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神と悪魔と人魚  作者: 山川四季
第三章:揺るぐ心(秋)
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4、ジェイレンティスキ

 部屋の中から完全にアキの気配が消えた。

 何かが身体の中から抜け落ちたような、奇妙な喪失感がニーナを襲う。空気までもが急に涼しくなったように感じた。

 そんな自分に戸惑いつつ、アキが乱した髪を撫でつけながらニーナは振り向いた。


「兄弟、なんだ」

「……」


 ジェイは答えない。ニーナはそれを肯定と捉えた。

 アキはジェイを弟だと言ったが、なるほど、そう言われてみると彼はアキに似ていた。肌と瞳の色は違うが、綺麗な銀色の髪は同じだ。すっと通った鼻筋も似ている。

 その形の良さに感心しながら、彼の顔を見つめ続けるニーナ。

 一方ジェイは無言のまま、ニーナと視線を合わせようともしない。


「あの」

「言われなくても義兄上と似ていないことぐらい分かっている。悪かったな、私のようなものが代役で」


 口を開きかけたニーナを、ジェイが強い口調で遮った。

 予期しない反応にびっくりする彼女の顔を、ジェイは鼻に皺を寄せて睨みつけている。これ以上その話題は許さないと言わんばかりの態度だ。

 どうやら、ニーナが自分とアキを比較して失望していると勝手に思い込んでいるらしい。

 こういう被害妄想を相手にしても話がこじれるだけのことが多いし、面倒くさい。

 ニーナはジェイの言葉を否定も肯定もせず、聞き流すことにした。


「えーと、これからよろしくお願いします? ジェイ教授」

「言っておくが私はお前と慣れあうつもりはない。義兄上の頼みだから守ってやる、それだけだ」


 でなければ誰が使い魔ごときに、と吐き捨てるジェイ。

 取りつく島もない態度だが、ニーナは気にしなかった。


「別に構いません。それよりも……私は守られる必要があるのですか?」


 小首を傾げて疑問を口にするニーナ。

 使い魔の身を守る義務が主人にはある、とアキから聞かされてはいる。だが悪と混乱の象徴である闇世界と違ってここは人間界だ。そうそう身の危険を感じるような出来事が起きるわけではない。

 実際、夏の事件以降は平穏な日々が続いており、彼女にはアキに守られているという実感はなかった。

 たっぷり魔力も注入してもらったのだから、アキが居ない間ぐらい一人でも大丈夫なのではないかと思ったのだ。

 そんなニーナに、ジェイが「浅はかな娘め」と舌打ちする。

 彼は胸の所で腕組みをすると、アキが闇世界へ戻った理由を説明した。

 アキとジェイに敵対する危険人物が牢獄から脱走したこと。ターマ事件の影響で今の人間界には悪魔や善魔が頻繁に出入りしていること。そんな彼等に、アキの使い魔という存在を知られてはならないこと。


「知られるとまずいの? なぜ?」

「通常の部下と違い、使い魔と主人との間には深い繋がりが存在する。だから使い魔を利用して主人に害を為そうとする輩は多い」

「利用って……」

「使い魔が誘拐されるのはよくある話だが、無事に帰ってきた者など居ない。身体の一部でも帰ってくればいい方だな。だがそれでも、無傷で、おまけに毒やら爆発物やら仕込まれていないものなどあったためしがない」


 淡々と語るジェイの口調に、ゾッとして蒼褪めるニーナ。

 しかしその変化は、薄暗い室内の中で他人が見分けられるほどハッキリしたものではなく、はたから見ると彼女は相変わらず無表情で落ち着き払っているように見えた。

 それが気に食わないジェイは声を荒げる。


「だから義兄上は使い魔を持たなかったのだ! あの方は敵が多い。使い魔など足手まといでしかないからな。一時的に下位の悪魔を使い魔にすることはあっても、用事が済めばすぐに解放していた」

「え?」


 ニーナは思わずジェイに聞き返した。

 じっと彼を見つめる彼女の眼差しと表情には、「なぜ自分は解放されていないのか」という無言の問いかけが込められている。

 その視線にジェイは一瞬口ごもるような気配を見せたが、すぐに元の調子に戻って答えた。


「今は三世界がごたごたしているからな。事態が落ち着いてから解放するつもりなのだろう」

「……そう」


 ニーナは冷めた口調で呟いた。まるで一切の興味を失ってしまったかのように。だが実際の所、まるで激しい波で揺さぶられているかのように胸の中は荒れていた。

 いつかアキが契約を解除して闇世界へ帰る。そのことは今までも理解していたつもりだったが、それは「いつか」であって具体的な話として考えたことはなかった。

 けれど今、ジェイの口から「近い未来の話」として伝えられると、急に現実味を帯びて感じられた。

 自分に背を向けて去って行くアキの姿が頭に浮かび――眩暈に似た感覚に視界が揺れ、心臓がギュっと縮んだ。

 視線をジェイの顔から逸らし、滲み出そうになる涙を必死でこらえる。冷静な頭の中とは裏腹に、身体の反応はひどく動揺した時のそれであり、自分でもどうしたら良いのか分からずに呆然と立ちすくむ。

