十五話「ハの国の縮図」
ゾンガの死後、ハの国の勢力均衡は急速にミコトの側へと傾く。
ハの国東部海戦でドミトリーが戦死し後ろ盾を失ったことでミレヤイハ王国では支配下にあった旧ハの国の国民が南部主導の統一を求めて蜂起し、その結果ミレヤイハ王国は完全に地図上から姿を消した。
さらにハ人民共和国の首都を制圧した私の強硬な姿勢を目の当たりにした神聖ヴィツピド地下帝国は次の和平合意を受け入れる決断を下す。
第一条、神聖ヴイツピド地下帝国は政府機能を停止しハの国の統治を受け入れる。
第二条、神聖ヴイツピド地下帝国は外国との条約、経済協力を即時停止する事。
第三条、神聖ヴイツピド地下帝国は完全に武装を解除する事。
第四条、神聖ヴィツピド地下帝国の国民は治安維持のため新たに統一されるハの国軍の創設に協力する。
和平合意の調印式は、ドミトリーがデナグに寄進した旧地上教皇領で行われることとなり、俺とミコトはそこへ向う。
俺の眼下には、低く目立たない丘の上にそびえる巨大な神殿が映り込み、東部の斜面では大劇場が建設中だった。
その風景の中、俺の視界に地上誘導員の姿が入る。その人物は誘導灯を振り回し、「こちらに降りて来い」とジェスチャーを送っている。その傍らには、もう一人の人物が静かに佇んでいる。そして俺とミコトは、導かれるままにそこへ降り立つ。
俺の目の前の地上誘導員はおそらく北部の住民なのだろう。そう思うのはミレハイヤ王国の占領下からハの国北部を解放したミコトに尊敬のまなざしを向けているからだ。
地上誘導員
「お待ちしておりました。ミコト様」
ミコト
「ええ、誘導ありがとう」
ミコトはもう一人の人物に対して何の感情も出さないが言葉を発する。
ミコト
「デナグの護衛はルマロキなのね」
俺は目の前の二人を見て思わず息をのんだ。誘導灯を手にした人物はどう見ても普通の人間だが、その隣に立つ者は明らかに異質だ。身長は二m近くの女性であることは分かるが青い肌に頭部に鋭い角を生やす、その姿は常識では到底説明のつかないものだった。そんな彼女が俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと口を開く。
ルマロキ
「なんだ、私のことを珍しそうに見て。ハの国の者でない人間は皆同じような視線を我ら地下世界の住民に向けるものだ。どこの国の者だ?」
俺が軽く自己紹介をしようとした瞬間、ミコトが先に口を開く。
ミコト
「ユウは転生者よ」
ルマロキは苦笑しながら述べる。
ルマロキ
「ふ、転生者ね……」
ミコトとルマロキの間に漂う確執めいた空気を感じ取っていると、ルマロキが踵を返し言葉を発する。
ルマロキ
「行きましょうか」
こうして、俺とミコトはルマロキに導かれ、和平合意の調印式が行われる大劇場の一室へと足を踏み入れた。
部屋の中央には簡素な円形のテーブルが置かれ、その上には二枚の和平合意書と、署名のためのボールペンと朱印が並んでいた。俺とミコトそしてルマロキはテーブルを囲むように席に着きルマロキが口を開いた。
ルマロキ
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。あらためまして私は神聖ヴイツピド地下帝国の宰相のルマロキと申します。今回の和平合意に関する全権を私が担っております」
ミコトはこの和平合意の調印式でデナグが署名すると考えていたのか、その期待が外れたことを悟ると言葉を発する。
ミコト
「なぜデナグが出てこないの?」
ルマロキ
「我が帝国憲法には教皇の存在が認められているものの政治的権限を持たないことが明記されています。故にこの和平合意調印式に出席する理由はありません」
ミコト
