切迫交渉
咄嗟に見えた鮮血に、私の思考が止まった。
私の思考を置き去りにして、シリルたちの鮮血は宙に舞い、ボトリと地面に染み込んでいく。
染み込み切れなかった血が小さな血溜まりを作った。
シリルたちが咄嗟に傷口を押さえる。魔術師にとって、負傷は致命的だ。
魔術師は自身で結界を張ることが出来ることも有って、痛みに慣れていない人がほとんどである。衛兵たちは瀬戸際で足を震わしながらも膝が崩れていないが、シリルたちは膝に力が入っていないらしく、殆どが地面に膝をついてしまった。
―――たった、一人で………!
クラディエル公爵家に対して、これほど大きな打撃を与えたのは初めてではないだろうか。
それも、たったの一人の魔術師がなど、前代未聞だ。
魔属性の権能は、これほどまでに強力なのか。
魔属性の権能で最も残虐性の高い私の権能を棚に上げ、どこか他人事のように私は思った。
〝切裂〟の権能は、剣やナイフと言った、刃物を操る魔術だろう。
そう考えると、やはり窓を破壊していたのはナイフで間違いない。
しかし、こんなところで魔属性の権能の覚醒者に出会ってしまうとは……。
確かに、魔属性の権能の覚醒者ならばローブを被っているのにも納得だ。その姿を見せれば王国の管理下に置かれてしまう。それに、彼の権能ならば私の権能同様にあまり良い待遇を受けられるとは思えない。
だけれど、少し違和感がある。
魔属性の権能については、ある程度の知識を持つ人ならば濃紫の魔方陣を見ただけでそれが魔属性の権能によるものだということは分かるだろう。それなのに彼は、足元の錬金魔方陣は一切隠す気がなかった。顔はしっかりと隠しているのに、だ。
もしかしたら、彼は魔属性の権能の覚醒者であることよりも自分が何者なのかを隠したいのではないだろうか。
しかし、何故―――?
「―――クラディエル公爵、来ていただこう」
詠唱以外で開かなかった彼の口が、初めて普通の言葉を発した。
有無を言わさないようなその声色に、声を掛けられたわけでもないのに私が肩を震わせてしまう。
はっと彼から目線を逸らせば、お父様が出てきたところだった。
足元に金色の輝きを齎し、悠然と歩いてくる。
お互いの魔力が反発しあうようにして、それぞれの足元で魔素が風を起こす。
男のローブが一層揺れ、力強く空気を叩いた。
「一つ、交渉したい」
男が言った言葉に、お父様の眉がピクリと跳ねた。
急襲まがいのことをしておいて、交渉をしたい、とは随分な言い草だ。
これまでの襲撃騒動は全て交渉を優位な立場から始めるためだったとでもいうのだろうか。
「彼らについては急所は避けた。治癒魔法で十分に完治する」
こちらの考えを読んだようにして男が一つ補足を入れる。
しかし、その言い方がお父様の逆鱗に触れてしまったようだ。
表情は依然と穏やかな儘だが、長年お父様の表情を見てきた私にはわかる。
あの表情の裏には怒りという名の激情が隠されているのだろう。
「それで、交渉というのは……?」
お父様が威厳の裏に怒りを張り付けて雰囲気を操作する。
男は少々気圧されたようで、一歩小さく後退った。
「ツァルヴィス地方、ボルドー地方の所有権を放棄していただきたい」
男の要求に、お父様の表情が分かりやすく歪んだ。
ツァルヴィス地方とボルドー地方と言えば、クラディエル公爵家の領地の中でも特に重要な土地だ。
どちらも広大かつ肥沃な土地があり、マルティアル王国の小麦の生産のうちの6割を担っている。
これらの土地を失えば、クラディエル公爵家は大打撃を受けるだろう。
やはり、今回の襲撃の目的は、クラディエル家を蹴落とすためだったか……。
「断れば?」
「急所を避けることはしません」
即答だった。急所、という言葉が何に言及したものなのかについては誰も指摘しなかったが、誰もが同時に理解していた。
