5、襲撃事件
石造りの建物の中を、眉間に皺を寄せて腕組みをしたニーナが歩いていた。
窓が小さくて差し込んでくる光が少ないせいか、薄暗い廊下の中はひんやりとしている。
ニーナが腕を組んでいるのは、悩み事のせいだけではなく肌寒さから身を守るためでもあった。
ここはレナスの所属する貴族クラスの校舎。本来ならばニーナが足を踏み入れるような場所ではない。
にもかかわらず彼女がここに居るのは、盗まれた宝物と窃盗犯の悪魔を見つけるためにレナスの力を借りようと思ったからだ。
「生徒の中に不審な動きをしている奴が居るとか、妙なものを拾ったとか、情報収集をしてくれ」
アキにそう言われ、ニーナは頷いた。しかし……
「完全にアキの人選ミスだな」
天井を見上げて溜め息をつく。
レナスを除けば、ニーナには友人らしい友人が居なかった。
元々彼女の性格が社交的でなかったせいもあるが、ニーナと積極的に関わろうとする子供たちも居なかったのである。
ニーナには、同世代の子供たちから距離を置かれる条件が揃いすぎていた。
捨て子で、娼館に住んでいて、魔力が低い。それなのに一般科目は成績優秀。そして大人に囲まれて育った子供特有の落ち着きを持っていたため、よそよそしく他人を受け付けない雰囲気に見えた。
そんな彼女をからかいや嘲り、嫉妬や中傷の的にすることはあっても、友人として踏み込んだ付き合いをしようとする子供は居なかった。
そのことがまた、ニーナをますます非社交的な人間にしていったのだ。
友人が居ないことを今更嘆くつもりもないし、無理して作ろうとも思わない。だが、今まで興味がなかった生徒同士の噂話やゴシップを集めなければいけない今、途方にくれていた。
考えた末ニーナは、レナスに協力してもらおうと思った。
本人が望もうと望むまいと、レナスの周囲には常に取り巻きが集まってくる。彼らから噂話やゴシップを聞かされているレナスであれば、変わった出来事があれば知っているに違いない。
なんだか友情を利用するようで後ろめたい気がするし、今までそういう話題に興味が無かったニーナが急に関心を見せても不審がられるだろうし……どうしようか。
「ニーナ?」
間違えようのないレナスの声が背後から聞こえ、心臓が跳ね上がる。
動揺を押し隠し平静を装って振り向いたニーナだったが、意外な光景に思わず目が点になってしまった。
レナスの背後に大勢の男子生徒が連なっている。
類稀な美貌の持ち主であるレナスの信奉者は多い。少年たちに囲まれるレナスの姿は、もはや学園では当たり前の光景となっていた。だが……。
それにしたって多すぎる、と廊下いっぱいに広がっている男子生徒を見ながらレナスは思った。
一体、何事だろうか。
彼らは庶民クラスのニーナを横目で見ながら、ひそひそと囁きあっている。不快の表情を隠そうともしない生徒も居る。
しかしレナスの手前、あからさまにニーナを侮蔑しようとする人間は居ないようだ。
「どうしたの? あなたが来るなんて珍しいわね。でも、会えて嬉しいわ。話したいことがあったの」
純粋に喜びを浮かべるレナスの表情と、後ろの取り巻きの表情とのコントラストが面白くてニーナが苦笑する。
「ちょっとね。話したいことって?」
「これから春の花祭りの練習があるんだけど、見学しない?」
レナスの言葉にニーナは考えた。
春の花祭りは学園の恒例行事の一つで、特に女生徒にとっては楽しみなイベントだ。
花神の加護を受けた教授と生徒が大量の花びらを生み出し、風神の加護を受けた教授と生徒が祭の間中それを宙に舞わせる、幻想的で華やかな祭。
中庭に設けられた舞台の上では、選ばれた女生徒たちによる唄と踊りが繰り広げられる。
男子生徒は、参加者の中からこれと見定めた少女に花冠を贈る。
少女が、花冠と同じ花を相手の胸ポケットに挿すと求愛を受け入れたことになる。逆に、魔法で花冠を分解されると断りの意味になる。
普段は地味な制服をまとった少女たちが美しく着飾ることのできる機会であると共に、将来の伴侶を見つける可能性のあるイベントなのだ。
