決意は根を下ろす〔1〕
荘厳な建物が商人たちを見下ろしていた。重厚かつ物々しい雰囲気を放つそれは、商人にとって怪物と同義だった。
「きれい…!」
結は思わず感嘆の声をあげた。それには頑強な樹木が絡まり付いており、様々な種類の花が、その周りに咲き誇っていた。
「…一歩間違えればこいつらの肥やしだな」
「……不…吉…」
不安と緊張が絡まる中、商人たちは御堂の中へ入っていく。
御堂に入ってすぐの大広間には、多くの死者で賑わっていた。ここから直接、荷物ごと客間へ行くことが出来る。
「依頼された武器を納めたいのですが…」
商人が受付に申請した。御堂に何かを納める際、特殊な状況でない限り師範代に直接会う必要がある。権力の誇示を嫌う各宗派の師範達が取り決めたことだ。
「少しお待ち下さい。すぐにご手配いたします」
受付はそう答え、奥へと入っていった。
商人は、一体どう自然に聞き出すものかと考えあぐねていた。
融和的な会話が出来ればいいのだが、そう上手くいくはずがない。年季の入った車は、肝心な時に故障する。今回がそうならなければいいのだが。
「…商人さん?呼ばれましたよ」
結の声が聞こえハッとする。
「…あぁ、すまん。考え事で頭が一杯でね」
青に青を重ねた顔で返事をした。もう既に額には汗がつたっていた。
一行は受付の人に案内され、客間へ向かった。
結は兄のそばについて歩いていた。あの時、兄の記憶が消えるのは嫌だと言ったが、実のところ、この死者が兄であることしか思い出せなかった。顔さえも記憶の中ではおぼろげであった。ただ、もう離れたくない。強くも漠然とした心境に、結は自信の色をつけたいのだ。
客間の門には、しつこさを覚える程植物が絡み付いていた。中々キツイ臭いがするものもあったが、緊張ゆえにあまり気にならなかった。と言うよりは気づかなかった。
「緊張して目まいがします…」
「大丈夫か?くれぐれも記憶のこと、口滑らすなよ」
「…はい……」
「……」
相変わらずあの死者は無口だったが、しっかりとうなづいたことを確認して、商人は門を開けた。
「初めまして。傾森師範代、木枯だ」
彼はさながら修行僧のような出立ちだったが、顔はヤツデの葉で隠されていた。
「依頼品を納めてくれて助かる。後で私が運ぶからここに置いてくれて構わない」
そう言い、彼は荷車のチェックを始めた。
「はい…ありがとうございます…」
彼からは厳格で真面目な印象を受けた。いや、生真面目というべきかもしれない。もしそうであるなら……厄介極まりない。
質問を言い出せない中、木枯が口を開く。
「そういえば…何か聞きたいことなどあるか?誉殿の…いや、傾森の師範のご意向でな、皆の意見を取り入れたいとのことだ」
チャンス、商人は、逃すまいとすかさずあのことを尋ねる。
「記憶は…故意に戻せるのでしょうか……?」
作業の物音が止まる。客間には不気味な沈黙が流れた。
(まずい。下手に濁さず単刀直入に言ったのは悪手だったか)
「質問の意図を聴こう」
その声には、そこしれない圧を感じた。
「いや!まぁ、そのー…友達が二度記憶が戻った事があり、記憶の戻る原理が少し気になってしまって…」
結局嘘で濁してしまった。結と同じく商人も目まいを感じる。全身からだらだらと変な汗が噴き出していた。
「そうか……そう言った話は罰水の者たちに聞いた方が良いだろう。わかってると思うが、記憶処理等の管理は全て罰水の管轄だからな。現に私も詳しいことは知り得ない」
「そ、そうですか…答えて下さりありがとうございます」
何とか難を逃れる事ができたようだ。商人はほっと胸を撫で下ろす。
「それより、あの死者の首はどうしたんだ」
不思議なことを聞く。体が欠損した死者くらいごまんといるだろうに。商人はそう思い、無口な死者に視線を移す。
……首がある。いや確かにある。
商人は戸惑いを隠しきれず、いや隠すことさえ忘れ、ただ唖然する。だが、それが幻覚だと悟るのに時間はかからなかった。目眩の渦は一層激しくなる。身体が心と離反してゆく感覚の中、思考を巡らす。もし幻覚が本当の兄の顔を見せているとしたら……商人は最悪の結果を予見していた。
結は立ち尽くす。思えば兄はいつでも笑っていた。久しく忘れていた、大切な人の顔。それはおぼろげな記憶に光をさした。この感情を抑えるには余りにも、少年の口は小さくか弱いものだった。
「…おにい…ちゃん………」
商人が予知した未来は現実になる。気をつけるべきは故障ではなく事故だったようだ。
「…門の植物は、嗅ぐだけで幻覚作用が出るよう、傾森の能力で少し弄ってある。少々手荒だが、最近はよからぬ者たちの噂をよく聞くのでな」
木枯は、律儀に幻覚の正体を説明した。
「さて…秩序の維持というものは、全ての希望に応え得るものではない。理解したのなら抵抗するな。然るべき処理を行う」
作戦失敗。まさに肥やしの一歩手前の状況であった。