それは避ける必要があるだろう。〝切裂〟の権能の全容は未だ分かっていないが、既に脅威的なものであることは把握できた。先程の攻撃が手加減されたものだというなら、手加減を除いてしまえばどれだけ恐ろしい威力になるのか計り知れない。
お父様も少々困惑しながら、はぁぁと一息つく。
そのまま、小さく口を開いた。
「成程……。それが目的ですか、ダモニア第二王子殿下」
「なっ………! なぜ、それを………」
初めて、ローブの男―――、ダモニア王子が動揺を見せる。
集中力が切れたことによって足元の濃紫の魔方陣が搔き消え、霧散した。
正直、私も驚いている。
王子とは公爵令嬢として何度かパーティなどで顔を合わせたことがある。
その時に少しは会話を交わしたが、その時とは声が変わって居るのだ。意識的に声の調子を変えているのだろう。
そして、相手が王子であったことに気付けなかったことに驚いているというより、相手が王子であった、という事実に、私は驚いていた。
シリルたちも同様にその事実に驚いているらしく、殆どの者が口を半開きにして言葉を失っている。
王家の人間が―――権力ピラミッドで言えば最もクラディエル公爵家に近く、唯一クラディエル公爵家に勝っている王族の人間が―――公爵家襲撃事件の主犯だったのだ。驚かないわけにもいかない。
加えて、その目的はクラディエル家を蹴落とすためときた。
まあ、心当たりがないわけでもないが………。
「私は人の魔力の様子を覚えています。魔素を集める時に大きく空気を揺らすようにして一気に集めようとされるのは、ダモニア王子殿下の癖であったと記憶していますので」
お父様の言葉に、ダモニア王子は苦笑を漏らす。
「流石はスーディア殿、王国最強の魔術師なだけはある。全て、お見通しというわけか」
そう言うと、王子はローブをばさりと取り払った。片手で器用にまとめながら、その視線はお父様に注がれている。
お父様は先程あのように簡単に言い切ったが、基本的に人の魔力の様子など分かるものではない。ましてや、それを記憶して現在の状況と照らし合わせるなど、人間に出来る業ではない。
その底知れぬ知識と技能にダモニア王子も苦笑を隠せていなかった。
「さて、状況が変わったようですが……どうされますか?」
お父様が、優雅に笑みを浮かべてダモニア王子に問い尋ねる。
ダモニア王子の表情が一瞬歪んだ。お父様がどうするか、と尋ねているのは最早敗北を宣言されているようなものだ。既にこの状況の如何なる決定権もダモニア王子にはないのだろう。
ぐぬぬ……と文字通り呻いて、ダモニア王子は一歩、後退る。
お父様が一歩、ダモニア王子の後退に合わせて足を踏み出し、間合いを均一に保った。
「確かに、この状況では私にとって不利だ。しかし、貴方方にとっても不利な状況であることを忘れているのでは?」
そう言って、ダモニア王子は視線をシリルたちに向ける。
彼らを人質にして交渉をうまく進めるつもりなのだろう。
確かに、窓を破壊した時よりもお互いの距離は短い。ダモニア王子の射程圏内に入っていることはほぼ確実だった。
しかし、お父様はその余裕そうな笑みを崩さない。
攻撃できるのならしてみればいい、とまで言い出しそうなほどだ。
「交渉決裂……だな」
そう言うと、ダモニア王子は詠唱を始めた。
「魔よ、全てを裂き散らし―――」
いつの間にやら、彼の足元には濃紫の魔力が溢れ出している。
魔方陣も紫色に禍々しく輝いていた。
「代償として其の剣を万物に振るい給え」
王子の握る手の内に大剣が見えたような気がした。
幻覚だということが分かっているのに、それに対して恐れを感じてしまう。
「絶えず悪の蔓延る世界に、潔い死を齎す斬撃を揮い給え」
閉じていた瞼が開く。
剣が振りかぶられた。
「切裂の権能を我が手に―――勇猛切裂!」
大剣が、大きく振るわれ、シリルたちに殺到した。
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