……明日になったら、また仕事だし。……けど、この一瞬が僕には大切なんだって思える。……そういうのが、表に出ちゃってるのかな」
微笑む石田を見ていた優樹は、間を置いて深く息を吐いた。
「石田さんって……、……いいなあ……」
「……へっ?」
キョトンとする石田に、優樹は顔を赤くして慌てて首を振り、ぺこりと頭を下げた。
「あっ、き、今日は、チョコレートをお届けって事でっ。……それだけですっ」
焦る優樹に石田は笑い、笑顔で頷いた。
「真里乃さんと、優樹ちゃんのお母さんには、また、電話をしておくよ」
「……あ、お母さんはやめた方がいいよ。電話を切らせてもらえなくなるから。……安心して。私が代わりにお礼を伝えておいてあげる」
「……、う、うん。……それじゃあ、悪いけど、そうしてくれるかな」
大島家を伺う度に、母親の聖菜に捕まって世間話に付き合わされる、そんな石田を優樹は見てきた――。これ以上迷惑は掛けられない。
石田は改めて優樹に微笑んだ。
「ありがとう、おいしく頂くよ」
「うん。お仕事がんばってね」
優樹は笑顔で手を振り背を向け掛け、ふと、振り返った。
「石田さん、今、付き合ってる人っているの?」
「……、いないけど」
「わかった!」
優樹は笑顔で「それじゃあね!」と送迎車に乗り込み、石田は「?」と、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
――翌日の学園は、朝から大賑わいだ。一応、前日に前以て「学業以外の物を持ち込まないように」と各担任から注意喚起されてはいたが……。生徒たちのほとんどが聞く耳を持たなかった。
「……投書箱を見てきたぞ」
登校して来て教科書類を机の中に仕舞っていると、立花がやって来て、首を傾げる優樹の机に腰を下ろし、腕を組んだ。
「溢れてた。……、箱で」
目を据わらせる立花に、優樹は「……はは」と、微妙な笑みで答えた。
「や、やっぱり、張り紙は効果なかったんだねー……」
「効果どころか、張り紙がなくなってたしな」
立花が深くため息を吐くと、「あのっ、立花君っ」と、別のクラスの女子が友達に見守られながら駆け寄って来て、みんなの見ている前で紙袋を差し出してきた。
「これ、受け取ってくれるっ?」
恥ずかしそうな笑みを浮かべる女生徒を見て優樹はキョトンとし、立花はため息を吐いた。
「悪ぃけど受け取れない。この前、うちの部員がもらい物を食べて痛い目に遭ったからさ」
女生徒は「えっ」と戸惑うように目を見開き、「本当?」と伺うような視線で優樹を窺う。
「う、うん、そうです。だから、今、部員は誰もチョコとか受け取らないですから」
セカセカと答えたあと、クラスメートの数人がため息を吐いたのが聞こえ、優樹は「?」と、顔をしかめて振り返った。
女生徒は残念そうに俯いたが、「じゃあ、せめて」と、添えていた手紙を差し出した。立花が間を置いて受け取ると、女生徒は「ありがとうっ」と、笑顔で教室を出て行く。優樹はその背中を見送り、上着のポケットに手紙を入れた立花を見上げた。
「……、ちゃんと読んであげるよね?」
「さあな?」と、試すように片眉を上げられ、優樹は目を据わらせた。
「……参ったな」
そう呟きながらも、口元には笑みを浮かべている。そんな洋一を放って、みんなはため息を吐いた。
まだ二校時目が終わったばかりだ――。授業中に、それぞれの教室に高等部一年顧問がやって来て廊下まで呼び出され、注意された。「部室の前をどうにかしなさい」と。授業が終わってすぐに走って来てみると、部室のドアが開けられない状態になっている。
「……地面に食べ物を放ったらかしにするか?」
