決意は根を下ろす〔2〕
うねうねと動く樹木の根は、さながら蛇の如く獲物を睨む。対話は既に腹の中、抵抗さえも屈服を示していた。第一、勝てるような相手ではないのだ。商人たちは、ジリジリと近づく判決をただ待っていることしかできなかった。ただ一人を除いて。
「………逃げる…」
片言な言葉が聞こえたかと思えば、突如として体が浮いた。
掴まれた?そう考え周囲を見渡そうとした瞬間…
商人は客間の門の向こうにいた。
(は…?)
不完全な冷静さのまま、必死に周りの状況を確認する。見上げれば首のない死者、結は錯乱していたが、やっとのことで兄の背中にしがみついている。そして後ろには…ぶち破られた門と呆気に取られている木枯の姿。本来なら有り得ない強行遁走。それを有り得ないスピードで実現している。
「その者たちを捕えろ!」
流石師範代。当の本人が理解できていない状況を瞬時に理解したようだ。
優秀な御堂の者達はすぐに状況を察し、樹木群を逃亡者へ向ける。
が、早々に木っ端。死者も樹木も等しく吹き飛ぶ。
依頼品からせしめたのか、首無しの左手にはメイスが握られている。ただそれを一振りした結果は、常軌を逸脱していた。
迫る死者•樹木、意に介さず正面突破。
群れの大半は適応せずして床に突っ伏す。
一撃の重みは、樹木のへし折れ具合からいくらでも察せられた。
そんなに強いなら先に言ってくれよ…商人はそう思ったが、それ以上考えることができない。速さ故に、脳が動かない。
大広間の大門、遂に眼前というところで、突如大木が門を塞ぐ。空を覆い、御堂に食い込む二つの樹冠•幹、まさしく不動の意志の権化であった。
「あれどうすんの⁉︎」
「…ぶち抜く……!」
「はぁ⁉︎」
ギリギリと強く握る音が聞こえる。彼は本気だ。
どうかしている。頭どころか考える脳も無いんじゃないか?
そうこうするうちに首無しは跳び上がり、門の中心に突っ込む。
「……ん…んぁ⁉︎…お兄ちゃん⁉︎」
先程まで錯乱状態だった者が経験していいものではない。
「いやぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」
商人の絶叫は大木に反響する。
目と鼻の先激突寸前、首無しは初めて本気でメイスを振った。
ドゴォォォォォーーン‼︎‼︎
減り込む音も樹皮が崩れる音もなく、ただ囂囂たる爆音が響くのみ。
…そこには茫漠な風穴が空いていた。
脱出。故に喫驚。風穴を抜ける間、商人と結は動転の面持ちを露わにしていた。
が、微かな違和感もまた風と共に洞を抜ける。吹き荒ぶ風の音、それに乗る不吉な言霊は、気配なく罪人達の横を過ぎる。
『…業風…』
「……!!」
それにいち早く気づくは首無し、結と商人を庇い、体ごとはるか上空を仰ぐ。
瞬間、数限りない葉が降り荒ぶ。それは鎌鼬の如く、首の付いていない胴を切り裂いてゆく。
無双を誇ったメイスの振りでさえその全てを防げない。
「……いっ…っ…!」
突如聞こえる苦痛のこもった声。
…結だ。
―庇いきれなかった また…守れなかった
首無しは、咄嗟に胴からはみ出た結の腕を隠す。
…幻覚は消えたはず、だが商人は確かに、優しく微笑むあの顔が見えた気がした。
それには、憂慮、後悔、決意…それらがいずれも深く刺さっているようだった。混ざり合うその全てを、商人は優しいという一言に込めるほかなかった。
決意は固く根を張る。元よりも、尚。
意志の基に、首無しは渾身の打払を放つ。
強烈な衝撃に、迫る葉は勢いを失い一瞬の隙ができる。首無しは咄嗟に軌道を変え、鮮明な赤を散らせながらあの有り得ないスピードで範囲外へ退避する。
「既にそこまで”才覚”を使い熟せているとは…驚いた」
葉のない不動の大木に、錫杖を持つ木枯の姿があった。大木の葉は上空で渦を巻いている。
木枯しというには余りにも規模が違う。葉が作り出す旋風に乗り、彼は地上へ降り立つ。
「築地松」
そう言うや否や、松が辺り一帯を囲う。
逃亡を阻止する包囲網。錫杖を鳴らす木枯。逃げの一手は路頭に迷うが、首無しはもとより覚悟していたようだ。
「この世の秩序は、”前世”の未練を認めていない。解るか?」
それは、最後の警告のようであった。
「…なぜ……?」
悉くを跪かせるような威圧の前で、首無しは問う。
「偏に皆が幸福になる為だ。秩序はその為に在る」
首無しは優しく結を下ろし、商人を背後に引かせる。
静寂の中、ただ武器を握る音のみが響く。
「同情はしない。……しないと決めたからな」
ふと威圧の途切れる感覚がしたが、すぐに元へ戻る。
「ここは、第二の人生を歩む場所でなくてはならない。傾森の名の下に、”生者の欲”、その因子を淘汰する……!」
才覚…記憶の戻った死者が扱う、特殊な術。死者ごとに多様な才覚がある。木枯は、首無しが見せた破格の力を、才覚によるものだとみている。