1、それぞれの恋(ミレイユ)3
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、癒術室のドアが轟音と共に吹き飛んだ。
「ヒーリス! ヒーリスは居ないか!」
血相を変えて飛び込んできたブリーズの腕の中には、ぐったりとしたミレイユの姿があった。彼女の左腕は真っ赤に染まり、白い額には脂汗が浮かんでいる。
「ヒーリス様は只今、兵士たちの往診をなさっております」
部屋の中で机に向かっていた少女が、立ち上がりながら言った。
彼女は一目で事の重大さを理解したようだ。パニック状態のブリーズに、ミレイユを寝台に横たえるように指示を出した。
傷口の様子を調べた少女の顔に、険しい表情が浮かぶ。
「一体どこでこんな怪我を……」
「わからない。研究中に突然悲鳴が上がって……私が振り向いた時には、既に出血していたんだ」
ミレイユの腕には鋭利な刃物で切られたような傷が、ぱっくりと口を開いていた。
「私に出来るのは応急処置のみです。貴方はヒーリス様を呼んで来てください。早く!」
少女がブリーズを振り向いて叫ぶ。彼は慌てて頷くと、来た時と同じように全速力で走り去った。
その姿を見送る時間も惜しい。少女は急いで戸棚に近づき、小さな瓶を取り出した。中には黄色い粉末が入っている。
彼女はそれを小皿に出し、ミレイユの側へ駆け寄ると、傷口から溢れる血を皿に受けた。
粉末に触れた瞬間、血液は透明な液体に変わる。一滴の血液から、十倍の量の透明な液体が生み出された。
やがて小皿いっぱいに作られた液体を、少女は慎重にミレイユの傷口に垂らしていった。液体の触れた場所から、血の泡が盛り上がる。治療を行う少女の額にも、汗が滲んでいた。
全ての液体を傷口にまんべんなく垂らした後、少女は崩れるように椅子に座り込んだ。
ミレイユの怪我はひどいものだった。大きな血管が傷ついたせいで出血が多すぎたし、恐らく神経も切れていたことだろう。
少女は大きくため息をつくと、汗でミレイユの額に貼りついている黒髪をそっと払ってやった。
ブリーズが安易に治癒魔法を使わないでいてくれて良かった。これほどの怪我になると、後遺症が残ってしまう可能性が高い。専門の技術を持った癒術師の手に任せるのが一番だ。
(それにしても……)
困惑した顔で、横たわる患者の顔を見つめる。まだまだ幼さの残る顔が苦悶に歪んでいた。
こんな年端もいかない娘が、どうして、なぜこのような大怪我をしなければならないのか。
その理由が簡単に推測できてしまう自分に、少女はやるせない気持ちになった。
***
目を覚ましたミレイユは、見知らぬ天井をぼんやりと眺めた。どうしてこんなに身体がだるいのだろう。首を動かすことですら億劫で仕方がない。
「気がついたのね」
突然上から覗き込まれたミレイユは、息が止まるほど驚いた。それは間違いなくあの女神の顔だったのである。
何度も夢見たその顔は、想像の中で思い浮かべたものよりも何倍も美しかった。
「あ、あの……」
「患者はどこだ!」
話しかけようとしたミレイユの声は、乱入してきた怒鳴り声にかき消された。
「ヒーリス先生」
女神がホッとした顔で、現れた男性を振り返る。熊のような風貌の男性の後ろで、ブリーズが荒い息をついていた。
「ああ、レイチェル! お前が居てくれたか」
「ええ……とりあえず応急処置を施しておきました」
「と言うと?」
「バンノーマを使わせていただきました」
「なんとなんと! 高価な薬を使ってくれたものだ。だがそれだけ緊急の事態だったのだろうし、応急処置としては上出来だ!」
ヒーリスは愉快そうに笑うと、レイチェルの肩を抱えた。その目には可愛くて仕方ないという愛情が浮かんでいる。
「ヒーリス! そんなことより早く治療を……」
ミレイユを放置して呑気な雰囲気を醸し出すヒーリスに、ブリーズが噛みついた。
「ああ、怒るな怒るな。バンノーマを使った後ならそんなに急がなくても大丈夫だ。……この娘がお前の秘蔵っ子だな」
