夭折を拒む
傾森管轄区域最大の居住地、瓊枝町。江戸時代の宿場町のような形態をとり、商人が多く行き交うこの町で、商人と無口な死者は、この街の大通りを歩いていた。
「悪いなぁ、荷車引いてもらって」
「……」
無口な死者は、言葉の代わりに会釈(多分)で返事をした。
(今のは会釈か…?首無しだから分かりづらいな…)
そう思うものの、商人のこの死者に対する不信感は、すっかり薄れていた。
言葉こそ一言も発せず、会話も弾むことはなかった。だが、今まで得体の知れなかった死者が、優しい心の持主だと分かったことは、商人にこの上ない安堵を与えた。
「目的地についたぞー」
商人はそう言い、常立商店と書かれた看板の前で止まった。
「ここはうちの御得意先なんだ。主人は良い人だからここで厄介になるといい」
「…あり…がとう」
「お…おう…こちらこそ」
不意の優しさに一瞬たじろぐ。ずっと傍らに置いておいても構わないと思うほど、単純な商人はこの死者に心を許していた。
「ごめんくだーー…ん?」
いつもならがたつく扉がやけに軽い。頑固な子がある日突然素直になったような気味の悪さを感じ、一瞬躊躇う。だが、そうしている間に、扉の向こうから「はーい」と聞き慣れない声が聞こえ、静かに扉が開く。
そこには、儚げな雰囲気を持つ一人の少年がいた。端麗な容姿をしていたが、それにそぐわない無数の刺し傷が、商人に微かな嫌悪感を与えた。
なんだ、お手伝いを雇ったのか。商人は、妙な違和感が消え去っていく感覚に安堵した。口の無い死者が口を開くまで。
「…結……?」
初めて彼が流暢に話した。たった二文字だが、商人は明確にそう感じた。だが何より商人を当惑させたことは、彼が(おそらく)初対面である少年の名前を知っているという事実であった。
「お兄ちゃん…?」
少年の声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。溢れんばかりの感情をようやく口が抑えている状態だったが、それが決壊するのに時間はかからなかった。
「………っ、くっ…うわぁぁ…ん!」
少年は兄であった無口な死者に抱きつく。兄に首はないが、商人の目には確かに泣いているように見えた。
感動の再会。その言葉がよく似合うだろう。だが、商人は青ざめていた。もっとも、無理のないことかもしれない。黄泉において、現世の記憶が戻っている事を隠蔽する行為は、大罪なのだから。
―
遡ること一週間前…あの少年、結を匿った日、常立商店の主人である常立は、町を散歩していた。
「おぉ…こんなところでうずくまって…どうしたんじゃ?」
常立は、路地の暗がりで身を丸める少年を見つけた。
「身寄りがないのか?よければうちに来るといい。こんなところにいては凍えてしまうよ」
「……お兄ちゃんは…ど…こ?お爺さん……知ってる…?」
(…!?この子…記憶が…!?)