去年のレナスは信奉者たちから差し出される花冠を分解することに忙しく、地面につもった花びらに彼女の足首が埋まるほどだった。
「練習……ってことは、何かの役をもらったの?」
「ええ。唄い手の一人に選ばれたのよ」
頬を染め、はにかみながら言うレナス。
踊り手や唄い手に選ばれるのは、ほとんどの女生徒たちの夢と言っても良い。
春の訪れを神に感謝し、全校生徒の代表として踊りと唄を奉納する栄誉な役目だからだ。
当然、それだけの実力を持った者でなければ選ばれない。
しかしレナスが喜ぶ理由は、他にもある。
誰もかなわないほどの魔力を持ち、ゆくゆくは王宮つき魔術師か賢者にと望まれ、将来は安泰だと言われているレナス。だが彼女は密かにプロの唄い手になりたいと思っていた。
音楽の授業にも音楽クラブにも熱心に取り組んできたレナスは、今回、唄い手に抜擢されたことで張り切っていた。
レナスの本当の夢を知っているニーナも、微笑ましい気持ちで喜ぶ友人の姿を眺める。
「良かったね、レナス。私も練習してるとこ、見てみたい」
午後の授業があったが、一回サボッた程度で困るようなことは無い。
顔を輝かせたレナスがニーナの腕を取って歩き出す。
腕を組んで歩く二人の少女の後から、面白くなさそうな顔をした男子生徒がゾロゾロとついて来た。
「ところでコレ、どうしたの?」
隣のレナスに顔を向けて尋ねる。何が言いたいかは通じるはずだ。
「ああ……護衛なんですって」
「護衛?」
レナスが肩をすくめる。
「例の襲撃事件のせいよ」
きょとんとしたニーナの顔を見て、呆れたようにレナスが続ける。
「知らないの? 被害者の一人はあなたのクラスメートじゃないの」
言われて思い出す。
数日前、アリエスというクラスメートが帰宅途中に何者かに襲われたとジン教授から聞かされた。
道を歩いていたら突然、背後から何らかの衝撃を受けて気を失ったとのこと。
しばらくして意識を取り戻すと、カバンを持ち去られていたという。
乱暴された形跡もなく、荷物を奪われただけなので単なる物盗りの犯行だと思われた。
盗られたものの中に貴重品があったわけでもなく、登下校の際は気をつけるようにとの忠告だけでその話は終わった。
「ほかにも被害者が居たなんて知らなかった」
「貴族クラスの生徒が二人、襲われたの。アリエスが襲われる前に一人と、アリエスの後に一人。どちらも下級貴族の子だったから徒歩で登下校してたらしいわ。
この三人には、ある共通点があったの。皆、魔力が高かったのよ」
「それで、この事態になったわけか」
ニーナは納得した。
魔力の高い生徒が三人も襲われた。必然的に、次に狙われるのも魔力の高い人間だと予想される。
そうすると当然ながら、学園中で最も魔力の高いレナスが標的になる可能性が出てくるわけだ。
実際のところ、彼女の登下校には送迎馬車も警護の者もついているし、襲撃者を魔法で撃退することなど簡単だから護衛が必要とは思えない。
けれどレナスと親しくなりたいと思っている男子生徒にとって、今回の事件は願ってもないチャンスであろう。
護衛という大義名分のもと、堂々と彼女に近づくことが出来るのだから。
「心配するなレナス。どんな奴が来ても、俺が君を守るから」
レナスの真後ろに控えていた男子生徒が、なれなれしく彼女の肩に手を乗せた。
その言葉を無視して、相変わらず前方を見つめ続けているレナス。だが、その眉間がわずかに陰ったことにニーナは気がついた。
首を巡らして男の顔を見る。
濃い茶色の髪と、整った顔。オルセー次期子爵、ウィードだ。
女受けする甘いマスクの持ち主だが、隠しきれない好色で下品な雰囲気が全てを台無しにしている。
今も、他の男子生徒たちに自分とレナスの親しさを見せつけようとしているのが明らかだ。
その親しさも完全にウィードの思い込みによるものだけで、うぬぼれが強く傲慢な彼などレナスの眼中にないのだが。
完全に黙り込んだ二人をよそに、そのままウィードはベラベラと話し続け、ついにそれは音楽室に到着するまで続けられたのだった。