ヒーリスは巨体に似合わない滑らかな動きでミレイユの側に腰かけると、傷口を丹念に調べ始めた。
「うん、バンノーマも適量だったみたいだな。全く運が良い、レイチェルがこの場に居てくれて。俺の弟子たちよりも腕が良いんだからな。本当に惜しいぜ癒術師にならないのは……」
独り言を呟きながら、ヒーリスは親指でゆっくりと円を描くようにミレイユの傷口を撫でていく。その手元は淡く緑色に光っていた。
「ほい、出来上がりだ。しばらくの間はひきつるような痛みがあるかもしれないから無理するな。それにしても、どうしてこんな大怪我を負ったんだ?」
ヒーリスが不思議そうな声を上げる。その後ろで佇んでいた、ブリーズとレイチェルの視線までもが自分に集中するのをミレイユは感じた。
「あ……」
ごくり、と唾を飲み込む。喉元に大きな空気の塊がつかえてしまったように息苦しい。
ブリーズは痛いほど自分のことを心配してくれている。そして女神も……。
この二人の前で嘘を言わなければならないと思うと、胸が痛かった。けれど、そうしなければいけないことも分かっていた。
王宮で生きていくためには。
「わ、私……何も覚えてないんです」
顔をそむけたミレイユは、壁を見ながら弱々しい声で呟いた。
一粒だけ零れ落ちた涙が、頬をつたってシーツに吸い込まれていった。
***
「あ、あの、レイチェルさん……」
温室の扉を開けたミレイユは、おずおずと声をかけた。
「あら。あなただったの」
顔を上げたレイチェルがにっこりと微笑んだ。それだけでミレイユは舞い上がって緊張してしまう。
入って入って、と手招きしながらレイチェルは「私は貴族じゃないし、呼び捨てで良いわよ」と言った。
「レイチェル……」
嬉しそうな笑顔を浮かべながら、ミレイユがいそいそと近寄る。
「わ、私はミレイユ・ハリバートン。私のこともミレイユって呼んでくれますか?」
レイチェルは一瞬だけ眉を上げたものの、すぐに「あなたがそう呼んで欲しいのなら、もちろんよ。ミレイユ」と微笑んだ。
真っ赤になったミレイユを見下ろしながら、レイチェルが小首を傾げた。
「そう、あなたが噂のミレイユ・ハリバートンだったのね」
噂の? どんな噂なのだろう。
不安そうな表情を浮かべたミレイユの頬を、いたずらっ子のような笑顔を浮かべたレイチェルがつつく。
「あなた、三大美女の一人なのよ」
「三大美女……?」
「この王宮に居る女性の中で、最も美しい三人のうちの一人ってことよ。一人は私。もう一人はあなた。最後の一人は水魔法の神童と言われているアニー・ブラウン・バッカスよ」
ミレイユは目を丸くした。こんな自分がこの女神と同列に語られているなんて、とんでもない話だと思ったのだ。
驚きで声も出ない様子の彼女を見ながら、レイチェルは優しく微笑んで尋ねた。
「それで、怪我した所はあれからどう?」
「あ……もうすっかり良くなりました。あなたのお陰だとヒーリス先生もおっしゃってます。私、お礼を言いたくて先生にあなたの居場所を聞いたんです。……こ、ここで何をなさっていたんですか?」
「バンノーマの粉末を作っていたのよ」
「バンノーマって……」
「ええ。あなたの怪我に使った薬。大量に使ってしまったから、補充するために作ってるの」
レイチェルが身体を動かして、先ほどまで向かっていた机の上が見えるようにした。
レモン色の葉がガラス製の蒸し器の中に入っている。その隣にはすり鉢が置いてあった。
「バンノーマは長時間、光に当てないとレモン色にはならないの。ここは私が一昨日から光魔法を使っておいたわ」
温室の一角が区切られ、地面にいくつものランタンが置かれていた。中ではレイチェルの作りだした光球が眩しいほどに輝いている。
「次に、収穫した葉を蒸すの。きっちり二時間。そしてすり潰す」
レイチェルがすり鉢を取り上げ、ミレイユの前に差し出した。覗き込むと、つんとした刺激臭が鼻を刺す。
「これを倍量のお湯で溶かして、布で濾すの。布に残った繊維を、水分が完全に抜けるまで乾かす。そしてまたすり潰してお湯に溶かして濾すの。これを何度も繰り返す。段々と目の細かい布に替えながらね。繊維が針のように細くなるまで繰り返したら、石臼でひく。それで完成よ」
