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神と悪魔と人魚  作者: 山川四季
外伝:もう一つの物語Ⅱ
32/46

1、それぞれの恋(ミレイユ)

束の間の平和に語られる、過去のお話し(外伝)

 春の次にやってくる霧の季節はベタつく湿気に悩まされるが、夏が始まってしまうと嘘のように空気は乾燥する。照りつく日差しは暑いけれど、木陰に入れば涼しい。

 ウィッチグラスの庭にある大木の下では、ささやかなお茶会が行われていた。

「美味しいわ、このケーキ」

「イエローベリーがいっぱい採れたから、ちょっと入れてみたの」

 ニーナが焼いたケーキに幸せそうな微笑みを浮かべるレナス。その隣ではビルフレッドがせっせと菓子を頬張っている。彼が意外と甘いもの好きだということが、最近になって分かってきた。

 一方、甘いものの苦手なアキの前にはリキュールの風味が強いケーキが置かれている。これも我が儘な主人のためにニーナがわざわざ作ったものだ。

「本当に美味しいわ。後で作り方を教えてくれない?」

 レナスの一言にビルフレッドの動きが止まる。ティーポットを持ち上げたニーナも、困ったという表情を浮かべて視線を逸らせた。

 近頃のレナスは花嫁修業のつもりなのか、家事をやりたがる。ビルフレッドと結婚したとしても彼女が家事をやる必要は無いのだが、「ビルフレッドのために自分が何かしてあげたい」という欲求に駆られているようだ。

 ところが残念なことに、レナスには料理の才能が無かったらしい。

 ニーナは魔力が弱いために、料理中は魔法に頼らずに全ての工程を手作業で行う。それに比べればレナスは魔法を駆使して効率的に料理できるはずなのに、出来上がるものは……一口食べれば後は二度と見たくない、というものが多かったのである。

「……適当に作ったから、忘れちゃった」

 ニーナが言葉を濁すと「それは残念だわ」とレナスはがっかりした様子だったが、諦めてくれたらしい。

 ビルフレッドは相変わらずの無表情だったが、その目の奥で安堵の光が浮かんでいるのをニーナは見逃さなかった。

 これまでに何度もレナスの「お手製」を食べさせられている彼は、愛しい姫が自分のために作ってくれた料理を残すことなど出来ず、何度も苦行に耐えてきたのだ。

 レナスの気持ちは嬉しいが、正直いつまた「お手製」を持ってこられるかと身構えていたビルフレッドは、目の前で新たな試練が消え去ったことにホッとしていた。

 薬物事件以来、特に大きな事件も無く王都では平和な日々が続いているらしい。

 ビルフレッドはレナスと共に足しげくウィッチグラスに現れるようになった。もちろん客としてではなく、ニーナの友人としてである。

 だが未婚の男女が頻繁に娼館に出入りしているなど、あまり聞こえの良い話では無い。レナスとビルフレッド――今ではニーナも「ビル」と呼べるようになった――は気にしないと言っていたが、彼らに会うのを営業時間外に限定したのは、ニーナなりの配慮であった。

 こんな風に戸外で四人で会う分には、誰もいかがわしいことをしているとは思わないだろう。

 放っておけばレナスとビルは二人の世界に入り込んでしまう。一人でその甘すぎる空気に立ち向かう気力の無かったニーナは、店で寝ていたアキを起こして巻き込むことにした。

 最近のアキは日を置かずに、ほぼ毎日のようにウィッチグラスを訪れては泊まって行く。しかもディジーを抱くわけでもなく、単に食事をして寝るだけのために。

 全く意図の分からない行動だったが、アキは金払いの良い上客だったので、店側としては何の問題も無かった。レンは相変わらず苦い顔をしているけれど、アキが通ってくることを渋々ながら黙認している。

 そして週に一度、全員が寝静まった頃を見計らってニーナはアキの部屋を訪れる。魔力を注入してもらうという名目で。

 なぜ彼が学園で魔力を注入しなくなったのか、ニーナには分からない。アキは一言「見つかる可能性が高くなった」と言っただけだったから。そして彼女も、それ以上の理由は聞かなかったから。例のごとくあっさりと、ニーナは「そうなんだ」の一言で現状を受け入れた。

 昨夜、魔力を注入された時のことを思い出したニーナの鼓動が、早くなった。

 最近のアキはニーナを寝台に横たえると、まず至近距離から顔をじっと見つめてくる。その眼差しに見つめられると、ニーナの身体は不思議な感覚に支配される。指一本動かせない状態のまま、目を逸らすことも出来ずに、彼の次の動きを待つのである。

 やがてゆっくりとアキの顔が近づいてきて、二人の唇が重なる。じっくりと味わうかのように、アキの舌がニーナの口腔内を蠢く。すっかりその動きに慣れたニーナも、少しだけ彼の舌を吸ってみたり、舌先でくすぐってみたりする。その間中、彼女の胸は痛いほどに高鳴り続けるのだ。

