7、風魔法の練習
そっと音楽室を抜け出したニーナは、校庭へと足を向けた。
風魔法の練習がそこで行われているとアキに聞き、一足先に偵察に行こうと思ったからだ。
「あそこか」
広大な校庭に目をこらしていたニーナは、鶏舎の近くに居る集団に目を止めた。
彼らの頭上では、何やら細かいものが宙を舞っているのが見える。
そちらの方へと歩み寄って行くと、舞っていたものは紙切れや木の葉、鳥の羽だというのが分かった。
「いいかー舞い上げる高さは六メートルまでだー。そして螺旋を描きながら落とすことー。そこ、落下スピードが早い!」
集団の中心では、ダレル教授が声を張り上げていた。
「次、フォーメーションA!」
教授のかけ声とともに、五人の生徒を残して他の生徒は片膝をつく。
完璧主義のダレル教授らしいな、とニーナは舌を巻いた。
花祭りで最も観客の視線を集めるのは、やはりレナスたちによる唄と踊りの舞台だ。
しかし、たとえ脇役と言われる仕事であろうとも手を抜かず、風魔法にも様々なフォーメーションを考え徹底的に練習する。
ダレル教授のプロ意識は大したものだ。
宙に集められた木の葉たちが、まるで生き物のような動きをするのを感心しながら眺めるニーナ。
彼女の存在に気づいた生徒の何人かが、顔をしかめる。
ダレル教授もチラリ、とニーナを見たものの全くの無関心だった。
「娼婦が何の用だ」
男子生徒の一人がニーナを嘲る。
数人の生徒がそれにつられたように、下卑た笑い声を上げた。
「男漁りにでも来たのか?」
「お前の器量じゃあ相手をしてくれる男なんて居ないだろうがな」
「高望みはやめて、庶民クラスの下男共でも誘惑してるんだな」
腕を組み、木に寄りかかったニーナは涼しい顔で男子生徒たちを見返した。
こんな中傷には慣れっこになっている。
「そこ。練習に集中しろ」
ダレル教授の声に、男子生徒たちは「お前のせいで怒られた」と言わんばかりにニーナを睨みつけると、魔法に集中した。
一糸乱れぬ生徒たちの動きを見つめながら、ニーナは誰が問題の指輪を持っているのだろうと考える。
人間の魔力の大きさを感知する能力も、自身の魔力の大きさに比例する。
つまり、ほとんど魔力の無いニーナが他人の魔力を見極めることは難しいのだ。
では何のために来たのかと言うと、ただ単に様子のおかしい生徒が居ないか見に来ただけである。
木陰から練習を眺めて、四半刻もたっただろうか。
ニーナは気になる女生徒を見つけていた。
彼女は時折チラチラとこちらへ視線を送って来ていた。その顔色の青白さと、どこか敵意の込められた目つきが気になったのだ。
制服のエンブレムから貴族クラスの生徒と分かったが、面識は無い。
にも関わらず敵意を持たれるとは……どういうことだろう。
「ニーナ、ここに居たの」
顎に指をかけて考え込んでいたニーナは、横手からかかった声に思考を中断された。
首を巡らせてみれば、レナスが近づいてくるところだった。
相変わらず男子生徒たちを従えて、隣にはなぜかアキも居る。
「レナス。練習が終わったんだ」
「そう。あなたったら途中でどこかへ行っちゃうんだもの」
レナスは少し不満そうに唇を尖らせた。
「ごめん。風魔法も見てみたくてさ」
「ええ。アキ教授に聞いて、私も見学しようと思って。教授もダレル教授にお話しがあるそうだから」
一瞬だけアキとニーナの視線が絡まり、お互いの思惑を確認し合う。
ニーナ、レナス、アキの三人は横一列に並び、レナスの信奉者たちはその後方に控えて立った。
「これはどういう練習なんだい?」
生徒たちの練習風景を見ながらアキが、誰にともなく質問を口にした。
「本番の花祭りで、花びらを綺麗に舞わせるための練習なんです。今は羽毛や木の葉を使ってますけど、本番が近くなれば花魔法の使い手たちと合同練習をすることになってます」
レナスが答える。
「ただ舞い上げて落とすだけじゃダメなのかい?」
「ええ。見ていただくと分かると思うんですけど、舞い上げる高さ、落下スピード、回転数、落ちる位置などを全員で揃えるんです。その方が綺麗ですし後片付けも簡単ですから。……ダレル教授は特に、完成度の高い舞台が好きですし」
ふふ、と面白そうに言うレナスに「なるほど」と頷くアキ。
二人のやり取りを無言で聞きながらニーナは、先ほどの少女を見つめていた。
レナスとアキが現れてから、明らかに少女がこちらを見る回数と敵意が増している。