気の遠くなるような話に、ミレイユが思わずため息をついた。
レイチェルが苦笑する。
「この面倒な工程を踏まなければならないから、バンノーマはとても高価な治療薬なの。もう少し簡単にできれば、もっと世間に普及させることが出来るのだけれど……なにしろ完全に水分を抜くことが必要だから、どうしても時間がかかってしまうわ」
「火であぶって水気を飛ばすことは出来ないんですか?」
ミレイユの質問に、残念そうな顔でレイチェルは首を振った。
「乾燥中に高温にさらすと、効果が無くなってしまうの」
「……レイチェル……は、癒術師になりたいんですか?」
彼女に怪我を治してもらって以来、ずっと考えていたことをミレイユは口に出してみた。
もしかしたらレイチェルは、癒術師になりたくても身分のせいで夢がかなわないのかもしれない、と。
けれどレイチェルはミレイユの問いかけを、鈴の音を転がすような声で笑い飛ばした。
「いいえ! ミレイユ、私の仕事が何か聞いてきたんでしょう?」
遠慮がちに頷きながら、ミレイユが答えた。
「宮中娼婦、なんですよね」
「そうよ」
にこやかに言い切ったレイチェルの態度は自信に溢れていて、日陰者の卑屈さなど微塵も感じさせなかった。
「ねえミレイユ、病に悩んでいる娼婦がどのぐらい居ると思う?」
不意に真面目な顔になったレイチェルに問われ、ミレイユが狼狽える。
「えっ、と……」
「十人の娼婦が居れば、九人が何らかの病を患うわ。出産や堕胎の時に命を落とす者も多い。……娼婦の寿命はとても短いの」
レイチェルが視線を落としてバンノーマの葉を見つめる。
まだ娼婦の仕事も、男女のこともよく知らないミレイユは、生々しい話に落ち着かない気分になった。 けれど視線を落としたレイチェルの横顔が痛々しく感じられて、身じろぎせずに彼女の話に聞き入っていた。
「だから私は癒術を学んだわ。癒術魔法は使えなくても、薬草のことを学べば……娼婦を救えると思ったから。本当に、このバンノーマがもっと安ければ……」
もはやミレイユに聞かせるためというより、独り言のように呟くレイチェルは、両手にすくった葉を見つめ続けていた。
それを見ているミレイユの胸は、締め付けられるように痛んだ。じっとレイチェルの顔を見つめ、彼女の手の中の薬草に視線を移す。
先ほど教えられた作業工程を思い返しながらレモン色の葉を見つめていたミレイユの瞳が、段々と見開かれていった。
興奮で胸がドキドキする。果たしてこれは上手くいくのだろうか。でも、考えれば考えるほど、出来そうな気がしてくる。
「レイチェル……」
ミレイユの声音に何かを感じたのか、レイチェルがゆっくりと顔を上げた。
その目を見つめながら、ミレイユは自分の計画をつっかえつっかえ打ち明ける。
「あの、レイチェル……私、あることを考えたの。も、もしかしたら、もっと簡単にバンノーマを作れるようになるかもしれない……」
「本当なの?! どうやって」
興奮してミレイユに詰め寄るレイチェル。その美しい顔を至近距離で見ながら、ミレイユは気持ちを落ち着かせるために一つ、深呼吸をした。
「……今は無理なんです。上手くいくか実験するのに、準備が必要で……しばらく待ってもらえますか?」
***
ミレイユは研究室に戻ると、自分の机の上にノートを広げた。脇目も振らずにペン先を走らせ、あっという間に真っ白いページは図面で埋め尽くされた。
彼女は字を読んだり書いたりするのが苦手だった。ハリバートン家に養女として迎えられてから教育は受けたけれど、まだ他の者より読み書きの作業に時間を要する。
だからミレイユは研究のアイデアをまとめる時、自分のイメージを絵にして残すことを好んだ。彼女が意図したことでは無かったが、それは結果的に彼女の研究内容を盗用から守ることにもなった。他の人間がこっそりノートを覗いても、判別できない不可解な図形しか載っていないからである。