 キスしながら、アキの手が優しくニーナの身体を撫でていることもある。その感覚は嫌じゃない。段々とニーナの身体から力が抜けて、すっかりリラックスした状態になるとアキは身体を離すのである。

「また、一週間後に」

 背中を向けたアキにそう言われれば、ニーナは素直に頷いて退室する。けれど身体の奥底から沸き上がる、よく分からない衝動が彼女の身体を火照らせる。繰り返しアキの顔と彼の行為が思い出されて、なかなか寝付くことが出来なかった。

 娼婦たちの会話に耳を傾けて育って来たニーナである。これがいわゆる「性欲」と言うもので、自分は焦らされたために「悶々として」いるのだろうと思った。

 なるほど。これは……たまったもんじゃない。

 今更ながら男性客の言う「生殺し」という言葉の意味を実感し、彼らに深く同情した。しかし客を焦らすのも娼婦のテクニックの一つだ。客のみならず自分の性欲までをもコントロールできるようにならなければ、一人前の娼婦にはなれない。

 自分もいずれは、逆にアキを「生殺し」にするほどの技術を身につけなければいけないのだろう。

 昼間っからニーナが、人知れず色っぽいことを考えてると見抜いたわけではないだろうが、レナスがふと漏らした疑問に彼女の意識は引き戻された。

「そう言えば、以前から不思議だったんだけど……ここっていつ来ても静かよね。営業中に来ても、娼婦たちの声が聞こえないわ」

「……そう言えばそうだな」

 アキも、今気づいたというように同調した。

 ウィッチグラスの建物の内装はきらびやかだが、とりたてて壁が厚くなっているわけでもなく、どこにでもある造りをしている。それなのに睦み合う男女の声が部屋の外に漏れ出すことは無い。

 何度か営業時間中にも訪れたことのあるレナスは、それが不思議だった。アキも今まで気にしたことが無かったが、言われてみれば疑問に思う。

「ああ……建物全体にミレイユの風魔法がかかってるから」

 そんな二人にニーナはあっさりと種明かしをした。

「風魔法?」

「そう。音って空気の振動で伝わるでしょ? 部屋の壁に沿って薄く真空状態の空間を作るんだって。真空だと音は伝わらない……ってことらしいよ」

 ニーナの言葉にレナスとビルは、そろって絶句した。話を聞いただけでもかなり高度な魔法であることは間違いなかった。

「そ、それって一般公開されてる魔法なの?」

「ううん。元は軍事用に開発された魔法らしいから、魔法式は王宮に保管されてるはず」

「なぜそんな魔法が娼館などで……まさか誰かが盗み出して!」

 青ざめて立ち上がったビルを「違う違う」と抑えるニーナ。

 今にも剣を手に王宮へと駆けつけそうな彼に、とりあえず座るように諭していると「なぜミレイユがそんな魔法を使えるんだ?」とアキまでが身を乗り出してきた。

 彼はミレイユの魔力が高いことを知っていたから、彼女が高度な魔法を使ったと聞いてもさして驚かなかった。しかし、それと一般公開されていない魔法を駆使することとは話が別である。

 いくらレイチェルが王宮にコネがあると言っても、一介の娼館ごときに使用を許される魔法ではない。まして軍事目的で開発されたものとなれば、尚更だ。

「その魔法を開発したのがミレイユだからだよ」

 ニーナの口から、またしてもあっけらかんと語られた事実を、三人はすぐに理解することが出来なかった。

「開発って……」

「ミレイユ、が?」

「うん、そう。彼女が王宮つき魔術師だった頃にね」

「王宮つき魔術師?!」

「……言ったこと無かったっけ?」

「初耳よ!」

 そろって驚愕に目を見開いているレナスとビルを見ながら、ニーナは頬をかいた。アキですら平静を装っているように見えて、結構びっくりしているのが分かる。

「なぜ、それほどの使い手が娼館に?」

 呆然とした口調でビルがもっともな疑問を口にする。

 チラリと、ニーナが建物の一室を見た。ミレイユの私室になっているその部屋は、開け放した窓から入り込んだ風でカーテンが緩やかに揺れていた。

 視線を戻し、話の続きを期待している面々の顔を見回した後、どうしようかとニーナは思案した。

 ミレイユが王宮つき魔術師だったことを知っている人間は、ほんの一握りしかいない。ただそれは本人が隠しているからではなく、昔のことを知っている人間が少ないからだ。

 彼女が王宮に勤め、どんな魔法を開発したかは全て記録に残っているから、その気になれば調べることは簡単だろう。そこには、ミレイユが王宮を去るきっかけになった事件についても載っているはずだ。

 そこまで考えてニーナは、自分が友人たちにミレイユの過去を話しても問題は無いだろうと判断した。

「私も詳しいことは知らないんだけど」と前置きをしておいてから、ニーナは話し始める。

「ミレイユが王宮つき魔術師になったのは、十三歳の時だったんだって」

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