常立は驚愕して、どうしたものかと逡巡した。目の前の少年が厄介ごとを呼ぶことは目に見えていた。しかし、老人の良心は見捨てる事を許さなかった。
「うーん…わしは知らないな…ともかくわしの店に来なさい。話はそこでしようか」
―
「で?あの子を匿ったってことですか」
「そうじゃ。みすみす見捨てるわけにもいかんじゃろう」
「そりゃあ…そうですけども…」
辺りはすっかり暗くなっていた。あの後、二階から降りてきた主人が場を収めてくれた。今、あの兄弟は二階の寝室で眠りについている。
「あの結って子は記憶保持が大罪だって知ってるんですか?」
「知っている。わしが説明した。最初は記憶処理するんを促したんじゃが…どうも手放したくないらしい。おそらく兄も同じじゃろう。あの二人にとって、兄弟であった記憶は相当大事なようじゃな」
常立は落ち着いた口調で言った。だが、商人はとても落ち着いていられる気分ではなかった。
「いくら傾森が結界管理の宗派の中でも穏やかとはいえ、懲役は免れませんよ!もしあの子が暴れ出したりでもしたら灰塵の刑になるかも…塵となって消えるのはごめんです」
「それはないじゃろうが………まぁ…今日はもう遅い。それに当の本人たちがこの場にいないのなら、わしらだけで話し合っても意味がない。また明日話そう。二階の空部屋に布団を用意してある」
商人の顔には少しの不満が張り付いていたが、ひとまず常立の提案に従い、二階へ上がっていった。
―
早朝、二階の空部屋に四人全員集合していた。
「いいか、現世の記憶を持ち続けることは、生きていた頃への強い羨望を常に持ってるってことになる。それが原因で暴れる死者は後をたたない。あんたらも例外じゃあないんだぞ?」
商人の語気は鋭く、兄弟を刺しにかかった。
「ただ暴れると言っても、タチが悪い。記憶が戻った死者は特殊な術を使うという。要は超危険ってことだ。身を滅ぼすかもしれない」
商人の不信感は、すっかり元の濃度に戻っていた。
「まあ、そういうことじゃ…結、そしてその兄よ、君ら兄弟は……どうしたい?」
「…僕は……」
少年は口籠った。だが、目はすでに決意が固まっているように見えた。ただそれを表白するかどうか迷っているようだった。
兄が軽く背中を押す。漸く決心がついたようだ。
「僕は…記憶を戻したいです。お兄ちゃんとも話しました。兄を忘れたままでいるのは…嫌です」
兄も頷く。商人は項垂れる。
「……本当にか?第一戻すったってどうやって?」
「…あの荷車の積荷、御堂に依頼された武器じゃろう?」
商人は痛いところを突かれた。御堂とは、結界の管理者たちが仕事をする場所である。確かにあの武器は、この近くにある御堂に依頼され、仕入れたものだ。
「あんたまさか、この子らを一緒に連れてけと?」
「処理するにしろ、戻すにしろ、記憶の原理を知っているのは御堂の者たちじゃ。避けては通れん」
不意に記憶が戻ってしまった時、すぐに申し出れば、御堂の者たちがその記憶を処理してくれる。処理する技術があるのなら、その逆もあるのではというのが、常立の考えだった。
「それに君もわしも、もう共犯じゃぞ。逃げられはしない」
薄々詰んでいることには気づいていた。どちらに転んでも先はない。唯一ある選択肢は、この子らが暴走することなく記憶を戻し、かつそれがバレないという望みの薄すぎる未来だった。商人は渋々承諾した。もうすでに死んでいるにも関わらず、商人の顔に生気がないということは一目瞭然だった。
「御堂…?」
兄が呟く。常立はその呟きを聞き、詳しく説明を始めた。
「そうか、兄さんの方にはまだ説明しとらんかったのう。よいか、現世と黄泉は結界で隔たれておる。それを管理しとる場所こそ御堂じゃ」
「結界の管理者さんたちにはね、宗派があって、それぞれ火癖、罰水、傾森、雷久、空間があるんだよ」
結も兄に説明する。最近身につけたであろう知識を、自信を持って言う様子は、無邪気で微笑ましかった。
「そいつらは、結界のみならず黄泉そのものも管理してる。ここは傾森の管轄区域だ」
全く覇気のない声で商人も説明した。
「大通りの終点にこの町を管理している御堂がある。そこの師範代に会って、色々聞き出せればよいのじゃが…」
「そう上手くいくもんかね…」
商人はもう既に、自分の未来を決定づけているようだった。
それから、少しの間身支度をして、出発の時間を迎えた。
「傾森は他の宗派に比べて穏やかと聞くが、くれぐれも油断はしてはならぬぞ」
常立は店番のために商店に残る。商人はわかってるよと言わんばかりにその忠告をあしらった。
常立は、商人のことを優しい者だと思っていた。道端に立ち尽くしている無口な死者など、いくらでも無視できただろうに、彼は律儀にここまで案内してきたのだ。きっと彼は、この兄弟の助けになるだろうと考えていた。
何かを願うときは、あらゆる可能性を考慮しなくてはならない。商人は傍らに置いている無口な死者、そして新たに加わった少年を見てそう感じた。
不安そうな表情を浮かべる結の頭を、兄は撫でる。不安は枯れ、そこにはほのかな笑顔が実っていた。
……商人は吐きかけていた。