「一応、ハンカチ敷いてくれてるよ?」
立花が呆れるように言うと、華音が腰を下ろして確認する。
生美は深くため息を吐いて腕を組んだ。
「予想以上に酷いわね」
「……罪な男だな、オレ」
洋一が鼻で笑うが、やはり誰も相手にすることなく、大介は腰を下ろし、無造作に山積みされている小箱を見回して「うーん」と顔をしかめた。どれも綺麗にラッピングされ、多くがメッセージカード付きだ。
「全部捨てるンかあ? ……なんや、もったいないなあ」
「でも、これ捨てたら恨まれちゃうよー?」
華音が立ち上がって男子たちを窺った。
「女の子の恨みは、怖いんだからねー?」
「ああ、確かに怖い……」
真顔で呟き頷く洋一に「へえ?」と生美が目を細めると、洋一は「嘘です! 冗談です!」とすぐに頭を下げる。
優樹は困った顔でみんなを見回した。
「とにかく……どうにかしなくちゃだよね? ……もうすぐ授業始まっちゃうよ?」
「端に避けるだけ避けとくか……」
腰を下ろした一平が、転がっている小箱を積み重ねていくと、優樹も倣って腰を下ろし、箱を拾い上げて部室の壁際に運ぶ。
「用務員室に行って段ボールもらって来るか」
「うん、そのほうがいいだろうな……」
反町が頷くと、立花は「仕方ねえな」とため息を吐いて走っていった。彼が戻って来るまで、みんな、チョコレートを眺めていたり、隅に避けたりしていたが、そんな中、「ねえ見てぇーっ」と、華音が笑顔で優樹を振り返った。
「優樹にも届いてるよー」
「私?」と、優樹は腰を上げて華音に近寄り、「ほら」と指差す方を見下ろした。ピンクの包装紙に、白いリボン。間に二つ折りされたカードが挟まれて、「大島優樹先輩へ」と、ハートマークが添えられている。
「……相川やったら笑えるな」
大介が覗き込んで吹き出し笑うと、優樹は「もー、ふざけないで」と、ため息を吐き、カードを取って広げた。
【ホワイトチョコレートです。食べてください。――】
優樹は文字を追っていた目を止め、横から覗き込んでいた華音は「へーっ」と笑みを溢した。
「ホワイトチョコだってー。なーんか意味しーん」
華音が笑いながらその小箱を拾い上げようとした、それを視界の隅で捕らえた優樹は目を見開くと、華音のコートを掴んで引っ張った。
「駄目! 触っちゃ駄目!!」
怒るような声に華音はビクッと肩を震わせて、拾い掛けた手を止める。
「どうした優樹?」
「なんなの?」
みんなが訝しげに詰め寄る中、華音は「……ぐすん」と半べそを掻いた。まるで「ごめんなさい」と無言で謝っているよう。そんな彼女のコートを放して、優樹は焦って首を振った。
「ご、ごめんね華音ちゃんっ、大きな声出してっ……。違うのっ……。でも……触っちゃ駄目っ」
優樹は不安げに訴えると、周りを囲むみんなを見上げた。
「これっ……、高見さんからだよ」
戸惑うような優樹の言葉にみんなは顔を見合わせ、反町は華音が拾おうとしたピンクの箱を見下ろし、優樹を窺った。
「間違いない?」
「……見て、これ」
優樹はみんなに見えるように、カードを広げた。
【ホワイトチョコレートです。食べてください。下剤は混ぜてません。ネジも入れてません。安心してください。クッキーを食べた男子は大丈夫ですか? これからは気を付けるように言っておいてくださいね。これはほんのお詫びです。それではまた、近いうちに。ゲームは始まりました】
「……。なに、これ? ……ふざけてるの?」
読み終えた生美が不愉快げに呟いた。その言葉はみんなの思いを代弁していたが……。
反町はじっとカードを見て、戸惑う優樹に目を向けた。
「……間違いない?」
「……うん。……あの時、言われたの。私には、ホワイトチョコをあげるって。だから……」