 しばらくして落ち着きを取り戻したニーナは、あることに気がついて顔をしかめた。


「……つまり私の身が危険なのはアキのせいだと。とばっちりを受けているわけね……」


 騒動の原因となった2つの事件は、元々ニーナには全く関わりのないことだったのだ。

 アキに何の意図があるのか知らないが、指輪の盗難事件が終わった時点で使い魔の契約を解除してくれていれば、こんなことに巻き込まれずには済んだのでは。

 けれどニーナの呻き声を聴いたジェイは、目を剝いて怒鳴り声を上げた。


「口を慎め! 本来であれば義兄上はお前ごとき人間が気安く口をきけるような立場ではないのだぞ」

「はあ」


 そう言われてもニーナは闇世界におけるアキの地位など知らない。かなりの実力者なのだろうとは思っていたが、聞いてみようと思ったことはなかった。どうせ聞いても分からないだろうとも思う。

 しかしそれを口に出すとジェイの逆鱗の触れそうなので、黙っておくだけの分別はあった。


「義兄上の使い魔になれるというのは、その身に過ぎる幸運なのだ」

「……不運の間違いでは」

「何か言ったか」

「いいえ別に」


 すでにニーナは、ジェイのアキに対する想いが尊敬レベルを超えて崇拝にまで達していることを見抜いていた。

 いかにアキが素晴らしいか熱を込めて説明するジェイを前に、かすかに眉をひそめるニーナ。

 義兄への賞賛。そして先ほど、自分とアキを比較されたと勘違いした時の卑屈な反応。


(そうとう根深い劣等感があるみたいだなぁ)


 ジェイにとってアキは尊敬してやまない対象である。同時に、劣っている自分を嫌でも自覚させられる存在でもあるのだろう。

 兄弟ということで比較されて育って来たのではないかとニーナは想像した。

 別に自分の予想が当たっていようと外れていようと構わないので、聞いて確かめようとは思わなかったが。

 それにしても、これほどまでに肉親のことを愛する悪魔というのは珍しいのではないだろうか。詳しくは知らないが、本質が悪である彼等は、なんとなく家族への情愛じょうあいというものが希薄な気がしていた。


「――というわけだ。分かったか」


 はっとニーナが気がつくと、わずかに頬を紅潮させたジェイが息を切らしながら自分を睨んでいた。


「分かりました」


 ほとんど上の空だったくせに、しれっとニーナは答えてみせた。

 彼女は自分の無表情がこんな時は強い武器になることを知っている。大真面目な顔で断言されると、相手はどこか疑わしく思いながらも引き下がるのだ。

 けれどジェイは彼女の返事を全面的に信じたらしく、満足そうに頷くと、水差しを取り上げて喉を潤した。

 悪魔なのに人間の嘘に騙されるのはどうなんだろう、という考えを胸の中にしまい込むニーナ。

 よほど喉が渇いたのか、ジェイは何度もグラスに水をついではそれを飲み干していた。


「アキとジェイの敵って、強いの?」


 思い出したように疑問を口にしたニーナの言葉に、ジェイの手が止まる。

 手の中のグラスを見つめる彼の瞳は、動揺したように揺れていた。しばらく迷った後、ジェイは大きなため息を吐き出すと、疲れた顔をニーナに向けた。


「……ああ。強い」

「どのくらい?」

「義兄上の次に強い」

「でも自分に次ぐ実力者はジェイだ、ってアキが」

「あれは義兄上が私の顔を立てただけに過ぎない。実際は私など……」


 表情を曇らせるジェイを見ながら、ニーナは心の中で(そうかなぁ?)と疑問に感じていた。

 アキは間違ってもお世辞を言うタイプではない。たとえ肉親の情があろうとも、弱い者を強いと言うようなことはしないはずだ。

 ジェイが自分に自信がないのか、アキへの劣等感が強すぎるのか、それとも『敵』がよほど強い相手なのか――。


「もしその相手との戦いが長引いて、アキが帰ってこなかったら、私は死ぬの?」


『定期的に契約者の魔力を受け入れなければ、使い魔は身体が腐って崩れ落ちる』

 かつてのアキの台詞を思い出しながらニーナが聞いた。

 ジェイは顔を上げ、「死ぬのが恐いか?」と囁く。

 目の前の少女は自分の生死に関わる話をしているというのに、まるで他人事のように落ち着いていた。怯えたり恐れたりする様子は見せず、相変わらず何を考えているのか分からない。