「私はデナグと直接話をしたいから連れてきなさい」
ルマロキ
「そう言われましても、デナグ教皇猊下は帝国成立以来ご隠居されており、我々としても帝国の方針についてお伺いしたかったのですが、それが叶わず和平合意に〝不本意〟ながら同意するためここに来ました」
ミコト
「〝不本意〟? デナグが戦闘継続を宣言していたら、あなたたちは戦うつもりだったの?」
ルマロキ
「ええもちろん。しかし、我々は政治的目的を達成するために多くの人命と財産を失いました。それはもちろん私自身も例外ではありません。開戦初期の地下帝国への旧総裁政府の全面侵攻で私の国家は完全に破壊され帰る故郷を奪われました。そのため私は教皇猊下と共に今でも貴方を支持する地上の者たちを無差別に八つ裂きにしてやりたいと思っています。しかし、帝国内の全ての諸王が私と同じ考えを持っているわけではありません。我々は信仰と民主主義を重んじています。したがって政治的目的を達成するためならば強硬な立場を貫き無辜の民をも殺すことを厭わない〝地上の悪鬼〟とは異なる事を証明するため矛を収める事にしたのです」
ルマロキはこの場で切り殺されてもいいような口ぶりで話す。
ミコトはルマロキを睨みつけこの非礼に対し怒りを隠そうともしない。
俺は小声でミコトに助言を与える。
ユウ
「ミコト、和平合意が調印されることに変わりはない。言わせておけ」
だがミコトは俺の提案を無視しルマロキに反論する。
ミコト
「ルマロキ、お前は信仰、民主主義を重んじると言いながら、一方で個人的な無差別殺戮への欲望を隠そうともしない。そんなお前が私を〝地上の悪鬼〟と呼ぶのか?復讐に囚われ血を求めるお前とそれを理性の名のもとに拒み和平合意を求めた私、どちらが真に野蛮か?言ってみろ!」
今にでも両者が切り合いになるのではないかと思えるほどの殺気が蔓延する。俺の目の前で繰り広げられるミコトとルマロキのやりとりは、ハの国における地上と地下の住民の間に渦巻く憎悪の縮図だ。
ルマロキはミコトに何を言っても無駄だと判断したのかボールペンに手を伸ばし、二枚の和平合意書にサインと押印する。そして書類をミコトの方へ回しサインと押印を求めて渡す。
ミコトはそれに応じる。
ルマロキはそれを見届けると言葉を紡いだ。
ルマロキ
「本合意が単なる書面上の約束に終わることなく、平和の礎となることを願います。互いの違いを認め合い共存の道を歩むことで、より良い未来を築いていきましょう」
ミコト
「いけしゃあしゃあとしたお前の顔なぞ二度と見たくもない」
間髪入れずミコトはそう言い放つ。ルマロキは自分の和平合意文書を抱えたまま無言で背を向けた。しかし部屋を出る直前に俺へ向けて言葉を投げかける。
ルマロキ
「異国の方、お見苦しい場面をお見せしてしまった。かように我々の憎悪は未来永劫消えることはなく、いずれ必ず矛を交えることになるでしょう。その前に貴方が早く国へ戻り心穏やかに過ごせることを願います」
しばし静寂の後、部屋に残された俺はミコトに目を合わせ言う。
ユウ
「さっきは悪かったな。あれだけ言われたら、ミコトが黙っていられないのも無理はないよな」
ミコト
「いいのよ、大人げないと分かっていたんだけどね」
ユウ
「毅然とした態度を取るべき時もある。あれは黙っているべき場面じゃなかった。俺が保証する。」
ミコト
「ユウ、ありがと」
俺は目の前で繰り広げられた緊迫したやり取りを振り返りつつ、安堵の息をつきながら椅子の背もたれに身を預ける。
こうして和平合意が正式に締結され表面上ハの国は統一を達成した。しかし不穏な予感が渦巻いているのは俺だけではない。ミコトの胸にもこれからの行く末への不安が宿っているだろう。




