11、襲撃
花祭りの当日まで、学園では襲撃事件が起きることも無く平穏な日々が続いていた。
レナスに全てを打ち明けようかと、何度悩んだか分からない。
友を危険な目に合わせたくない気持ちと、アキと自分のことを説明しなければならない気まずさと、アキとレナスを信じる気持ちの狭間で、ニーナは苦しんでいた。
花が咲き誇り、穏やかな陽光に包まれた春の日。
自分の気持ちに決着がつかないまま、ニーナは花祭りの日を迎えた。
学園の中庭は色とりどりの花が咲き誇り、甘い香りが立ち込めていた。
生徒も教授も着飾り、会場内を踊るように漂っている。
だが、生徒たちは襟元に小さなピンバッジを着用することが義務付けられていた。
貴族クラスの生徒は白、庶民クラスの生徒は紺の石で出来たバッジを。
そして庶民クラスの生徒は、給仕や掃除などの仕事をしなければいけなかった。
簡素な白いワンピースを着たニーナがバッジをつけていると、会場の片隅を歩くアキの姿が目に入った。
「アキ!……教授」
「ニーナか」
振り返ったアキの手には、小さな箱が乗っている。
「それ、制御装置?」
「そうだ。風魔法と花魔法の担当者たちには配ってきた。これから舞台組の控え室に持っていくところだ」
では、レナスに指輪を渡すのはこれからということか。
「……ついていっていい?」
おずおずと尋ねるニーナに、アキが目だけで頷くと背を向けて歩き出した。
その後をニーナは小走りで追いかける。
自分が行ったところで何の役にも立たないとは分かっていたが、レナスが襲われると分かっているのにその場に居合わせないなんて耐えられないと思った。
アキについて教授棟に入り、唄い手や踊り手たちの控え室となっている教室へ向かう。
しかし教室の中へは入ろうとせず、外の廊下で立ち止まった。
レナスはともかく、他の出演者の中には庶民のニーナが入ってくることを嫌がる者も居る。
だからニーナは、最初の見学以来レナスの練習を見に行くことも避けていた。
控え室内でレナスが指輪を装備し、何か異変が起こったら即座に踏み込む。
そう構えていたニーナは、アキが控え室から出てきたのを見て拍子抜けした。
「どうしたの?」
「着替えるから出て行けと言われた」
むすっとした顔でアキが呟いた。
ああ、と納得したものの、心配してドアを見つめてしまう。
「……大丈夫なの?」
腕を組んで壁に寄りかかるアキに尋ねた。
「仕方ないな。俺がここに居ることで良しとしなければ。……ガキの身体に興味なんか無いんだが」
見る側じゃなくて見られる側の問題だ、とニーナが口を開こうとした時。
ドォンッ!!
閉ざされたドアの向こうで衝撃音が響き渡った。
一瞬、ニーナとアキが顔を見合わせ、同時にドアへと飛びつく。
「レナスッ!!」
悲鳴のような叫び声を上げて部屋へ飛び込んだニーナは、呆然と立ちすくんだ。
レナスは教室の中央付近に立ち、苦痛をこらえるような表情で宙に向けて両腕をかざしている。
片袖の脱げたドレスから覗く白い腕は、真新しい裂傷が出来ていた。
ニーナには見えないが、恐らくレナスが守護魔法を使って防護壁を展開しているのだろう。
視線を落とせば、ぐったりとした生徒たちが座り込んだり倒れたりしていた。
意識を失っているようだが、ぱっと見て重傷を負っている者は居ないようだ。
レナスの防護壁のお陰だろう。
隣のアキが動く気配を感じて視線を向けると、一瞬で彼の姿は天井の片隅に移動していた。
宙に浮いたまま素早く右腕を伸ばすと、見えない何かを握りしめる。
「……もう良いぞ、レナス」
アキは涼しい顔のままだったが、よほど力をこめたのだろう。その手には血管が浮かび上がっていた。
守護魔法を解いたレナスが肩で息をつく。
駆け寄ったニーナがそっとショールをかけ、腕の傷に治癒魔法をかけた。
この程度の軽症であればニーナの魔法でも何とかなるのだ。
「ニーナ、レナスの指輪を外しておけ」
アキの指示に頷くと、ニーナはそっとレナスの繊細な指から指輪を抜き取った。
彼女の問いかけるような視線がいたたまれず、視線を合わせることが出来ない。
「さて。そろそろ姿を現してもらおうか」
その声に顔を上げると、アキが腕に力を込めたところだった。
徐々にアキに掴れている空間が色づいていき、しばらくすると黄色い炎のような塊が完全に姿を現す。
炎の中心には顔が浮かび上がっていた。
「まさか精神体になって来るとはな、モラス」
