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神と悪魔と人魚  作者: 山川四季
第二章:それぞれの恋(夏)
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1、ニーナの変化

 パタンと小さな音を立てて閉まるドア。

 その向こうに消えた少女の姿が見えるわけではない。けれど遠ざかる彼女の足音が完全に消え去るまで、アキはじっと扉を見つめていた。

 やがて彼は苛立たしげに首を振ると、椅子を軋ませながら立ち上がった。

 いつもと同じ、いつもの習慣。

 なのに、この頭の片隅に引っかかる違和感は何なのだろう。

 アキは戸棚からワインのボトルを取り出すと、並々とグラスを満たし一気に喉に流し込んだ。飲み終えたグラスを持て余すかのように手の中で回しながら、違和感の正体に意識を集中する。

 毎週金曜日の放課後。それがニーナに魔力を注入する日と決めていた。

 使い魔の契約が無効となってしまった彼女にそんなことをする必要は無い。しかし未だ契約が継続中だと信じているニーナを騙し続け、手元に置いておくためにはパフォーマンスが必要だ。

 だからこそアキはこうした習慣を作り、魔力を注入するフリを続けている。ニーナの方も、毎週きちんと通ってきている。通ってきているのだが……。

 戯れに魔法で手の中のグラスを粉砕する。砂粒ほどの大きさにまで破片を細かくすると、指の間から零れ落ちたそれは毛足の長い絨毯に吸い込まれていった。

 アキがニーナとの密会に選んだ場所。それは教授棟にあるアキの研究室だった。

 あの花祭りの一件以来、ニーナは以前にも増して学園内で目立つ存在となってしまった。彼女を熱烈に支持するファンたちが出来たかと思えば、身分の低い彼女が持ち上げられるのを快く思わない一派も居て、どこに居ても好奇と敵意の視線にさらされる。

 以前であればニーナの行動に無関心を装っていた生徒たちも、今やあからさまに彼女の一挙一動に目を光らせていた。

 この事態で持ち上がった問題が、どこでニーナに魔力を注入するかということだった。

 アキもニーナも他人の目を気にするようなタイプでは無いが、教授と生徒が頻繁に逢瀬を重ねていると噂が立つのは、面倒なことになりそうだと意見が一致した。

 特に最近のニーナの様子は……と眉を潜めたアキは、手の中に魔力を集中する。一瞬後には、破壊される前の姿でグラスが再生されていた。

 つまらなそうな顔でそれを光にかざすアキ。

 ニーナと会う場所を決めるのは簡単だった。教授たちには個別に研究室が与えられる。一階にある職員室には大勢の生徒たちが出入りするため、ニーナが教授棟に入っていく姿を見られても不審に思われることは無いだろう。

 この建物には生徒の知らない――ひょっとしたら教授たちも知らないような秘密の抜け道がいくつもあり、アキは学園にやって来た日に、その全てを見つけていた。

 教授棟に入ったニーナは、人の目が無くなるタイミングを見計らって抜け道の一つに入り込む。出口を抜ければ、アキの研究室は目と鼻の先だ。彼の力によって守備力が強化された部屋の中に入ってしまえば、中で何が起ころうと誰も気づかない。

 そっとドアを開けて入り込んでくるニーナの姿を思い出し、アキは再び椅子に身を沈めた。

 一体いつからだ? ここに来てもニーナが口を利かなくなったのは。

 彼女はいつも無言でやって来て、無言で帰っていく。おずおずと、まるで怯えたような様子でアキに近づいてくるくせに、アキが広げた腕の中に抱え込まれるとギュっとしがみついてくる。

