6、指輪の行方
「やあ、来たね。レナス……とニーナ?」
ドアの開く音に振り返ったアキが、柔らかな微笑を浮かべたまま首を傾げる。
アキは音楽教授なのだから、ここに居るのが当然と言えば当然なのだが……心の準備をしていなかったニーナは、レナスと二人で居る時に彼と顔を合わせたことで少なからず動揺していた。
しかし傍目には相変わらず無表情のままなので、外から見てそれに気付ける人間は居なかっただろう。
「アキ教授、ニーナが見学しても構いませんでしょう?」
レナスがおねだりする子供のように、甘えた口調でアキを見上げた。
その可憐さと、純真無垢なようで色気も含んだ表情には教授と言えど逆らえない。
「許しましょう」
だがレナスを見下ろしてニッコリ笑ったアキの笑顔も、直視した女を卒倒させるぐらいの威力を含めていた。
顔を輝かせうっとりとアキを見つめ、胸元で手を握りしめるレナスは完全に恋する少女だった。
一見、美貌のバカップルにしか見えない二人。しかしアキの腹黒さを知っている分、ニーナは複雑な気分だった。
レナスにアキとのことがバレたら……という思いがますます強くなる。
思わず身震いした。
「では練習を始めましょう」
アキの声に、出演者たちはバラバラと自分の持ち場へと動く。
レナスの信奉者たちは教室の片隅に集まり、ニーナはその反対側の隅に収まった。
壁に寄りかかり、祭の練習を見つめる。
娼婦は客に唄や踊りを披露することも仕事のうちだ。
ウィッチグラスのような高級娼館であれば、娼婦たちに求められる芸事のレベルも高い。
幼い頃から一流の技術を見て育って来たニーナは、芸術に対して鋭い感性を持っていた。
花祭りの舞台の善し悪しは、音楽教授による演出と構成にかかっている。
見たところアキのセンスは悪くない。今年は群舞とコーラスによる構成にしたようだ。
唄い手たちの中で一生懸命に歌っているレナスも、初々しさが微笑ましい。
「どうだ? 舞台の出来は」
いつの間にかニーナの隣に来たアキが、出演者たちを見つめながら口を動かさずに呟いた。
「今回はソリストが居ないんだ?」
「ソロをやれるだけの実力者が居なくてな」
「群舞とコーラスだけにするほうが難しいじゃないの。全体の調和を保たなきゃいけないから」
一瞬だけ、ニーナとアキの視線がぶつかった。お互いに相手の芸術的センスの高さに思わず感心してしまったせいだ。
「……襲撃事件のことは知ってるか?」
即座に舞台の方へと向き直ったアキが尋ねる。
「ついさっき、レナスから聞いたところ」
アキが頷いた。
「犯人は指輪を盗み出した悪魔だ」
「その根拠は」
「あの指輪は、身につけた者の力を増大させる。俺は巨大な魔力の固まりを追って人間界へと来た。
それが、この学園まで来たときに気配が消えた。つまり悪魔の身から指輪が離れたことを意味している。
そこから考えられることは、奴が指輪を隠したか紛失したか……だ」
そこまで言ってアキは話を中断すると、踊り手たちを指導するために離れて行った。
アキは踊り手の一人一人に対して細かい指導をした後、しばらくの間、群舞のみの練習をすることに決めたようだ。
唄い手たちはアキのお呼びがかかるまで、思い思いの休憩に入る。
レナスがニーナの下へと駆け寄って来た。
「どうだった? ニーナ」
「良かったよ。唄が上手くなったねぇ、レナス」
お世辞抜きのニーナの賛美に、嬉しそうに微笑んだレナスが「ところで……」と続ける。
「アキ教授と何をお話ししていたの?」
「……ああ、舞台の構成が素晴らしいですねって」
アキとニーナは顔を合わさないようにして、口も動かさないようにして会話をしていた。
にも関わらず、離れた舞台にいたはずのレナスがそれに気づくとは……これが恋する女の直感、というやつだろうか。
だがニーナの返事は嘘ではない。確かにアキと舞台の構成について会話を交わした。
嘘ではないが全てではない。こういう言葉は罪悪感なく話せる上に具体性があるので、相手にとって強い信憑性を持つ。