言葉を切らして俯く優樹に、洋一と白川は目を見合わせた。
「ほな、この中に、“その手”のモンがあるかもしれん、っちゅーことやな……」
大介がプレゼントの山を見下ろすと、「……せやな」と一平も同意した。
「迂闊に触らん方がよさそうやな……」
「……片付けるのは、昼にしよう」
反町は、足の靴裏で小箱を蹴って壁に寄せた。
「それまで誰も触らないように、危険物があるかもしれないって、張り紙しておいた方がいいな……」
「書くわ」と、生美が持って来ていた鞄の中からノートとペンを取り出して、大きな文字で書き出す。
華音は、俯く優樹の顔を心配げに覗き込んだ。
「……優樹? だいじょぶ?」
そっと問われた優樹は、「……うん」と、か細い笑みを浮かべて頷いた。
「……ありがと、華音ちゃん。……ごめんね、さっき、大声出しちゃって……」
「ううん。優樹、止めてくれなかったら、これ、触ってたし」
華音は指差して、マジマジと見つめた。
「……やっぱ、触らない方がいいよねえ……?」
「ああ、一応な」
と、反町は頷いて優樹に手を差し出した。
「そのカード、オレが預かっておくよ」
「……うん」
優樹は、“高見”からのプレゼントを気にしながらも素直にカードを渡した。
――その後、立花が持ってきた箱を部室の側に置いて、注意書きの張り紙を貼ってから各自、教室に戻った。昼休みになったら、すぐに部室に集合、と決めて。
教室に戻ったらすぐ授業が始まり、優樹は教科書に視線を落とすが、頭の中はボンヤリとしていた。
いたずらチョコが届くことは予想の範囲内だ。処分の仕方には頭を悩ませなければならないが――。しかし、それよりも気になることがある。
「ゲームは始まりました」、そう書かれた文字……。
優樹はそれを思い出してため息を吐いた。
午前の授業の休み時間の合間に、優樹はクラスメイトの美代子と話し、新聞に、チョコを受け取れないことの事情と、詫び文を掲載してもらえるように頼んだ。美代子は「また厄介な事件ね!」といきり立っていたが、以前の事件があった為、「深く詮索しないようにね」と、念を押した。
そして、昼休み――。
早く昼食を済ませると、みんなが部室へ集まった。
……また、プレゼントの数が増えている。しかも、困って立ち尽くしている間にも、「先輩これ!」と、チョコを渡しに来る女生徒たちが次々やって来る始末。
「後藤さんに、お詫びを載せてもらうように言ってあるし。とにかく、今から持って来る子は断って、受け取らないようにしなくちゃ」
困りながらも真顔で言う優樹に、みんなが頷いた。
「もったいないけど、しゃーないなぁ」
「……じゃあ、箱に入れていこうか」
「気を付けて入れろよ」
軍手をした手でプレゼントを拾って、予めもらってきた段ボールに入れていく。
たまに手を止めて、添えられているカードをチェックし、「届けた女子が誰かわかるなら、謝りに行こう」と決めた。
「けどさ、オレらって、こんなに人気あるんだなー」
白川が改めてみんなを見回した。
「奉仕屋って、そりゃ有名だったけどさ。こんなにすごいことになるなんて思ってなかった」
「……せやなぁ」
と、大介も拾い上げたプレゼントを見てため息を吐く。
「ありがたい言えば、ありがたいことやな」
「はい、これ、洋一君宛だよ」
華音が集めたカードを束にして男子に渡していくと、洋一と相川はすぐに枚数を数えだす。
一平は深く息を吐いて、呆れるような目でカードを見る立花を窺った。
「……これ全員、謝りに行くンか?」
「それがケジメでしょ」
生美が拾い上げたプレゼントをダンボールにそっと入れながら冷静に目を向けた。