 拳を唇に当ててアキは考えを巡らせた。

 魔力を注入するという建前でアキが唇を重ねると、ニーナは抗うことなく受け入れる。

 嫌がりはしないものの、腕の中の身体は固くこわばったままだ。

 薄目を開けて伺ってみれば、ニーナの瞳は固く閉じられ、その眉はぎゅっとしかめられている。だからアキは唇を重ねるだけに留めて、己の舌を差し入れることまではしない。

 恐らくニーナは己の立場を頭では理解していても、精神こころと身体がそれについていっていないのだろうと思っていた。

 ならば、何だというのだ。唇を離した後の、あのすがりつくような目は。

 苛々とアキは髪をかきむしった。

 キスの後で彼が身体を離すと、アキを見上げるニーナの瞳が一瞬だけ揺れる。

 飢えにも似た、その懇願するような瞳にアキはいつも戸惑う。だがニーナはそんな想いを隠すかのように、すぐ下を向いてしまうのだ。

 ――そんなに嫌ならキスは辞めるか?

 アキの問いに、ニーナはいやいやと力なく頭を振った。

 そのまま数秒間、無言のまま立ち尽くすニーナは、やがて踵を返して部屋から出ていく。

 毎週それの繰り返しだった。

 何だと言うんだ、一体。

 最近になって変化したニーナの態度。それが自分の感じた違和感の正体だった。だが彼を不愉快にさせるのは、彼女の変化の原因を自分が知らないせいだと思い当たる。

 使い魔ではないが、アキにとってニーナは自分の手駒の一つ。自分はニーナの全てを把握しておく必要がある。

 自分以外の何者かが、ニーナに強い影響を与えたのだ。

 そこまで考えたときアキは、己の身の内に憎悪にも似た感情が沸き上がるのを感じた。

 誰だ? そんなことをしたのは。

 教授や生徒など学園中の関係者を思い浮かべたが、どれもピンと来ない。とすれば外部の人間か……そう言えば、いつだったかレナスが、ニーナはレンを慕っていると言っていたな。

 もう一つ、あることに気がついてアキは眉をしかめた。ここしばらく、レナスの姿も見ていない。

 彼女は音楽クラブに所属しているし、花祭り以降はすっかりアキに打ち解けて、毎日のように職員室に顔を見せていたというのに。

 ニーナの変化に気を取られて、レナスのことに気づけなかった自分に舌打ちをした。

 この俺としたことが、これほどまでに注意力が鈍っていたとは……!

 しかしこれで確信した。何かが起こっているのは間違いない。ニーナにも、レナスにも。

 どちらの原因から追究するか、と考えたアキは、瞬時にニーナを選んだ。

 何といってもあいつは俺の切り札だ。それに、ニーナの側にはいつもレナスが現れる。

「……ウィッチグラスに行ってみるか」

 冷たい目で宙を見据えながら、アキはポツリと呟いた。


 教授棟から出たニーナは、とぼとぼと歩きながらため息をついた。

 自分の感情を制御することが出来ない。いくらでも理屈を考え出して、頭を納得させることは出来るのに。何回自分を納得させても、ほんの少しの感情の揺らぎはあっという間にそれを打ち消してしまう。

 理屈だけでは抑え込めない感情があるということを、ニーナは初めて知った。その初めての経験に狼狽うろたえ、自己嫌悪に陥っていた。

 そんな自分を他人に知られるのが嫌で、表面上は今まで通りに学園生活を送っていた。けれどアキの前では内面を隠し通す自信が無かった。だから彼の前では極力、口を利かないようにした。うっかり妙なことを口走ってしまわないように。

 でも……と思う。恐らくアキは何かがおかしいと勘付いてきているだろう。キスした後の一瞬、交じり合う二人の視線。例の探るような彼の視線が自分の胸の奥に入り込んでくる。

 言いたくない。いや、言えない。だって自分でも良く分からない。この感情。

 これから家に帰って待ち受けているものを思うと、胸が締め付けられるように痛くなる。でも帰らないわけにはいかない。今夜はレナスがやってくる。彼女に会うのは久しぶりだ。何だか大切な話があると言っていた。

 ニーナは決心したように顔を上げた。

 もしかしたらレナスの話を聞いた後で、自分の相談にも乗ってもらえるかもしれない。ああ、でも言えるだろうか。こんな恥ずかしい自分をレナスの目の前にさらすことなど……できるのだろうか。

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