苦しそうに身をよじっていた炎が歪んだ笑みを浮かべた。
「こちらこそ、わざわざ太閤閣下がいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「誰に解脱魔法をかけてもらった」
「……私が素直に吐くとお思いですか」
相変わらず苦しそうな様子だったが、それでもモラスは嘲るような口調で言った。
「私を倒したところでどうにもなりませんよ。すでに闇世界への出口は塞がれています。貴方は油断しすぎなんですよ。私が応援を呼ばなかったと思いますか? ……諦めるんですね。いくら貴方でも、あのお二人を相手にしては大変でしょう」
ヒステリックな笑い声を響かせたモラスを、アキは冷たい目で見据えた。
「舐められたもんだな、この俺も。その侮辱……極刑に値する」
直後、アキの手から黒い炎が立ち上ると、モラスの絶叫と共に消え去った。
「……」
アキが二人の少女に向き直り、沈黙が辺りを支配する。
断末魔の余韻が消え、室内に静寂が戻ってなお、三人は黙ったままだった。
「……とりあえず負傷者を医務室に送って下さい」
わずかに掠れた声でレナスが言うと、アキは初めて気がついたように床の少女たちに目をやった。
宙に浮いたまま彼が腕を振ると、一筋の煙を残して気絶した少女たちの姿が消えた。
同時にアキが床に降り立ち、ニーナとレナスの方へと近寄ってくる。
しかしそちらには目もくれずに、レナスはゆっくりと首を巡らせてニーナを見た。
その瞳は、今まで見たことが無い光をたたえている。
思わず生唾を飲み込むニーナ。
レナスは重々しく口を開いた。
「説明してちょうだい」
ニーナの話を聞き終えたレナスは、ただ黙って彼女を見つめていた。
その静けさが、かえって恐ろしい。
どのくらいそうしていただろうか。
レナスが長い溜め息をつき、緊張で張り詰めていた空気が破られた。
「……最初から話してくれれば良かったのよ、ニーナ」
ニーナが弾かれたように顔を上げると、レナスが哀れみと同情を込めた目で見つめていた。
怒りの色は、そこには無い。
「最近のあなた、様子がおかしかったから心配してたの。もちろん、この悪魔があなたを使い魔にしてしまったことには怒りを覚えるけれど」
そこでアキを睨みつける。
「私に遠慮する必要なんて無かったのよ。そりゃあアキ教授は素敵だと思うけど、だからって私以外の誰かが教授と親しくすることに腹を立てるつもりなんか無いわ。それに、あなたがレンを好きだってことぐらい知ってるのよ」
パッとニーナの顔が赤く染まる。レンの話をしたのは数回だけだったから、まさか見抜かれているとは思わなかった。
「……可哀想に。一人で悩みも苦しみも抱え込んで」
レナスにそっと抱きかかえられ、ニーナの目から涙が零れ落ちた。
普段からニーナはレナスを子供っぽいと思うことが多かったが、それでもやはりレナスは年上だった。
自分が思っていたよりも、もっと大人で寛容だったレナスに対しニーナは恥ずかしさを感じた。
髪を撫でてくれるレナスの手の優しさに、胸が詰まる。
「取り込み中のところ悪いんだが。悠長に構えている事態じゃなくなった」
アキの声に、レナスとニーナが顔を上げた。
「次の悪魔が指輪を狙ってやって来る。それもかなりの強敵だ。闇世界からこちらに来たことを俺に悟らせず、モラスに肉体解脱の魔法までかけられる存在。なおかつ『おふたり』とモラスが言っていたことから考えられるのは……双子の悪魔ナゼルとアベル」
黙って話を聞く二人の前で、アキは苛々と自分の髪の毛を梳いた。
「それよりも教授、もっと大変なことがありましてよ」
アキとニーナがきょとんとした顔でレナスを見つめる。
「先ほどの攻撃で唄い手と踊り手が負傷してしまいました。舞台をどうされますの?」
「……それが悪魔の襲撃よりも大変なことか?」
呆れたような顔で問いかけるアキに、レナスは当然だと言わんばかりに頷いた。
その腕の中でニーナは、ビックリした顔でレナスを見上げている。
「私にとっては初舞台ですもの」
「だが、役者が居なければどうしようもない。中止だろうな」
「ですから私に良い案があります。教授が悪魔を捕まえることが出来て、なおかつ花祭りも中止しないで済む方法が」
「……聞かせてもらおうか」
レナスはニッコリと笑って、腕の中のニーナを見下ろした。
その、いたずらっ子のような笑顔を間近で見て、ニーナは嫌な予感がした。