「手渡しじゃなくても、贈り物には変わりないんだから。……届けた子の気持ちが詰まってる。そう考えたら、ありがとうって言葉と、ごめんって言葉は必要なんじゃない?」
「……せやな」と一平は素直に頷いたが、「めんどくせ」と立花は呟き、反町も「同感」と立花に共感した。
勝則は渡されたカードをポケットにしまうと、じっとカードを見ている優樹に気付いて側に近寄った。
「……どうかしましたか?」
横から覗き込んでカードの文字を目で追った。
【この前は、助けてくれてありがとうございました。あれから無事に大会も終わりました。優勝はしなかったですけど、中等部最後のいい思い出になりました。高等部に上がっても、続けたいと思ってます。また、何か困ったことがあったら助けてください。本当にありがとうございました】
丁寧な文字を目で追って、勝則は笑みを溢した。
「……嬉しいですね、こういうこと言ってもらえると」
「……うん、……そうだね……」
優樹も笑みを溢し、カードを大事そうにポケットに入れた。
――結局、ダンボール四つ分のプレゼントが集まり、部室に運び入れ、「……さて、これはどうしようか」と悩んだ。
「焼却?」と、華音が残念そうに訊くと、
「食われへんねやろー?」と、大介も残念そうに口を尖らす。
「捨てなくちゃ仕方がないわよね……」
ため息を吐いた生美に、反町も「そうだな」と、肩の力を抜いた。
「一日二日、預かっててもいいけど、返してくれって言って来る子はいないんじゃない?」
「そうよねえ……」
「これに懲りて、来年からは誰も持ってこなくなるといいけどな」
肩を竦める反町に、「はあっ?」と洋一と相川と、白川と大介が顔をしかめた。
「なんの為のバレンタインデーだ!」
「そうだぞ! バレンタインデーだぞ!?」
「オレ、ちょっとでいいからチョコ食べたいなー」
「オレは普通に食いたい」
意見を告げる四人に、「……懲りろよ」と、立花はため息を吐いた。
――その後、昼休み時間一杯使って、みんなで陳謝行脚。それぞれがわかる範囲で女生徒たちの元に行き、頭を下げた。中にはとても残念そうな少女もいたが、逆に、「わざわざ会いに来てくれた」と勘違いして喜ぶ少女もいたり、様相は様々だ。
昼休みだけじゃ終わらず、放課後も引き続いて男子は謝りに出掛け、女子は、午後の授業中に届いたプレゼントをまた拾い集めてカードを抜き、まとめて男子に渡した。
「みんな、モテモテだねえ」
華音が「ひひひっ」と笑った。
「相川君に届いたカード、見た? 先輩たちと一緒にがんばってる、だって。足を引っ張ってるのにねえ?」
「そんなことないよ」
優樹は苦笑して、集めたカードを振り分ける。
「相川君も勝則君も、すごくがんばってくれてる」
そう言って、カードに目を向けた。
【大好きです!】
そう書かれたカードの宛名は大介だ。
……こ、これは矢野さんには見せられない。そう思いつつ、「……、矢野さんじゃないよね!?」と、慌てて差出人を確認する。そんな優樹に生美は顔をしかめた。
「何やってんの、あんた」
「う、ううんっ。……なんでもっ」
首を振ってせっせと振り分ける、その手がまた止まった。
【今度会ってください。お願いします】
そう書かれたカードの宛名が反町だ。優樹はじっとそれを見た。
……そっか。……だよね。……こういうのも届くよね。
「……人のメッセージを見て耽るなんて、いい趣味じゃないわよ?」
生美の呆れるような声に、優樹はハッとし、顔を赤くしてカードを振り分けよとしてためらい、けれど、意を決して反町の場所に置いた。それを見た生美は、手を止めて苦笑した。
「なあに? 気になるメッセージだった?」
