1、出会い(霧の季節)2
シャンデリアに照らされた巨大な舞踏場には、着飾った男女が所狭しとひしめき合っており、目当ての人物を探すことが難しく思われた。
けれどレナスは、人ごみの中を漂ううちに見覚えのある後姿を見つけることができた。
「レイチェル」
呼びかけに対してゆっくりと振り返った女性は、見る者すべてを蕩けさせる絶世の美女。
対するレナスは、まだ幼さが残るものの、見る者すべてを圧倒する美しさを備えている。
王宮で三大美女と呼ばれているうちの二人が対峙している様は、周囲の人間にとって正に眼福と呼べるものだった。
「まあ。ヨーフ家のお嬢様。ごきげんうるわしく」
「レナスで良いわ。貴女に聞きたいことがあるの」
レイチェルが小首を傾げてみせる。
「貴女のお店にニーナという娘がいるでしょう?」
その問いかけに、レイチェルの美しい形の眉が顰められた。
「……レナス様、どこで私の店のことをお聞きになりました?」
「知人からよ。でも、そんなことはどうでも良いの。私が知りたいのはニーナという娘のことだけよ」
腰に手をあててレイチェルを見上げるレナス。自分の満足いく答えが得られなければ引き下がらないという頑固さがその顔に浮かんでいた。
レイチェルの目が思案するように細められる。
「なぜ知りたいのです?」
「え……」
問われてレナスは言葉に詰まった。
なぜ、と言われれば単に自分の好奇心を満たすためだ。自分の前に出ても、態度を変えたり変に取り繕ったりしない人間は初めてだったから。
しかし、知ってどうするということまでは考えていなかった。
上目使いでレイチェルを伺ってみると、美しい瞳の中に潜んでいる何かが、中途半端な理由ならば教えないと暗に伝えてくる。
「私、ニーナと同じ学園に通っているの」
少し胸をはり、ゆっくりとした口調で話す。こうしている間にも、脳みそは適当な理由を考え出そうと必死で働いているが、それを態度に見せてはならない。あくまで自然体で堂々とした様子を見せなければ。
「実は、少し前のことなのだけれど、ニーナに魔法を教えてもらったのよ。そのおかげで助かったから……お礼をしたいの。でも、学園じゃ彼女に会うことが出来なくて」
言いながらレナスは、我ながら上手いことを思いついたと考えていた。
ニーナに方向指南の魔法を教えてもらったのは事実だし、そのおかげで助かったのもまた事実である。そのお礼ということならば、不自然な点はないだろう。
やましいところのない理由のおかげで、レナスの態度は自信たっぷりだった。
その返事にレイチェルは考え込む。
彼女はレナスのことをよく知っているわけではない。王宮で会えば挨拶を交わすけれども、その程度の関係だ。
噂によるとレナスは、帝国一と言っていいほどの魔力の持ち主であり、すでに国家の後ろ盾もあるらしい。そんな相手に、ニーナが魔法を教えるなどということがあるだろうか。あのニーナが?
また、レナスは類まれな美貌の持ち主だが、幼いころより甘やかされて育ってきたために我が儘放題の少女だという。ニーナに関心を持っているのも一時の気まぐれかもしれない。その気まぐれゆえにニーナを傷つけるかも分からない。
そんな相手を近づけるわけにはいかない。レンからの大切な預かりもののニーナに。
レイチェルは目を閉じると、軽く首を振った。
「お礼など必要ございませんわ、レナス様。そのお気持ちだけで十分です。恐らくニーナも同じ気持ちでございますから、そのようなことでお心を煩わせることはおやめ下さい」
レイチェルは軽く会釈をして、その場から立ち去りかけた。
「ま、待って!」
焦ったレナスが呼び止める。
どうしてニーナと言いレイチェルと言い、勝手に私の前から消えようとするのよ!
「それだと私の気が済まないわ。だったら貴女からニーナに伝えてくれない? 学園の私の教室に訪ねて来て欲しいと。その時にお礼をするから」
「……そんなことはニーナも望みませんわ」
聞き分けのない子供を諭すような口調でレイチェルは言い、憤慨するレナスを冷めた目で見下ろした。
自分の好きなように生きてきたこの少女は、他人から断られた経験が少ないのだろう。簡単には諦めそうにない。ならばとレイチェルが考え付いたのが、これだった。
「レナス様が私の店においでになれば、いつでもニーナと会えますよ」
ピタリとレナスの憤りが治まった。
「レイチェルの店に?」
「ええ。いつでも歓迎いたしますわ」
そう微笑んでレイチェルは今度こそ去って行った。
これで良い。まともな貴族の令嬢であれば、娼館のような場所へと足を運ぶことは無い。諦めざるを得ないだろう。
彼女は気が付かなかった。レイチェルの言葉を聞いたレナスの瞳が、きらりと輝きを増したことに。
噂のみでしかレナスを知らなったレイチェルは、彼女を普通の貴族の令嬢として捉えるという過ちを犯したのだった。
「――ここね」
レナスは暗闇の中に浮かび上がる建物を見上げた。どっしりとした造りの建物は、ランタンに入れられた緑や黄色の光魔法によって照らされている。
娼館ウィッチグラスの、予想していたよりも地味な外見にレナスは肩すかしをくらったような気がしていた。
確かにこの辺りは治安の良くない地域だし、道端には浮浪者や目つきの良くない男たちがたむろしている。だが目の前の建物には「いかにも娼館でございます」といったケバケバしい雰囲気は無かった。
本当にここで良いのだろうか?