どんどん頭の中に溢れ出てくる思いつきを、出るそばから捕まえては白いノートに縫いつけていく。それはスピードが命の勝負だ。表現方法を考えるために少しでも時間が空けば、アイデアは捕まえようとする手をすり抜けて霧散してしまう。
ミレイユがこの作業に没頭している時は、同僚たちの冷ややかな態度も自分の悩みも、全てが頭の中から消え去っていた。あったのは、イメージが途切れるまで一心不乱に手を動かし続けることのみ。
「終わったか?」
机にペンを置いたミレイユが、フーッと大きく息を吹き出した。そのタイミングを待っていたかのように彼女の背後から声がかかる。
「ブリーズ室長」
振り向いたミレイユは慌てて立ち上がった。自分が作業に集中している時、ブリーズは集中力を途切れさせないよう、決して声をかけてこない。ミレイユはその気づかいを嬉しく思いながらも、彼を長く待たせてしまったのではないかと不安になった。
しかしブリーズの顔には満面の笑みしか浮かんでいなかった。彼はミレイユの肩をポンポンと叩きながら満足そうに告げる。
「おめでとう。陛下が君の研究内容をいたく気に入ったようで、今は実現化に向けて技術部と調整中だ」
「え……あのカゴの件、ですか?」
それは養父とミレイユの共同研究だった。
ハリバートン伯爵は、もっと簡単に人を空に浮かべることが出来ないかと考えた。
これまでは風魔法の使い手でなければ宙に浮かぶことが出来なかった上に、熟練の魔術師であっても魔法の制御が非常に難しかったのである。
卓越した魔法制御力を持つミレイユは、王宮つき魔術師の中で唯一、制御装置なしで空を飛ぶことが出来た。
ハリバートン伯爵から、飛行魔法のどこに最も制御力が必要なのかを問われたミレイユは、己の身体に浮力を持たせることだと説明した。多くの風魔法の魔術師は身体を浮かせるのがやっとで、そのまま空中を移動することまでは出来なかったのである。
そこで炎魔法の魔術師であった伯爵は、熱した気体の浮力を利用することを考えた。
まず巨大な布袋を用意し、人が乗れるぐらいの大きさのカゴと結びつける。カゴには炎魔法と風魔法の魔術師が乗り込む。布袋の口元で炎を焚き、気体が袋の中に充満すればカゴは浮力を得て宙に浮かぶ。そこから先の移動は風魔法で調整するのだ。
この方法であれば難しい魔法は不要なので、制御装置も使わずに空を飛ぶことが出来る。
ハリバートン伯爵とミレイユは、まずミニチュアを作って実験してみた。そして十分に実現が可能だと確信できる結果が出たので、王宮に報告したのである。
「陛下と言うより、皇太子のお気に召したらしい。空を飛んでみたかったと言ってな」
ブリーズが豪快に笑いながらミレイユの頭を撫でた。
「はあ……」
噂に聞いただけだが、皇太子は変わり者という話だった。非常に好奇心が旺盛で、陽気な性格だと言う。養父が軍事利用を念頭に開発した魔法だったが、皇太子であれば自分の愉しみのために使うことも不思議では無かった。
「これからもこの調子で、役に立つ魔法を開発するようにとのお達しだったぞ。よくやったな、ミレイユ。……それは新しい研究か?」
ブリーズがミレイユの頭越しに、開かれたままだったノートを見ながら言った。
はっとして振り返るミレイユ。部屋の中の空気が緊張したのが分かる。
同僚の魔術師たちは、視線こそ決して室長とミレイユに向けないものの、しっかり意識は二人に集中させていた。自分の作業に没頭しているように見えて、ミレイユの研究内容を聞き漏らすまいとしている。
ブリーズのことは信頼しているが、研究内容を他人に明かすなと言う養父の声が蘇える。ズキン、と、治ったはずの腕の傷跡が痛んだ。
「いえ、あの……大したものじゃなくて、レイチェルへのお礼なんです」
ミレイユが言うと、ブリーズは「ああ、彼女には世話になったからな」と納得した顔で頷いた。
だがミレイユが気になったのは、同僚たちの反応だった。レイチェルの名前を出した瞬間、またしても部屋の中の空気が変わったのだ。
(……なんで?)