横目で伺ってみると、アキもそれに気づいているようだった。
今は他人の目が多くて無理だけれど、後でアキと話し合ってみよう……と思いながら練習風景に目を戻す。
「違う、そうじゃない! 花びらを跳ねさせるリズムはこうだ!」
順調に見えた風魔法の練習風景だったが、つい先ほどダレル教授がアレンジした魔法を生徒が上手く使えずに戸惑っているようだ。
教授が指揮者のように両腕を動かすと、木の葉が複雑なリズムを刻みながら見事に踊る。
「難しいなーこれは……」
魔法の制御力のみならず、リズム感まで必要とされる技を見てニーナが思わず呟いた。
制御装置の力があるので魔法に集中する必要は普段より少ないとは言え、かなりの精神力が必要になる。
「そう?」
隣でレナスがしゃがみこみ、足元に生えていた花の花びらを摘み取った。
それを風魔法で宙に浮かべると、先ほどダレル教授が見せた複雑な動きを見事に再現してみせる。
制御装置も使わず、指先をひょいひょいと動かすだけで簡単に難度の高い技を見せるレナスに、ニーナは呆れた視線を送った。
「……普通、自分の系統外の魔法は上手く使えない、って言われてるけど。レナスは何の魔法でも使えるんだね」
「そんなことないわよ。やっぱり風魔法は水魔法ほど使えないもの」
これだけできて何を言う。
花びらを宙に浮かべるだけでも、他人の倍の時間を要するニーナは思わず溜め息をついた。
ダレル教授の方も、生徒が四苦八苦している様子を見て、結局魔法の難度を下げることにしたようだ。
先ほどよりも花びらの動きが大きくなり、リズムも簡単になった。
「レナス、風が出てきた」
ウィードが自分のマントを脱ぎ、レナスの肩にかける。
「……ありがとう」
風魔法を使っているのだから、風が出てきたと言うのも妙な言葉だと思ったが。
恩に着せるような押し付けがましい親切を、それでもレナスは無碍に断りはしなかった。
ただしその表情と口調は、ひどくそっけない。
おざなりの感謝の言葉とは言え、言われた方のウィードは得意満面で他の信奉者たちを見渡す。
「練習も終わったようだし、この後どこかに出かけないか?」
自惚れと傲慢さが増長されたウィードの言葉に目を戻すと、確かに練習が終わったらしく、生徒たちがばらばらと校舎に向かって歩き出していた。
「無理よ、ウィード。今日は父様と約束があるの。そういうわけでニーナ、一足先に帰らないといけないんだけど。ごめんなさいね。アキ教授もごきげんよう」
「気にしないで。またね」
「また明日」
アキとニーナに会釈したレナスは、信奉者たちの顔も見ずにさっさと歩き出した。
慌ててその後を追うウィードは、まだ何かをしつこく話しかけているようだ。
そして無言でぞろぞろとくっついていく男子生徒の様子は、まるでゾンビのようだと思わず笑った時だった。
突然アキが背後からニーナの身体を抱き寄せた。
その荒々しさに目を丸くし、声を上げようとしたニーナだったが。
急に足元からすさまじい勢いの風が巻き上がった。
耳元でうなる風の音。舞い上がる塵が目に入り、痛みに目を細めると、もう風圧がすごくて元通りに開くことが出来ない。
アキが片腕でニーナの身体を抱えたまま、反対側の腕をゆっくりと持ち上げた。
涙目になりながら必死でそちらを見たニーナは、自分を取り巻いていた空気の塊がその腕先から一人の少女へと向かって飛んでいくのを目撃した。
意思を持った空気の塊に包み込まれ、直後、少女の身体は意識を失って崩れ落ちる。
思わず小さく悲鳴を上げたニーナの頭上から、「死んじゃいない」というアキの落ち着き払った声が振ってきた。
ホッと力を抜き、自分がアキに抱きかかえられていることに気がついて慌てて周囲を見回す。
だがすでに、校庭には自分とアキと気絶した少女以外の人影は消えていた。
「あの女。レナスを襲おうとした」
顎をしゃくって少女を示したアキを、ニーナが怪訝な表情で見上げる。
「レナスを……襲う?」
「簡単に言うと、風魔法でかまいたちを発生させてレナスの背後からぶつけようとしたんだ。あの女、指輪を持っている」
ギョッと振り返り、信じられないという目で未だ気絶したままの少女を見つめる。
その時、あることに気づいた。
「……いつまで抱きかかえてるのよ」
「抱き心地いいな、お前」
ニーナの拳がアキの鳩尾に叩き込まれた。