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神と悪魔と人魚  作者: 山川四季
外伝:もう一つの物語
16/46

1、出会い(霧の季節)3

 突如として発生した吹雪ブリザード。それは荒れ狂ったように店内を駆け巡り、その場にいた全員を悲鳴の渦に飲み込んだ。

 やがて風が収まり、恐る恐る目を開けた娼婦たちが見たものは、手足が凍りつき床に縫いつけられている男の姿と、それを見下ろす美少女の姿だった。

「――無礼な男ね」

 吐き捨てるように言ったレナスは、害虫でも見るような目つきで男を見下ろした。

 すっかり酔いが覚め顔から血の気のなくなった男は、床に尻餅をつくような形で、怯えながら彼女を見上げていた。

 誰もがレナスを見つめ、身動きすらできずに固まっていた。

「何があったの?」

 衣擦れの音とともに現れた、低い落ち着いた声の持ち主をレナスが振り返った。

 魔女、という形容詞がぴったりの美女がそこにいた。黒髪の巻き毛に、床まで届く黒いドレス。蝋のように白い肌に、美しい紫色の瞳。血のように赤い唇。

 レナスは知らなかったが、彼女こそウィッチグラスの店長であるミレイユだった。

 金髪で緑色の瞳のレイチェルと、黒髪で紫色の瞳のミレイユ。客は彼女たち二人を「昼と夜の女王」と呼んでいた。

 室内の様子を見回していたミレイユが、床に凍りついている男に目を留めた。しばらくそちらを見つめた後、レナスに視線を移す。

「それで、お嬢様はお客様でいらっしゃいますの?」

「いいえ。私はニーナに会いに来ただけよ。いつでも歓迎するってレイチェルに言われたし」

 眉を潜めたミレイユが、その豊満な胸に埋もれていたペンダントを引っ張り出した。手の中にペンダントトップを収め、それに向かって囁く。レナスにはそれが、通信機能を持つ魔法鉱石であることが分かっていた。恐らく会話の相手はレイチェルだろう。

 低い声でやり取りをしていたミレイユが、顔を上げてレナスに「お名前は?」と尋ねてきた。

「レナス。レナス・ヴィオレッタ・ヨーフよ」

 再び魔法鉱石に向き直ったミレイユは、しばらくしてから通信を終えてレナスに向き直った。

「お話は分かりました。私がニーナの所まで案内させていただきます。……ところで、この男性はどうしたのですか?」

 レナスは何でもないと言った顔で、事の顛末を説明した。

 話を聞き終わったミレイユはため息をつき、レナスに魔法を解いてくれるよう頼んだ。そして身体が自由になった男に手を貸して、立たせてやる。

「お客様。お聞きの通り、この娘は娼婦ではありませんからお相手は出来ません。……けれど、馴染みの娘がおりながら他の娘を指名するような不義理は、この店では許されませんよ」

 間近で男の目を覗き込んだミレイユの瞳が、冷たく光った。その迫力に飲み込まれ、脂汗を浮かべた男が「す、すまない……」と謝罪する。

 ふっと目を伏せたミレイユが「お酒も入っていらっしゃいましたし、もう懲りたでしょうから」と言い、娼婦の一人を振り返って「ベラ」と声をかけた。

 一人の娼婦が針で刺されたように飛び上がると「はい」と返事をした。

「もとはと言えば、貴女がお客様をお待たせしてしまったのが悪いのよ? 早くこの方をお部屋にお連れして、お世話をしてさしあげなさい」

 低く柔らかい口調でありながら、ミレイユの言葉には逆らえない力がある。

 ベラと呼ばれた娼婦は慌てて男の傍に駆け寄ると、その腕をとって、彼の身体を気遣いながら階段を上って行った。

「では行きましょうか」

 ミレイユの威厳ある姿と、その経営手腕に見とれていたレナスが我に返った。

「お願いするわ」

 レナスは頷くと、彼女の後について歩き出した。


 ミレイユに連れてこられたのは、娼館と廊下で繋がった別棟の一室。案内しながら彼女が説明してくれたところによると、この建物はウィッチグラスで働く全員の居住スペースなのだという。

「ニーナも働いているの?」

「あの娘は未成年ですから、もちろん娼婦として働いているわけではありません」

 レナスの質問の意図を先取りし、ミレイユがやんわりと言った。

 ここよりも格下の娼館では、年齢を偽って未成年の少女を働かせている店もある。しかしウィッチグラスでは、そういった決まり事は全て忠実に守られていた。

「下働きとして、皆の役に立っているのですよ」

 そう言うとミレイユは一つの部屋の前で足を止めた。

「この中にニーナが居ります。では、私はこれで」

 膝を折って一礼したミレイユが行ってしまうと、レナスは扉をノックした。

 どうぞ、と中から小さな声が聞こえてノブを回す。だがレナスは、予想だにしなかった光景を目にして固まってしまった。

 ニーナにとっても、意外な客であったに違いない。

 彼女はわずかに目を見張ると「レナス?」と呟いた。

 先に気を取り直したのはレナスの方だった。

「お久しぶりね、ニーナ。貴女にこの前のお礼を言いたくて……ところで、何してるの?」

「腕立て伏せ」

「見れば分かるわよ! ……なんでそんなことしてるの、って聞いてるの」

 分かるなら聞くなと言わんばかりの表情のニーナを見て、レナスが苛立たしげに叫んだ。

 扉の向こうでニーナは腕立て伏せをしていた。それも、片手片足でというハードなものだった。

 息も切らさずに立ち上がったニーナが、ひょいと肩をすくめて言う。

「身体を鍛えるため」

 この娘は……! とレナスの頬が引きつった。質問に対する答えが簡潔すぎて、その答えの背後にある「なぜ」とか「どうして」と言った理由が見えなくてイライラする。

 レナスが見つめる前でニーナは、エプロンに着替え始めた。

「ちょ、ちょっと。着替えるなら私、外に出るわよ」

「なんで?」

「なんでって……」

 振り返り、不思議そうに尋ねたニーナに言葉を失うレナス。

 貴族の女性は、同性であろうと自分の着替える姿を他人には見せない。もちろん、手伝いの召使いは別だが。それを当然の習慣として育ってきたレナスには、ニーナの疑問の意味が分からなかった。ゆえに、答え方も分からない。