「……ち、違うよっ」
そっぽ向いて無関心を気取る優樹に、生美と華音は顔を見合わせ、身を乗り出して優樹が置いたカードの文字を目で追った。そんな二人に優樹は「駄目!!」と、眉をつり上げて怒るが、その時にはすでに、二人は「……ふーん」と、目を細めてニヤついていた。
「そっかー。気になっちゃうんだー?」
「えーっ。そうなのーっ? かのんはぁーっ?」
優樹は顔を赤くして、二人を睨んだ。
「ち、違うってばっ。そうじゃないんだからっ」
「何が違うンだろうね?」
「ねー?」と、生美と華音は互いに相槌を問う。優樹はムスッと頬を膨らまし、「……フンッ」とそっぽ向いた。
部室にやって来る女生徒には生美が断りを入れ、そしてようやく振り分けが終わると、一旦、電話で男子を呼び集めて残りのカードを渡す。
「……まだこんなンあるんか……」
一平が疲れ切った表情で部室を出て行くと、「……くそっ、めんどくせぇ!」と、立花も苛つき気味に出て行く。
生美はため息を吐く反町を見て、腕を組み、片眉を上げた。
「会ってみたら、結構かわいい子っているんじゃない?」
試すようにニヤリと笑う生美に優樹は「……」と、少し顔を赤くして睨み、反町は顔をしかめていたが、鼻から息を吐いて肩を竦めた。
「そりゃ、かわいい子はいたよ」
ズキッ……!! と、優樹の胸が痛んだ。
「ホンマか?」
大介がカードを確認しながら訝しげに聞くと、反町はため息を吐いた。
「見た目かわいけりゃあ中身もいいってワケじゃない。そういう女に限って、性格が図太くてずる賢かったりする。特に、化粧で顔を作って素顔を隠そうとする女はそう。詐欺罪を適用しても問題ないレベルだ」
「……、失礼ね。偏見過ぎよ」
と、カードを捲る反町に生美は目を据わらせた。
「オレはこういうの、興味ない。大体、食べ物をそこらに置いていくって神経自体、人間性を疑うね」
「手渡しが恥ずかしい子だっているでしょ」
「知った事じゃないよ、そんなの。元から受け取る気はないし。いらないし」
素っ気ない反町に、生美は更に目を据わらせ、洋一は「プッ」と吹き出して笑った。
「こいつ、恋愛に関しちゃ淡白だからなーっ」
そう言って部室を出る時、優樹の頭を撫でていった。
「よかったねぇ優樹ちゃぁーん」
言われた優樹は顔をしかめ、「……はあっ!?」と、ドアの方を振り返った。
「オレはこんなカードより先輩の方が大事だからね!!」
身を乗り出して訴える相川に、優樹はキョトンとして「う、うんうん」と頷いた。
勝則はため息を吐き、「ほら行くぞ」と、相川を引っ張って部室を出て行き、大介も「はー、しんどいなあ」とあとに続くと反町も「行ってきます」と出て行く。彼らの背中を見送ったあと、生美と華音は間を置いて、優樹に向かって身を乗り出した。
「いいの!? あんな奴でいいの!? ホントにいいと思ってるの!?」
「絶対泣かされるよォ! 泣かされるに決まってるよォ!!」
真剣に詰め寄られた優樹は「……へ?」と身を逸らして瞬きをし、「誰のことだ!!」と、遠く離れた外から反町の怒鳴り声が届いた――。
「はい、これね……」
へとへとに疲れて帰ってきた男子たちに、優樹は用意していた包みを渡していく。白いラッピングに赤いリボンのプレゼントに、「もういらない」という表情を最初はしていたものの、いざ、手渡されると多少は嬉しいのだろう。
「……もう、下剤は入ってないよなー?」
訝しげに中身を窺う白川に、優樹は苦笑した。
「大丈夫。美味しいから」
「やったー!」
「はい、立花」
「……まあ、これくらいがちょうどいいか」
差し出された立花は「サンキュ」と受け取る。
「はい、一平君」
「おう」