案の定レナスも、何の疑いも持たなかったようだ。
こんなテクニックを無意識のうちに駆使するニーナのことを、娼婦たちは「男に生まれていれば凄腕のジゴロになっただろう」と囁き合っている。
「……ねえ、今年もニーナには参加要請がなかったの?」
レナスの肩ごしに彼女の信奉者たちの嫉妬の視線と対峙していたニーナだったが、何か不穏な気配の込められたレナスの声に、視線を戻す。
「来るわけないでしょーが。
毎年、唄い手や踊り手に選ばれるのは、音楽の授業をとってるか音楽クラブに所属してる生徒だけなんだから。
それに私が舞台に立つなんて快く思わない人間のが多いからね。生徒も教授も」
「くだらないわ、そんな偏見」
吐き捨てるように言うレナス。
去年は憤慨し「教授棟に乗り込んで抗議するわ!」と激昂したものだが。多少は感情を抑えることが出来るようになったらしい。
「教授陣に一服盛ってやろうかしら」
だが行き着く結論は去年から全く変わってない。むしろ凶悪になっている。
ニーナはため息をつきながらも、レナスが自分のことを心底思ってくれているのが分かって、少し嬉しくも感じていた。
「いいんだってば、レナス。私はあんたの晴れ姿が見られれば、それで十分。
ほら、練習始まるみたいよ」
レナスが驚いて振り向くと、アキの指示で再び全体練習が始められようとしていた。
「あ、じゃあ、ニーナ。また後でね」
片手をあげて挨拶したレナスに、はいはいと笑って自分も片手を上げようとしたニーナは、彼女の指にあるものを見つけて眉を潜めた。
白くほっそりとした指にはめられていたのは、細い金の指輪。
踊り手、唄い手、魔法の使い手。花祭りの運営に関わる人間全員に配られる、魔力の制御装置。
「……盗まれた指輪っていうのは、どんなデザインなわけ?」
再び隣に戻って来たアキに問いかける。
アキは「ほう」と呟いて片眉を上げた。その表情から、何だか知らないがアキが自分のことを見直したのが分かる。
「いたってシンプルな金の指輪だ」
「あの制御装置に似てるんでしょ」
ニーナの言葉に、間違いなくアキはニヤリと笑った。
「よく気づいたな」
「笑ってる場合じゃないでしょうが。私の推測を話すから、アキの思ってることと違ってたら教えて。
……恐らく、アキに追われた悪魔はこの学園に逃げ込んだ。追っ手がすぐ後ろに迫って来ている。どうすれば良いか。
そこで悪魔は見つけたのよね、制御装置の入った箱を。
似たような指輪がたくさん入っている、その中に、盗んだ指輪を紛れ込ませた」
横目でアキを見上げたが、彼は相変わらず微笑みを口元に浮かべたまま舞台を見つめている。
そんな彼に構わず説明を続けた。
「悪魔はこの学園に潜んで、追っ手が諦めるまで気長に待つつもりだった。
ところが春の花祭りのために生徒に制御装置が貸し出されたものだから、隠した指輪を見失ってしまった。
指輪はそれを身につけた者の魔力を増幅させる。パニックに陥った悪魔は、魔力の高い生徒を次々に襲っては荷物を奪って指輪の行方を探した」
相変わらず舞台を見つめたまま、アキが頷いて口を開いた。
「花祭りの練習期間中、制御装置は音楽教授と、花魔法の教授、風魔法の教授によって生徒に受け渡される。
俺が管理する分は練習開始と共に生徒に配り、練習終了とともに回収しているが、他の二人の教授は祭りが終わるまで生徒に預けっぱなしらしい。
……ちょっと管理がずさんすぎないか? それほど安いものでも無いっていうのに」
ブツブツと独り言のように呟くアキの、苛立ちが伝わってくる。
「じゃあ、花魔法か風魔法の使い手が指輪を持ってるってこと?」
もしアキの管理しているものの中に問題の指輪があったなら、とっくに見つかっているはずだ。
「その通りだ。盗んだ奴もバカじゃない。今頃はそのことに気づいているだろう」
アキが首を曲げて、ニーナの目を真っ正面から見つめた。
「この後の予定を空けておけ。奴よりも先に指輪を見つけるぞ」