8、リリアナ
ゆらめくランプの光が、壁に影を映し出す。
一組の男女が向かい合って立っており、男の手は女の腰にしっかりと回されている。
じっと見つめあっていた二人は、やがてゆっくりと唇を重ね合わせた。
唇を離しては、角度を変えて重ね合わせる。
徐々に熱を帯び激しくなる接吻は、やがて行き交う舌のシルエットまでくっきりと壁に映し出されるほどになり--
「もういいって」
ニーナがランプの火を吹き消すと、男女の影は跡形もなく消えた。
「意外と初心なんだな」
からかってくるアキを睨みつけると、床に横たわった少女を見下ろした。
レナスを襲おうとした貴族クラスの少女。練習中に敵意のこもった目でこちらを見ていた、例の少女だ。
ハンカチの刺繍を見ると、リリアナと言う名前らしかった。
あの後、気絶したリリアナはアキとニーナによって図書室へと運び込まれた。
場所も近く、人気の無い図書室は絶好の場所だったのだ。
彼女の指から指輪を抜き取ったアキは、間違いなくそれが盗まれた宝物であることを確認した。
「これが『根源の指輪』だ」
アキの手に乗せられたそれは、本当に制御装置に良く似たシンプルな指輪だった。
違いと言えば、微かな玉虫色の光を帯びていることと、光の当たり具合によって薄い刻印が浮かび上がることだが、よほど気をつけて見なければ分からない。
「さて。指輪も取り返したことだし、帰るか」
「え」
立ち上がって伸びをしたアキの言葉に驚くニーナ。
「でも……レナスを襲った理由とか……」
「俺に何の関係がある?」
不思議そうな顔で聞き返してくるアキに、ぐっと言葉に詰まった。
「確かに関係ないけど……知りたいじゃん。レナスは友達なんだし……」
「別に」
取り付く島もない言葉に、グウの音も出ないニーナは不満そうに膨れていたが
「……うちの店のタダ券あげるから」
と、餌をまいてみることにした。
「いいだろう」
即答かよ、と心の中で突っ込む。
「尋問なんかは面倒だからな。勝手に記憶を見させてもらう」
アキが右手を振ると、どこからともなく小型のランプが現れた。
掌にすっぽりと収まってしまいそうな、本当に小さなランプだった。
「それは?」
「人間の記憶を映し出すランプだ」
そう言うとアキはリリアナの額に指を当て、ゆっくりと持ち上げた。
目の前の光景に言葉を失うニーナ。
リリアナの額から、黒い霧状の帯が立ち上っていた。その端はアキの指先に絡みついている。
アキが霧を指で巻き取りながら引き抜いていくと、リリアナの表情が苦悶するようなものに変わった。
「だ、大丈夫なの?」
「ちょっと痛いだけだ。それより、店ではお前を指名するからな。相手しろよ」
「はぁっ?!」
思わず声を上げるニーナ。
「ちょ、ま、わ……私は娼婦じゃっ……」
「分かってる。そろそろお前に魔力を分けておかなければならない」
その言葉に口を閉じるニーナ。
なんだ、そのためか……と脱力。余計な気を回して勝手に焦って、馬鹿みたい。
「……レンに見つかるとうるさいから、明け方にこっそり来てくれる?」
小さな声でニーナが呟くと、「ブッ」とアキが吹き出した。
顔を上げると、肩を震わせて笑っている。
「お前、ときどき子供っぽいよな」
カアッと顔に血が上る。
「なっ……」
「ほら、取れた」
アキは巻き取った霧をランプに入れると、火をつけた。
壁にシルエットが映し出され、ニーナはしぶしぶ口を閉じる。
もっとも、子ども扱いされたことに文句を言おうとしただけで、そんなことをすれば益々自分を幼く見せてしまうだけだと考え直した。
どういう仕組みなのか分からないが、リリアナから取り出された記憶は時に鮮明な映像となり、時にシルエットとなり図書館の壁に映し出された。
校舎の廊下を歩くリリアナの姿を見ながら、床に横たわったままの彼女に目をやる。
相変わらず苦悶の表情を浮かべたままピクリとも動かない。
「いつ目が覚めるの? 彼女」
「あと二時間ぐらいだろう」
何となく安心して壁に視線を戻した。
記憶の中のリリアナは、見た目の通り内向的で地味な少女であったらしい。
学園でも一人で過ごすことが多かったようだ。
やがて、そんな彼女が恋をした。
相手はあのレナスの信奉者ウィード。
彼から声をかけられ最初は戸惑っていたリリアナだったが、毎日のように優しく言葉をかけられるうちに惹かれていったのだろう。
壁に映し出された彼女の表情は、どんどん明るく幸せそうなものに変わっていった。
そして二人の関係は深いものへと変わる。
ニーナがランプの火を消したのは、その時だった。
「かわいそうに」
リリアナを見下ろして呟く。
もはや続きを見る必要は無かった。
あれほど幸せそうだったリリアナの顔は、今は青白く、その時の面影は無い。
レナスに向かって魔法を放ったのは、嫉妬と恨みの感情が『根源の指輪』の力で魔法として発動してしまったのに他ならない。
彼女はウィードに捨てられたのだ。
ニーナはウィードの人間性も手管も知っていた。彼にとっては、いつもの火遊びだったに違いない。
もしかすると仲間内で、リリアナを落とせるか否かで賭けをしていた可能性もある。
貴族の貞操観念はかなり低い。結婚してしまえば男も女も、それぞれ愛人を作ったり夜会で一夜限りの相手を見つけることなど日常茶飯事だ。
いや、結婚前の男女であっても自由気ままに恋愛を楽しんでいる。
ただし表向きは、貴族の子女が異性と婚前交渉を持つことは好ましくないと言われているため、おおっぴらに付き合うような剛の者は居ないだけで、秘密の関係を楽しんでいる者は多いのだ。
しかしリリアナは本気でウィードに恋をしてしまい、遊びと割り切ることも出来ず、一人で悶々と悩み苦しんでいた。
その嫉妬はレナスに向かい、レナスと親しいニーナに対してまでも敵意を向けるほどだった。
自分を捨て、ひどい目に合わせた男へは恨みの感情を向けなかったところが憐れだ。
ニーナは溜め息をついた。
「愚かだな」
淡々と言ったアキに、ニーナは悲しそうな瞳を向けて頷いた。
「愚かよ」
「それで、どうするんだ?」
「リリアナのことは、こっちに任せて。指輪さえなければレナスを襲うこともないだろうし。アキはどうする?」
「窃盗犯を捕まえる」
「どうやって?」
指輪をもてあそびながら考え込んでいたアキは、しばらくして口を開いた。
「……まだ漠然とした計画しかないんでな。今日の夜までには詳細を決めて話そう」
そうだ、今夜アキが来るんだったと気づかされたニーナは、急いで策を巡らせた。
「アキ、今夜のことなんだけど」
ニーナの言葉にアキが片眉を上げてこちらを見た。
「出来れば店の誰にも見られずに来て欲しいの。入り口から来ると、絶対にレンにバレるから。もしレンが居なくても、誰か姉さんに見られたらそこからバレるわ。だから、営業時間が終わって姉さんたちとレンが店から引き上げてから来て欲しいんだけど」
アキは頷いた。
「店の北側の最上階に、普段は使われていない部屋があるからそこに……時間は……」
アキに説明をしながらニーナの胸には不安が強く渦巻いていた。
これがバレた時のレンの反応は……想像するのも恐ろしい。
どうか上手く行きますように、とニーナは神に祈った。