 彼女は少し視線を彷徨わせたあと、肩をすくめてみせた。


「分からない」


 残念だ、とは思う。成人する前に人生が終わってしまうことも、色々なことを中途半端にやり残してこの世を去るのも。

 自分が死んだと知った時の親しい人たちの反応を想像すると、思わず泣きそうになるほど悲しい。苦しい思いをさせてしまうことを申し訳ないと思う。

 だけど、どこかで死ぬことを「仕方ない」と思っている自分が居る。


「……その、すぐに考え込む癖はどうにかならないのか」


 思いのほか近い位置から呆れたような声が聞こえ、驚いて顔を上げるとジェイが目の前に立っていた。


「あ、ごめんなさい」


 ニーナが素直に謝罪すると、ジェイが意外そうな顔をした。

 時々こうして他人から指摘されるのだが、ニーナは考え事をする時に自分の世界に入り込む癖がある。むっつりと黙り込み、近くに人が居ようと居まいと気にしない。

 一人で居る時にこうなるのは問題ないのだが、誰かと一緒に居る時だと、相手は非常に困惑することになる。先ほどまで一緒に会話をしていたはずの相手が急に黙り込んでしまうのだから。

 気心の知れた相手を別として、他人と一緒に居る時はこの癖が出ないようニーナも気を付けているのだが、ジェイがアキに似ているのでつい油断してしまったようだ。

 さぞかしジェイに居心地の悪い思いをさせただろうと、反省した様子で項垂れるニーナ。

 どんな話をしても動じることのなかった彼女が、初めて人間らしい反応を見せたように感じられ、ジェイは興味を惹かれた。同時に、いつも取り澄ましているニーナの態度をもっと崩してやりたいという欲求が沸き上がる。

 彼は横目でニーナを見た後、少しからかってやることにした。


「もし義兄上の戻りが遅くなっても、私が代わりに魔力を注入することができる」

「本当に? 契約者じゃない悪魔にもそんなことが出来るの?」


 目を丸くするニーナに、ジェイは頷いた。


「ああ。義兄上と私に血の繋がりがあるからな」

「そういうもの、なんだ」


 ニーナはぎこちなく返事をするのが精いっぱいだった。

 死なずに済むと知って安堵した気持ち。つまり自分はやはり死ぬのが恐かったのだろうかと疑問に思う気持ち。そして必ずしも契約者本人でなくても魔力を注入できるという事実に拍子抜けした気持ちが入り混じり、彼女は軽く混乱していた。


「義兄上と同じようなやり方がいいか?」


 ジェイはそう言うと、返事をする隙も与えずニーナの身体をソファの上に押し倒した。そのまま圧し掛かるようにして身体の自由を奪う。


「……っ」


 ニーナが息を呑み、至近距離で交錯する視線。

 けれど、全く焦った様子のない瞳にじっと見つめられ、困惑した表情を浮かべたのは押し倒したジェイの方だった。


「……抵抗しないのか?」


 眉を潜め、低い声で呟くジェイ。

 ニーナは目を伏せてしばらく考えたあと、上目使いで彼の顔を見上げた。

 その視線にジェイの胸がドキリと高鳴る。

 彼女はゆっくりと片手を上げると、手の甲で彼の頬に触れた。柔らかくて温かい感触に、今度はジェイが息を呑んだ。


「抵抗して欲しいの?」

「なっ……」


 大真面目な顔で聞き返すニーナに、ジェイは狼狽える。

 彼女に言ってやりたいことは山ほどあるのに、口は言葉の紡ぎ方を忘れてしまったかのようだ。黒い瞳に覗き込まれ、みるみるうちに自分が赤面するのがジェイには分かった。

 彼は勢い良く身を起こすとその場から離れ、ニーナに背を向けて立った。

 ソファに座り直したニーナは、訝しげな顔でその後姿を見つめる。


「……もう帰れ」


 やがて、やっと聞き取れるかどうかというほど低い声でジェイが言った。その不機嫌さたるや、今まで見せた中で一番だ。しかも敵意まで込められているように感じられる。

 ニーナは彼の豹変ぶりが激しすぎて立ち上がることもできずにまごついていた。

 するとジェイが苛ついた様子で「聞こえなかったのか? さっさと帰れ!」と怒鳴り声を上げた。

 ビクリと身体を震わせたニーナは、だが、静かに立ち上がると「失礼しました」と一礼し、そっと室内から退出した。

 その間中ずっと、ジェイは怒った様子で彼女の方を見ようとはしなかった。

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