 まごつくレナスを余所に、ニーナはさっさと着替えを終えた。

「悪いけど、これから仕事あるから」

 淡々と言うニーナを前に、このままではせっかくの機会チャンスを失ってしまうと思ったレナスは咄嗟に「わ、私、貴女とお話がしたいの」と言った。

 思わず本音を打ち明けてしまった後の、数秒の沈黙がなんと長く感じられたことか! 断られたらどうしよう、と恐れドキドキする胸を抱えながら、レナスはじっとニーナを見つめていた。

 そう。恐れていた。恐いもの知らずに育ってきたレナスが、今、一人の少女の拒絶を恐れていたのである。

 だがニーナは、不思議そうな顔でレナスを見つめた後「仕事しながらで良いなら、ついてきて」と言ったのである。

 レナスは安堵し、嬉しそうな顔を浮かべて頷いた。


 ミヤオに淹れてもらった紅茶を飲みながら、レナスはニーナの働く様子に息を飲まれていた。

 少しも立ち止まることなく、流れるように次から次へと料理をしていく。そして娼婦たちが次から次へと食堂に入ってきては、食事を済ませて去っていく。

 ニーナはひっきりなしに手を動かしながらも、レナスと会話をする。

 驚くべきことに、こんなに慌ただしい中ミヤオはレナスのためにホットケーキを焼いて出してくれた。

「よく一人で外出できたね?」

 外側がカリカリで中がフワフワという、絶妙なホットケーキに感動していたレナスが、ニーナの声に顔を上げる。コクン、と口の中の一かけを飲み下して答えた。

「実はね……しょっちゅう屋敷を抜け出しているの。色々と気づまりなことが多いし」

「ふーん」

 貴族ならではの苦労があるのだろう、と思ったニーナは皿を拭きながら相槌を打った。

「まあ、私が外出するって言ったところで反対する人間なんて居ないと思うけれど。こうした方が面白いでしょう? ちゃんと服も地味なものにしてきたし」

 言われたニーナがまじまじとレナスを見つめた。確かに装飾のない、シンプルな形の服にしているが、マントも服も生地の上等さが隠れていない。この界隈で、そんな服を着ている人間が居たら目立って仕方ないだろう。

 世間知らずだから仕方ないかと思ったニーナは、服のミステイクについて黙っていようかと思った。だが、それでレナスに危険が及んでも困ると考え直す。

「……もう少し地味なものの方が良いかもしれないね」

「たとえば?」

「うーん。使用人の服とか」

 ニーナが言うと、レナスの目が生き生きと輝いた。きっと今度からは、屋敷で働いているメイドの服を着てくるに違いない。

 彼女はニーナが自分に興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、この店のことを聞き出すのが、いかに大変だったかを語りだした。

「誰も教えてくれないのよ。場所とか営業時間とか」

 可愛らしく頬を膨らませた仕草が、自分よりも年下のように見えてニーナは首を傾げた。

「普通は教えないだろうね」

 そう応じたニーナは、「なぜかしらね?」とレナスが言った後「だから結局は脅迫まがいなことまでして教えてもらったんだけど」と聞かされて眩暈を感じた。

 どうやらレナスを普通の貴族の令嬢だと思って相手をすると、手痛い裏切りに合うらしい。

 そんな彼女がなぜ自分に興味を持ったのか。そこがニーナには不思議で仕方なかったのだが、今までレナスのように自分に対して真っ向から付き合おうとする同年代の少女は居なかった。

 そのことがニーナの胸に、不思議な感情を呼び起こす。新鮮な驚きと、自分でも良く分からない複雑な戸惑い。けれどそれは、決して嫌なものでは無かった。

 レナスが話している途中で、ミレイユが食堂に現れた。

「悪いわね、ニーナ。一曲踊ってくれないかしら」

 ニーナは頷いて、エプロンを外す。

「――――レナス様も、良ければご覧になりますか?」

 ミレイユに誘われ、レナスは目を瞠って頷いた。

「貴女、踊りもするの?」

「ごくたまにだけど。ネエさんが急に舞台に立てなくなった時とか」

 言いながらニーナは、ミレイユが持ってきた踊り子の衣装に着替え始めた。普段は娼婦が着るというその衣装は露出が多く、ところどころ透けている。

 しかしニーナの身体は成長過程にありながら、すでに女らしい曲線を描いていた。細くくびれた腰と、丸みを帯び始めたヒップ。その胸はレナスよりも大きい。

 若干の嫉妬を覚えつつも、レナスはニーナの鍛えられた肉体を目にして驚いた。これみよがしな筋肉はついていないけれど、引き締まってしなやかな身体は無駄な肉などついていないかのようだ。

「……すごく鍛えてあるのね」

「ダンスって身体中の筋肉使うから」

 レナスもダンスは習っているが、それは男性と組んで踊る舞踏会用のダンスだ。確かに体力は使うけれど、そこまで身体を鍛えなければいけないというものでもない。

 一体、娼館で踊られるダンスというのはどういうものなのだろう。そしてニーナは、どのようにそれを踊るのだろう。

 レナスはわくわくしながらニーナとミレイユの後について、店へと歩いて行った。

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