今までに無い感覚にミレイユが首を傾げる。
その正体は、使いの者に呼び出されてブリーズが退室すると明らかになった。
「娼婦の知り合いだなんてお似合いね!」
緑色の髪の女性魔術師、パティがでヒステリックな笑い声を上げる。
たちまち数人の女性魔術師が同調し、口ぐちにミレイユを罵り始めた。
「よくあんな種類の人間と付き合えるわねぇ」
「そこはほら。似た者同士ということではなくて?」
「おお嫌だ。おぞましいこと」
「いっそあなたも娼婦になれば? お似合いよ」
「おい、やめろよ」
驚いたことに、彼女たちを止めたのは同僚の男性魔術師の一人だった。
「……レイチェルに知られたらマズイことになるぞ」
彼の一言に、パティたちは不満そうに「ふん」と鼻を鳴らして自分の仕事に戻った。
ミレイユも最近知ったことだが、王宮における宮中娼婦の権力は大きいのだ。彼女たちは表だって国政に携わることは無いが、愛人である重臣たちの耳に色々と吹き込むことは出来る。その影響力は無視できない。
なおかつレイチェルは、王宮内で急激に権力を伸ばしていた。彼女が登城してから二年弱しか経っていなかったが、既にその地位は宮中娼婦の中でも上位に位置している。
再びミレイユを無視することに決めた女性魔術師たちと違い、何人かの男性魔術師たちがチラチラとこちらを伺っている。その視線に戸惑っていると、ジリアンが近づいてきた。
意味深な眼差しをした彼は、顔をぐっとミレイユに近づけると小声で囁いた。
「お前、レイチェルと親しいの?」
「え……」
唐突な質問にどう答えて良いか悩んでいると、ジリアンは更に身を乗り出してミレイユに耳打ちした。
「彼女の相手が多すぎて、俺の順番が回ってこないんだよ。お前からレイチェルに頼んでくれないか?」
ミレイユの顔にカッと血が上る。順番、と言うことはつまり……。
至近距離で見たジリアンの瞳には邪な欲望の光が浮かんでいて、ミレイユは恐怖を覚えた。周囲を見渡すと、他の男性魔術師たちも何かを期待するような目で自分を見ている。ジリアンと同じことを考えているのだろう。
そう考えた時、ミレイユは吐き気を覚えた。
「おい、聞いてるのか?」
ジリアンの苛立たしげな声に、ゆっくりと視線を上げる。
「……い、一応、レイチェルには伝えておきます」
どうにか返事をすると、ジリアンは満足げな顔で自分の持ち場へと戻って行った。
呆然と立ちすくんでいたミレイユだったが、しばらくしてハッと我に返り自分のノートへと向き直った。
けれど一向に集中できず、ジリアンの言葉は頭の片隅に何度追いやってもしつこく浮かび上がって来る。
結局その日はそれ以上、仕事にならなかった。