彼女は今、足元まですっぽりと包み込む黒いマントと、黒いフードを目深に被り、黒い布で目から下を全て覆っていた。
いかにマントの隙間から覗く衣装が高価なものであっても、こんな怪しい出で立ちの人間を襲おうという者は居なかったおかげで、レナスはお忍びでここへ来ることに成功していた。
一人だけ、酔っ払いが彼女の前に立ちはだかるようにして絡んできたが、黒いフードの下から凍りつくような視線を浴びせられて大人しく引き下がった。
「悩んでいても仕方ないわね」
顔を覆っていた布を引き下げて呟いたレナスは、扉に手をかけた。
ゆっくりと開けると、隙間から突き刺すような光が溢れ出て、思わず立ち止まってしまう。そのまま数秒間、目が慣れてくるのを待ってから完全に扉を開け放った。
室内に入り込み、後ろ手に扉を閉めたレナスは興味津々といった様子で周囲を見回した。
外見の質素さとは裏腹に、中の調度品は豪華絢爛だった。幼いころより高価な家具を見慣れているレナスには、すぐにそれが王宮で使用されているものと遜色ない名工の作であることを見抜く。しかも、華やかな装飾が施されているが、決してそれが嫌味ではない。
さすがレイチェル・ドーソン。
感心しながらマントとフードを脱いだレナスの姿に、その場にいた娼婦たちの目が釘づけになった。
この店の娼婦たちは上客を相手にするだけあって、容姿も際立っているものが多い。だが並み居る美女たちが、足元にも及ばない美少女が目の前に現れたのだ。その服は一目で高価なものだと分かる。おまけに堂々とした態度は気品が溢れていた。
ウィッチグラスを訪れる客は、男ばかりとは限らない。この世界には色々な需要がある。女性客を相手にすることも少なくない。だが、この少女は……ちょっと若すぎないだろうか? 一体、何の用があってここに来たのだろう。
娼婦たちが戸惑い、レナスに声もかけられないでいると、上階から足取りのおぼつかない男が降りてきた。
男は馴染みの娼婦がなかなか部屋にやってこないことに痺れを切らして降りてきたのだが、ふと玄関前にたたずむレナスの姿を目にとめた。
「ほぉおー! これはこれは、上玉じゃないか。少し胸のあたりは寂しいが」
男がそう叫んだ瞬間、レナスの瞳に獰猛な光が浮かぶ。彼女は密かに、自分の胸が小さいことにコンプレックスを抱いていたのである。
相好を崩した男は、遠慮する様子もなくジロジロとレナスを見つめた。
ぶしつけな男の視線を不快に思った彼女の足元から冷気が立ち上っていたが、その異変に気付くものは誰も居ない。
「お前さん、名前は?」
「……レナスよ」
「そーかそーか。綺麗な名前だなぁ。まだ若いし。やっぱり女は若くてぴちぴちしたのが一番だよな」
男の舐めるような視線に、レナスの嫌悪感は募っていく。
常に数多くの男たちに取り囲まれているレナスだが、実は男に触れられることを極端なまでに嫌っていた。ダンスなどの「仕方ない」状況であればまだ我慢できるのだが、挨拶の際に馴れ馴れしく肩に手を置かれたりすると--たとえそれが全く他意の無い相手と分かっていても、心の中に冷たい感情が渦巻いてしまう。
この男、見た目は貴族のような服装だが、レナスの名前を知らない所を見ると王宮への出入りを許されていない下級貴族か……あるいは裕福な商人か。
いずれにせよ、この私に絡むなんて良い度胸してるじゃないの。
レナスの足元ではもはや、冷気が白い靄となり始めていた。
彼女がじっと黙って耐えているのを、「脈がある」と勘違いしたのだろうか。
周囲で見ていた娼婦たちが止める間もなく、調子に乗った男がレナスに抱きつくようにして「今夜はこの娘にするぞ!」と首を巡らせて宣言した。
直後、館中に娼婦たちの悲鳴が響き渡った。