一平も受け取ると、「ありがとさん」と笑顔で言って、早速封を開ける白川に笑った。
「おまえもホンマ、懲りんやっちゃなー」
「優樹のだから安心だもーん」
「はい、勝則君」
「嬉しいです。ありがとうございます」
勝則も笑顔で受け取り、睨む相川に「……おまえももらうんだから」とため息を吐いた。
「はい、相川君」
「本命ですか!?」
身を乗り出す相川に、優樹はキョトンとして苦笑した。
「そんなチョコ、用意してないよ」
相川はガックリと頭を落とした。
「はい、華音ちゃん」
「わ! かのんにもくれるのー!? ありがとう!!」
華音は嬉しそうに受け取って、ぎゅっと腕に抱いた。
「はい、大介君」
「もっとくれ」
「……。ちょうど余ってたから、じゃあ、はい」
「もっと」
「……。じゃあ、はい」
「ありがとさん」
満足げに笑われ、優樹は「……三箱だけでいいのか」と、反町に近寄った。
「……はい、流君」
「ありがとう」と、反町は笑顔で受け取った。
「洋ちゃんも、はい」
「なんだその、ついで、みたいな言い方は?」
洋一は目を据わらせつつも受け取る。
「はい、生美ちゃん」
「ありがと、家に帰って食べるわね」
生美は笑顔で受け取った。
優樹はみんなに配り終えてホッとし、笑みを溢した。
「よかった。みんなに配れて」
「とりあえず、寂しいバレンタインデーにならずには済みましたね」
勝則が苦笑するが、「……本命じゃない」と、相川はまだ拗ねている。
華音は「ん?」と、優樹が持っている紙袋を見た。
「まだ入ってるの?」
「……あ、うん。ちょっと、用意し過ぎちゃったから」
優樹は紙袋の中を見た。
「あと一個。誰か、いる?」
「オレ!!」と、すぐさま相川が手を挙げるが、「ほい」と、洋一に腕を掴まれた反町も挙げている。
優樹は、反町を睨む相川と、力尽くで挙げさせられて「……おい」と、洋一を睨む反町を交互に見て、残り一個を見下ろした。そして結局、
「あげるね」
と、白川に差し出した。彼はすでに開けた箱の中身を空っぽにしている……。
白川はキョトンとしていたが、「やったー!」と、受け取った。
「このチョコ、旨ーいっ! あとは家に帰って食べよーっと!」
嬉しそうな白川に、優樹は「ふふっ」と笑う。――手を挙げていた相川と、反町と洋一は、分が悪そうに静かに手を下ろした。
その後、みんなで後片付けをして、「プレゼントはしばらく置いておこう」ということに決めて部室を出た。
そろそろ閉門時間を迎える――。
優樹は携帯電話で素早くメールを打ち、コートに仕舞うと、「帰ろうかー」と、肩を並べて歩くみんなのあとを追い、そして、コソコソっと大介の後ろに近付くと背中の服を掴んだ。大介が「ん?」と振り返ると、優樹は「ちょっと、こっちこっち」と、みんなに気付かれないように軽く引っ張り、遠ざけた。
「……なんやねん?」
大介が訝しげに眉を寄せると、優樹は彼の袖を引っ張り腰を低くさせて小さく言った。
「もう一回、部室に戻って」
「……は? なんでや?」
「……ドアの前に忘れ物したの。すぐわかるから取って来て」
「自分で行けや」
「いいから行って」
睨み下ろされた優樹は、「ほらっ」と、大介の袖を部室の方に引っ張った。大介は「……しゃーないやっちゃのー」と、渋々、走って部室に戻る。
「あれ? 大介、どうした?」
足音が聞こえて振り返った反町に、優樹は笑顔で「ううん。忘れ物しただけ」と答えてみんなに並んだ。
忘れモン、忘れモン――。と、走って部室まで来ると、ドアの前に人影が……。
「うおぃ! またおったんか!?」と、うんざりな気分でため息を吐き、「断わらなぁーなー」と、駆け寄って、顔をしかめた。
「……お? 矢野?」
鈴菜は「あっ」と、背もたれていたドアから離れて、大介にぺこりと頭を下げた。
「なにしとんねや? っつーか、まだ帰ってへんかったんか? もう、門が閉まるぞ」
「あ、……は、はい」
近寄ってきた大介に、鈴菜は恥ずかしそうにモジモジと俯いた。そんな彼女を放って、大介はドアの周りを探る。
「なあ、この辺になんかなかったか? 優樹が忘れモンしたぁ言うとってなあ」
「……あ、……いえ」
鈴菜はウロウロと探す大介を見て、目を逸らし、また彼を目で追った。
「……あの、大介先輩」
「おう?」
「……優樹先輩に聞きました。なんだか……大変なことになってたみたいで」
「おー、そやねーん!」
大介は探していた顔を上げると、渋そうな顔でため息を吐いた。
「今日バレンタインデーやろっ? めっちゃチョコ届いとってなーっ。せやけど受け取られへんから、昼も放課後も、くれたヤツんとこ行って謝っとってんやんっ。めーっちゃしんどかったぞー」
ヘトヘトな顔で肩の力を抜く大介に、鈴菜は「……あ、そうですか」と、少し目を逸らした。
「じ、じゃあ、先輩のトコにも、たくさん……届いてたんですか?」
「んあ? 一平に比べたら微々たるモンやで?」
苦笑する大介を見て、鈴菜は「……はは」と、空笑いをした。
「それより」
大介は、またドアの周りを見回した。
「知らんかー? 優樹の忘れモン」
「……、えー、と……」
「すぐわかるぅ言われてン、……けど」
そう言って大介は顔をしかめ、鈴菜を見た。鈴菜は顔を赤くして俯いている――。
やっと状況がわかったのか、大介は少し戸惑うように、それでもしっかりと鈴菜に向き合った。その気配に、鈴菜は持っていた鞄の中から、引っ掛けながらも紙袋を取り出す。
「……先輩たち、誰も受け取れないって聞いたんで、……どうしようかと思ったんですけど。……やめようかなって思ったんですけど、……優樹先輩が、……大丈夫だからって、教えてくれたんで」
「……」
「……あの、……これ」
声を震わせながら、鈴菜は顔を真っ赤にして差し出す。
「……受け取って、……もらえ、ます、か」
顔を上げることが出来ずに戸惑う鈴菜に、大介は間を置いてそれを受け取った。
「ありがとうな」
穏やかな口調に鈴菜が「え?」と顔を上げると、少し見開いた目と向き合って、大介はニッコリと笑った。
「くれる思うてへんかったから、めっちゃ嬉しい。ありがたく、食わせてもらいます」
おおきに。と、もらったチョコを軽く上げてお辞儀をする大介に、鈴菜は間を置いて嬉しそうに笑った。
――その様子を物陰からコソコソと見守る数人の影。
優樹を囲んで白状させ、すぐに駆け付けていた。
「……くそー。なんであいつなんだ」
洋一が悔しそうに目を据わらせると、一平が吹き出し笑った。
「いやー、矢野は苦労するぞー。あの大食いをどうやってコントロールするか」
「……苦労してたのね?」
生美が聞くと、一平は真顔で大きく頷いた。
優樹は雰囲気のいい二人を眺めて「……ふふ」と笑った。
「よかった。ちゃんと渡せて……」
「……さ、バレないうちに早く行こう」
反町に言われて、みんな静かにその場を離れる。
優樹は軽く振り返って笑みを溢し、みんなのあとを追ったが、その足下に地面に落ちていた白いリボンが絡まり見下ろして足を止めた。
「……」
少し汚れたリボンを拾い上げ、表情を消してじっと見つめる。その脳裏にあるのは、「ゲームは始まりました」というあの言葉――。
優樹は顔を上げて、楽しそうに談笑しながら先を歩くみんなの背中を戸惑い見つめた。
話すべきか、どうするべきか。
――“ゲーム”、その言葉に覚えがあることを……




